藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

2月が始まりました。書きたいことを書いていこう。

みなさまこんにちは。

2月がついに始まってしまいましたね。

前回のブログにも書きましたが、(見事にあれからブログを一度も更新していない…)今月は真剣に執筆をしていくことにしました。

 

(まだ前回のブログを読んでいない方はこちらからどうぞ。☟☟)

yukiukix.hateblo.jp

 

以前はかなりの頻度で文章を綴っていたのですが、この一年間はありがたいことに施術三昧で文章を綴ることから遠のいておりました。というか書けなかったんですね。

 

私は文章を綴ることが好きです。

私が感じている“コレ”をなんとか眼に観えるカタチにする行為が好きみたいです。

「こんなこと書いて誰が読むんだ?」とか「こんなことみんな知ってることじゃん。」とか色々思うこともありますが、そう思って書いてみると誰かに喜ばれたりしてそれが嬉しかったり。

 

“書く“という行為はとても自由なものなのだろうけど、その分自分の制限を目の当たりにしていくなぁと感じます。

いつの間にか囚われている枠だったり、いつできたかわからないような決めごとに縛られていたりする自分に出会います。

それを壊すか壊さないか。

それも自由。

 

こんなこと書いてどう思われるかな。

こんなこと書いたら変だと思われるかな。

この文章の構成はプロから見たら稚拙なんだろうな。

つまんねーとか思われるの嫌だな。

みんなから「面白かった!」といわれるにはどうしたらいいのかな。(みんなって誰だよ。)

 

そんな思いにいつだって翻弄される。

あーやだやだ。

でもそれがあるから面白い。

 

ブログなんて書いても書かなくてもいい。

誰が待ってるわけでもないかもしれない。

誰も期待していない。

書いている私だけが気にしていて、他の誰もそんなこと気にしてない。(と思う。)

 

そんなことは重々承知の上で、それでも書きたい。

今、そんな感じです。

 

さて、これから私はまた文章を綴ることにどっぷりと浸かろうとしているのですが、やっぱり感覚が鈍っているなぁと実感します。

施術をあまりしなかった日々から施術三昧の日々に移行した時も腕と感覚のなまり具合に「うへ~」となったな。

今日からリハビリです。

試行錯誤の日々がまた始まりました。

 

文章のキレのなさもよしとしよう。

おさまりの悪さもちゃんと感じよう。

自分を罰しないで、自分に期待しすぎないで、でも期待も忘れずに。

f:id:yukiukix:20220201135245j:plain

 

 

そうそう。

昨日1月最後の施術をさせて頂いていた時に感じたことを綴っておこう。

 

昨日いらして頂いた方は施術を受けるのは3回目。

タイミングがとても良かったのか、ものすごいスピードで諸々が楽になって毎日が楽しくなっている素敵な女性Hさん。

そんな素敵なHさんがこんなことをおっしゃていました。

 

「ここまでやっても大丈夫なんだ!って発見がたくさんあって安心したというか、ホッとしたんですよ。」

 

笑いながら、毎日が楽しくなって自然に感謝が湧いてくるんだとおっしゃる。

私はその言葉を聞いて「あーなんて素敵なんだ。。」と感動していたのです。

 

何か行動を起こそうとするとき、人は恐怖を感じます。

今まで慣れ親しんできた思い込みを外そうとする時、怖さを感じてやめてしまったりします。

そんな時、誰かの「大丈夫だよ!」「あなたならできるよ!」の言葉があると安心します。

でも一番安心するのはきっと「失敗してもいいんだよ。」「間違っても大丈夫。」「失敗しても間違ってもあなたのことが大好きなのは全く変わらないよ。」という安心感なんじゃないのかなと思うのです。

まぁこれはあくまでも私の勝手な思い込みであり、仮説なのですが。

 

 

ところでさ、亮一さんのカレー、すごくないですか?

f:id:yukiukix:20220201130801j:plain

f:id:yukiukix:20220201130830j:plain

 

このすんばらしく美しいカレーたち、美しいだけじゃなくてめちゃくちゃ美味しいんです!!

ほんっとに美味しいの!!

食べた後すぐに「もう食べたい!」ってなるカレーなのです。

 

で、何がすごいかっていうと、亮一さんは6年くらい前までまったくといっていいほどお料理ができなかったってことなんです。

 

包丁を扱うのもぎこちない。

野菜の切り方もいちいち調べないとわからない。

お料理の段取りを組むこともよくわからない。

と、料理初心者中の初心者だったわけです。

それが今や『亮一さんカレーの会』を開いていらして下さったお客様にカレーをふるまうまでになり、開催リクエストまでされるようになったんです。

これってほんとにすごいことで、私は毎回感動するんです。

「あー。人ってこうやって出来るようになっていくんだなぁ。」という姿をこんなに近くでみることができる喜びったらないんですよ。

 

でね、カレーをここまで作れるようになって人にふるまうまでになるのには『安心感』っていうのが必要だったんじゃないかって思うんです。

亮一さんにこの辺のことをちゃんと聞いてないのであくまで私側の思いなんですけどね。

 

私は何度も何度も亮一さんに「これはいろんな人に食べてもらった方がいいって!」「みんな食べたいと思ってるって!」「やってみなよ!」「できるって!」「亮一さんのカレーはほんとにほんとに美味いから!!」「これはなかなか食べられないレベルだよ!!」と言い続けました。

怖がっている亮一さんに「いけるって!」「もし失敗してもいいじゃん!」「やっちゃえやっちゃえ!!」と何度も何度もたきつけました。笑

 

いわば援護射撃。

 

実際に決めて行動にうつしたのは亮一さんで、その勇気たるや素晴らしい。

でもきっと援護射撃の力もなかなかに効いたのではないか?と。(手前味噌がすぎる。)

 

 

そんなことを思っていた時、私は私の過去のことを思い出していました。

 

私の父親は私が小さいころからこんなことをよく口にしていた。

 

「たくさん失敗しろ。」

「はじめからできる人なんてどこにもいないぞ。」

 

そして私が何かで失敗したり間違えたりして落ち込んでいるとこんな言葉をかけてくれました。

 

「また1つ人の気持ちがわかるようになったな。よかったな。」

 

その後にはこんなことも。

 

「おまえならできるぞ。お父さんの子なんだからな。はっはっは!」

 

私の父は私が幼稚園くらいの時から大人になるまでこんな言葉を何度も何度も私に言いました。

初めて補助なし自転車に挑戦した時も、ローラースケートを教えてくれた時も、なかなか上手くならないクロールを教えてくれている時も。

そして大人になって仕事のことで悩んでいたり落ち込んでいる時も。

 

すっかり忘れていたし、いつもはまったく気にもしていないけれど、確実に私の中にこの言葉が根付いていたことに気付いたのです。

私はこの言葉をいつもどこかに持ち続けていたんだ。

 

言葉をかけ続けるってすごいことだ。

それは応援にもなるし時には呪いにもなる。

 

 

私は今でもずっと思っている。

何か哀しいことや腹立たしいことや切ないことが起こった時、すぐにこう思う。

 

「あぁ。これでまた1つ人の気持ちがわかるようになったんだな。」と。

 

そして迷っている人や行動を起こしたいのに失敗が怖くて勇気が出ない人がいるとすぐにこう言うんだ。(自分も含めてね。)

 

「ぜったい大丈夫だよ。失敗したって大丈夫。全部が経験だよ。怖いけどね、大丈夫。」と。

 

 

『安心感』を感じてもらえるような施術がしたい。

『安心感』を体験できるような対話がしたい。

『安心感』を感じられるような文章を綴りたい。

『なにがあっても大丈夫』が伝わる物語を書きたい。

 

そんなことを思っています。

 

 

今月はリハビリを急ピッチで進めながら、書きたいことを書いていこうと思います。

どう思われるかなぁとかこんなこと書いたら嫌がられるかなぁとか、そんなものもひっくるめて「大丈夫」の中でもがきたいと思います。

 

どうかよかったら温かい目で見守ってやってくださいませ。

 

ではまた。