藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

「『動く』と動くんだねぇ。」と彼は言いました。

 

亮一さん(最愛の旦那さん。心から好き。)がインドに旅に出て2週間が経つ。

私は1人の時間を自然に楽しむことに慣れてきて、亮一さんは毎日刺激のシャワーを浴びまくって生きている。

 

私は私のハナクソみたいなプライドをどれだけ捨てられるか?をここ数年やってきたように思えるのだけれど(後付けだよ。気づいたらそんな感じのことをやっていた、みたいな感じね。)、ほんとにそれは『ハナクソ』だったと痛いほど感じるのです。

『ハナクソみたい』じゃなくて『ハナクソ』だったのよ。笑

 

そんなちっぽけな『ハナクソ』のお陰で、美しいものが目に入らない時間がどれだけ長かったか。

目の前に“美しいもの”や“素敵なもの”がひっそりと音もなく、でも確実に大きく存在していたのに。

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そんなちっぽけなハナクソなんてガンジス川に流してしまえ!と思う。けど怖いのよね。

 

 

『ハナクソ』を大事に大事にしていたのには訳がある。

『ハナクソ』を持っていない私なんて存在する理由がない!と思い込んでいるからだ。

思い込んでいる時には『ハナクソ』は大事な大事な『宝物』に観えるんだ。

これを手離したら死んでしまう!と思い込んでいるのです。

 

 

少し前に、摂食障害から抜け出せずにいる女性からこんな質問を受けました。

(自ら『抜け出さない』を選んでいるのかな。彼女は。)

 

摂食障害を克服した今、ゆっきぃさんが『得たもの』はもちろん知りたいのですが、逆に『無くしたもの』『失ったもの』も伺ってみたいです。

 

彼女は摂食障害というのは何かを守りたくてでてくるのかな?と思うことがあると綴っていた。

(物理的なものもそれ以外も。)

 

私は彼女の言葉を読んで「なるほどー」と思ったし、それ以降『無くしたもの』『失ったもの』についてぽつぽつと考えていた。

 

摂食障害を克服?して、私が『無くしたもの』『失ったもの』ってなんだと思いますか?

もうわかるか。

 

そう。

 

たくさんの『宝物だと思い込んでいたハナクソ』を失いました。

 

私は私が宝物だと思っていたもの、手離したら死んでしまう!と思い込んでいたものを無くしました。

 

私は『私』を形成していると思い込んでいた『プライド』や『自尊心』や『存在理由』を失いました。

「もうこんなのいらねぇー!」と、痛い痛いと言いながらちぎっては投げ捨てていったのです。

だってそんなのマヤカシですから。

でもね、痛いし怖いのよ。

マヤカシなのに痛いし怖い。

私は未だにその最中です。

 

どこまで無防備なまま立っていられるか。

どこまで裸のままで在れるか。

もちろん服を着たければ着ればいいし、こいつにはぜったい裸を見せてやんねぇ!と思う相手がいたらすぐにコートを羽織ればいい。(これは変態の姿だ!裸にコート。笑)

でもそれは自分で選びたい。

裸でいるのか服を着るのか。

 

私は私の『まやかしの宝物』をまだ見つけている最中で、それが『ハナクソ』だと気づくゲームの最中だ。

まずは気づかなきゃいけないからね。

見つけなきゃ捨てられないからね。

 

これにはとても勇気がいる。

自分が宝物だと信じていたものが『ハナクソ』だったと認めなきゃいけない勇気。

そして認めたらちぎって捨てなきゃいけない。

これはものすごく怖い。

私が『これが私だ』と心の底から信じていたものを手離さなければならないのだから。

私がいなくなってしまう!と恐怖にわななくのです。

でもそんなのはマヤカシだと自分に言い続けて、怖い怖いと言いながら投げ捨てる。

投げ捨てたきった『私』がどこにいるか知りたいから。

 

ちぎっては捨て、ちぎっては捨てを繰り返してきた私が言うよ。

 

大丈夫だよ。

 

そして

 

怖くないよ。

 

それから

 

ハナクソに気付いて捨てると見えていなかった美しくて素敵なものが観えるんだよ。

 

 

 

私は1人の時間を満喫しながらも、美しくて素敵なものに触れたくて動いています。

亮一さんもどういう心境かはわからないけれど動いています。

 

インドと日本間をLINEでやりとりしている最中、彼はこんなことを言いました。

 

「『動く』と動くんだねぇ。」

 

そうだね。

動くと動くんだよね。

 

今日も私は気づいてはおののき、そしてちぎっては投げ捨てる。

そして動くのです。

 

ハナクソに気付くの怖い?

だったら一緒に気付いて笑っちゃおうよ。

きっと楽しくなってくるよ。

そんなちっぽけなことに囚われて生きているなんてもったいない!!ってくらい美しくて素敵なものがたくさんあるんだから。

 

あなたはあなたが思い込んでいるような人ではないよ。

自分を限定しないでね。

一生『自分』なんて見つからないんだからさ。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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どうやって生きていきたいですか?どう在りたいですか?私はそんな話がしたいのです。

 

亮一さんがインドでいろんな体験をしている。らしい。

今朝もビデオ通話で話しを聞いていたのだけれど、聞いているだけで「たまらん!!」と身悶える。

 

昨日亮一さんは今滞在しているコルカタの宿から少し離れた場所にある、カーリー寺院に行ったらしい。

私は『カーリー』という女神に今惹かれに惹かれているのでうらやましくて仕方がない。

カーリー女神は怖い。

怖すぎるのだ。↓↓

 

web.kyoto-inet.or.jp

 

その怖さがたまらない。

ゾクゾクするのだ。

 

そのカーリー寺院の真向かいが風俗街っていうところもものすごくゾクゾクする事実だ。

亮一さんは宿で同室になっている男性と一緒にその風俗街に行ってみたらしいのだけれど、これが凄まじかったと言っていた。

(女を買ったわけじゃないよ。風俗街に行ってみたってことよ。)

 

「もうね、今まで見たこともないような光景なんだよ。なんて言ったらいいかわからないくらい。ゆっきぃにも見せたいよ。もうね、すごいよ。現代にこんな光景があるんだ!っていうくらい。」

 

亮一さんは淡々とした口調でこう言った。

 

形容しがたい見た目の女性たち、道で寝そべるやせ細った乞食、汚い格好で座っている子ども、物乞い、そして普通に歩いている野犬とちょろちょろと歩き回るネズミ…

 

カリブの海賊のあの世界にぎゅうぎゅうにインド人を詰め込んだような場所だった、と亮一さんは説明した。

そして亮一さんが言ったことで興味深かったのはこんな言葉だ。

 

「町の入り口とか見るとさ、見るからに『危険な場所』なんだよ。

こんなとこ入ったら絶対ヤバいって!って思うような場所なの。きったねーし。これはあんな所に行ったら危ないことがあるに決まってるでしょ?!!みたいな所なんだよ。」

 

亮一さんがこう言ってるくらいなんだから、相当な場所なんだと想像する。

私は「うん!うんうん!!」と興奮しながら話しを聞く。

私の興奮をよそに亮一さんはこう続けた。

 

「でもさ…入って行ってみるとね、何にもないんだよ。何にも起こらないの。

どこにも危ないことがないんだよ。それがなんとも言えないというか…すごいんだよ。

何にもないんだよ。ほんとに。」

 

形容しがたい姿の女が(多分カラダを売っている女性だよね)ぼーっと座っている。

その周りをきったない子供が遊ぶ。

やせ細った乞食らしき人が倒れている。

物乞いがそこかしこにいる。

野犬がウロウロしていてネズミが普通にその辺にちょろちょろいる。

道を挟んだ目の前には大人気のカーリー寺院に人が押し寄せている。

(参拝するために行列ができるんだって)

 

混沌。

雑多。

猥雑。

 

そんな中に身を置いてみても『何も起こらない』ってところがすごい。

 

私は亮一さんの話しを聞いていて、インドという国の“寛容さ”を感じたのです。

『受け入れる』なんて言葉が重たいくらい、『受け入れる』よりももっとそれ以前の感じ。

“あるがままをそのままにしておく”大きさや凄みを感じたんだ。

 

「ゆっきぃにもぜひあれをみて欲しいと思ったよ。すごいよ。インド、すごい。」

 

亮一さんは淡々とした口調でこう言った。

「すごいんだよ!!!ほんと!すごいんだよ!!!」みたいに興奮していない。

どうやらジワジワと侵食しているんだろうな。

 

たまらんな。インド。

 

 

先日、そらさんが寮から帰宅してきてやっとそらさんといちゃいちゃできるぅー!と思っていたら、彼女は私の実家に泊まりに行ってしまった。

私の実家は母と兄家族が暮らしている。

母と私の兄と兄嫁と娘の美心(みこ)さん(8歳。そらさんほどじゃないけど可愛い)。

そらさんにとっては従妹に当たる美心さんとそらさんはとても仲が良い。

お誕生日も1か月違いで、生まれた時からしょっちゅう一緒にいる間柄だ。

 

私は土曜日のお昼頃にそらさんを車で送り、日曜日の夕方実家に迎えに行った。

 

私の家族はみんな仲が良い。

姉家族もずっと町田に住んでいて、すぐにみんなで集合する。

みんな町田界隈に住んでいてどこにも出ていこうとしないような家族だ。

(海外なんて行こうともしないんだよ。変なの。)

私の親や姉兄にとって、私はものすごく異端児で変人らしい。

ましてや結婚相手が亮一さんだ。

どうにも理解できない夫婦だそうで。

私は自分の家族のその閉塞的な部分と親密さがすごく窮屈で家出をした。(のだと気づいたのは最近だけれど。)

どうにも私のこの感じを伝えられなかったし、伝えたところで分かってくれるとも思っていなかったから。

過去の私は「私とはこういう人間なんだよーー!」と親姉兄に全力で見せるやり方が『家出』しかなかったのかもしれない。

お陰で「どうやらゆきえは私たちとは違う人種なのかもしれない。」という認識が生まれ、『理解不能な変人らしい』という評価を頂いたのだけれど、いつの間にか「結婚して子供を育てているんだからそうは言ってられないでしょ?」という思いに変換していったみたいだ。

 

結婚して子供ができても変わらない、いや、ますます変人っぷりに拍車がかかっている(ように見える)我が子とその夫。

母親はその困惑をたまに私に見せる。

 

そらさんを迎えに行ったその日、しばらくは談笑していた私たち。

(母と兄嫁と私。)

 

「それでりょーちゃんがインドでさぁ…」

 

私が亮一さんのあれこれを面白おかしく話していた時、母がこんなことを私に言った。

 

「ねぇ。りょーちゃんはどうしてインドに行ったの?なんで?どうしてインドなんかに行ったの?」

 

言い方にすでにトゲがある。

私はそんなトゲには引っかからないので、笑いながら、でも真剣に一応答えてみた。

 

「インドって予測がつかない国だからね。そういうところに身をおいて、自分がどうするか?とか日本では味わえないようなことを体験してみたいんじゃないのかなぁ。私も行ってみたいよ。」

 

実際はもうちょっと詳しく話したけれど、だいたいこんな感じの言い方をした私。

その話しを眉間にシワを寄せながら聞いていた母はいきなりテーブルに突っ伏した。

 

「わかんない!ほんっとにわかんないーー!なんで?なんでそんなことを体験したいの?お母さんにはわからないわよー」

 

私の母は少女みたいな面がある人だ。

母性も強いけれど、いつも父に守ってもらっていた箱入り娘のような面がある人だ。

毎日が平和で家族みんなが笑っていてくれればそれでいい。と思っているし、波風が立つことを本気で嫌がる人だ。

相当な怖がりだしね。

 

「ねぇ。ゆきえってほんとに変な子よねぇ?そう思うでしょ?」

 

一緒に話していた兄嫁に言う母。

 

「えー?まぁ変わってるよねぇ。あははは。でも楽しそうでいいじゃんねー」

 

兄嫁はとてもほがらかで、ちゃんと“違い”を認めてくれる女性なので笑って答えてくれる。

でも母はどうしても納得がいかないもんだからこう続けた。

 

「ほんとにどうしてこうなったんだろうねぇ。ほんとに私とお父さんの子かなぁってよく思うのよぉ。変な子ねぇ。ほんっとに変な子。お姉ちゃんもそう言ってたわよぉ」

 

そしてこともあろうかこんなことを言うのだ。

 

「そらのことが心配よぉ。どうなっていくんだろう?って。」

 

↑わりと酷くないですか?

 

私は母のその言葉を聞いて瞬時に…

 

 

 

大笑いをしました。

 

 

「あっははははは!そうだよねぇー!心配だよねー!わかるわかる!私も心配だもん!あはははは!」

 

 

私は家出をしている時に『親離れ』ができたんじゃないかと思っています。

(『親離れ』とは「親の人生と私の人生はまるで違うのだ」とちゃんと理解することだ思っています。)

そしてどんどん『家族』とか『親』という観念から解放されていきました。

『親』というのはただの観念。

『姉兄』だってそうだ。

 

そこには『母』という肩書を持ったただの1人の女性の人生が繰り広げられているだけだし、そこに何を観るのか?は私の問題。

そんな理解が深まれば深まるほど、「親だからって関係ねー」という思いが強くなっていたし、そうそうに『家族ドラマ』の舞台から降りたような気がしている。

舞台に上りたいときは上るし、観ていたいときは観るし、そこは私の自由だと思っている。

 

だからこそ母のあの態度と言葉を聞いても笑い飛ばせたのだけれど、その後驚愕の事実が判明することになった。

帰りの車中、私にモヤモヤが募る。

そして頭の中で「もっとああ言えばよかったのかなぁ…」や「あのいい方はないんじゃないの?」や「どうしてわかってくれないんだろう…」の言葉がぐるぐると巡るのだ。

 

挙句の果てにはそらさんに愚痴を言ったりして。

 

「ねー!ばぁばがね、ママのこと変な子って何回も言って、こんな子に育てられるそらが心配だ!なんて言うんだよぉ。だからママちょっとだけ悲しいんだよぉぉ。もー!」

 

44歳の女が8歳の子にいう言葉じゃねーな。

 

「え?ばぁばがママにそんなこと言ったの?いつ?そらちゃん聞いてなかったよ!大丈夫だよ。ママは変だけどそれがいいんだから。ね?そらちゃんはママが変わっちゃったら嫌だよ。大丈夫大丈夫。」

「ばぁばはひどいよ!今度そらちゃんがばぁばに言ってあげる!ママが悲しんでたよ。だからそんなひどいこと言わないでって。あと、そらちゃんは変なママが大好きなんだよって。

 

…うん…

あー…『変』は『変』なんだね…

うむ…

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なんだ?この可愛い生き物は?

 

 

私は全力で私を慰めるそらさんに「…ありがとう…がんばる…」と謎な返事をして気持ちをおさめようとした。

が、それからしばらくの間、もやもやが続いた。

 

もやもやしている自分を観る。

ジッと観る。

 

そこには「お母さんにわかってもらいたいのー!」と言っている自分がいた。

 

驚愕だ。

ショックだった。

なんということだ。

 

家族や親というものはこんなにも引力が強いのか?!!と驚愕だった。

 

でもすぐになんだか自分が可愛く思えたんだ。

「お母さんにわかってもらいたい!」と思っている自分って、なんといじらしいのだろう。と。

そして思ったんだ。

その思いをなんとかしようとするのはやめよう。と。

そのままにいておこうと思ったんだ。

慰めないし理解しようともしない。

観る、だけ。

 

そのままをあるがままにしておこう。と。

 

 

今、亮一さんからLINEでインドの凄まじい写真や動画がたくさん送られてきた。

すごい。

もうほんとにすごい。

わけがわからなすぎて、諦めるしかないような画像がたくさんだ。

『理解』なんてまったく不必要な言葉にしか思えない。

 

 

私が伝えたいことを書くね。

よく聞いてね。

 

今幸せではない原因を全て過去のせいにするのはやめようね。

親からの愛情不足?そりゃそういうこともあるだろうね。

でもあなたの今幸せじゃない原因はそこにはないよ。

過去を言い訳にするのはやめようね。

あるがままがただ起こっているだけなんだから。

トラウマ解消?

過去生を探る?

使命を知る?

そんなことどうだっていいじゃない。

そんなことより話さない?

これからどうやって生きていきたい?

あなたはどう在りたい?

今のあなたの状況は“たまたま”そうなっているだけだよ。

 

 

長い文章を最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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難しい話しをしますね。でもとても大切な話しなんです。

 

私は毎日1人の時間を存分に体験しています。

亮一さんは元気にインドのコルカタを体験しているようです。

毎日ビデオ通話やLINEでのやり取りをしているので、なんだかインドにいるなんて嘘みたいに感じるんだ。

ふと「今の時代はすごいなぁ!」なんてめちゃくちゃ年寄りみたいな言葉が出てきてしまうのだけれど、よくよく考えたら私は今44歳で、れっきとした『おばさん』の年齢なんだと再確認したりする。

(私はいつまでたっても自分のことを若造でただの子供だと思っているので。)

 

金曜日の夜にそらさん(娘8歳。平日は寮生活のかわいこちゃん。)が帰って来たのだけれど、昨日の夕方から私の実家に1人でお泊りに行ってしまったので結局昨日も私は1人の夜を過ごすことになった。

そらさんは「お泊りに行くならママは来ないでほしい。でもママが淋しいなら一緒に来てもいいんだよ。」と私に言った。

 

「ママが淋しいなら一緒に来てもいいんだよ。」って。おい。

 

挙句の果てには「ママ、1人で大丈夫?ほんとに来てもいいんだよ。」と、頭をなでなでしながら言いやがる始末だ。

おい。

 

私はそらさんに向かってこう答えた。

 

「いいよ!ママは1人で泣きながら過ごすからぁー( ノД`)シクシク…おーいおいおいおい!おーいいおいおいおいおいーー!!」

 

大げさな泣きマネをしながら。

ほんとは全然淋しくない。

なんならちょっと気楽に感じている。

 

「ママ。一緒に来たくなったらちゃんと言ってよ。我慢しなくていいんだよ。」

 

そらさんは私をどこまでも気遣う。

そらさんは全く淋しくないんだって。

あはは…

 

平日はずっと離れて暮らしていて、週末も離れてお泊り。

それなのに全く淋しくなさそうな我が子。

それどころか私が淋しがっていないか本気で心配する我が子。

 

これ、読んでてどう感じますか?

 

 

 

どうですか?

感じてみました?

 

 

私はこう感じています。

 

よかったなぁ。

そりゃあちょっとだけ淋しさはあるけれど、そらさんがこう在ってくれてよかったなぁ。

 

です。

 

 

離れていても大丈夫。

親がそばにいなくても大丈夫。

そんな感じなのでしょう。

 

ちょっと前にそらさんがこんなことを言っていました。

 

「助けて!っていえばいろんな人が助けてくれるよ。みんな優しいよ。そらちゃん自分でちゃんと言えるもん。だからパパとママが傍にいない時でもだいじょうぶなんだよ。そりゃ淋しい時もいっぱいあるけどね。でもだいじょうぶなんだよ。」

 

私はそらさんのその言葉を聞いて、この子はほんとにすごいなぁと思ったんだ。

ますますこの子を信頼していかなきゃなぁと自戒の念にかられたよね。

(すぐ過剰に心配しちゃったりするからね。とほほ。)

 

 

話しは変わって。

今朝私は自分のためだけゴハンを作りました。↓

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間引き大根を買っておいたので(90円くらいだったかな)、葉っぱを丁寧に炒めて小さな大根のほうは浅漬けに。

昆布と鰹節で出汁をとったなめこのお味噌汁には最後に海苔をかけて。

お茶は東城百合子先生のところで買った『山の晩茶』。(このお茶めちゃくちゃ美味いの!)

私はこの食事をめちゃくちゃ丁寧に味わった。

 

舌に感じる“これ”。

口の中で感じる“これ”。

脳内に響く咀嚼の音。

『美味しい』という単純な単語で片づけてしまいそうな感想を無理やり引っ込めて、

「『美味しい』なんていうもんか。」とムキになってみたりして。

 

大根の葉っぱの炒め物の味はどんなだろう。

『大根の葉っぱの炒め物』だなんて思わないで食べてみよう。

なめこのお味噌汁ってどんな味だろう。

なめこのお味噌汁』だなんて思わないで食べてみよう。

 

舌に感じる“これ”を全身で味わう。

 

「あーこれを“苦い”と名付けたのかもしれない。」

「あーこれを“しょっぱい”と名付けたのかもしれない。」

「あーこれを“甘い”と名付けたのかもしれない。」

 

そんなことを感じながら食べる。

 

私はよく『美味しい』ってなんだろう?と考えるのだけれど、本気で美味しいものって『あーー!美味しい!』ってすぐ反応するんだよね。

身体がね。

そして全身の満足感が得られる。

 

コンビニのものを食べることもたまにはあるのだけれど、その時は「あーうん。まぁ…ねぇ…」という反応だ。

そして不思議と満たされない。

私はいつも「プラッチックを食べているみたいだなぁ」と感じる。

(まぁでも食べるときは食べるけどね。)

 

これを読んでくれている人にはぜひ一度試してみてもらいたいのだけれど、自分がどれだけ『口だけ』で食べているかを知って欲しいなぁと思う。

自分がどれだけ『腹だけパンパンにしたい』で食べているかを知って欲しいなぁと思う。

 

人間の感覚ってほんとにすごくてさ、『味覚』って“口だけ”の問題じゃないんだよ。

『味覚』って全身で感じる感覚なんだよね。

 

で、結局のところ、私は私のためだけに作ったゴハンを味わってこんな感想を持ちました。

 

 

「あー美味しかった!」

 

 

あはは。

 

 

 

前に亮一さんが言っていた言葉をよく思い出す。

 

「俺はなかなか“竹”を観ることができないんだよ。」という言葉。

 

にわーし(庭師)のお仕事から帰って来た亮一さんとお話ししていて出てきた言葉だ。

その日は竹をたくさん切ったんだと言っていて、2人で『竹』のお話をしていた。

亮一さんは少しだけ肩を落としてこう言いました。

 

「今日は竹をたくさん見たんだけどさぁ。俺はなかなか“ちゃんと”『竹』を『観る』ことができないんだなぁと思ったんだよ。」

 

私はこの言葉がわかりすぎるくらいわかる。

『竹』を見るとき、どれだけ自分の中にある『竹』の概念なしに観られるか。

いつのまにか「竹とはこんな感じ」という思い込みで見ているのが私たちだ。

『竹は緑だ』と思いませんか?

そこをよく観るように意識化するんです。

 

「これはなんだろう?」

「ほんとに竹は緑か?」

「緑って何色だ?」

 

と。

 

難しい?

難しいよね。うん。

 

これをやるとね、私たちはどれだけ『思い込み』で生きているか?がわかるんだ。

 

『美味しい』ってどういうことだ?

『竹』は緑か?

『緑』ってどんな色だ?

 

言葉の前、名前以前、そこを感じてみる。

 

ぜひやってみて。

面白いから。

そこにはすんごく大切な“気づき”が隠れているから。

 

さて、そろそろそらさんを迎えに行ってこようかな。

「まだ帰りたくなーい!」とか言われんだろうなぁ。

とほほ。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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『淋しい』を感じている私の話しをちょっと聞いてくれる?

 

亮一さんが今朝無事にインドのコルカタに着いたようです。

インドに入る前、亮一さんはベトナムで一泊していたのだけれど、急なフライト変更があり、その変更メールに気付かなかった亮一さんは自分の乗るはずだった飛行機を逃してしまった。

旅の始まりから『THE・旅!』な出来事に遭遇していて、聞いているだけでワクワクした。

結局フライト変更が受け入れられ、無事にコルカタに着いたのだけれど、こういうことが起こると亮一さんの『生命力』がぐわっ!と出てくるからゾクゾクする。

(もちろん心配もするのだけれどね。)

 

さっき亮一さんとメッセンジャーのビデオ通話で少しだけお話しをした。

亮一さんはちょっと風邪気味で体調がすぐれない顔をしていたけれど、ニヤリと笑いながらこんなことを言っていた。

 

「インドね、最高だよ。もうね、最高。今まで行ったアジア諸国とは全然違うんだよ。

来るまでたくさんビビってたけど、もう全然!やっぱ来てみないとわかんねぇよなぁ。」

 

どうやらインドは最高らしい。笑

そして「やっぱ来てみないとわかんねぇよなぁ。」の言葉に私は「うんうん」と深く頷いたのでした。

(行く前にさんざんビビってたのはいつものことだからね。笑)

 

風邪気味なのが唯一の気がかり。

なるべく体調を整えてから思う存分冒険をしてもらいたいなぁ。

 

さて私の方はと言いますと。

私は私との約束を必死で守っている毎日です。

 

どんな約束をしたかというと、これ。

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亮一さんに教えてもらった淹れ方で、毎朝自分のために珈琲豆を挽いて淹れる。

これが私が私にした約束。

 

『私は私を大切に扱う』

 

約束はこれ↑なんだけれど、具体的な約束としては『自分の為だけに丁寧に珈琲を淹れる』こと。

 

私は随分長い間『私』を蔑ろにしてきたので『私』からの信用が薄い。

「どーせ約束したってすぐ破るでしょ!」といつも言われている。私から。

私は『私』の信用を取り戻したいので、自分とした約束はちゃんと守ろうと改心しているのです。たぶん真剣に改心し始めたのは6年くらい前からかな。

 

「今までたくさん約束を破ってごめんね。」

「今までちゃんと声を聞かなくてごめんね。」

「一番大切な人の声を聞かないで外側の声にばかり気をとられていたねぇ。

ほんとごめん。」

 

そんな言葉をよく繰り返している。

 

私が私とした約束を守れなくて、どうして生きていけようか。

私が私を大切にできなくて、どうして生きていけようか。

 

今朝も私はできるだけ意識的に、丁寧に珈琲を淹れた。

気を抜くとすぐに雑になる。

『自分のためだけに珈琲を淹れる』に慣れていないから。

私が私を雑に扱うことが当たり前の事だったから、なんだか居心地が悪いのだ。

 

 

昨日の夜、私は部屋に一人で座っていた時「淋しいなぁ…」と感じていた。

その「淋しいなぁ…」を私は逃さない。

「淋しいなぁ…」を全身で存分に味わう。

そして見つめる。

私は私が『淋しい』と名付けている“それ”がどんなものなのかが知りたいからだ。

 

私は私が『淋しい』と名付けている“それ”を全身で感じていると、あることに気付いた。

 

「あぁ…『淋しい』を感じられるってことは『淋しくない』を知っているからなんだよなぁ。」

 

と。

 

これ、当たり前のことを言っているって思います?

私はつくづく「すごいなぁ」と思ったんだ。

 

『淋しい』を感じることができるのは“淋しくない状態”が在ったからなんだよね。

 

私は『淋しい』も『淋しくない状態』も感じられる私ってなんてすごいんだろう!!と嬉しくなったんだ。

『淋しい』を感じているのに『嬉しい』って、ますますヤバいな。私。笑

(でも『淋しい』は嫌だと感じていたりもするよ。)

 

今夜も私はきっと淋しくて、そして嬉しいのでしょう。

明日の朝起きたら、私は私との約束を必死で守ろうとするのでしょう。

 

誰が何と言おうと、私は私を大切にするんだ。

私は私の思いに気付いていくんだ。

そして私からの信頼を得るんだ。

 

今日も私は私を冒険しています。

亮一さんを心から応援しながら。

そらさんに心からのエールを送りながら。

 

今日のあなたはどんな感じでしたか?

どうかあなたがあなたを大切にできていますように。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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亮一さんはインドへ、そらさんは山梨へ、そして私は横浜に。~藤山家 それぞれの冒険~

 

昨日の深夜、亮一さんがインドへ向けて出発いたしました。

 

22時過ぎ、私とそらさんは亮一さんを車で最寄り駅まで送りに行ったのだけれど、車に乗り込む直前になってそらさんが泣きだした。

「そらちゃん急に寂しくなってきちゃった…泣きそう…」と言い始め、クッションに突っ伏すそらさん。

私はその姿を見て、ずっと我慢していた涙が溢れた。

「う…わかる…だってママもだもん…」と言いながら、二人でポロポロと涙を流した。

亮一さんは私たちの姿を見ながら「大丈夫だよぉ…すぐ帰ってくるよぉ。ね?今泣いたらママが車で事故おこしちゃうよぉ…」と困ったように言っていた。

私はなんとかすぐに涙をおさめたのだけれど、そらさんの涙は止まらない。

ポロポロと大粒の涙を流しながら「だって、一か月半とか帰ってこないんでしょ?うえ…だってもっと長く帰って来ないかもしれないんでしょ?…うぇ…うえーーん!!」と言っていた。

車の中でも泣き続けるそらさんの隣で、亮一さんが一生懸命慰めているのが愛しかった。

 

駅に着いて、いってらっしゃいの抱擁をする私たち。

 

「ゆっきぃ。じゃあ行ってくるね。」

 

そう言う亮一さんに抱き着いてキスをする。

 

「うん。いってらっしゃい。楽しんできてね。できるだけ毎日連絡頂戴ね。いい旅を。」

 

私は泣きそうになるのをこらえながら、この言葉を言うのが精いっぱいだった。

 

「パパ…いってらっしゃい…うえ…」

 

大泣きのそらさんが亮一さんに抱き着いている。

一生懸命「いってらっしゃい」を言っている姿が健気だ。

そんなそらさんに私は「楽しんできてね!は?」と促した。

なんとなくそらさんにその言葉を口にして欲しかったからだ。

そらさんはしゃくりあげながら「たの、しんで、きてね、パパ、」と亮一さんを見上げて言った。

健気だ。

亮一さんは「うん。ありがとう。行ってくるね。」と優しい笑顔で言い、駅の階段を降りていってしまった。

 

「さあ。帰ろうか。帰って泣こう。」と私が言うと、そらさんは「うぅ…まだ、泣いて、いいの、?」と私に聞いてきた。

私は「もちろんいいよ!だってママはまだ泣き足りないもん!」と大きな声で言い、車を発進させた。

 

帰りの車でもそらさんは大粒の涙を流した。

私も泣きたかったけれど、車の運転があるからまだ泣けない。

こらえた私、偉い。

 

部屋の戻るとなんだかシーンとしているようだった。

さっきまで亮一さんが読んでいた本が無造作に置いてある。

明日からしばらく亮一さんはこの場所にいないのかと思うと途端にこらえていた涙が溢れてきた。

 

「え?あれ?なんか寂しいなぁー!」

 

こう口にした途端、私はわんわん泣いた。

そらさんが泣いている隣でわんわん泣いた。

そらさんもわんわん泣いた。

 

「寂しいよぉー!わーーん!」

「そらちゃんだって寂しいよぉー!わーーーん!!」

 

おいおいわんわん泣く私(44歳)とそらさん(娘8歳)。

まるでコントの様だ。

 

しばらく泣き続けた私たちは、いつしか涙が止まっていた。

そらさんは気分転換のために『おかしなガムボール』を観はじめ、私は今の様子をFacebookにあげた。

2人とも泣きはらした顔でなかなかひどい顔をしていた。

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そらさんはひどくないか。可愛いな。ひどい顔をしていたのは私だけでした。

 

さっきまでわんわん泣いていたとは思えないほど『おかしなガムボール』を見てケタケタ笑っているそらさんを見て、私も笑う。

淋しさは消えていないけれど、ケタケタと笑えるのだ。

人は淋しさが消えていなくても笑えるのだ。

 

前回亮一さんがアジア一人旅に行った時も感じたのだけれど、今回もまたさらに感じたことがある。

私は亮一さんと結婚するまではいつだって送り出される立場だった。

“送り出される”というよりか“勝手にどこかに行ってしまう”奴だった。

男性とお付き合いしていても、勝手に決めて勝手にどこかに行ってしまう。

親元からも勝手に飛び出して、勝手に決めて勝手にどんどんどこかへ行ってしまうやつだった。

必死に何かを模索していた私は随分傲慢であまり誰も、何も、顧みないやつだった。

でもいつだって待っていてくれる人がいて、いつだって私の毎日を心配してくれている人がいた。割とたくさん。

私はそれになかなか気づかない愚かなバカ者だったのだけれど。

 

私は亮一さんが旅に出ることで、そらさんが山梨の学校に行くことになって、やっと送り出す立場の人の気持ちを知ることができた。

そして旅立つ人も勇気が必要だし強いけれど、待っている人もまた勇気が必要で強さが必要なのだと知った。

私は私の弱さをとことん知りたいし、私の強さもとことん知りたい。

踏み出す強さと待つ強さ。

私はどちらも持ち合わせていたい。

いや、きっともともと持ち合わせているのだろうから知りたいのです。

 

私は今自分が味わっている淋しさも孤独感も見逃したくないし、待つことには勇気がいるということもとことん味わいたい。

そしてその中でどれだけ私は笑えるのかを知りたいのです。

 

旦那さんがインドに旅に行ったくらいでなにをギャーギャー騒いでるんだ、なんて言わないでね。

私にとっては大冒険。

インドを旅する亮一さんも大冒険だけれど、待っている私も大冒険なのです。

そらさんは毎日大冒険しているしね。

 

今日から平日はそれぞれの場所で大冒険をしている私たち家族。

インド、山梨、横浜で、それぞれの冒険をしている藤山家です。

 

さて。

私は何を思い、感じ、知っていくのだろう。

楽しみだな。

淋しいけどね。

楽しいよ。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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牛筋カレーと動画編集と自分の人生。

 

私は今牛筋カレーを作っている。

ものすごい良い牛筋が手に入ったからだ。

牛筋を小さく切り下茹でをして、「おぉー!この牛筋はアクが全然でねぇぇー!」と驚いたり、コトコト煮込んでいるお鍋の中にお玉を入れてゆっくりかき混ぜてみたり、スパイスは何を入れようかなぁとぼんやり考えたりしている。

その時、こんな言葉がふと浮かんだ。

 

人生のなかに『やらなきゃいけないこと』なんて一つもないんじゃないのかなぁ。

 

 

お鍋の中にお玉をいれてぐるぐると回しながら、次に浮かんだ言葉がこれだ。

 

そういえば『だって自分の人生なんだから』って、よく聞く言葉だよなぁ。

 

で、次の瞬間、私の頭の中に浮かんだ言葉がこれだ。

 

『自分』って何かがわかっていないのによく言うよなぁ。

 

だ。

 

私は牛筋カレーを真剣に作っているのに、こんな言葉がふと聞こえてくるのだ。

考えようとして考えたことでは、ない。

ふと浮かんだ言葉をキャッチしたような感じだ。

これはどこから来たのだろう。

牛筋カレーを無心で作っているつもりなのに、『自分ってものがなんだかわからないのによく言うよなぁ』なんて、身も蓋もないことをふと考えている私ってなんなのでしょうか。

 

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なんで私はこんな素敵な場所の近くに住むことになったのでしょうか。不思議だ。

 

 

もうすぐ亮一さんがインドへ旅立つ。

4日の深夜には日本を発ってしまう。

最近、亮一さんはよくこんなことを言っている。

 

「なんでこんなことになっちゃったんだろう!」

 

と。

 

私は亮一さんがこの言葉を言う姿を見るのが好きだ。

ものすごく面白くてゲラゲラ笑ってしまうのだけれど、どこかで深く頷いている。

 

「インドになんて行かなくてもいいのに!なんでインドに行くことになってしまったんだろう?!ほんとは行きたくないよ!」

 

自分でチケットを取って、自分でビザの申請をして、自分で宿の予約をしたのに

「なんでこんなことになっちゃったんだろう?!」と言っている亮一さんが好きだ。

私はゲラゲラ笑ってその姿を見るけれど、ものすごくわかる。

 

私は牛筋カレーをかき混ぜるけれど、どうして牛筋カレーを作っているのかわからない。

私はなんで今牛筋カレーをかき混ぜているのだろう。

 

 

私たち夫婦は夫婦ブログを始めているのだけれど、文章だけではなく、私たち夫婦の会話を動画で撮ってアップしていこう!なんて言い始めているし、先日初めて動画を上げてみたりしている。

今目の前で亮一さんが動画の編集をしているのだけれど、私は心の中でこう呟いている。

 

「なんで動画を撮ることになったのだろう?」

「なんでこの人は動画の編集をしているのだろう?」

 

と。

 

いつだって意味づけは後からだ。

気づくとやっているのだ。と最近よく思う。

頭の中はいつだってうるさいし、理由や言い訳で溢れている。

そこに耳を傾けてみるのももちろんいいのだけれど、

身体が動く方に任せてみようと思うことがよくあるのです。

 

起こることはどうしたって起こるのだ。

 

亮一さんは今動画編集をしていて、もうすぐインドに行ってしまう。

私は今牛筋カレーを煮込んでいて、もうすぐそらさんを迎えに行くのでしょう。

 

なんでこういう毎日を送っているのかなんてわからない。

起こっているのだ。これが。

 

だから観てみよう。

ジャッジなしに観てみよう。

 

起こることが起こっているのだから。

 

あ、今日は思いついたことをただ書いていっただけのブログですのでオチはありません。笑

今日はこれにて。

読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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愛する人がいるってとても厄介でめんどくさいことなんだね。

 

そらさんの秋休みが終わり、今朝元気に学校に行きました。

私は某駅まで送り、そらさんは「バイバーイ!行ってきまーす!」と手を振って特急電車に乗り込みました。

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見送る時、私はいつもニモのお父さんのマーリンのセリフを胸の中で呟く。(説明するまでもないと思うけど、映画ファインディング・ニモの話しね。)

映画の最後、「パパ、バイバーイ!」と言って学校へ行くニモの後姿を見ながら、「いっぱい冒険しておいで。」と見送るお父さんのマーリン。

私はこのシーンを見る度に毎度毎度アホみたいに涙を流す。

今これを書いていても涙が流れるくらいだ。

ファインディング・ニモを観ていない人は今日のブログはわかりづらいよー。)

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ファインディング・そらさんとインコ。泣ける。 

 

 

まだ亮一さんと結婚するちょっと前、私はながーーーい家出を終え(7年も家出してたの。ふふふ。)、実家に戻って父と母と兄夫婦と暮らしていた。

ある日私は昼間から暇そうにビールを飲んでいた父にファインディング・ニモのDVDを差し出し、「これ、観てみる?」と言ってみた。

釣りが大好きでなによりも海が大好きだった父は「ん?海の話しか?」と私に聞いて、「そうだよ。すっごく綺麗だよ。」と私が言うと「じゃ、観てみるか。」と笑顔で言った。

常日頃から「アニメなんかくだらねぇ」と言っている父が珍しく「観てみるか」と言ってくれたことが嬉しかったのを覚えている。

 

私はDVDを父に差し出してすぐに出かけてしまい、父に感想を聞いたのは次の日だった。

「どうだった?面白かった?」と私が聞くと、父はちょっと照れくさそうに「お父さん泣いちゃったよ。」と小さな声で言った。

私は父の意外な答えに驚き、「え?!泣いたの?!ほんと?!」と聞いた。

 

 

「いやぁ~…親と子の話しはダメだ。あれはダメだよ。親なんてそんなもんだぞ。」

 

父はビールの入ったグラスを持ちながら、自分の言葉に小さく頷きながらそう言った。

 

「ふぅん。そうなんだねぇ。親は大変だねぇー。笑」

 

私はわざと父にふざけた返事をした。

なんだか父の言葉を聞いて泣きそうになったからだ。

 

「そうだぞ!お前みたいな親不孝な子供を持つと大変なんだぞ!はははは!」

 

父は私がふざけたことに乗っかり、笑いながら「お前はぁ!心配ばかりかけて!」と優しい顔で言った。

 

当時結婚もしていなければ子どももいない私は、それでもマーリンの最後のセリフにいつも涙していた。

 

が。

が!なのだ。

 

未だに同じシーンで私はアホみたいに涙を流すけれど、まったく質が違うのだ。

 

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見ながら呟いてしまうセリフ。

「いっぱい冒険しておいで」と胸の中で呟くときの心境。

そこに含まれる覚悟。

何もしてあげることができない悲しみと辛さ。

苦しいことがあった時にかわってあげることができない切なさ。

ずっと一緒にくっついて守っていくことが不可能だという事実。

(『それじゃあハーポ君だって楽しくない。』っていうドリーのセリフが染みる。

『ハーポ君』って!!といつも突っ込みをいれるけれど。笑)

 

私は歳を重ね、経験を重ね、そんなことを知ることができた。

そしてそこに父の思いを想像することができるようになった。

父はもう亡くなってしまったので父の心境を直接聞くことはできないけれど、「お父さんも私に対してこんな感じだったのかな」と想像することができるようになった。

 

 

もうすぐ亮一さんがインドに旅立つ。

初めてのインドだ。

彼がずっと「行ってみたいんだよねぇ」「行かなきゃいけない気がするんだよねぇ」と言っていた場所に行く。

彼の中でいろんな葛藤や不安や恐怖心が湧き上がっては消えているみたいだけれど、私はそれを聞くことしかできない。

しかも彼が『話してくれた時』だけしか『聞くこと』はできないのだ。

当たり前なのだけれど。

 

前回亮一さんがアジア一人旅に4週間ほど行っていた時はそらさんはまだ幼稚園に通っていた。

なので夕方には毎日そらさんが帰ってくる。

夜はそらさんと2人、そして下の階には同居している義母。

そんな生活だった。

でも今回は違うのです。

平日そらさんは学校&寮生活。

義母は下の階にいるけれど、ほとんど一人で過ごすようなものなのです。

 

朝起きるのも一人。

夜寝るのも一人。

朝の珈琲を淹れてくれる亮一さんがいない。

夕飯を一緒に食べる亮一さんがいない。

「おやすみ」を言う亮一さんがいない。

「おはよう」を言う亮一さんがいない。

 

珍しく、不安と寂しさで押しつぶされそうだ。

でも私は言いたいのです。

 

「たくさん冒険してきて」と。

 

 

昨日そらさんの寝顔を見ていて、そして亮一さんの寝息を聞いていて、つくづく感じたことがある。

 

愛する人ができるって、とっても厄介でめんどくさいことなんだなぁ。

大好きな人ができるのって、たくさんの『不安』や『恐怖心』を引き受けることなんだなぁ。

 

と。

 

私には今大好きな人がたくさんいます。

愛する人もたくさんいます。

それはとっても厄介でめんどくさいことなのだけれど、真正面から引き受け続けていきたい。

私が私を引き受け続けていくように。

 

私は今日も祈ります。

 

「どうかあの人が今日も楽しく幸せでありますように。」と。

「どうかあの人があの人の人生を思う存分生きられますように。」と。

 

私にできることなんてほんとにこれくらいのことしかない。

だから心から『祈る』。

 

私が好きな立花大敬先生がこんなことを書いていました。

 

『祈り』は『意、述り』。

『意』を『述べる』のが『祈り』だ。

 

私は私の『意』を『述べる』。

 

『祈り』なんて効果がない!と言う人もいるけれど、きっとそんなことを言っている人も祈るのでしょう。

心の中で大切な人を思い浮かべながら。

 

どうかあの人が今日も思う存分あの人で在りますように。

どうかあの人が今日もあの人の人生をどっしり生きられますように。

 

今日もあなたがあなたで在れますように。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

夫婦ブログで動画の投稿なんかしてみたりして。

私たち夫婦が話しているところが観られますよ。

え?

観たくない?

そんなこと言わずにぃ~

ぜひぃ~↓↓↓

note.mu

 

 

 

 

 

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