そらさんが小学校を卒業したんです。~南アルプス子どもの村小学校卒業の話し~
学校のグランドから臨む昨日の富士山。めちゃくちゃ綺麗だったなー。
ブログをすっかり書かなくなって1年が経つんだって!!
びっくり!!
おひさしぶりです。
ゆっきぃです。
こんなに書くのが空いてたらそりゃー読んでくれる方も減っているでしょう。
あたり前だな。
あのですね。
私のめちゃくちゃ可愛い娘いるじゃないですか?
ご存知ですよね?
もちろんご存知のていでお話し進めますがね。
なんとその世界一可愛い娘のそらさんがですね、
昨日小学校を卒業したんですよ。
すごくないですか?
あのそらさんがですよ。
というかですね、この私が小6の子どもの母親だってこともすごいんですけどね。
あそうそう。
そらさんは4月から同じ敷地内にある『南アルプス子どもの村中学校』に通い始めるので、そんなに大きく生活が変わるわけではありません。
(真となりの校舎にうつるくらいです。寮生活もそのままです。あ、寮が中学生の寮に変わりますが。それも真となり。)
まぁでも小学校卒業ってすごいですよね。
このブログを読んでくださっていた方はご存知かと思いますが、娘のそらさんは小学校1年生から山梨にある『南アルプス子どもの村小学校』に通っております。
小1から平日は寮生活です。
入学したころ、詳細をよくこのブログに書いておりました。
(学校側から書くことにストップかかったことあります。。今回は大丈夫かな…?ドキドキ…)
入学時のもろもろはこちらです☟
※ほかにも学校関連の記事あるのでよかったら過去のブログ遡ってみてくださいね。
ここ数年、この学校を舞台にしたドキュメンタリー映画が上映されたことにより人気急上昇だそうです。
入学希望者も増え、日本全国から新しく学校設立してほしいとの要望もたくさんきているんだそうで。
入学してみるとそりゃあいろんなことがあります。
保護者の方たちの不安や不満の声もちらほらちらほら耳に入りました。
そもそもこの学校は私たちが受けた学校教育とはまるで違うやり方と理念で子どもたちを見守りながら日々の授業?活動?が進みます。
とにかくとにかく『自分で考える』を重視します。
そして『自己肯定感をとにかく植え付ける』を徹底的にじっくりやっていきます。
九九を暗記させたり、学校の大人(この学校では先生とは呼びません。先生のことを“大人”とよびます。最高。)が勉強や行動を強制することはありません。
とはいえ学校として認可されている私立学校なので、ちゃんと基礎学習をする時間もあります。
えーと…
えー---と…
改めてこの学校の説明するのむずいな。。
気になる方はこちらを見て下さい☟
小学校の入学試験?試験じゃないな?なんだろ?の時、
親と大人の面談の時、中学校の校長の〇ちゃんにこんなことを言われました。(学校側からイニシャルもやめてといわれたので〇で。)
「塾も進研ゼミのような自宅学習の教材もいっさいやらせないでほしいんです。」
「中学まで進学させることを希望しますか?もし希望するなら、こちらは高校進学のための積極的な進路指導はしませんけれどご了承いただけますか?」
これにはちゃんと納得の理由があります。
私も亮一さんもこの学校がほんとにいいと思っていて、しかもそらさんも行きたいと言ってくれたので何の疑問も不安もなく、「はい!」と答えていました。
塾や家庭学習教材をやめてほしいという理由は、小学校では『競争させることを一切しない』という教育理念があり、人と比べる要素をなるべくとりはらい、のびのびと自分のペースで、自分の頭で考える土台をじっくり育んでいくことを重視しているんですね。
塾や教育教材は点数を競わせたり、点数をとれないとダメだ、ということを刷り込みます。
これが悪い、ということではなく、学校でやろうとしていることと、家庭でやらせることがまるっきり正反対であるということで子どもが混乱するという話しをされました。
「途中で塾に行かせたりするとすぐわかるんですよ。子どもの様子がすぐに変わるんです。急に勝ち負けにこだわりはじめたり荒れ始めたりするんですよ。」
中学校校長の〇ちゃんは優しい笑顔でゆっくりとそんなことを話していました。
私と亮一さんはそんな〇ちゃんの言葉に大きく頷き納得しました。
私と亮一さんはとにかくそらさんにのびのびと生きて欲しい、個性を潰されないでほしい、急がせないでほしい、強制も矯正もされてほしくない、自分や世界に対して安心と信頼の土台を築いてほしい、という想いを抱いていました。
それは私たち2人ではとうてい無理、というか、“あの”“一般的な”学校教育しか受けていない私たちでは心もとないことだなぁとよく話していたのです。
というか!!
そもそものびのび生きてきてないし!!
そもそも自己肯定感めちゃ低い2人だし!!
自分に安心なんてしてねーし!!
ていうかさ!!
私たちがまずどうにかしなきゃいけない状況(再教育)なのに、娘のことそんな風にできるわけねー-し!!
ってことで、全面的にこの学校の大人に託していこうと決めたわけです。
お相手はプロ中のプロなわけですから。
あの学校に入学させたい!と希望する親御さんはほぼみなさんそんなことを考え、決意して決めたのではないかな。
しかー-し。
人間って言うのは覚悟が揺らぐものでございます。
入学してからじゃないと学校の全貌はわからない。
というか、この学校はとにもかくにも『子どもファースト』。
親への忖度みたいなものが一切ありません。
こちらから情報をとりにいかないとほとんど何も教えてくれません。
(もちろん学校行事の案内などはちゃんとありますよ。)
(教えてーって言えばなんでもちゃんと答えてくれます。)
(そして大人はみんな優しいし、いつもしっかり学んでいる方たちばかりです。)
だんだん学年が上がり、親御さんの心配する勉強のことや中学に上がってからの指導などがリアルに感じられるようになるにつけ、保護者の方たちのいろんな不安や心配の声を聞くようになりました。
高校受験どうだったのか?進路指導はほんとにしないのか?
中学にあがったら勉強ってどうなの?
などなど。
私にもこの学校でママ友さんが何人かでき、保護者の方たちの飲み会などにも参加させてもらって、いろんな話を共有してもらいました。
不安な方の話しを聞くとこちらも不安になるものです。
不満のある方から話しを聞くとこちらにも不満が伝播するものです。
が、基本的に私と亮一さんはのんびりのほほんタイプだし、何よりも目の前にいる成長しているそらさんをみていると学校への信頼が増すのです。
これが。こうなったんですよ。
(お顔伏せてるのが残念ですが、今いろいろとうるさいですからぇ。)
入学したころは泣いてばかりいました。
もうそれはそれは大号泣で気が狂ってしまうんじゃないかと思うくらいの泣き方でした。
そりゃそうです。
親元離れて一人で寮生活が6歳で始まったんですから。
さっき過去のブログを読み返して大泣きしてしまいましたよ。
そらちゃんがんばったなぁ。
私も亮一さんもがんばったなぁ。
その時のそらさんの不安や寂しさを想像すると胸が痛すぎて吐きそうになるくらいです。
でも。
心から感じます。
この学校に入ってよかったなーー!!
そらさん、めちゃくちゃたくましくなったなーー!!
卒業を祝う会では、卒業証書をもらったあと、1人1人がステージ上で自分の言葉でみんなの前でお話しをします。
6年間で印象に残っていることや感じたこと、わかったこと、これからのこと、など。
みんなそれはそれは個性的な、でもしっかりと芯の通った話しをします。
「これからも頑張っていきたいと思います。」みたいな、よく聞く通り一辺倒の言葉ではなく、しっかりと自分で考えて、体験して得たことを話します。
そらさんも堂々と、大きなはっきりした声で“自分の話し”をしていました。
これが6年間でしっかり培ったものなんだ。
卒業を祝う会の最中、6年前同じ体育館で『入学を祝う会』に参加したことを思い出していました。
6年後どうなってるんだろうね?
私たちもどうなってるんだろうね?
そらさんがあんな立派な6年生になってるとは思えないね(笑)
どんな風に成長していくのかまったく見えないね。
ただわかっているのはずっと素晴らしい子でしかないってことだけだね。
そんなことを亮一さんと話していたこの場所で、6年生になって卒業するそらさんを見つめる。
立派になってるなー
楽しそうにしてるなー
ほんとに強くなったなー
あそこで踏ん張ってよかったなー
そしてやっぱり思った通り、ずっとずーーっと素晴らしい子のまんまだなー
これからも心配したり不安になったりするんだろうけど、でも真ん中にあるのは「ぜったい大丈夫」だ。
なんの根拠もないけど真ん中にどっかりとあるのは『ぜったいに大丈夫』だ。
私はこの学校が好きだし、この学校の大人たちが好きです。
そしてそらさんと亮一さんが心から好きだ。
中学校生活がどんなものになり、そらさんがまたどんな変化を見せてくれるのか楽しみしかないね。
とりあえずこの6年間ほんとにほんとにお疲れ様。
よくがんばったね。
そらさん。
亮一さん。
そして私ーーー!!!
また気が向いたら書きますね。
いやー-
久しぶりに書くと勘が戻らないね!
ではまた。
あんなだった私がこんな私になったのは。②
このブログを書いている時のお2人。強すぎる圧に何度も負けそうになりました…。
みなさまこんにちは。
今日はいい天気で気持ちいいー-!
天気がいいだけで気持ち良くてご機嫌になれるってことはやっぱり人間って自然の一部であり、影響受けまくりなんだなぁと再確認します。
気候が暖かいと気分がいい。
ってことはよ、いつも身体が温かくて自分発信の暖かさがあると気分がずっといいってことよね?
身体が温かいと気分がよくて気持ちに余裕がでる。
気持ちに余裕がでるから人への対応も優しくなる。
人への対応が優しくなると人から好かれる。
人から好かれるとみんなが親切にしてくれる。
自分のまわりに冷たい人やきつい人がいなくなる。
毎日ハッピー!!!
てことですよね?(だいぶ短絡的な感じで書いてますが。)
私はそれを割と真剣に「そうだよね⁉」と考えていて、『身体があったかければだいたいのことはうまくいく!』『なんやかやと問題が多い方はまず身体をあっためることからはじめてみては?!』と思っています。
身体が冷えてると人間ろくなこと考えないし、ろくなことしませんから。
さて。
過去の私はきっと身体がひえっひえだったのでしょう。
酒は浴びるように飲むは食べても吐いてしまうは『おしゃれはガマン』とか言いながらめちゃめちゃ薄着でたっかいヒールの靴なんかを履いてましたから。
そんなこんなではじまりました前回の続きです。
(前回はこちらね☟)
中学生くらいから私は地獄の住人になっていくのですが、20代前半のころが一番つらかったような気がします。
毎朝起きたと同時に始まる地獄。
楽しいことなんて1つもない。
私が“幸せ”という言葉を使う時なんて一生こないだろうと思っていました。
ソープ嬢を辞めた後、私は途方にくれます。
本気で殺されると思って生きてきた1年弱。
結果私は殺されずに生きていて、これからは逃げも隠れもせずにどうやって生きてもいい身になったわけです。
その辺のことを詳しく知りたい方は一度ぜひ読んでみて下さい。☟
(毎度すいません。)
私は死ななかった。
これからも生きていかなけれなならない。
治るどころかどんどん酷くなる食べ吐き行為。
隣には当時の優しい彼氏。
優しくされればされるほど苦しくなる。
私はソープ嬢を辞めた後、大阪の北新地のバーでバーテンダーになります。
お酒の勉強を必死にやり、カクテルを作る練習を毎日繰り返し、ワインや日本酒、ウイスキーやブランデーやリキュールの歴史なども勉強します。
いつしかお店の切り盛りも任されるようになり、オーナーママが不在の時にも営業を任されるような立場になりました。
↑これ、日中食べ吐きを盛大にやって、頭がぼーっとしている状態からなんとか立ち上がって勉強したりしてたもんだから身体はボロボロ。
ボロボロになるのわかってるから毎日「今日は絶対やらない!」と誓うんです。
毎日毎日誓うんですよ。
でも毎日衝動はきちんとやってくる。
食べ吐きがしたくなる、しなければ太ってますます醜くなってしまう!という衝動が。
ボロボロにふらふらになりながら、でも周りからは一切それを悟られないようにふるまい、なんとか必死に仕事をこなしていた私はお店の切り盛りを任されるようになったころ、高級クラブのホステスという仕事に興味を持ち始めます。
その後、すぐに望み通りに高級クラブホステスになるのですが、最初の“気付き”?みたいなものがやってきたのはこの頃だったと思います。
高級クラブという場所は、まー私にとってはとてもしんどい場所でした。
「ソープランドのほうが何百倍も楽じゃん!!」って何度も思ったほど。
誰も本音を言わない。
いつも騙し合い。
女の怖さを目の当たりにする。
男の幼稚さや狡さやプライドの高さやくだらなさをまざまざと見せつけられる。
(そこが男性の可愛さでもあるんですがね。)
私もウソをつきまくる。
女の人(お姉さんたち)に嫌われたら終わる。
から、みえすいたおべっかをみんなが言いまくる。
客の取り合い。
いいお客さんや太客といわれる金払いの良い、高い地位の人に可愛がられるとホステスの格が上がる(気がするだけなんだけどみんな勘違いする。)
クラブホステスさんの内情を知れば知るほど怖くて、ショックを受けるような出来事がたくさんたくさんありました。
(めちゃくちゃいいおねえさんもいたんですよ。良くしてもらった思い出もあります。)
私は『どの仕事に就いても上位にいくか「辞めないで」と言われるような立場になるまで辞めない』とルールを決めていたので必死に仕事をしました。
おべっかも使うし、嘘もつきまくるし、つくり笑顔も死ぬほどやりました。
結果、私はオーナーママに可愛がられるようになり、お店の中でも上位の太客の数人から応援してもらえるようになり、同伴賞で1位を獲るまでになりました。
(もう必死すぎて1位獲った時は灰になりました…)
ホステスになってからはそれはそれは毎日がさらに地獄で、もらえるお金は増えたけれど、それに伴い食べ吐きの頻度も増えていきました。
一日に3回も4回も食べ吐きを繰り返し、意識は朦朧として、そして死にたくなります。
「俺はゆきえのファンなんやで。」と言ってくれる可愛がってくれるお客さんが増えていけばいくほど嘘をつきまくってる自分が汚くて醜くて「おまえなんか今すぐ消えてしまえ!!」と自分を腹の底から罵ります。
そんなある日。
盛大な食べ吐きをした後、よだれまみれのぐちゃぐちゃな姿で「はぁはぁ」
と息を切らしながら床にへたれこんでいたとき、私はこんなことを思います。
「…孤独だなぁ…」
その後、ぐちゃぐちゃな顔のまま「うわーー!!」と大泣きしました。
わんわん泣きわめき、「もうやだ!!」「なんでこんななの!!」「もうやだよぉー
ー!!」と子どものように泣きわめきました。
泣きわめきながらその辺にあった雑誌や本を壁に投げつけ、ジタバタしてる私。
「もうやだよぉーーー!!」と叫んでる私。
ぐちゃぐちゃで汚くてめちゃくちゃな私。
それも“私”なんですが、もう1人、そんな“泣きわめいてジタバタしている私”を“じっと観ている私”がありありと存在しているのがわかりました。
「へー。こうやってジタバタしてるんだぁー」
「泣きわめいてんなー」
「なんか恥ずかしいな」
「雑誌とか投げてんじゃん。」
「もうそろそろ落ち着くんちゃう?」
「おー手足バタバタすると床に当たって痛いじゃんねー」
もうずーーっと冷静なんです。
そのもう一人の私。
私は小さい時からそうやって俯瞰するというか、もう1つどころかもう2つも3つも視点をもって物事を観る子だったんですね。
「あー私今砂場で遊んでるんだなー」とか感じていたような幼稚園児だったんです。
でもいつしかそれが薄らいでいた。
中学3年生くらいからどんどんとその視点の感覚が鈍くなっていたんです。
無自覚のまま。
ずっとうっすらとはあったんです。
鈍っていたとはいえ、観ている自分の感覚はずっとあったんです。
でもこの“食べ吐き行為”や“孤独だと感じていること”や“寂しい”に関しては鈍らせたまままったく観えてなかったんですね。
この日のこの出来事は“もう1つの視点の私”の感覚が急に鮮明に戻ってきた瞬間でした。
ぐちゃぐちゃなまま泣きさけび暴れている私をじーーっと見つめる私。
その目は温かくもなく、冷めてもなく、ただただ“そのまま”を観ていました。
「へー。」みたいな。
私は泣き叫んで物を投げつけている自分の行為がいかに滑稽なことかと気付き、「はっず…」と呟いて立ち上がり、顔と口を洗いに洗面所に向かいました。
それから私は「孤独だな」と感じている“私”の観察を始めます。
孤独で寂しい。と感じている私。
“孤独”ってどんな感覚なのか。
“寂しい”ってどんな感覚なのか。
言葉になる前の『感覚』に意識を向け始めました。
胸がキュッとなる。
喉が詰まった感じがする。
胃が痛い気がする。
いやいや、ちょっと待て。
“痛い”とはどんな感覚だろうか。
そして『胃』だと思っている場所はいったいどこのことなのか。
嫌だ嫌だと排除しようとしていたことに自ら顔をつっこんでいったんですね。
敵だと思っていたモノの正体をちゃんと観ようとしはじめたんです。
するといつしか私ははらはらと涙を流しながらこんなことを言っていました。
「はぁーー…“孤独”ってこんな感じのことをいうのかぁ…」
「“寂しい”ってこういう感覚なのかぁ…」
するとどうでしょう。
その日はすっかり食べ吐きの衝動がやってこなかったんです。
さぁーー!!
ゆきえちゃんはこうして摂食障害の症状を克服してどんどん幸せになっていったのです!!!!
……ということにはなりませんでした…
そうは問屋が卸しません。(←昭和の言い回し。これどゆこと?笑)
この後もゆきえちゃんはいろんなことに苦しむのですが、この視点を取り戻したのはとても大きな出来事でした。
さて。
ここからゆきえちゃんはこの“取り戻した視点”の強化と確認の作業に少しずつ入っていきます。
これまた長い道のりで、しかも逐一確認していく(具体的な行動を起こす)ので、強い恐怖が伴っていきます。
その話しはまた次回。
いやいや。
過去のことを思い出しながら書いてますが、なかなか大変な子ですね。ゆきえちゃん。笑
がんばってほしいなぁ。笑
ていうか、こんな話おもしろいのか⁉
まぁいいか。
とりあえず書き続けようと思うので、ご興味あればまたお付き合いください。m(__)m
ではまた次回!!
あんなだった私がこんな私になったのは。①
飯能のとある小道。ここ最高だったな。
みなさんこんにちは。
今日は雨で若干怠いです。
頭もボーッとしてますが、みなさまはどうでしょうか。
こういう時ってダラダラ過ごす方がいいのか、それとも動いちゃった方がいいのか、こうやってブログでも書いた方がいいのか、ごちゃごちゃダラダラ考えてしまい、結局動き出すのが遅くなって後悔する…ということをこの人生において何千回繰り返しているのでしょうか…人間って…いや、私ってほんとにバカなんだな。
学習能力がないんだな。
そんな学習能力のない私が日々なんとかかんとか目覚めては何かしらやって(仕事とか家事とかいろいろ)、ゴハンを食べて、おしっこしてうんちして、笑ったり泣いたり憤ったり喜んだりして、そしてまた眠りにつく、ということを繰り返しているわけです。
でさ、いろんな覚者とか聖者は言うわけです。
「“今”しかない」
「過去も未来もない」
「連続した“何か”なんて幻想だ」
この辺の話しは“しっかり”“細かく”確認していったら「ほんとにそうですね(真顔)」と誰もが言わざるをえないところなんですが、まぁウケが悪いのでそっとここに置いておこう。(あんまり誰も聞きたがらない話しなんだよねー。めちゃくちゃ面白いんだけどなー。)
ここまでは前置きね。
そんなことも踏まえてのお話し。
何度もこの話しを出してしまって申し訳ないんですが、コレを読んでくださった方たちからたくさん言われる言葉があります。
(コレってこれね☟☟)
『ここからどうやって今のゆっきぃさんになっていったの?』
このお話しは私の幼少期から21歳までのこと、主に20歳~21歳のときに体験した滋賀県の雄琴にあるソープランド街でソープ嬢として働いたときの体験を小説風に書いたものです。
ゆきえちゃんがソープ嬢になって『有里(あり)ちゃん』として生き、またゆきえちゃんに戻っていくところで話しが終わっています。(よかったら読んでみてください。)
いろんな葛藤があり、悩み、のたうちまわって、でも逃げずに立ち向かっていく様子が描かれています。
が、この時の“私”と今現在の“私”はまるで別人のようで、実際自分でも「あれって私の過去のことなのかな?」「ほんとにそういう子(有里ちゃん)が今も生きてるんじゃないのかな?」とさえ思っているぐらい。
私は小学3年生くらいの時からぶくぶくと太り始め、小学校5年生のときには見事な小児肥満児でした。
小5くらいまではとくにそれを悩んでいたわけでもなかったのですが(気にはしていたけどね)、小6の時に親戚のおばさんが私の太り具合をみかねてなのか、自分の商売のためだったのかはわからないけれど『ダイエット食品とダイエットサプリ』をすすめにきた時から地獄が始まります。
「太っている私の姿を見て母親が悲しんでいる」と思っていた少女ゆきえは親戚のおばさんのすすめるダイエット食品(プロテイン)&サプリに心惹かれてしまいます。
「お母さん…。私…これやりたい…」
金額が結構高かったのでしょう。
私のその言葉に母は眉間にシワを寄せながら「え?!ほんとに!?ほんとにやりたいの?!…まぁ…ゆきえがやりたいならいいわよ…」と言いながらおばさんが抱えて持ってきたそれを買ってくれました。
私の地獄の人生の幕開けです。
それは3食のうちの1食をプロテインに置き換え、それにプラスして一日3回サプリを飲む、というまぁよくあるダイエットプログラムでした。
たんぱく質もしっかりとれるし、サプリで足りないミネラルやビタミンも補えるから身体にいいよ!と謳っているあれです。
(アメリカのやつだったなー)
カロリーもなんも気にせず、ばくばく好きなもの好きなだけ食べていた少女ゆきえが1食食べずにガマンするわけです。(もちろんおやつも。)
もー辛くて辛くて。
でも「やりたい」「痩せたい」と言ってねだってしまった&「母親を悲しませたくない」ゆきえちゃんは一生懸命ガマンして美味しくもないココア味のプロテインを飲んで変な匂いのする錠剤を飲んで空腹を紛らわすのです。
3カ月ほど経ったある時、10歳年上の姉が私にこんなことを言いました。
「あれ?ゆきえ痩せたじゃん。背中が小さくなってる。」
私は「ええっ!!ほんと?!!!」と驚いて、そして大喜びしました。
痩せたんだ。
こうやると痩せるんだ。
やった!やったーー!!
少女ゆきえはその後ダイエットにのめり込んでいきます。
本屋に行ってはカロリー票を買って常に持ち歩き、○○式ダイエットと書いてある本をかたっぱしから読み漁り、食べるものをどんどん制限していきます。
0キロカロリーと書いてある飲み物をのみ、こんにゃく畑で空腹を紛らわし、主食はこんにゃくとしらたきとえのき。
きゅうり1本のカロリーが11キロカロリーだと知り、「え…11キロカロリーも摂っちゃった…ヤバい…」と“たった11キロカロリー”に恐れおののくようになっていきます。
毎日毎日考えることは食べ物のことと痩せることのみ。
それ以外のことをどんどん考えられなくなっていきます。
少しでも食べすぎると死にたくなる。
鏡に映る自分の姿を日に日に嫌悪するようになっていきました。
「ここの肉がどうしてもとれない…死んだ方がマシだ。」
「この太ももの肉が気持ち悪すぎる。どうやってもとれないならこれ(ナイフ)でそぎ落としてしまおう。」(何度も包丁やナイフを内ももにあてがいました。結局怖くてできなかったんだけど。)
「こんなに醜い女は生きてる価値がない。」
「こんな汚い人間はこの世界にいたら迷惑だ。」
「こんなに醜くて汚い子が子どもだなんて親がかわいそうだ。」
「こんな汚い人間がなんで生きてるんだろう。」
「早く消えてなくなってしまえばいいのに。」
少女ゆきえはいつしか高校生になり、気づいたときには毎日過食嘔吐を繰り返す重い摂食障害になっていました。
自分を嫌悪しすぎて、毎日消えてなくなりたくて、早く死んでしまいたいと強く思うようになっていました。
友達はそれなりにたくさん?ではないかもしれないけれどいましたし、友達といる時はゲラゲラ笑っていたし、周りからは「明るい女の子」として見られていたと思います。
コギャルみたいな恰好をしてキャーキャー言いながら街をあるいたり、カラオケで大騒ぎしたり、プリクラをみんなで撮ったり、彼氏ができたとかできないとか言い合ってたし、学校内のカーストは上位だったし、成績もそこそこよかったし、周りからみたら私がそんな闇を抱えているなんてまるでわからなかったと思います。
(摂食障害の方って傍目には結構明るい方が多いんですよ。)
どんどん酷くなっていく摂食障害。
ゆきえちゃんは過食嘔吐を一日に何度も繰り返すようになっていきました。
食べ吐きをすると頭がボーッとするんです。
大量に食べ物を口に詰め込み、一気に吐き出すとめちゃくちゃ疲れます。
脳みそが溶けてしまったんじゃないかと思うくらいドロドロになってまともに起きていられなくなるんです。
そりゃあ勉強もできなくなります。
成績は下がるは授業を聞いていられなくなるは学校にいる間は食べ吐きができないから辛いは、でも学校をさぼって家にいても食べ吐きが止まらなくて罪悪感と虚無感にまみれて死にたくなる。
どこにも逃げ場がない地獄。
高校卒業後、結局私は家出をして、長い長いこれまた地獄のような彷徨う旅にでるわけです。
自分のことが許せなくて大嫌いで早く消えてなくなってしまえばいいのにと思い続けて、痛めつけ続けていたゆきえちゃん。
この後もその『自分虐待』行為はずっとずーーっと続きます。
どんどん酷くなる食べ吐き行為。
朝起きたと同時に始まる地獄の毎日。
辛すぎる毎日の中、私はこれからどうやって生きて行いけばいいのかを模索します。
『たくさんの人に認められれば生きていてもいい証しになるかも』
『たくさんの人に求められる人になれば毎日辛くなくなるかも』
小娘ゆきえは☝こう考えていました。
なので仕事で結果をだそうとやっきになります。
ソープ嬢をやめてから、バーテンダー、高級クラブホステス、雑誌記者という職業を経るのですが、どこでも絶対一番になるか、この場所になくてはならない存在になろうと必死になります。
死活問題なのでそりゃもう必死です。
ただの生活のための仕事ではありません。
『私が生きていてもいいかどうか』の確認作業なわけですからがむしゃらです。
結果。
ゆきえちゃんはどこでも一番を獲るか、もしくは「辞めないで(´;ω;`)」と懇願されるような仕事をします。
『職場のみんなから認められる』立場になったわけです。
どの職場でも。
でもゆきえちゃんは一向に楽になりません。
それどころか地獄感は増していく一方です。
食べ吐き行為は酷くなり、生活は乱れ、彼氏という存在ができてもまったく幸せではありません。
こんな醜い汚い女は早く消えてなくなったほうが世のためだ。
朝起きると同時に始まるこの思い。
でも自分で死ぬ勇気はない。
どこまでもいつまでもこの地獄が続いていくのかと思うとただただ絶望するしかありませんでした。
さてーーー!!
今の私?
今の私はねー-
「あ、朝だー。眠いなー。あ、亮一さん起きた!!ひへー-(*´▽`*)大好き!!」
「今日はお仕事やってーその後なにしよっかなー!あ!亮一さんにとりあえず抱きつこーっと!ひへへへー(*´▽`*)」
「そらちゃん可愛すぎるー!ほっぺにちゅーしてこよーっと!」
「お腹空いたなー。何作って食べようかなー!うひひひー--!」
てな感じです。
何がどうしてこうなったのか。
あ、別にノウハウ教えようとか、『地獄の住人だった私がこんなに幸せになった秘訣なはね♡』とかが言いたいわけじゃないんです。
『みんなも幸せになれるよ♡』『私のノウハウを○○円で提供するよ♡』とかが言いたいわけじゃないんです。
そんなどこかの誰か達がこぞってやっているようなクソダサいことはしません。
(いつかどこかで急にやりはじめたらごめん。笑)
ただ「私はねーこんなだったんだよー。」「なんかあの時こう考えてさー。でこうやって動いたわけ。」「そしたらこうなったんだよー(*´Д`)」「これさ!私の中では大発見だったんだけどさ!!」
てことが書きたいだけです。
そんな話しでも読みたいと思ってくれる方がいるなら書いておきたいだけです。
ので!!
この先は有料版で♡(嘘だよ。)
ちょっと時間がなくなっちゃったので次回へつづきます!!
ではまた。
(なるべく早く書くね!)
おままごとで何が悪い。
いつぞやの試作カレー。絶品すぎた。
こんにちはゆっきぃです。
立春が過ぎましたねー。
みなさんどうお過ごしですか?
私は相変わらずバタバタしたりゆっくりしたり笑ったりふざけたりしながら生きてます。
前回書いた落ち込みというか、辟易とした感じからは抜け出し、「いっちょまえに落ち込んだりしてお前何様?」「は?落ち込むほどなんもやってねーし元々なんも知らんのやんけ。」「相変わらず太々しい女よのぉー」と開き直っております。
落ち込んでいたことがお恥ずかしい。(照
ちょっとー-!!
もうすぐバレンタインじゃないですか⁉
みなさんどうします??
というか、今巷(ちまた)ではバレンタインってどうなんですか?
結構なイベントなんですか?
それとももう誰もあんまり気にしてない?
どうにも世間のことに疎くてまったくわからないんですよぉー-
藤山家はぜんぜんイベント的なことをやらなくなりまして(亮一さんのお誕生日や私のお誕生日、ひな祭りなどなど)、やるのはそらさんのお誕生日やクリスマスくらいなんですが、バレンタインかぁー!なんかやろっかなー!みたいに気持ちになっています。
「バレンタインだから愛を伝えなきゃ!!ねー-!!」
と先日亮一さんに言ったら「いや、もう十分だよ…」とあきれた顔で言われたんだけど私はめげません。
私の気持ちをちゃんと伝えなければ!!
(亮一さんは「もうお腹いっぱいだよ…」とおっしゃってましたが。笑)
そうそう。
私たち夫婦は普段ほとんどテレビを観ないのですが、たまーにやることがなんもなくてだらりとテレビをつけることがあります。
それはバラエティだったりニュースだったり情報番組だったりいろいろなんだけど、寝そべりながらテレビを観て、2人であーだこーだ言い合う。
そんな時間がやってくると、私はケラケラ笑いながらだったり、テレビで流れてる内容に憤慨しながらだったり、亮一さんに意見をもとめたりしながら、頭の片隅でいつもこんな言葉を繰り返します。
「あーー。私の“夢”、叶ってるんだなぁー」
と。
どこかで書いたことがあると思うんですが、私と亮一さんは元々もんのすごく仲の良い飲み友達でした。(整体のお店の店長(亮一さん)とスタッフ(私)という関係性からスタートしています。)
それがいつしかお付き合いをするようになり、どんどん好きになり、そして結婚するのですが、私は亮一さんと出会うまで『人を好きになる』ということがわからない女でした。
“彼氏”とよばれる人はだいたいいつもいたし、同棲も2回ほどしていますが、「わー!私この人のことすごく好き!!」と思ったことは一度もなかったし、なんなら「この人いなくなっても私なんともないな。」と誰かとお付き合いする度に思っていました。(ひどいな。)
それが!!
それがですよ!!
亮一さんと一緒にいると「…ずっと一緒にいたい…」とか思ってるわけですよ!!
なんなら「この人といられないなんて悲しすぎる…」とかとか思っちゃってるわけ!!
驚愕!!
私も亮一さんも当時は実家暮らしで、お泊りするときはもっぱらラブホテルだったんですが、その時の快適さや楽しさったらなかったんです。
ラブホテルにいるわけですからもちろんSEXもしますし、いちゃいちゃもするんですが、ベッドで横になりながら2人でテレビをみたり映画をみたりする時間がびっくりするぐらい心地好くてね
テレビを観ながら2人であーだこーだ言う。
2人で笑う。
「ねー。これどう思う?」と質問すると「あー俺はね…」と帰ってくる答えの面白さに驚く。
どれもこれも私にとっては初めての心地よさと快適さと喜びでした。
(今までの男性たちのときは「あーそろそろ1人になりたい…」と必ず思っていました。。)
「あーあ…毎日一緒にテレビ見てあーだこーだ言い合ったりしたいなぁー…」
「ねー。お家で一緒にこうやって過ごせたら楽しいだろうねー。」
亮一さんから「そうだねー。」というお返事がもらえたのはとてもとてもうれしかったんだけど、それ以上に私の中にこんな気持ちが湧いていることにとても驚いて感動したんだよね。
それまでの私は「人を心から好きになれない」という病気だと思っていたし、どこかが大きく欠けているような感じでね。
「まじ?!私、男性とずっと一緒にいたいとか思ってる!!」
「早く帰りたいってぜんぜん思わん!!」
「ていうか帰りたくない!!とか思ってる!!」
「私この人のことすごく好きなんだ!!」
「好きってこれぇーーー!?」
「人のこと好きになるってこんなにいいもんだったんだぁぁぁぁーーー!!」
もう毎日驚愕。
心がほこほこして、亮一さんのこと考えるとニヤニヤして、一緒にいるとただただ楽しくて。
『毎日一緒に過ごして一緒にテレビ見ながらあーだこーだ言いたい。』
私の夢はいつの間にか↑これになりました。
そーれーがぁーー!!
今叶ってるってわけなんですよぉぉぉーー!!
すごくないですか?
なので未だに亮一さんと2人でテレビを観ながらあーだこーだ言い合う時間や一緒に笑ってる時間がやってくると心がほこほこして「はぁ…私の夢…叶ってる…」と噛みしめて喜んでいるってわけなのです。
結婚して16年目。
未だにその気持ちが変わってない、いや、変わっていどころかモコモコと増えていることに驚く。
亮一さんが大好きだ。
先日、西八王子のチベット料理屋さん『ウッチュム』さんをお借りして、亮一さんのカレーをみんなで食べる会をやったんですよ。
もうかれこれ3回目かな。
満席以上の方にいらして頂き、大盛況だったんですが(みなさんありがとうございます!!)まーこれの準備が大変なのよ。
鍋もフライパンも何個も持っていくし、食材、食器、調理器具、などなど亮一さんがこだわって自分が使いなれたもので作りたいから荷物がたっくさん!!
車から降ろすだけでも何往復もする感じなのです。
カレーの会が無事終わり、家に帰ってきてから荷物をまた車から家に降ろす作業を黙々と2人でやっていた時、私の脳内にこんな言葉が浮かびます。
「一生この人と遊んでいたいな」
7年くらい前までまったくと言っていいほど料理ができなかった亮一さんが、どうして西八王子で自分が作ったカレーをふるまっているのか。
しかもたくさんの人たちが「また食べたい!」と言ってくれている。
今2人でクタクタになりながら大量の荷物を運んでいる。
どれをとっても不思議すぎてならない光景で、思いもよらなかったことだらけ。
“全身”で“真剣”に遊んでんじゃん!
めちゃくちゃ面白いな!!
私はできることなら一生この人と遊んでいたい。
結婚当初、私は亮一さんと暮らせることが嬉しくて嬉しくて、“奥さん”になったことが嬉しくて嬉しくて『真面目』に暮らそうとしていた。
家計もしっかり管理して、家事も不安に感じながらもちゃんとやろうとしていた。
「“奥さん”ってこんな感じでしょ!?ちゃんとできてるでしょ!?」と。
今思うと健気で可愛いけど、力入りすぎててウザい。笑
そんな頃、同じ職場の友達が亮一さんと暮らし始めた新婚の家に遊びに来た。
彼女は私のうかれた話しを聞いた後、笑いながらこんなことを言った。
『なんかおままごとみたいだね』
私はその言葉を聞いて「えーー笑 そうかなぁー」と軽く返したけれど、心の中ではすごく憤慨していた。
「おままごと!?は!?『結婚して暮らしていく』って大変なことなの!!」
「独身のお前になにがわかる!?私は“奥さん”やってんだよ!!」
「こんなに真剣に一生懸命やってんのに『おままごと』!?は!?はぁーーー!?」
『結婚』して『生活』をしていく。
『奥さん』をちゃんとやる。
それはとっても『大変』で『難しい』ことで、私はそれを『ちゃんと』やろうとしてるんだ。
これからも『大変』なんだから、今から『しっかり』『大人として』やっていくんだよ。
なめんな。
そう思っていたんですね。当時の私は。
健気に「大人ってこんな感じですよね?」「結婚して夫婦になったらこうやるんですよね?」と頑張っていたわけです。
今年で結婚して16年目。
今の私はこう思っています。
「あーーずっとおままごとをやっていたいなぁーー」
「私ずーーっとおままごとやってるんだぁー!いーーでしょーー!?(*´▽`*)」
「おままごとでなにが悪いのぉーーー(*´Д`)」
当時彼女に「おままごとみたいだね笑」と言われて憤慨していた自分を思い出しては「ぷぷ」と笑ってる。
おま…ちょっと肩の力抜けよ…そんなにやろうとしたっておまえにはできないんだから…
早く気付け…
と声をかけている。
さて。
今日も楽しくおままごとやろうかな。
亮一さんが“旦那さん”で“お父さん”の役ねー
で、私が“奥さん”で“お母さん”の役ねー
あ、そうそう、1人お友達が増えたの!
“子ども”役のそらちゃんっていう子なんだよー
そんな感じ。
“結婚”も“生活”も軽やかで楽しいものだったんだね。
今日は亮一さんのカレーの会に6名の素敵な方がいらしてくれます。
“真剣”に“全身”で遊ぼう。
みんなで遊ぼう。
今日も楽しいね。
ではまたー。
また書くね。
読んでくださってありがとうございます!!
お久しぶりです。葛藤ゆっきぃです。
家の近所?のたまらない風景。ワクワクするわぁ。
ひっさびさのひっっさびさすぎるほどのブログ更新です。
「次はよもぎ蒸しのこと書くねー!」なんて言いながらぜんっぜん更新しない私なんなん?嘘つきなん?嘘つきだね。ごめんなさい。反省。
施術もよもぎ蒸しもやっております。
ちゃんとやっておりますとも。
いつもFacebookをウロウロしていて、そこでちょこちょこくだらないことやくだらなくないことや惚気や自慢などを書いています。
毎度書いてますが、このブログでしか安否確認できない方たちーー
私は元気でー--す!
10月くらいから年末にかけて、ありがたいことに施術のご依頼がたくさん入ってまして、結構怒涛だったんです。
ほんとにありがたくてありがたくて仕方ないのですが、12月はとくにものすごくてずー-っと施術してた!みたいな感じでした。
(ていうかさ!お正月にブログ書かなかったんだ!あけましておめでとうございます!!)
もうね、12月の最後の最後の方(冬至前くらいかな)に疲れがすごくて
「あ、、私このままだと死ぬな…」くらいになってしまったんですよ。
ヤバい…このままやってたら死ぬ…
って本気で思うくらい体調激悪で。
で、それを亮一さんに言っちゃったのね。
そしたらあの温厚な亮一さんに連日叱られまして。
「ゆっきぃ!そんなにやるからじゃん!ダメだよ!!」
「もうそんなに施術やらないで!!」
「ちゃんと休まなきゃダメだってずっと言ってたじゃん!!」
「そんなに働いてどうすんの!?死んじゃったら困るでしょ!!」
「仕事そんなにやってって言ってないでしょ!?」
「もう年明けから施術の数少なくしないと怒るよ!!」
「約束して!!ちゃんと約束して!減らすって約束して!!」
「守ってよ!ちゃんと守ってよ!!ゆっきぃが死んじゃったらほんとに困るから!」
こんな風に『そんなに働くな』と連日言うわけです。
私はその亮一さんのお言葉を「はい…」「わかりました…」「ごめんなさい…」「了解しました…」としおらしく聞いていたのですが、どうにもこの状況がカオスすぎて結果ゲラゲラ笑ってしまいまして。
(亮一さんが代わりにバリバリ働くわけでもないし、なんなら「そんなに働かないで!まぁ…俺も働かないけど。」とか言い出しちゃうから。)
疲労困憊すぎて「死ぬな…」となっていた私をゲラゲラ笑わせて救い出したのはまたしても亮一さんでした。
てことで、ゲラゲラ笑いながら「来月から施術少なくする」とお約束いしてしまったものですから、1月からとってもゆるくお仕事をしています。
となるとですね、やはり心配になってくるのは『お金』のことです。
これってなんなんですかね?
『お金』の不安ってすごいなーって思います。
この『お金の不安』とどう付き合っていくか。
この『お金の不安』をしっかり抱えながら、正体をちゃんと観ながら毎日生きてみる。
てなことやっていこうかなー、となんとなく思っております。
そうそう。
私の大好きな方が「再読してます!」とFacebookでブログをシェアしてくれたことをきっかけに『私のコト』のアクセス数がここにきてグッと増えまして。
再読してくださった方もたくさんいて、初めてこのブログにたどり着いてくれた方もたくさんいたみたいで喜びを嚙みしめています。
ほんとにありがたい。
泣けてくる。
(私のコトってこれね。☟)
「再編して本にする!」って思いもあったのに途中で頓挫しちゃって、「続きも書く!」って言ってたのにぜんぜん書けなくて。
それもこれも『お金の不安』との付き合い方がヘタッピだったからなんだよなー!
とか、「また書くことになったら自分の才能のなさに落ち込むんだろな…」とか、「これ誰が読むんだ?面白いのか?これ。」っていう葛藤がまたはじめるのかーー!とか、「神はなんで私に太宰治や絲山秋子のような才能をくれなかったんだぁぁぁぁー---!!」と胸と頭を搔きむしる時間が毎日のようにくるのかーーとかとかとかを考えてます。
あの時間、つれぇんだよなぁ。
凡人は辛い。(天才も天才でつらいって。)
あと、執筆するかどうかの迷いというか葛藤とは別に、今すんごく落ち込んでるというか、辟易としていることがありまして。
そちらのことはまた後日。
今年に入ってから確実に「今までと同じじゃダメだよーーん!」的な声が聞こえる。
「やんなきゃダメだよぉぉーーん」みたいな。
まぁ気のせいかもしれませんが。
今日から2月。
(あ!そーだ!1月から私『美活』も始めたんです!その話しもまた後日。)
やりたいと私(私の身体)が言っているならやりましょう。
怖いけど、焦るけど、落ち込むけど、葛藤するけど、生きましょう。
それもまた娯楽ですから。
色々書きましたが、私たち藤山家は基本的に平和です。
くだらないことで相変わらずゲラゲラ笑い、亮一さんにまとわりつき、そらさんに可愛い可愛いと言い続けております。
またこのブログで藤山家の様子もお伝え出来たらいいな。
まとまりのない文章、読んでくれてありがとうございます!!
ではまた。
更新が早くできますように!!
よもぎ蒸しらない?
恵比寿でレンタルサロンを運営していた私の友人が先日そのサロンを閉めることになったんです。
ものすごく思い入れのあった場所だったらしく、「結構悲しいんだよね。」と言ってたんだ。
その友人はサロン運営以外の業務の会社も経営しているやり手(であろう)女性経営者さんであり、ママ友さんであり、友人であり、私の施術を受けて下さっているクライアントさん。
家族ぐるみで仲良くしてもらっているし、その運営していたサロンで私も月2回くらい施術をさせてもらっていました。
その友人は施術者ではなくてバリバリ経営者なんだけど、『身体を温める』ということや『身体を整える』ということにとても興味があり、割とオタクでありミーハーだ。
「私さ○○温熱療法っていうのがめちゃくちゃ気になっちゃって沖縄まで見学&体験行っちゃってさ、結局温熱ドーム買っちゃったんだよね!笑」(←さほど効かないやつ)
「タイ古式マッサージが気になりすぎてバンコクのワットポーまで受けに行ったんだよね。結局そこは観光地化されてる場所だったからたいしたことなかったんだけどさ。笑」(←私も行ったことあるし受けたことあるけど実際たいしたことない。笑)
「エステの痩身の機械も買っちゃってあるんだけどぜんぜん使わなくてさー。笑
サロンにあるけどゆっきぃお客さんに使う?」
などなど、出てくる話が豪快だし、しかも続いてるものが何一つないところが彼女らしいのです。
そんな彼女は『身体を温める』のにとても良い『よもぎ蒸し』にも早くから着目していて、サロンにもよもぎ蒸しセットを置いていたし、販売もしていたらしい。
で、私は恵比寿のレンタルサロンを使わせてもらう時に、ご希望の方によもぎ蒸しと施術のセットを受けてもらっていました。
私自身よもぎ蒸しがすごく好きで、しかも効果が高いと感じているので実際に使用できること、体験してもらえることがとっても嬉しかったんです。
なのでサロンが閉まることになった時、「よもぎ蒸しができなくなるの悲しいな…」と思ってしまったんですよ。
まぁでもそれは仕方がない。
もし「やっぱりやりたい!」と思ったら自分でセットを購入すればいいんだから、この残念な感じを持ったまま“私“がどうするか観察してみよーっと、と思っていたのですよ。
そしたら!!!
そしたらですよっ!!!
その友人がこんなことを言うではありませんかっ!!!
「ゆっきぃ、よもぎ蒸しのセットいる?」
「もし欲しければあげるよ。プレゼントするよ。」
ぎゃー-----!!
しかもしかも
「施術ベッド新しくしたばっかりなんだけど、これもいる?」
「タオルあっためるやつ(ホットキャビン)も使う?あげるよ。」
「あと何がほしい?タオルもいっぱいあるし。」
うぎゃー-----!!
これぞ引き寄せ。(気持ち悪いこと言ってごめん。引き寄せとかキモいな。)
引き寄せかどうかはさておき、
なんと!!家によもぎ蒸しのセットが導入されましたぁぁぁぁー--!!
施術とセットで受けるとほんとに身体が楽になるし、めちゃくちゃ緩むし、でもしっかり軸ができるんだよ。
これからちょっと施術部屋を整えて、よもぎ蒸し対応できるようにしていきます!!
本格的に寒くなる前に芯から温めるのすごくおすすめだし、排毒効果も高いから身体もエネルギーもぴっかぴかなるのよぉー-!
準備が整ったらこのブログやFacebookでちゃんとアナウンスしますね。
あ、アナウンス前に施術受けに来るご予定がある方は「受けたいんだけどー」と言ってくださればセッティングします!
あ。
ていうか10月にモニター枠もうけようかな。
なんかワクワクしてきた。
早く準備しなくちゃ!!
(すぐじゃん。10月すぐきちゃうじゃん。)
よもぎ蒸し受けたい!っていう方は気軽にメッセージ下さいね。
(今のところ整体施術とセットでのみ受け付ける感じで考えています。)
みんなー-!!
よもぎ蒸しらなー-い?
お気軽にご質問・お問い合わせしてください。
↓こちらからどうぞ。
お問い合せ・お申込み:メールフォーム
次回よもぎ蒸しについて詳しく書いていきますね。
めちゃくちゃ気持ち良くてあったまるから私はすごく好きなんです。
植物のパワーを直接身体にぶちこむ感じがたまらんのですよ。
合法だし。(←言い方。)
さっそく私がやろー-っと。
ではまた。
お待ちしてまーーす!
困った困った。って言いたいんだ私は。
すんばらしい里芋の葉っぱ。綺麗だなー。
またもやブログを長らく放置していたゆっきぃです。
こんにちは。
ブログで私の生存確認をしているお友達のみなさん、私は元気です!
はー
文章って書かないと書けなくなるんですねぇ。
今パソコンをカタカタ鳴らしながら文章を打ち始めたのですが、ここまで何時間もかかりました…
たったこれだけを書き始めるの何時間もかかるってさぁ…
やっぱりちょっとずつでも書いていかなきゃだな。うん。
(と言いながらまた放置する自信ある。うん。)
さて。
私は今悩んでいます。
いや、そんなにすっごく悩んでいるわけでもないんですが、とりあえず悩んでいます。
悩んでいると言いたいだけなのかもしれないし、ほんとはたいして考えていないのだけれど悩んでいる自分でいたいのかもしれません。(←うるさい。)
まぁなにはともあれ、悩んでいるのです。
私がなにをそんなに悩んでいるかというと
『仕事』
についてです。
私は今、ありがたいことに施術者としてお仕事をいただいて、日々ご依頼者さんのお身体と心とエネルギーと存在を存分に感じながら施術させてもらっています。
そして時には亮一さんのカレーの会のアシスタントとして場を整えたり、セッティングしたりしています。
個人事業主です。
個人事業主という立場は自分で仕事を創っていって、そしてどう展開させていくかを考えていかなければならないようです。きっと。いやたぶん。まぁそうなんでしょう。
ありがたいことに今まで宣伝らしい宣伝をしていないにも関わらず、ほぼ口コミで施術ご希望の方からご連絡頂いたり、亮一さんのカレーの会やカレー教室?に関しては私が勝手にFacebookで「ほんとに美味いからみんな食べたほうがいいって!!」とわーわー騒いでたら食べたい!という方たちが手をあげてくださってそこから発展していっている感じなのです。(私はただ亮一さんのカレーを自慢したいだけだったしほんとに美味しいから騒いでただけ。笑)
これ、ほんとに奇跡のようなことで、毎日「すっげー-!」って思ってる。
でも毎日のように「これって今だけのことだよね…」とか「こんな奇跡のような始まり方してるんだから、これからのことちゃんと考えて発展させていった方がいいよね…」とか考えるわけです。
個人事業主なんだからこれからのことをちゃんと考えなければ!!
宣伝だってちゃんとやらなければ!!
必要な方にちゃんと届くようにするのが宣伝ってものでしょ?!
起業している人はみんなこんなこと言ってるよ!「圧倒的な行動量が成功へと導く!」ってさ。
私の行動量みてよ。
ぜんぜんよ…
そりゃ広がらんて…
で、私の思考はこのあとこうなっていく。
「ちゃんと私の施術のことを現語化して宣伝しよう!」→「そうだそうだ!自分の施術のことを言語化できないなんてそりゃだめだ!」→「よし!書くぞ!!」→「……わからん…私の施術のことがわからん…」→「どんな言葉をあてはめても嘘くさい…」→「…ダメだ…どうせ私の施術なんてそんなもんだし…」→「…自分の施術を言語化できないなんて私いったい何をやっているんだ…」→「…あぁもうダメだ…こうやって私はみんなから忘れられていくんだ…」→「…もう漫画でも読もう…」
はい。
ダメ人間ー--
ちなみに以前書いた私の施術についての文章、あれはほんの一部なんですよ。
あれはあれでほんとなんですけど、あれだけじゃないんだよー-!!ってことを書きたいのに書けないんです…
(以前書いたのこれね☟)
なんでだろ。
なに書いてもしっくりこないし、なんか怪しい。笑
どの言葉をあてはめてみても「…ちげぇーんだよ…」って言いたくなる。
でもわかりやすくしたほうが来やすい人もたくさんいる。
この不調や不具合?はどこに行ったら楽になるのかわからない人たちが辿り着いてくれたら嬉しい。
だから届いてほしい気持ちがあるのになんにも書けないし、書いてしまったら嘘くさく感じてしまう。
困ったなぁ。
でも私は人の手を借りてまで書きたいとは思わない。
私が書きたいのだ。
これまた困った。
そんなこんなでなんだかぐずぐずした日々です。
施術はとても楽しい。
ご依頼くださるみなさんとお会いするのも心から楽しい。
あの、エネルギーがふわっとグルグルとシーンとサーーーっとする時間も大好き。
お身体の不調をどう改善していくかをめっちゃ真剣に探っていくあの瞬間も好き。
施術中に聞かせてもらうお話しも大好きだし、無言の集中した時間も好きだ。
そしてなによりも「すっごい身体が軽くなったぁー!」「はぁ助かった…」「自分の身体が健気で大切に思えてきた…」などなどの言葉を聞かせてもらう時が一番好き。
だけど書けないのです。
説明できないのです。
やれやれ。
まぁ困ったまま置いておきますかね。
このまま解決しようとせず、泳がしておきますか。
そのうちなんとかなるでしょう。
…って、個人事業主なのにそれでいいんかー-いっ!!(←無限ループに突入。)
とりあえずこの件はそのまま置いておいて、日々目の前のことを一生懸命手抜きせず丁寧にやっていきますか。結局それしかできないからなー-。
はぁ。
幸せだな。(←で結局このオチ。)
ではまたー-。
中身のないブログですまー-ん。
あ、施術ご希望の方はお気軽に連絡くださいねー!
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藤山家ではご神木が埋まっている不思議なお部屋で施術します。
一緒にゆるみましょ。
猫がふすまをボロボロにしてしまっているのはご勘弁ください…
この真ん中の四角い部分にご神木が埋まっています。
こちら。
もんのすごく気持ちよいお部屋です。
ぜひ体験してもらいたいなぁ。