このブログを書いている時のお2人。強すぎる圧に何度も負けそうになりました…。
みなさまこんにちは。
今日はいい天気で気持ちいいー-!
天気がいいだけで気持ち良くてご機嫌になれるってことはやっぱり人間って自然の一部であり、影響受けまくりなんだなぁと再確認します。
気候が暖かいと気分がいい。
ってことはよ、いつも身体が温かくて自分発信の暖かさがあると気分がずっといいってことよね?
身体が温かいと気分がよくて気持ちに余裕がでる。
気持ちに余裕がでるから人への対応も優しくなる。
人への対応が優しくなると人から好かれる。
人から好かれるとみんなが親切にしてくれる。
自分のまわりに冷たい人やきつい人がいなくなる。
毎日ハッピー!!!
てことですよね?(だいぶ短絡的な感じで書いてますが。)
私はそれを割と真剣に「そうだよね⁉」と考えていて、『身体があったかければだいたいのことはうまくいく!』『なんやかやと問題が多い方はまず身体をあっためることからはじめてみては?!』と思っています。
身体が冷えてると人間ろくなこと考えないし、ろくなことしませんから。
さて。
過去の私はきっと身体がひえっひえだったのでしょう。
酒は浴びるように飲むは食べても吐いてしまうは『おしゃれはガマン』とか言いながらめちゃめちゃ薄着でたっかいヒールの靴なんかを履いてましたから。
そんなこんなではじまりました前回の続きです。
(前回はこちらね☟)
中学生くらいから私は地獄の住人になっていくのですが、20代前半のころが一番つらかったような気がします。
毎朝起きたと同時に始まる地獄。
楽しいことなんて1つもない。
私が“幸せ”という言葉を使う時なんて一生こないだろうと思っていました。
ソープ嬢を辞めた後、私は途方にくれます。
本気で殺されると思って生きてきた1年弱。
結果私は殺されずに生きていて、これからは逃げも隠れもせずにどうやって生きてもいい身になったわけです。
その辺のことを詳しく知りたい方は一度ぜひ読んでみて下さい。☟
(毎度すいません。)
私は死ななかった。
これからも生きていかなけれなならない。
治るどころかどんどん酷くなる食べ吐き行為。
隣には当時の優しい彼氏。
優しくされればされるほど苦しくなる。
私はソープ嬢を辞めた後、大阪の北新地のバーでバーテンダーになります。
お酒の勉強を必死にやり、カクテルを作る練習を毎日繰り返し、ワインや日本酒、ウイスキーやブランデーやリキュールの歴史なども勉強します。
いつしかお店の切り盛りも任されるようになり、オーナーママが不在の時にも営業を任されるような立場になりました。
↑これ、日中食べ吐きを盛大にやって、頭がぼーっとしている状態からなんとか立ち上がって勉強したりしてたもんだから身体はボロボロ。
ボロボロになるのわかってるから毎日「今日は絶対やらない!」と誓うんです。
毎日毎日誓うんですよ。
でも毎日衝動はきちんとやってくる。
食べ吐きがしたくなる、しなければ太ってますます醜くなってしまう!という衝動が。
ボロボロにふらふらになりながら、でも周りからは一切それを悟られないようにふるまい、なんとか必死に仕事をこなしていた私はお店の切り盛りを任されるようになったころ、高級クラブのホステスという仕事に興味を持ち始めます。
その後、すぐに望み通りに高級クラブホステスになるのですが、最初の“気付き”?みたいなものがやってきたのはこの頃だったと思います。
高級クラブという場所は、まー私にとってはとてもしんどい場所でした。
「ソープランドのほうが何百倍も楽じゃん!!」って何度も思ったほど。
誰も本音を言わない。
いつも騙し合い。
女の怖さを目の当たりにする。
男の幼稚さや狡さやプライドの高さやくだらなさをまざまざと見せつけられる。
(そこが男性の可愛さでもあるんですがね。)
私もウソをつきまくる。
女の人(お姉さんたち)に嫌われたら終わる。
から、みえすいたおべっかをみんなが言いまくる。
客の取り合い。
いいお客さんや太客といわれる金払いの良い、高い地位の人に可愛がられるとホステスの格が上がる(気がするだけなんだけどみんな勘違いする。)
クラブホステスさんの内情を知れば知るほど怖くて、ショックを受けるような出来事がたくさんたくさんありました。
(めちゃくちゃいいおねえさんもいたんですよ。良くしてもらった思い出もあります。)
私は『どの仕事に就いても上位にいくか「辞めないで」と言われるような立場になるまで辞めない』とルールを決めていたので必死に仕事をしました。
おべっかも使うし、嘘もつきまくるし、つくり笑顔も死ぬほどやりました。
結果、私はオーナーママに可愛がられるようになり、お店の中でも上位の太客の数人から応援してもらえるようになり、同伴賞で1位を獲るまでになりました。
(もう必死すぎて1位獲った時は灰になりました…)
ホステスになってからはそれはそれは毎日がさらに地獄で、もらえるお金は増えたけれど、それに伴い食べ吐きの頻度も増えていきました。
一日に3回も4回も食べ吐きを繰り返し、意識は朦朧として、そして死にたくなります。
「俺はゆきえのファンなんやで。」と言ってくれる可愛がってくれるお客さんが増えていけばいくほど嘘をつきまくってる自分が汚くて醜くて「おまえなんか今すぐ消えてしまえ!!」と自分を腹の底から罵ります。
そんなある日。
盛大な食べ吐きをした後、よだれまみれのぐちゃぐちゃな姿で「はぁはぁ」
と息を切らしながら床にへたれこんでいたとき、私はこんなことを思います。
「…孤独だなぁ…」
その後、ぐちゃぐちゃな顔のまま「うわーー!!」と大泣きしました。
わんわん泣きわめき、「もうやだ!!」「なんでこんななの!!」「もうやだよぉー
ー!!」と子どものように泣きわめきました。
泣きわめきながらその辺にあった雑誌や本を壁に投げつけ、ジタバタしてる私。
「もうやだよぉーーー!!」と叫んでる私。
ぐちゃぐちゃで汚くてめちゃくちゃな私。
それも“私”なんですが、もう1人、そんな“泣きわめいてジタバタしている私”を“じっと観ている私”がありありと存在しているのがわかりました。
「へー。こうやってジタバタしてるんだぁー」
「泣きわめいてんなー」
「なんか恥ずかしいな」
「雑誌とか投げてんじゃん。」
「もうそろそろ落ち着くんちゃう?」
「おー手足バタバタすると床に当たって痛いじゃんねー」
もうずーーっと冷静なんです。
そのもう一人の私。
私は小さい時からそうやって俯瞰するというか、もう1つどころかもう2つも3つも視点をもって物事を観る子だったんですね。
「あー私今砂場で遊んでるんだなー」とか感じていたような幼稚園児だったんです。
でもいつしかそれが薄らいでいた。
中学3年生くらいからどんどんとその視点の感覚が鈍くなっていたんです。
無自覚のまま。
ずっとうっすらとはあったんです。
鈍っていたとはいえ、観ている自分の感覚はずっとあったんです。
でもこの“食べ吐き行為”や“孤独だと感じていること”や“寂しい”に関しては鈍らせたまままったく観えてなかったんですね。
この日のこの出来事は“もう1つの視点の私”の感覚が急に鮮明に戻ってきた瞬間でした。
ぐちゃぐちゃなまま泣きさけび暴れている私をじーーっと見つめる私。
その目は温かくもなく、冷めてもなく、ただただ“そのまま”を観ていました。
「へー。」みたいな。
私は泣き叫んで物を投げつけている自分の行為がいかに滑稽なことかと気付き、「はっず…」と呟いて立ち上がり、顔と口を洗いに洗面所に向かいました。
それから私は「孤独だな」と感じている“私”の観察を始めます。
孤独で寂しい。と感じている私。
“孤独”ってどんな感覚なのか。
“寂しい”ってどんな感覚なのか。
言葉になる前の『感覚』に意識を向け始めました。
胸がキュッとなる。
喉が詰まった感じがする。
胃が痛い気がする。
いやいや、ちょっと待て。
“痛い”とはどんな感覚だろうか。
そして『胃』だと思っている場所はいったいどこのことなのか。
嫌だ嫌だと排除しようとしていたことに自ら顔をつっこんでいったんですね。
敵だと思っていたモノの正体をちゃんと観ようとしはじめたんです。
するといつしか私ははらはらと涙を流しながらこんなことを言っていました。
「はぁーー…“孤独”ってこんな感じのことをいうのかぁ…」
「“寂しい”ってこういう感覚なのかぁ…」
するとどうでしょう。
その日はすっかり食べ吐きの衝動がやってこなかったんです。
さぁーー!!
ゆきえちゃんはこうして摂食障害の症状を克服してどんどん幸せになっていったのです!!!!
……ということにはなりませんでした…
そうは問屋が卸しません。(←昭和の言い回し。これどゆこと?笑)
この後もゆきえちゃんはいろんなことに苦しむのですが、この視点を取り戻したのはとても大きな出来事でした。
さて。
ここからゆきえちゃんはこの“取り戻した視点”の強化と確認の作業に少しずつ入っていきます。
これまた長い道のりで、しかも逐一確認していく(具体的な行動を起こす)ので、強い恐怖が伴っていきます。
その話しはまた次回。
いやいや。
過去のことを思い出しながら書いてますが、なかなか大変な子ですね。ゆきえちゃん。笑
がんばってほしいなぁ。笑
ていうか、こんな話おもしろいのか⁉
まぁいいか。
とりあえず書き続けようと思うので、ご興味あればまたお付き合いください。m(__)m
ではまた次回!!