藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

アンマの抱擁と私の哀しみと『じわじわ』の話し。

 

7月22日、月曜日。

私は朝早くからもぞもぞと動き出し、この場所に出向いた。

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インドの女性聖者、アンマに会いに行ったのです。

 

あれは多分2か月くらい前のことだったと思う。

私の夢の中にアンマとサラスワティー(弁財天さま)らしき人物が現れ、私をとても優しく抱きしめた。

そして「私のむすめ…」とそのお二人が耳元で囁くのだ。

アンマは泣いているような顔で。

サラスワティーは優しい慈悲深い笑顔で。

私はそのお二人に交互に抱きしめられ、最初は戸惑い、そしてその後とてつもない安心感に包まれたのだ。

 

目が覚めた時、夢があまりにもリアルすぎてお二人の姿を探してしまうほどにリアルな夢だった。

 

『抱擁の聖者アンマ』を知ったのはいつ頃だっただろう。

多分4,5年程前だと思う。

私はただ興味があっただけで、特に心を揺さぶられたわけではない。

「え?!聖者に抱きしめてもらえるの?!うわー!興味あるー!」くらいのものだ。

私は私が『インド聖者に抱きしめられる』という経験をしたらどんな感想を抱くのか?に興味があった。

だから「一度でいいから会ってみたいなぁー」くらいの感じだったのだ。

なので今年も「会いに行こっかなー」と言ってはいたものの、計画性のない私は特に調べるわけでもなく、きっと会いに行かないままアンマが来日する日程も知らないままに日々が過ぎ去っていくんだろうなぁと思っていたのです。

 

が、月曜日、私は気付いたらアンマに会うために整理券配布場所に並んでいた。

 

会場入り口でボランティアの女性に「生まれて初めてアンマに会いますか?」と聞かれた時(生まれて初めて…?)とちょっとその言葉にニヤリと笑いながら、「は、はい。生まれて初めてです。」と答えた私。

思ったよりも広い会場に驚き、そして開場前なのに人がたくさんいることに驚いた。

 

会場内の椅子に誘導され、無事に整理券を手に入れた私はその小さな券を手のひらに乗せてジッと見た。

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これね。

 

この小さな券が私を『生まれて初めて』の体験に導いてくれるのか…と思いながら。

 

 

11時前。

いよいよアンマが登場する時間がきた。

厳かな雰囲気を醸し出すようなアナウンスが会場内に流れる。

 

「間もなく…アンマがいらっしゃいます…まだ…お席にお着きでないない方は……」

 

私は椅子に座りながら、自分が何を感じているのかをジッと観察していた。

この会場の空気感。

身体の状態。

私の感情。

冷静に、ジッと観察していた。

 

さっきからちょっとだけ気付いていたんだけど、なんとなく気のせいにしていたことに改めて気付く。

私はこの会場に入った時からずっと天太のことを思いだしていた。

(天太さんは私の息子で5年前に1歳4か月で亡くなっています。18トリソミーという染色体異常で生まれた子です。)

日常、天太のことを思い出すことなんてほとんどない私が天太のことを次々と思い出し、そしてその過去の日々をリアルになぞらえていたのです。

私は『天太との日々を思い出すこと』を自分に赦し、そのままにしていた。

そこに浸るわけでもなく、悲劇のヒロインになるわけでもなく、そのまま思い出している自分を眺めていた。

そうしたら、不思議な言葉が私の脳裏に浮かんだのです。

 

『子どもを亡くすということは、哀しいことなのだ。』

『子どもを亡くすということは、“生み出したもの”として哀しいことなのだ。』

『これは人間の持つ、共通の感情だ。』

『人間が持つ、母親が持つ、湧きあがる感情なのだ。』

 

そんな言葉が次々と私の内部に聞こえてくる。

私はこの言葉を感じながら、「あぁ…私、哀しかったんだぁ…」とじわじわと味わったのです。

そして「あぁ…私は“生み出した者”だから、哀しくて当然なんだぁ…」とじっくり『全母親の想い』『全生み出した者の想い』を味わったのです。

 

人間は『哀しみ』を感じられるように細胞にプログラミングされているんだと思う。

あらゆる感情を感じられるようにプログラミングされているんだと思う。

だから、感じたくないっ!!と思ったって感じてしまうものなのだ。

それは言いかえればもしかしたら『神の恩寵』なのかもしれない。

『神』がなにかは知らないけれど。

 

「思う存分味わって。そしてそれを楽んで。」

 

そう言われているような。

 

アンマが登壇した後、会場全体で瞑想をした。

その瞑想がもんのすごく良くて、ますます“自分”という存在がよくわからなくなった。

(アンマが登壇した時はさほど感動もなく、「ふーん」という感じだったのにも驚いたんだけどね。)

 

 

瞑想が終わると、いよいよアンマの抱擁が始まる。

壇上がわさわさと動き出す。

ものすごい人数を抱擁しなければならないんだから、そりゃ大変だ。

きっとこれは夜までずっと抱擁が続くんだろう。

 

私はアンマの抱擁が始まってまた驚いていた。

1人1人の抱擁の時間が思っていたよりも長いのだ。

私の想像では“ちょっとしたハグ”のようなイメージだったのだけれど、実際は“ガチの抱擁”だったのだ。

ギュッと抱きしめ、時にはキスをし、そして耳元で何かをささやいている。

私はそのアンマの姿を舞台下からジッと見ていた。

 

最初はいいよね。最初はそりゃ時間かけるよね。

で?

いつ頃から抱擁の時間短くなる?

いつ頃から抱擁がおざなりになる?

 

そんな意地悪な思いを抱きながら。

 

が。

が!!

 

アンマはずーーーっと同じペースで、どの人にも変わらずに強く抱擁するのです。

優しく、そして力強く。(そう見えるのよ)

 

そして私の番がやってきた。

特にドキドキするわけでもなく、なんとなく淡々とアンマに目の前に膝立ちで座る。

アンマは私の身体をギュッと胸に抱きしめた。

私は顔を正面に向けたままアンマに抱きしめられたので、鼻がギュッと押しつぶされる。

私の鼻はそらさんからも亮一さんからも「矢印みたーい!笑」と言われるほど前に突き出している。(←不本意。ちくしょー。)

「あぁ…顔を横に向けておくべくだった…鼻がギュッとなって痛い…しまった…」

とごちゃごちゃ考えていた時、アンマが私の耳元でこう囁いた。

 

「私のむすめ…」

 

へ?

ニホンゴ?

ワタシノムスメッテイイマシタ?

 

とキョトンとしていると、すかさずアンマは「モーモーモーモーモーモー…」と謎の呪文を唱えながら私の身体を抱きしめながら小さく前後に揺らしたのです。

まるで赤ちゃんをあやしているかのように。

 

あっけに取られたまま抱擁が終わり、ボランティアの方に誘導され立ち上がる。

抱擁が終わった後、しばらくの間アンマの傍で座っていることが許されるのだけれど、私はそのまま壇上から降りようとしていた。

そんな私にボランティアの方が「こちらへどうぞ。」と声をかけた。

「え?いや…」と断ろうとすると、その方がアンマの真隣を指し、「そこにどうぞ。呼ばれているみたいですから…。」と言った。

「あぁ…じゃあ…笑」と苦笑いを浮かべ、私はその席に腰を下ろした。

 

呼ばれている…?

あぁ…そう言うと喜ぶ人がたくさんいるんだなぁ…。

 

私はアンマが他の人に抱擁している姿をチラッと見ながらそんなことを思い、なんとなく早々に席を辞した。

壇上からチラッと下を見て、人の多さに驚く。

そして私はこう思った。

 

「抱擁されたい人がこんなにもいるんだなぁ…抱擁を求めている人たちがこんなにもいるんだなぁ…」

 

と。

 

私はゆっくり舞台から降り、会場内にある飲食ブースでカレーを食べた。

そこにもたくさんの人たちがいて、カレーを食べたりチャイを飲んだりしている。

私は友達から教えてもらった一番奥のカレー屋さんでプレートを買い、空いている席に腰を下ろした。

私の目の前には一人で来ているらしい、上品そうなご婦人が座っている。

そして私の隣には5,6人のグループのおばさんたち。

目の前のご婦人は黙って美しくカレーを食べる。

おばさんグループはあまり上品とは言えない様子で政治のことを語り、カレーを食べ散らかす。

目の前のご婦人はカレーを食べ終わると、私にニコッと笑いかけながら「美味しかったわねぇ」と言い、「お先に失礼しますね」と可愛らしく挨拶をした。

 

隣のおばさんグループの話声を少し不快に感じながら、私はゆっくりとカレーを食べた。

するとそのグループからこんな声が聞こえてきた。

 

「世界平和の祈りが必要な時代がやってきましたねぇー。」

 

私は自分の耳を疑った。

そして目を見開いた。

 

吐き気がする。

だから嫌なんだ。

こういう場所はこれだから嫌なんだ。

 

私の中で嫌悪感がものすごいことになっている。

喉までこの言葉が出かかった。

 

「世界平和の前にお前は平和なのかっ?!!お前自身が平和そうにはみえないけどそれはどうなんだっ?!!」

 

私はこのモヤモヤした気持ちをグッと自分の中に収めて、「あぁ…こう感じるってことは私も平和ではないのね…」と切ない気持ちになった。

 

 

アンマにお会いしてみて、そして抱擁を受けてみて、私は自分がまったく感動していないことにびっくりしていた。

もっと気持ちが高揚するかと思っていたし、もっと泣いたりするもんだと思っていたから。

なんとなく「なんか不思議な感じだったなぁ…」という感想と、「ふーん…」くらいのものだった。

アンマが夢と同じセリフを言ったことに少し驚いたりはしたけれど、それも「ふーん…そうかぁ。」くらいのものだった。

 

が。

 

夜、お布団に入り、目を瞑るとそれは起こった。

私のハートの辺りがいつもと違うのだ。

気のせいにしようと思えばそう思える、くらいのものだけれど。

でも、違う。

ハートの辺りをじわじわと感じるのだ。

この『じわじわ』に当てはまる言葉を探そうとすると、これなのかもしれない。

 

 

慈悲。

 

 

ただの『じわじわ』だけれど、言葉にするとこれなのかもしれない。

 

私はこの『慈悲』と名付けた『じわじわ』をじっくりと感じながら目を瞑る。

いつしかその『じわじわ』が全身に広がり、私全体が『じわじわ』になった。

 

その『じわじわ』は今も私の全身に広がったままだ。

私は『じわじわ』に成ったのだ。

 

もしかしたらこれが『聖者のパワー』なのかもしれない。

アンマのすごさ、なのかもしれない。

『ものすごい感動』ではなく、じっくりとゆっくりと浸透していくパワーなのかもしれない。

 

私は『慈悲』というものがまだわからないし、この体験をしたからってどうなの?って感じだけれど、ますますこの思いが強くなっている。

 

いつでも気付いていたい。

いつでも気付いている存在で在りたい。

 

と。

 

この『じわじわ』がいつまで続くかわからないけれど、忘れてしまったら“忘れてしまったことに気付いて”思い出せばいいんだよね。

執着せず、掴もうとせず、握りしめようとせず、ただ通り過ぎて行く風景を眺めている視点を持っていたいなぁ。

 

そんなことを思った体験でした。

面白かったよ。

 

さて。

今日はそらさんとプールにでも行ってきますかー。

夏休みだねぇ。

 

読んでくれてありがとう。

ではまた。

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お友達のために祈るそら先生。美しいなぁ。