藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

おめでとう!と私は言うよ。だって言いたいんだもん。

 

あけましておめでとうございます!!

新年が始まりましたね。

昨年の一月に父親が亡くなったのでどうやら世間的には『喪中』らしく、「おめでとう」と言ってはいけない、初詣には行ってはいけない、などの“決まりごとらしきもの”があるようですね。

まぁ元来私は不束者でフシダラ者なのでそこは全然気にしていません。

年賀状も普通に届いていますしね。

(喪中ハガキを出していませんので。)

あ、どうでもいい話しですが藤山家は年賀状を出していないので来る枚数はめちゃくちゃ少ないです。

 

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新年一発目の亮一さんが淹れてくれためちゃくちゃ美味い珈琲。年明けから幸せだな。

 

どうして喪中だと「あけましておめでとう」と言ってはいけないのかな。

『故人を悼む(いたむ)』とか『故人を偲ぶ(しのぶ)』って、「あけましておめでとう」と関係あるのでしょうか?

もちろん「言われたら傷つく!」という人に対して言うつもりはないのですが、私は父が亡くなったけれど言いたいです。

そして言われても全く気にしません。というか、むしろ「おめでとーーー!!」と喜んで返します。

 

昨年からこんなことをつらつらと考えていたのですが、きっかけは母からのこんな言葉からでした。

 

「年明けは『こんにちわー』って言いながら家にくるのよ。『おめでとう』は言っちゃダメなんだからね!喪中なんだから。わかった?言える?『こんにちわー』って言えるでしょ?ん?」

 

めちゃくちゃふざけた母親です。

44歳になった娘に「こんにちわってちゃんと言えるでしょ?」と聞くのですから。

私はそんなふざけた母親にこう答えました。

 

「言えるかなぁ。不安だなぁ。」と。笑

 

まぁそんなこんなで「おめでとう」と「喪中」と「故人を悼む(いたむ)」と「故人を偲ぶ(しのぶ)」についてつらつらと考えはじめたんだけど、まず「悼む(いたむ)」と「偲ぶ(しのぶ)」の意味の違いって知ってました?

私は知りませんでした。

なので調べたよ。

 

「悼む」の意味は「人の死を悲しみ嘆くこと」です。 人が亡くなったことを悔やむ、自分の心が痛むといったように人の死を嘆き悲しむ行為そのものを表します。 亡くなった人との思い出を心の中で思い出すことや、安らかな眠りを祈る思いを「悼む」と言います。

 

「悼む」は亡くなった人を思ったり、悔やむときに使います。

 

「偲ぶ」の意味は、 ・過ぎ去ったこと、離れている人のことなどをひそかに思い慕うこと ・心惹かれて(見えないところなどに)思いを馳せること ・賞美する です。  過ぎ去ったり遠く離れたりしたことや人を、懐かしむ気持ちや賞賛の気持ちを持って思い出すことを表します。

 

「悼む」は「人の死を悲しみ嘆くこと」 「偲ぶ」は「過ぎ去った時間や、遠く離れた場所や人をひそかに思い慕うこと」 「故人を悼む」は、ある人が亡くなってから悲しみ嘆くことを表します。 「故人を偲ぶ」は、ある人が亡くなってからある程度経ったときに懐かしむ気持ちや思い出すことを表します。 また、「悼む」は故人に対してのみ使いますが、「偲ぶ」は故人だけでなく、遠く離れた人や懐かしい人に対しても使うことができます。

 

私は父が亡くなって「悲しみ嘆く」気持ちは一切ありません。

亡くなってからすぐに「偲ぶ(しのぶ)」でした。

 

でね、次に「喪中」と「あけましておめでとう」の関係性についてもちょっと調べてみたんだけれど、もう情報がめちゃくちゃでよく分からない感じでした。(私にとってという意味ですよ。)

 

医療技術が乏しく平均寿命が短かった頃

伝染病などが猛威を奮っていた背景から

死=穢れ神道では考えられ恐れられていました。

 

死は伝染するという考え方があったために

忌中や喪中が定められたと言われています。

 

誤解している方もいますが

仏教においては死=穢れとは捉えられていません。

死後の魂は極楽浄土へ向かうか輪廻転生を果たすので

死を忌み嫌ったりしないのです。

 

 

 

まず、『死』を穢れ(けがれ)としている時点で「???」です。

もちろん当時は伝染病も神の仕業のように感じただろうし、「死は伝染する」と考えてしまっても仕方がなかったのかもしれない。

で、神道では一年喪に服せば死者の穢れがなくなるとされているんだってさ。

どーゆーことだ?!

なぜ一年?!

 

ちょっと調べただけで「はて?」と思うことがたくさん出てくるのに、なんの疑問も持たずに「おめでとうは言っちゃいけないんだよぉ~」とか「年賀状は出しちゃダメなんだよぉ~」とか言ってるのってなんか変だよなぁと思うのですよ。

 

『死』は『穢れ』なのでしょうか。

 

まずそこからだよなぁとかめんどくさい私は思ってしまうのです。

 

親族が亡くなる。→親族だから穢れる。→一年喪に服す。→穢れがなくなる。→やっと普通に戻れる。

 

…ってなんやねーーーーん!!

 

私は父親が亡くなったけど穢れてないよ。

だから一年も喪に服す必要がないし、穢れをとる必要がないんだ。

もともと穢れてないもん。

 

 

だから私は盛大に言います。

 

あけましておめでとーーー!!!

めでたい!!

今年も愛でたい!!

 

今年も私は「なんでだろ?」や「おかしいなぁ」と思うことに正直に向き合っていきたいし、それで?私はどう感じてる?を知っていきたいなぁと思います。

「常識」とよばれている事柄を真っ向から否定するのではなく、「ん?なんだ?これ?」という視点で観て、そして私は何を感じるかを知っていきたい。

そんなことを感じた年末と新年でした。

 

今年も自分に正直に。

ごまかさずに生きていきたい。

いつだって丸裸になれるようでいたいです。

 

あなたはどんな新年を迎えましたか?

今年も素敵な年になりますように。

どうぞ今年もよろしくお願いいたします!!

 

 

 

 

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施術者になってかれこれ17年が経とうとしています。

私の施術は『心・身体・魂』を一致させるように手伝う施術です。

一致するとゆるみます。

そして不調が改善すること多々!!

 

年明けによかったら『自分という愛しい人』を整えに来てください。

藤山家はポカポカで身体がホッとゆるみますよ。

 

 

*施術時間、料金、内容*

施術&お話し 2時間

・施術は服の上から行う整体のようなものです。

・お話しは施術の説明や身体のお話しも含め、当日のご相談内容により変わります。

・施術時間を長くしたい、お話しを長くしたい、などの内容の相談も承ります。

 

料金  2時間 12000円(当日現金でお願いします。)

 

場所 横浜にある藤山家にて

お申し込み後、詳しい場所をメールにてお送りいたします。

 

日時のご相談、その他もろもろのご相談承ります。

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施術を教えて欲しい方もぜひご連絡ください!

 

 

リンゴを薄い塩水に浸ける私が気付いたことはこんなに素敵なことでした。

 

亮一さんがインド旅から帰ってきてもうすぐ2週間になります。

元気に無事に帰ってきてくれました。

亮一さんの旅のあれこれや、私の毎日のあれこれをブログに綴ろうとしていたのですが、なんだか書けない毎日を過ごしておりました。

で、今やっと書きたくなってキーボードを打っているのだけれど

「やっぱりいいなぁ」と感じております。

私はこうやって文章を綴っている時間が好きです。

カチャカチャとキーボードを打っていると凪いでくる。

わちゃわちゃとしていた思考がスーッと凪いでくる。

この時間がたまらなく好きだなぁと改めて感じています。

こうやって自分の『好き』を確認する時間って大事だよなぁ。

 

さて。

旅から帰ってきた亮一さんが素敵なブログを書いてくれました。

私たち夫婦がno-teでやっている夫婦ブログをまだ読んでいらっしゃらない方はぜひ。

ぜひぜひ。亮一さんの綴る文章はとてもいいですから。↓↓↓

note.com

 

旅から帰って来た亮一さんはなんだか大きいです。

“場”がデカいんです。

ますます変人っぷりに拍車がかかり、ますます素敵です。

インドという国ははかりしれないなぁとよく思うようになりました。

私も行ってみたい。

 

さて、話しはガラリと変わります。

今藤山家には冬休みに入ったこの方が毎日いらっしゃいます。↓↓

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ヤバい…。激かわいい…。

 

我らがそらさん(娘8歳。身悶える。)。

そらさんは夏休みや冬休みの長期のお休みの時に近所の公立学校の学童的な場所にお世話になっています。(横浜市ではキッズとよばれている子どもを預かってくれる場所があるのです。)

数日前、私はキッズに行くそらさんの為にお弁当を作っていました。

そらさんはお弁当の時にデザートがないと嫌だと言います。

 

「ママ!レザートいれた?!」と。

 

そらさんは『デザート』をずっと『レザート』だと思っているのでこう言います。

私はそんなそらさんが可愛いので絶対に訂正しません。笑

「レザート入れたよ。」と真剣な顔でいつも答えます。

 

数日前のお弁当作りの時、私はレザートを準備しておくのをすっかり忘れていました。

何かなかったかなぁとキッチンをゴソゴソ探していると、1つのリンゴを発見しました。

でも私はお弁当のレザートに(←もういいか。)リンゴを入れることが好きではありません。

なぜならリンゴの色が茶色に変色するかもしれないからです。

 

「リンゴかぁ…。どうしよっかなぁ…。」

 

美味しそうな真っ赤なリンゴをジッと見ながら私は考えました。

なるべく変色しないようにするための方法は知っています。

切ったリンゴをしばらく塩水に浸けておくのです。

そうすると酸化を少し防ぐことができて茶色く変色することを少しだけ防げます。

でも私は頭の中でこう呟いていました。

 

「うーん…どうしよっかなぁ…」

 

なぜなら私は塩水に浸けたリンゴが嫌いだからです。

 

私はこの時過去のことを思い出していました。

私の母親はよくお弁当にリンゴを入れてくれました。

うさぎの形に切ったものや、小さく食べやすく切ったものを。

そしてそのリンゴがもれなく塩水に浸けてあったのです。

 

「もー!お母さん!!リンゴをなんで塩水に浸けるの?!あれ嫌いなの!塩の味がするんだもん!!」

 

私は母親に何度もそう言いました。

でも母親は必ずこう言います。

「えー。だって色が変わっちゃうんだもん。塩水に浸けておけば色が変わらないでしょ?」と。

 

私は当時「色なんか変わったっていいじゃん!」と思っていました。

そんなことより美味しく食べたいんだ!と。

 

私は塩水に浸けたリンゴの味が嫌いです。

変色したっていいじゃん!と思っています。

 

「まぁ…これしかないからしょうがないかぁ…」

 

私は手に持ったリンゴを見つめて呟きました。

そしておもむろに半分に切り、その半分をもう一回半分にしました。

皮をむき、芯を取りました。

それを食べやすい大きさに切りました。

そして小さなボールにお水を入れ、ほんの少しだけ塩を入れました。

私はほんの少しの塩がお水に溶けるように小さなボールにスプーンを入れてぐるぐると書き混ぜました。

さっき食べやすい大きさに切ったリンゴを小さなボールの中にいれました。

 

「少しだけ浸けておこうかな…」

 

私は小さなボールの中のリンゴをジッと見てそう言いました。

 

私は塩水に浸けたリンゴの味が嫌いです。

変色したっていいじゃん!と…

 

…思っていたんです。

 

そんな私が薄い塩水にリンゴを浸けました。

私は私がやっていることに驚き、その心情をじっと観察しました。

そこにはこんな思いがありました。

 

お弁当を食べる時間に茶色く色が変わったリンゴが出てきたらそらさんがガッカリするかもしれないな。

お友達に茶色くなったリンゴを見られたら恥ずかしいって思うかもしれないな。

茶色くなったリンゴを見て「美味しくなさそう…」って思うかもしれないな。

 

だからちょっとだけ塩水に浸けておこう。

 

私は私が一瞬のうちにそんなことを思って薄い塩水を作っていたことに驚いた。

と同時に、もしかしたら私の母親もこんな気持ちだったのかもしれないと思ったのです。

(もしかしたら違うのかもしれないけどね。)

 

「塩水に浸けないでよ!美味しくないからぁ!」と言っていた私。

「でも色が変わっちゃうからぁ…」と少し薄目の塩水に浸けてくれた母。

あんなにリンゴを塩水に浸けないで!と言っていた私が我が子のお弁当にいれるリンゴを薄い塩水に浸けている。

 

私はこの事実に「ふふふ」と笑ってしまった。

 

リンゴを塩水に浸ける。

 

その中に『想い』がつまっている。

その行為の中に『愛』があった。

 

こうやって何十年も経ってわかることがあるのだなぁ。

ほんの些細な行為の中にあるものに。

 

いつだって、どんな瞬間にだって、ざぶざぶと『想い』は溢れているのだなぁ。

 

そんなことを感じたのでした。

 

丁寧に生きるってこういうことなんじゃないかな。とまだまだ未熟で稚拙で不甲斐ない私は思っていたりします。

 

今日も丁寧に生きよう。

すぐに雑になるからね。

 

 

もうすぐ今年が終わりますね。

あなたはどんな時間を過ごしているかな。

焦らずゆっくり丁寧にいこう。

忙しくてもゆっくり丁寧に。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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『愛』について書いてみたらこうなりましたとさ。

 

11月4日に若干の緊張感と大きなワクワクを携えてインドへと旅にでた亮一さんが、明日の夕方日本に帰ってきます。

亮一さんをお見送りした後、あんなにわんわん泣いた私とそらさんは、「へ?あの泣いたのなんだったの?」というくらいケロッとしたまま毎日をすごしておりました。

でもそれは、毎日LINEやメッセンジャーでやりとりをしていたからだし、亮一さんがちゃんと私とそらさんの存在を意識してくれているのが伝わったからでした。

 

いや、ちょっと待てよ。

 

今気づいたけれど、それにも増して私が亮一さんのことを『愛している』からだったのかもしれないな。

ケロッとしていられたのは。

 

私は今とても自信があることが1つだけあります。

それは『相手が私をどう思っていようが私は相手のことを愛している』という自信です。

これはとてもいいです。

自己完結できるからね。笑

 

「あなたは私のことをどう思っているかなんてほんとはどうでもいいや。私はあなたを心から愛しているよ。」

 

↑ここまで言えたらいいんだけど、まだ私は未熟なので今の時点ではこんな感じ。↓

 

「あなたが私をどう思っていようが私はあなたを愛しているよ。まぁでもあなたも私のことを愛していてくれたらめちゃくちゃ嬉しいんだけど…ていうかそれを望むけどねっ!めちゃくちゃ望むけどねっ!!でもね、もう一回言うけど、あなたが私のことをどう思っていようが私はあなたを愛しているよ。いや、でもね、そりゃあなたが私をあいしていてくれたら、ていうか愛しててほしいよ!そりゃそうでしょ!!」

 

とほほー

書いてて情けなくなった。笑

 

「あなたが私をどう思っていようが私はあなたを愛しているよ。」

 

これは本当のことで自信がある。

でも同時にこんな思いも湧く。

 

「でもあなたが私のことを愛してくれていたらそりゃ嬉しいしそれを望むよ!!」

 

これは亮一さんだけに感じる感情ではありません。

私に関わってくれた人たち、大好きな友人たち、お客さんとして来てくださった人たち…そんな人たちにも感じる感情なのです。

 

今まで私はそんな風に感じることを自分で自分に許しませんでした。

「この偽善者」と罵る声が聞こえたからです。

その声がどこから聞こえてきたかというとね、

 

なんと!!

 

自分の中からでした。

 

『愛』だのなんだの言うのってめちゃくちゃ気持ち悪いと感じていました。

「この世は愛なのです!」なんて言うスピリチュアルをかじった人々が言っているのを聞いては虫唾がはしっていました。

(今も“エセ”は虫唾が走るし怒りが湧きますが。←ここが未熟だわ。とほほ。)

 

『愛』ってなんだろ?とずっとずっと考えてきた私。

どこにあんだろ?ときょろきょろと見回していた私。

『愛』について書いてある本もたくさん読んだし、『愛』について知っていそうな人の話しも聞きにいきました。

恋愛映画もたくさん見たし、恋愛相談にもたくさんのりました。

(今もたくさん相談くるよ。)

 

探してもなかなか見つからなかったのに、探すのをやめたらありました。

すぐそこに。

めちゃくちゃ近すぎてわからないのよね。

 

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いつぞやのみなとみらい。綺麗で切なかったなぁ。

 

この世はひっかけ問題だらけです。

 

未だに私はすぐにひっかかる。

「んもうっ!!」と地団駄踏む時がたくさんあります。(本気で踏む。笑)

でも割とすぐに気付けるようになりました。

それは“視点”の数が増えたからです。

 

後ろから見る視点。

斜めから見る視点。

下から見る視点。

上から見る視点。

右から…左から…

まだまだ増えるかもしれないし、もっと高くから見る視点もできるかもしれません。

 

 

私は亮一さんと離れて生活したこの1ヶ月半でますます気づくことができました。

 

「あなたが私をどう思っていようが私はあなたを愛していますよ。」

 

ということに。

 

そしてそれは亮一さんにだけでなく、たくさんの人に感じている想いだということに。

(もちろん亮一さんとそらさんに対しては特別強く感じているのですがね。)

 

だからこれから私は遠慮なく言います。

以前の私と同じように虫唾が走る人がいるかもしれない。

「偽善者め」と感じる人がいるかもしれない。

でもいいんだ。

だってほんとのことだもん。

 

出し惜しみするのはやめるんだ。

「もういらん!」っていわれてもダクダクにまみれされてやる。

 

 

『愛』は時に痛いです。

『愛』は時に厳しいです。

ふわふわと聞こえの良いことばかり、心地の良いことばかりが『愛』ではありません。

『愛』ゆえに痛くて厳しく感じる時がある。

 

私は時々怒ります。

目の前の相手に向かって怒るときがあります。

 

「お前!!お前を粗末に扱ってんじゃねーーよ!!」

「てめぇ!!てめぇのこと低く見積もってんじゃねーーよ!!」

「いつまでも拗ねてんじゃねーーーよぉぉぉーーー!!」

 

こんな感じで。(あ、言葉はもうちょっと優しいですよ。)

これは私が私に向かって言ってるんだな、と遠くで思いながら。

 

私は私に本気なので、目の前の相手にも本気です。

それはいつでもです。

なのでがっかりすることもたくさんあるし、未熟な自分に辟易とすることもしょっちゅうです。

疲れてしまって寝込むこともありました。

魂と心と身体がうまくカチンとはまらなくて気持ち悪いこともまだまだ多々あります。

これは一生研究を続けていくことなのだろうと思っています。

 

身体、心、魂。

これがぴったりと一致したとき、人は本来のものすごいパワーを発します。

私はまだまだ一致している時間が少ないです。

一致させることが怖いからです。

でももう怖がりたくないなと思います。

いや、怖がりながら一致させていきたいと思っています。

 

あー怖い。笑

 

私は人が好きです。

このどうしようもなく切ないこの世界が好きです。

 

だから全身で存分に生きたいと思います。

『愛』をダクダクにまみれさせて。

 

あー書いててまだ気持ち悪さが残るな。笑

『愛』を語るのってなんでこんなに気持ち悪いんだろう。

きっと照れくさいんだね。

あはは。

 

こんな私の吐露を最後まで読んでくれてありがとう。

ここからは宣伝ですよ。

ちょっと読んでいってね。

 

私は長年施術者やっているのですが、ここであまり自分の施術の説明をしてきませんでした。

どう説明したらいいかわからなかったし照れくさかったからです。

 

私の施術は『心・身体・魂』を一致させるように手伝う施術です。

最近やっとわかってきたんだ。

私が何をやっていたのか。(遅いね。)

 

年末ですね。

よかったら『自分という愛しい人』を整えに来てください。

私のダクダクな『愛』を受けてみて。笑

 

*施術時間、料金、内容*

施術&お話し 2時間

・施術は服の上から行う整体のようなものです。

・お話しは施術の説明や身体のお話しも含め、当日のご相談内容により変わります。

・施術時間を長くしたい、お話しを長くしたい、などの内容の相談も承ります。

 

料金  2時間 12000円(当日現金でお願いします。)

 

場所 横浜にある藤山家にて

お申し込み後、詳しい場所をメールにてお送りいたします。

 

日時のご相談、その他もろもろのご相談承ります。

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そらさん(娘8歳。ヤバかわ。)の学校生活と寮生活のあれこれ。(南アルプス子どもの村小学校の毎日)

 

今朝、無事にそらさんを特急電車に乗せました。

そらさんが南アルプス子どもの村小学校に入学してあと数ヶ月で2年が経ちます。

そらさんは毎週月曜日に早起きをして電車に長い時間揺られます。

横浜から山梨に行くんですからそりゃ長いよね。

 

朝眠い目をこすりながら起きて、ボーっとしながら着替え、テレビを観て目を覚まします。

そして「そろそろ行くよー!」の私の声に「はーい!」と答え、元気に歩きだします。

「行きたくない」と言ったことはありません。

(入学して間もなくは大泣きしながら言ってたけどね。笑)

 

私は毎週そらさんのその姿を見て「こいつ、すげぇな。」と思います。心から。

電車の中、座るとすぐに寝てしまうそらさん。

「そらちゃん寝るね。」と言いながら。

私はその寝顔を見ながら呟きます。

「…健気だな…」と。

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健気にサンタさんへのお手紙を書く健気なそらさん。泣けてくる。

 

昨日の夜、お布団の中でそらさんはこんなことを言いました。

 

「ママ!そらちゃんね、Kちゃんに言い返せたんだ!すごいでしょ?!」

 

Kちゃんはとても気の強い3年生の女の子。

そらさんは1年生の頃から何回も言い負かされてきました。

ほんとは言いたいことを怖くて言えなかったり、従いたくないのに怖くて言いなりになってしまったりを繰り返していました。

その度に「Kちゃん怖いんだよぉ…。ほんとにひどいんだよぉ…。」と心中を吐露するそらさん。

そらさんは『怒られる』ことに異常に警戒します。

そして『強い口調』にとても弱い。

私は自分の小さいころを見ているようで、その度に胸が痛んでいました。

そらさんから心中を吐露される度に「言い返してみたら?」とか「Kちゃんは絶対怖がりだから、一回言い返したらビビって言ってこなくなるよ、きっと。」とか「そらちゃんはその時ほんとはなんて言いたかったの?」と声をかけてきました。

あとこんなことも付け加えて。

「Kちゃんはさ、どうしてそんな強い口調で言いなりにさせたくなるんだろうねぇ?きっと何か理由があるんだろうねぇ。」

 

そらさんはずっと「言い返すなんてできないよ。だってKちゃんに言い返したらものすごい勢いでもっといろいろ言い返してくるもん。怖いんだもん。」と言っていました。

私は「そうかぁ。」と言い、そして「まぁ言い返せそうだったらやってみれば?でも無理はしなくていいよ。そらちゃんがしたいようにしなね。」と伝えていました。

 

そんなそらさんが。

そんなそらさんが!

 

「ママ。そらちゃんね、Kちゃんに言い返せたんだよ!」と言うではありませんか。

なんとも誇らしい顔で。

私は「ほう!それはすごいねぇ。どんな感じで?」と聞きました。

そらさんはますます誇らしげにその一部始終を私に伝えます。

 

「それでね、そらちゃんがこう言ったの。『Kちゃんのときはそうだったかもしれないけどそらちゃんは初めてこれをやるの!だからわからないでしょ?!Kちゃんは今これには関係ないでしょ?!』って。そうしたらね、また言い返してきたんだけどそらちゃんも何回も言い返したの。そうしたらねKちゃんが『わかったよぉ…もう好きにしなよ。私は知らないよ。』って行っちゃったんだ!」

 

出来事としてはたわいもない事です。

しかもKちゃんは以前大人(先生のことや寮母さんのことをそらさんの学校ではこう呼びます。)に注意を受けたことをそらさんに警告してたのです。

まぁおせっかいと言えばおせっかいですが。

 

そらさんはその出来事を自信満々で私に伝えます。

 

「だってさ、Kちゃんには関係ないことだったんだよ。その仲間にKちゃんは入ってなかったのに注意してくるんだよ!大人に怒られるかもしれないけどさ、怒られてから考えればいいじゃん! そらちゃんはそう思ったんだよ。」

 

そらちゃんは大人に見つかったら怒られるであろうことをお友達数人とやっていたんですよ。

なのにこの自信。笑

 

「いや、でもさ、そらちゃんは大人に怒られるようなことやってたんだよね?笑」

の私の問いにそらさんは「そうだよ。でもまだ怒られてなかったのに関係ないKちゃんがごちゃごちゃ言ってきたんだよ!だから言い返したんだよ!」と口をとがらせて言いました。

私はその言いようがあまりにも可愛くて「あははは。そうかぁ。そらちゃんの言う通りだねぇ。」と返しました。

そして「Kちゃんを言い負かすなんてすごいじゃん!」と言いました。

そらさんは「えへへへ。そうでしょ?そらちゃんは前より強くなったんだ。おかしいと思ったことは言うようにしたんだ!」と笑っていました。

 

私はそらちゃんに日々こんなことを伝えています。

 

「やられたらやり返すっていうのはどうだろうねぇ。そうじゃなくて、自分が考えてみておかしいなぁと思うことはちゃんと言えた方がいいよね。」

 

「八つ当たりにや支配に利用されたら嫌だよね。嫌だと感じたらちゃんと嫌だ!って言えた方がいいよね。」

 

「八つ当たりや支配に利用されるのを受け入れてしまったら、その子はずっと八つ当たりと支配のために利用してくるよ。だって嫌だって言ってないんだから。それってどう思う?」

 

「八つ当たりや支配をしたくなるのってどうしてだと思う?その子はどうしてそんなことを言いたくなるんだろうねぇ?」

 

「言い負かしたことがすごいことじゃないんだよ。そらちゃんがそらちゃんの思ってることを、怖いから言わないんじゃなくて、ちゃんと怖くても言えたことがすごいことなんだよね。」

 

「八つ当たりや支配をしてしまう子もしんどいんだよね。そらちゃんが嫌だって言わなかったらその子も八つ当たりや支配を続けなきゃいけなくてしんどいと思わない?」

 

これが合ってるのかどうかはわかりません。

今の私が感じることを正直に伝えています。

「これはママが思ってることね。これが正解かどうかはわからないよ。だからそらちゃんも気づいたことがあったら教えてね。」と付け加えるのも忘れないようにしています。

 

今回そらさんが怖い怖いと言っていたKちゃんに言い返すことができたのはとてもよかったと思っています。

「おおー!やるじゃん!!」と。

そして自分の意見を言えたことで自信に満ちた顔をしているそらさんを見て「うむうむ。」と思ったのでした。

 

どうやらそらさんは相談に乗ってくれる、絶大な信頼をよせる1つ年上の友ができたようです。

その子のお陰で言い返せるようになった、と言っていました。

 

「そらちゃんのことよく見ていてくれてね、『そらちゃんは優しくて気を使いすぎてるんだよ。』ってアドバイスしてくれるんだ。それでね『もっと自分の思ってること言っていいんだよ』って言ってくれるんだ。だからそらちゃんは言えるようになったんだよ。」

 

私はそらさんのその言葉を聞いて「あーこの子にそんな素敵な友だちができたんだぁ」と嬉しくなりました。

そしてこの子は毎日この子の世界を、悩みながら、気を使いながら、考えながら、一生懸命に生きているんだなぁとしみじみと感じたのです。

 

「そんなに素敵な友達ができたんだね。よかったねぇ。大事にしないとね。」

 

私がそう言葉をかけると「うん!ぜったい大切にする!」とそらさんは大きな声ではっきりと言いました。

 

 

その後、話しは学校の掃除の時間についてに変わります。

そらさんの学校では掃除の時間を『ユースフルワーク』と呼んでいます。

で、担当箇所が年々かわるらしいです。

 

「そらちゃんね、一年生のときは廊下のモップかけの担当だったんだ。それでね、毎日モップを胸のところに当ててね、胸からビームが出てるみたいにしてモップ掛けしてたんだよぉ!面白かったんだぁ。あとは手のひらにモップの柄を当てて手からビームが出てるみたいにしたりしてたんだよぉ。あははは。」

 

胸からビーム…

手からビーム…

モップを?

それは面白い。

 

私は面白いなぁと感じながらも疑問に感じたことを質問してみました。

 

「めちゃくちゃ面白そうじゃん!あーでもさ、そんなことやってて大人は注意しないの?」

 

私が小学生だった時にそんなことをしていたら先生に怒られていたなぁと思ってね。

そらさんはなんて答えるかな。

 

するとそらさんはびっくりした顔でこう言いました。

 

「え?注意なんかしないよ。『面白いことやってんねー』って笑いながら言ってたよ。」

 

あはははは。最高。

 

「ママが行ってた学校だったら『ちゃんとやりなさい!』とか『真面目にやりなさい!』って言われてたと思うよ。いーなー!そらちゃんの学校。」

 

私が笑いながらそんなことを言った時、そらちゃんがとてもすごいことを言いました。

 

「え?なんで?掃除だって楽しく面白くやったほうがいいじゃんねぇ。ママが行ってた学校の先生はわかってないなぁ。楽しいし綺麗になるし、それのがいいじゃん!」

 

…ほんと、そうだよねぇ…

 

今そらさんは2階のトイレ掃除の担当らしいのですが、毎日みんなで楽しくおしゃべりしながらやっているそうです。

 

「すっごい楽しいんだぁー。めちゃくちゃくだらない話ししながら掃除してるんだよ!」

 

掃除の時間が楽しいなんて聞いたことない。

みんな嫌がってたもんなぁ、私も嫌がってたし、と思いを馳せる。

きっとそこには『制限』があったからなんだろうし、『やらされてる感』があったからなんだろうなぁ。

 

「ちゃんとやりなさい。」「真面目にやりなさい。」「早くやりなさい。」「時間通りにやりなさい。」「ふざけないで。」「順番を守りなさい。」「やり方を守りなさい。」etc…

そんな言葉を日々かけられていたら、そりゃ面白くないわなぁ。

嫌になるに決まってる。

 

私はそらさんにもう一度ダメ押しのように聞いてみた。

 

「ねぇ、そんなにしゃべりながらトイレ掃除してたら怒られない?大人が聞いてるんじゃないの?」

 

私のそんな愚かな質問にそらさんは笑い飛ばしながらこう言いました。

 

「あははは!聞いてるわけないじゃん!大人だって掃除してるんだからぁ!」

 

うわーー!!

完敗!!

 

そらさんの学校では大人も子供も同じ時間にそれぞれの担当箇所を掃除するのです。

 

「みんなで学校を使ってるんだから当たり前でしょ?大人もそれぞれ掃除してるよ。」

 

こんな当たり前のことを言われてびっくりしている私って一体…。

 

あー素晴らしい。

私はまた私の思い込みに1つ気づけました。

そらさんとあの学校のお陰です。

 

掃除も楽しんじゃえばいいんだね。

「ちゃんと」なんてやめちゃえばいいんだね。

 

毎日教えてもらってます。

そらさんに。

 

 

ながーい文章、読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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自愛と自己愛のちがいって知ってる?私はちゃんとしらなかったのでここで謝ることにしました。

 

最近読んだこの本がとても素晴らしくて、読みながら何度も「うおー!」と言っていました。

今日は私の頭に思い浮かぶ方数人にむかって発信していきます。

あなたよ。あなた。それは私のことでもあるのだけれどね。

いい?よく読んでね。

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著者の安冨歩(やすとみあゆむ)さんは東大の教授をされている超エリートの方。

女性装をする東大教授と言えばわかる方もいるのかな。

わからない方がいたらこのインタビューを読んでみてください。↓↓↓

www.mugendai-web.jp

 

安冨先生はこの本のはじめにこんなことを書いています。

 

生きるにはどうしたらいいのか。そればっかりは、誰も教えてくれませんでした。

私は既に40代も後半になりますが、思い返せば親も先生も先輩も、誰も彼も、いろいろなことを教えてくれましたが、そのほとんどは、ただの押し付けでした。

私が必要としている生きる技法ばかりは、誰も教えてくれなかったのです。

 

 私も同じことを思っていたので「そうそう!」と最初から深く頷きました。

『ただの押し付けだった』ということに気付くのにどれだけの歳月を有したか。

(それも大切な時間だったのだけれどね。)

 

安冨先生はこのあと、こんな風に優しく言葉を紡ぎます。

 

ここ数年にわたって私は、この問題についてずっと考えてきました。

そしてようやく、生きるための技法が、少しずつわかってきたように思えます。

考えてみればそれは、簡単なことだったのです。

~中略~

ここに書かれていることは、みなさんの人生にお役に立つものと信じます。

とはいえ、これが正しいかどうか、私には確信がもてません。

どうぞここに書かれていることを鵜呑みになさらないでください。

~中略~

できれば、どこが良くてどこがダメなのか、私に教えていただければと思います。私自身、生きる技法を学び始めたばかりであり、みなさまに教えるような立場にはないからです。

 

安冨先生のこのはじめの文章にやられました。

「生きる技法を学んでいる仲間だよね。ね!」と言われたような気がしたからです。

けっして上から目線じゃなく「私が知ったことは今のところこれだけど、他にもあったら教えてね。仲間じゃない!」と言ってくれているような気がしたからです。

さすがです。

 

この本の中で一番「おほーー!」と感じ、そして「これは謝罪をしなければ!!」と思ったのは第3章の『愛について』。

『自愛』と『自己愛』について詳しく書かれているところです。

 

安冨先生はとても優しく、そしてわかりやすく言葉を綴ります。

 

『愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる』

 

「自愛」①自らその身を大切にすること。

「自己愛」⇒ナルシシズムに同じ。

ナルシシズム」①自己を愛し、自己を性的対象とすること。②転じて、自己陶酔。うぬぼれ。

広辞苑より)

 

自己陶酔やうぬぼれによって何かをすると、必ずやひどい目にあいます。

うぬぼれていると、自分の力不足を棚に上げて、誰かのせいにします。

~中略~

これに対して自愛とは自分自身としてそのまま受け入れていることです。

人間はほかの生命体と同じく、自分自身を維持しようという根本的な欲求を持っています。

その欲求を認め、それに従うことが自愛です。

そうしてはじめて「自らその身を大切にする」ことができます。

 

自愛とは自分自身を丸ごと受け入れ、大切にすること。

それにたいして自己愛は自己嫌悪から生じると安冨先生は言っています。

では『自己嫌悪』とは何か。

 

自己嫌悪とは自分のあるべき姿を思い描き、自分がそれとズレていることに嫌悪感や罪悪感を抱くことです。

 ↑これ、すっごく納得したんです。

「自分のあるべき姿」って「今の自分とは違う姿」ってことですよね。

「いい母親」「いい奥さん」「スタイルのいい私」「明晰な私」「いつまでも若くて綺麗な私」「お金をたくさん持っている私」「ハイスペックな旦那を持つ私」「ちゃんとした私」etc…

こんなことを「自分のあるべき姿」としていませんか?

そして「今のそのままの私」との差に嫌悪感を抱く。

それを隠そうと偽装し、自己愛になる。

つまり私の言葉でいうと「嘘つき」ってことです。

 

自己愛とは、自己嫌悪を埋め合わせるために偽装することである。

 

偽装とは、他人の目に映る自分の姿であり、他人の目で自分の偽装を見て良し悪しを判断することです。

自分の姿を鏡で見てうっとりするというのは「この姿なら他人が感心するだろう」と思って少し安心する、ということです。

 

これは維持するのがとても大変です。

とても辛い。

ちょっとでも「自分のあるべき姿」から外れたら大きな失敗ですから。

いつもびくびくし続けることになるよね。

 

つまり、自己愛はいつも不安と隣り合わせである。

 

私はずーーーっと自己嫌悪と罪悪感にまみれて生きていました。

だから摂食障害になったのだろうと思うし、なんとかそのままの自分を受け入れたくてもがいてきたように思います。

カッコつけて、人からどう見られるかばかり気にして 生きているのが嫌で嫌で仕方がなかった。

でもどうしたらそこから抜けられるかがわからなくて苦しみました。

このまま人目を気にして生きていたらずーーっと辛い毎日しか来ない!と絶望してからが私の始まりでした。

少しずつ「ホントの自分」をそのまま発表していく。

身にまとっていた鎧に気付き、そしてちょっとずつ脱いでいく。

「自分のこう!あるべき!姿」と「今実際の自分」の隔たりをなくしていく。

「自分のこう!あるべき!姿」がマボロシで、そんなものは何もなかったと気づいてぶっ壊していく。

それには勇気が必要だったし、決して楽ではありませんでした。

だって「嘘ついていました!ほんとにごめんなさい!」って謝らなければならないのだから。

謝ったからって受け入れられるとは限らない。非難や拒絶をされるかもしれないですから。

怖いよね。ほんとに怖い。

だから『絶望』しないとできないのです。

「偽装し続ける未来」に絶望しないとできないのです。

私は「嘘つき」をやめました。

嘘をつき続ける人生に絶望したからです。

でもまだ嘘をつこうとする自分に出会います。

まだまだ隠れていた巧みな嘘が未だに明らかになるときがある。

ほんとに地団太踏むほど嫌になるよ。

でも気づけて良かったぁとも思うし、「ふふふ。まったく嘘つきめ。」と可愛く思えたりもするようになりました。

 

自愛は自己嫌悪から離脱することで実現される。

 

自己嫌悪がいけないわけじゃない。

自己嫌悪がただ起こっていただけです。

自己嫌悪ををいけないことだとすると、自己嫌悪が増大する。

もうやめた!と思えばいい。それだけ。

悩むことを止める。

悩むんじゃなくて感じるんだよ。

自己分析や自己反省はいらないのです。

そんなのさんざんやったでしょ?(心当たりある方いるよね?ねぇ?)

 

人は「ホントの自分」をさらけ出すことを怖がる。

丸腰は怖いよね。

だって傷つくような気がするもんね。

そのままのホントの自分じゃダメだ!って押し付けられてきたんだからね。

親や大人や先生たちに。

でもそれを受け入れてしまったのは自分です。

受け入れざるを得なかった状況だったのも本当のこと。

自分で受け入れたんだし、当時は受け入れざるをえなかったんだとしたら?

だとしたらぁ?

「もうやーめた!」と自分で決められるんだよね。

(丸腰で生きても怖いけど傷つかないよ。だって傷つくか傷つかないかは自分で決められるんだから。)

 

私は毎日なるべく「ホントの自分」で生きていようとしています。

私はなるべく「丸腰」でいこうと気を付けています。

ビビりで臆病な私は気を付けていないとすぐに偽装するからね。

無意識で偽装するなんて絶対いや。

あとで体調悪くなるだけってことをもう知ってしまったからね。

 

で、どうする?

「偽装し続ける未来」を生きる?

それとも「ホントのそのままの嘘偽りない未来」を生きる?

選べるよ。

選べるんですよ。

さて、どうする?

 

あ!

そうそう謝罪しなきゃ!

 

私はずっと『自愛』のことを『自己愛』と言っていました。

言葉が違ったんです。

内容は『自愛』について話していたのに言葉を間違っていたんです。

この本で知りました。

「大切なのは『自己愛』なんだよ!」と声高に言ってしまっていたことがあったんです。恥ずかしい…。

MさんAさんごめんなさい。

私が言っていたことは「自愛」についてです。

ここで謝らせてくださいね。

無知で無学な私も日々学んでおります。

 

 

『生きる技法』めちゃくちゃ良著です。

とても優しくわかりやすいです。

手元に置いておいた方がいい一冊だと私は思います。

まだ読んでいない方はぜひ。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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どうやら私は亮一さんがとても恋しいようです。

 

今、亮一さんはインドのハンピという町からバスでバンガロールに向かっているようです。

インドはとてつもなく広く、そしてとてつもなく不思議な国だということを亮一さんの旅を通じて感じています。

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象洗ってるよ!!河で象洗ってるんだよ!!

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こちらはミス・ハンピ。可愛すぎる。お洋服もカラフルで綺麗。

 

今、たった今、亮一さんから連絡が来ました。

無事にバンガロールに着いて、このまま他のバスに乗り継いでマドゥライという場所に移動するそうです。

バンガロールはすっとばすってさー。

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昨日のハンピのバスストップの場所だそうです。出発は23時。こんなとこにバスが来るなんて教えてもらわなければぜーーったいわからないよね!!

 

毎日LINEや電話で連絡を取り合っている私たち。

顔を携帯の画面越しにみることができるのはとても安心する。

声を聞けるのもとても嬉しい。

インドと横浜でやりとりをしている奇跡に「うわぁ!」って思ってみたりして。(←しかも無料って…)

 

でもね、電話を切るといないのです。

あたりまえなんだけど隣にいないのです。亮一さんが。

 

どんどん生命力を全開にして思う存分旅をしてきてほしい。

全身で楽しんできてほしい。

もーいいやーって思うまでやってほしい。

亮一さんが亮一さんで在る時間がたくさんあってほしい。

心からそう思う。

でもね、「早く帰ってくればいーのになー」と思っている私もいるのです。

 

昨日Facebookのコメント欄に亮一さんがこんなコメントを私宛に書きました。

 

たっぷり楽しんでいるよ。

 

でも、家に帰って皆でご飯食べたり、出掛けたりもだんだん恋しくなってきているんだわ(T_T)

 

このコメントを読んで私はとても嬉しくなりました。

「ふふふ」と笑ってしまうほど。

私はこのコメントをそらさん(娘8歳。激カワ。)に読んで聞かせました。

「パパ、恋しくなってるんだって!」って言いながら。

 

そらさんはお布団に寝っ転がりながらそれを聞いていて、そして口をとがらせてこう言いました。

 

「だったら早く帰ってくればいーじゃんねー!」

 

あはは。

その通り。

 

そしてこう続けました。

 

「そらちゃんはずっと早く帰って来ないかなぁって思ってるんだよ!もう!」

 

口をとがらせて拗ねたような口調で言うそらさん。

んもう。

 

私は「ほんとだよねー!」と言いながら、なんて幸せなんだろうと思ったんだ。

 

『早く帰ってくればいーのに!』と思える幸せ。

『早く帰ってきてほしいねぇ』と一緒に言える幸せ。

『早く帰ってきてほしいなぁ』と思える相手がいる幸せ。

そしてきっとその相手も『帰りたいなぁ』と思ってくれているだろう幸せ。

 

場所なんてどうでもいいんだろうな。

帰る場所は『その人がいる場所』なんだと思う。

今回は私とそらさんが亮一さんを『待っている場所』になっただけ。

次の機会は私が旅に出て、亮一さんとそらさんが『待っている場所』になるかもしれない。

帰る場所があるってすごい。

すごい安心感なんだろうなぁと思うのです。

私は今、亮一さんとそらさんの『帰る場所』『安心感そのもの』に自分が成れているような気がして嬉しくてならない。

ありがたいなー!と思うのです。(←気のせいだったらどうしよう。滑稽極まりないよね。笑)

だからこそ思うよ。

「早く帰ってくればいーのになー」と。

でも「存分に旅をしてきてほしい!」とも思うんだ。

 

亮一さんとそらさんのことを想うと胸がほわぁとなります。

のびのびと思う存分生きて欲しい!と心から思います。

そしてもし私が亮一さんとそらさんの『帰る場所』で『安心感そのもの』であるならば、こんなに幸せなことはないなぁと思うのです。

と同時に亮一さんとそらさんは私の『帰る場所』で『安心感そのもの』なのだよなぁとつくづく感じるのです。

 

きっとこれを『愛』と呼ぶのかもしれないな。

わからないけどね。

 

私は今大好きな人がたくさんいます。

ありがたいことに大好きな人たちがどんどん増えています。

私は大好きな人たちを思うと胸がほわぁとなります。

そして「思う存分その人で在ってほしい」という思いが以前よりもどんどん強まっているのを感じます。

そのために私に何ができるだろう?と真剣に考える時間が増えました。

自己犠牲ではなく、です。

『問題意識』ではなく、です。

 

まずは自分を楽しもう。

そして私ができることをしよう。

まずは私が幸せを感じよう。

そして私が話せることを話そう。

まずは私が私を感じよう。

そして話さなくていいことは話さないでいよう。

まずは私を労わろう。

そして人を包み込もう。

まずは自分を赦そう。

そして「まだ赦せない!」と言っている人を優しく見つめよう。

 

そんなことを思います。

 

こんなことを思えるようになったのは、こんなことを恥ずかしげもなく(いや、相当恥ずかしいんだけどね…)書けるようになったのは、亮一さんの存在があったからです。

 

『存在』が愛しい。

 

私の中に在る、こんな思いを開花させてくれたのは亮一さんです。

私は私の中に眠っていた『存在を愛しく感じる感覚』を思い出すことができました。

 

だから私は考えます。

今の私に何ができるだろう。

 

亮一さんが恋しすぎて、以前亮一さんが書いていたブログを読み返してみたんだ。

そうしたらやっぱり素晴らしくてさ。

だからぜひ読んでみて。

とても素晴らしいから。

 

ボタン付けの夜。↓↓↓

http://yamafuji70.hatenablog.com/entry/2018/05/10/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3%E4%BB%98%E3%81%91%E3%81%AE%E5%A4%9C

 

本文より。↓↓↓

「きっと何か答えが見つかる」

なんて思いませんし、そもそも答えを見つけるのが人生ではないのでしょう。

 ボタン付けを無事に終了させるという事だけが成功なのではなく、ボタン付けを味わえる事自体に成功はあると思うのです。

 

最高。

これを言える人がこの世にいてくれるだけで最高だと思う。

 

インドを旅している亮一さんが恋しい。

私はそんな私を「いいヤツだな」と思うのです。

 

あーあー

早く帰って来ないかなー。笑

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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春菊の葉っぱと頭のおかしい私と素敵なお手紙。

 

11月があっという間に過ぎていく。

亮一さんがインドに旅立っていった日にそらさんとわんわん泣いたことがとても懐かしく思えてしまう。

「そういえばそんなこともあったなぁ…」と思っている自分が切ない。

現象はどんどんと過ぎ去っていってしまうのだなぁと実感させられるし、『掴めるものは何もない』ことを改めて感じるから。

 

だいぶ前に亮一さんがこんなようなことを言っていたのを思い出す。

 

『悩みすら持ち続けていることができないんだよ。俺は悩むことすらできないんだ。』

 

私は亮一さんのその言葉を聞いてまたもやゲラゲラ笑ったのだけれど、笑いながら「ほんとにそうよねぇ。」と言った。

 

私は私のことが好きだ。

いや、『好き』というよりは「しょーがねぇなぁ。どうせ離れることができないんだから付き合うしかないか。」とあきらめている感じだ。

でもいったんその目線で自分を見始めると「おぉ。割といいやつじゃん。」と好きになっていくのだ。

 

最近私は『春菊のサラダ』をよく作る。

このあいだも海外からお客さんが来てくれた時に春菊のサラダを作った。

(私に会いたい!とわざわざ会いに来てくれたのです!泣ける。)

 

春菊をよーく洗ってやわらかい葉っぱの部分だけを丁寧にちぎる。

そのちぎった葉っぱにごま油とお酢とお塩、海苔をふりかけてよく混ぜる。

たったこれだけのサラダだ。

でもたったこれだけのことでめちゃくちゃ美味しいものが出来上がる。

 

春菊の葉っぱをただひたすらちぎってボールに入れている時、ボールに入らずにぽろりと落ちた葉っぱが一枚あった。

私は葉っぱをちぎる手を止めて、そのぽろりと落ちた一枚にふと目を向けた。

そしてじーっとその葉っぱに目を向け続けた。

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↑これ。ぽろりと落ちた葉っぱ。

 

じーっとその葉っぱを見つめていた私の口からはこんな言葉が発せられた。

 

「…かわいいな…」

 

私はぽろりと落ちた葉っぱを「かわいい」と感じていて、思わず言葉を発していた。

そしてそんな自分に驚くのだ。

 

「えー。私、これをかわいいと思うんだー。へー。」

 

そんな感じ。

 

ぽろりと落ちたその葉っぱをとても愛しく感じるのはなぜだろう。

不思議だな。

私はその葉っぱが愛しすぎて思わず写真に撮った後、口に放り込んでしまった。

自分の中に入れたくなったのだ。

そしてそんな自分に「お前頭おかしいな。」とぼそりと言うのを忘れなかったよ。笑

 

そんな『頭のおかしい私』にわざわざ会いに来てくれた素敵な女性が、こんなに素晴らしいお手紙をくれた。

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海外に行って日本語にうえていた頃、ゆっきぃさんの『私のコト』シリーズに出会いました。

数日間、日夜問わず続けて読みふけっていました。

文章力はもちろん、自分の過去、現在をオープンに発信するお姿に勇気とたくましさを感じ、是非どんな方なのかお目にかかりたいと思うようになりました。実現してとっても嬉しいです!!

これから日本はどんどん寒くなると思います。気圧も低くなりますのでゆっきぃさんも、亮一さんもそらさんも、どうぞご自愛下さい。

ブログの更新も、no-teも実は楽しみにしています…

また、ゆっきぃさんのペースでゆっきぃさんのアンテナを私たちにも共有して頂けたら嬉しいです。ありがとうございます。

 

泣ける。

泣けますよ。

心からありがたい。

ありがとーーーー!!!

 

私は「どれだけ自分で自分に正直に在れるか」「どれだけまっさらな目でモノゴトを観られるか」を人生をかけて真剣にやっていて、それをどれだけ素直に自分のホントウの言葉で綴れるか、言えるか、を実験実戦しています。

よく私は私に「なんで?!なんでこんなことやってんの?!」と聞きたくなるほど大変な時もあるんです。

 

もっとうまくごまかして生きてもいいじゃん!

もっと器用に立ち回ろうぜぇ!そんなめんどくさいことしないでさ!

適当に話し合わせておけよぉ。みんなだいたいそうやって生きてんだからさぁ。

 

そんな言葉が頭をよぎるときがある。

でもね、残念なことにね、

できないんですよ。

私、できないんです。これしか。

 

最近読み返している『神との対話』にこんな言葉が出てきた。

 

自己探求と創造の旅に出ることで何が得られるのか?

どこにそんなことをする動機があるのか?

どんな理由でするのか?

その理由はばかばかしいほど簡単だ。

 

「ほかにはどうしようもないから」

 

 

 

私はこの部分を読んで声をあげて笑った。

「あはははは!その通りだな!」と。

 

『私の世界は永遠に私しか知ることができない』という紛れもない事実を肚から受け入れると、残念なことに全てのことがらを人のせいにはできなくなる。

だからなかなか人はそれを受け入れたがらない。

誰かのせいにしておきたいもんね。

誰かが正解を知っていると思っていたいもんね。

私もそんな時いっぱいあるもん。

 

でも『幸せ』はそこにはない。

残念なことに外側にはないのです。

うぅ…残念な事実…

(認めたくない時いっぱいあるよぉー)

 

私がこうやって文章を綴ることで誰かに勇気を与えられているなら、こんなに嬉しいことはないと思う。

私は今日も些細なことに気付いていたいし、それを拙い文章で綴りたい。

ほかにはどうしようもないからね。笑

 

幸せはゴロゴロその辺に転がっているよ。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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料金などは要相談で!

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