藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

夏休みが終わってしまったことと宿題についてと叱らぬ教育について。

そらさんの夏休みが終わってしまった。

今年の夏休みは本当に楽しくて(私がね。)、終わってしまうのが寂しくて仕方がなかった。

お友達も一緒にキャンプに3回も行けたし、そらさんと2人でプールにも行ったし、家族3人でお祭りや綺麗な海にも行かれたんだ。

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キャンプの朝。亮一さんが大人気の図。

 

 

「そらちゃん…学校が始まるとき、もしかしたら泣いちゃうかもなぁ…」と上目遣いで言っていたそらさんは、昨日学校についた途端大興奮で友達とワーワー楽しそうにどこかへ行ってしまった。

そんなそらさんを見て寂しい気持ちもあったけれど、亮一さんの「いいことだよ。勝手に楽しんでくれたらいいね。」という言葉にグッときて、ほんとにそうだなぁと思った。

 

『勝手に楽しんでくれたらいいね』って、なんて素敵な言葉なんだろう。

それは『あなたの人生はあなたのものなのだから、勝手に楽しんでほしい』という意味だと感じて、一人胸の中で「おぉ…」と感動してしまった。

その言葉を口にできる亮一さんを「ふふふ。やっぱり好き。」と思ってしまう私は相変わらずの嫁バカだ。

 

そらさんの行っている南アルプス子どもの村学校には宿題というものがない。

テストもない。

なんなら成績表すらない。(それっぽいものはあるんだけどね。)

なので私は『我が子の夏休みの宿題問題』に遭遇したことがない。

『日々の宿題やらせるかやらせないか問題』にも遭遇したことがない。

これは私にとってはとてもラッキーなことで、私はきっと「宿題やりなさーい!」なんてことが言えないヤツだから大変助かっている。

 

そらさんの夏休み中、近所の仲良しの子たちとその子たちのパパさんママさんたちとバーベキューをやる機会があった。

その近所の仲良しの子たちはみんな、すぐ近くの公立の小学校に行っている。

当然夏休みの宿題が出ているので、私はママさんたちに宿題事情を聞いてみた。

 

「ねー、夏休みの宿題ってちゃんとやってるの?どんな宿題が出るの?たくさんあるの?」

 

小学校2年生の宿題がどんなもんなのか、まるで見当がつかない私はここぞとばかりに質問をする。

 

「もうほとんど終わってるよー。あとは研究だけだなー。」

「あー家も家もー!自由研究どうしよう。」

「家はあとドリルがほんの少しだけだよね?自由研究は『スライム』を作ったよ。材料揃えてさあ。YOUTUBEで作り方観てさー。」

「もー毎年自由研究困らない?もう適当だよー。」

「親の負担半端ないよねー。」

「毎日日記とか書かせるの大変だよー。」

「あーあとさー…」

 

私が一言話を振っただけで宿題の話が出てくる出てくる…

 

特に私が疑問に感じたのは『自由研究』について。

よーく話を聞いていると『夏休みの自由研究の本』というのがあるらしく、『自由研究のネタ』や『やり方』なんかが書いてあるそうで。

 

「もーその本の通りにやって提出するだけだよー。しかも去年はパパがほとんど仕上げたしね。今年もその本から選んで適当にやるわー。」

「あー家もそうしよう。ていうか早く決めないと材料そろえられないじゃん!」

 

2人のママさんが焦った様子でそんな話を繰り広げる。

私はその話しを聞きながら、首をぐにゅりとひねっていた。

 

…それ…

 

ぜんぜん自由研究ちゃうやんっ!!

 

私は心の中で「自由って?!!自由っていったい何?!!研究ってそういうもんなのぉぉぉぉーー?!!『自由』な『研究』っていったいなんなんだぁぁぁぁーーー!!」

と静かに叫んでおりました。(←相変わらず暑苦しい。)

 

「あのさ…」

 

私の心の叫びを口にすることははばかれる雰囲気だったので、こんな質問をなげてみた。

 

「…そのー…自由研究ってやっぱりそうやって親が決めないと進まないものなの…かな?親の負担でかくない?それって何年生くらいまで親が率先して提案していくものなの?」

 

もっと疑問に思っていることはたくさんあるのだけれど、私ができる質問はこれが限界だ。

さて、ママさんたちはどう答えるだろう。

 

「えー、だってさぁ2年生じゃまだ無理だよー。自分でなんて決められないでしょー。まだ来年…うーん…4年生くらいまで無理じゃない?もうこの自由研究が一番いやっ!!」

「そうだよねー!自分じゃまだ決められないよねぇ。ほんとめんどくさいっ!!」

 

うむむむ…

うーむ…

子ども夏休みの宿題は親への負担がほんとにでかいのだな…

なんだか色々考えさせられたよ。

 

私は早く夏休みの宿題なんてなくなってしまえばいいのに!と思っているのだけれど、(宿題なんてなくなったらいいのに!と思っている。)

なくしたらなくしたで不安に感じる親御さんもいるのかなぁ。

『夏休み』なのに宿題があったら休めないじゃんねぇ。

というか、宿題なんてなくしてめいっぱい遊べばいいのになぁ。

少なくともちっとも自由じゃない、親がワーワー言ってるだけ(のように見える)『自由研究』なんてまるで意味がない気がするのだけれど。

 

そんな出来事があり、私は『子どもの宿題問題』についてけっこう考えていた。

もしそらさんに宿題があったら私はどうしていたかなぁと。

そんな話を亮一さんとあーだこーだ話したんだけれど、亮一さんの話しの締めくくりがやっぱり素敵すぎたのでここに書いておこう。

 

「もし宿題があったら、きっとそらの反応や周りの反応をみていろんなことを考えるんだろうけどさ…

結局のところ宿題をやろうがやるまいが、どっちにしたって全く大したことじゃないっていうことだけはちゃんとベースに持っておきたいよね。」

 

うひょぉぉお!

ナイスっ!!

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生後7ヶ月の時に表紙になった『ひよこクラブ』を持たされて自慢のために私に無理やり写真を撮られるそらさん。この子ね!『ひよこクラブ』の表紙になったのよっ!!

2000人くらいの中から選ばれたんだって!!すごくないですかっ?!!(←自慢がうるさい。)

 

 

そらさんの新学期の準備をしているときに、学校が刊行している『子どもの村通信』という新聞?のようなものが出てきて改めて目を通してみた。

子どもの村学校を創った堀さんが書いた記事に目がとまる。

そこにはこんなことが書いてあった。

 

『叱らぬ教育(あえて今一度)』

問題は、叱ることが良いか悪いかではない。

叱らずにいられる人と、叱らずにいられぬ人との相違である。

 

私はこの言葉を見て「おぉ…」と声をもらした。

子どもの村学校は『世界一自由な学校』と呼ばれたサマーヒルスクールの創始者であるニイル̪氏の『自由教育』の思想に基づいて創られている(らしいです。よく知らないのですけど…)。

堀さんはニイル氏の言葉を引用しながらこんなことを綴っていた。

 

子どもの悪いところばかり目につくのはなぜだろう。この疑問を解く鍵はニイルのことばに見つかる。

 

「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は内心で自分自身とたたかっている。その結果として外界とたたかう。」

 

 

つまり無意識の深層で、本来もっている生命力と、生後に外界から与えられて内面化した超自我と葛藤している。

こういう子は、不安、緊張、自己否定感に悩んでいる。不幸なのだ。

そしてニイルの言葉は次のように続く。

 

「困った大人も同じ船に乗っている。」

 

 

『子どもの教育』という言葉をよく聞くけれど、子どもを通じて教育しなおされるべきはきっと『大人』のほうなんだとよく思う。

子どもの存在を通じて、いつの間にか縮こまらせてしまっていた『生命力』をもう一度放つべきは私たちのほうなんだと。

 

叱るというのは、いかに弁明しようとも相手を否定する行為だ。

しかも「大人は道徳的に正しい」という前提に立っている。

倫理規範の代理人を自任している。

しかしニイルのように子どもの自己決定の力を信じる人は、子ども自身による問題の認識と解決を大事にする。

もちろん子どもの困った行為に言及することはある。

しかし道徳の代弁者として叱るのではない。

「それは困る」や「ほかの子に迷惑がかかる」と気づいてもらう言い方である。

 

 

新学期に「学校に行きたくない」と思っている子がたくさんいるんだという話を聞いた。

この時期に子どもの自殺者が増えると。

 

子どもの宿題に口を出したくなるのはなぜだろう。

叱らずにいられないのはなぜだろう。

自分の考えを言わずに「それは悪いことだ!」と世間一般論で怒ってしまうのはなぜだろう。

これは大人がじっくり考えたほうがいいことだよなぁと思うのです。

 

 

叱らずにいられる人は幸福である。 byニイル

 

幸福で在りたいなぁ。

 

ではまた。

 

 

 

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私の思うことあれこれ。徒然。

 

夏は過ぎ去るのが早い。

毎年思うのだけれど、夏はどうしてこうも早く過ぎ去ってしまうのだろう。

私は毎年、夏が始まった!うわーい!と感じると同時に「はぁ…始まってしまった…」とため息をつく。

“始まる”と“終わる”からだ。

そしてその終わりが思ったよりも早く来てしまうことを知っているからだ。

 

数年前まで『初秋』という時期が憎らしくて仕方がなかった。

「初秋ってなんだよ!!ふざけんなよぉぉぉぉ!!私の夏を奪いやがってぇぇぇぇ!」と、誰にぶつけていいのかわからない怒りを空にむかってぶちまけていたくらいだ。

が、それも年のせいなのかなんなのか、数年前から『初秋』という時期も悪くないなぁと思えてきた。

いや、「初秋のやろうめぇー!」と悪口を言いながら、そんな悪口を言っている自分に「ふふ」と笑ってしまう時間を「悪くないな…」と思い始めたんだな。

 

摂食障害バリバリの時期の私は極度の寒がりで、体温もいつも低かった。

なので必然的に冬が大っ嫌いになった。

暗いし寂しいしなによりめっちゃくちゃ寒い。

たまに街中で寒さに力尽き、うずくまって「もう私ぜったい一歩も歩かないんだからっ!!!」と当時付き合いのあった男性達を何度も困らせたこともあった。

(ほんとにめんどくさい女だなぁ。)

 

そんな私が数年前から「うむ。冬も悪くないなぁ。」と思い始めた。

体温が高くなったし(平熱36度8分!!)、昔より寒がりじゃなくなったからっていうのは大きな理由だけれど、やっぱりこれも「冬は寒いし暗いし寂しいから嫌っ!!早く過ぎ去れっ!!」と悪態をついている自分を「ふふふ」と含み笑いで眺めながら「これも悪くないな…」と思えるようになったからだ。

 

 

先日友人家族とキャンプに行ったとき、私は夜も更けたキャンプ場でその友人に少しお酒に酔いながら、こんなことを一生懸命言っていた。

 

「私はね!全力でダラダラしてるのよぉ!もうね、人生をかけてダラダラしてるのっ!!命をかけて家の床で寝っ転がっているのよっ!!『もーどーにでもしてくれっ!!』という気持ちで必死にくだらないテレビを観るの!!」

 

「意味のあることなんて死んでもやってやるもんかっ!!って命をかけて寝っ転がるの!!わかる?これがどれだけ大変なことか?!」

 

「私はね、必死でゴロゴロしてるのよぉぉぉぉーー!!」

 

 

…おぉ…

我ながらなんという可愛らしさでせうか…

 

 

私はずーーーーーっと実験をしている。

きっと生まれてからずーーーっと実験をしているのだ。

仮説を立てて実験をして結果を知る。

また仮説を立てて実験をしてそして結果を知る。

私は私を使ってずーーっと実験をしているのだ。

 

“私”が何を思い、何を考え、どう行動して、そして何を感じるのか。

“私”がどんな言葉を使い、誰に何を伝えるのか。そして何を感じるのか。

 

昔私は『初秋』が憎らしかったけれど、その『初秋が憎らしい私』を「ふふ。かわいいな。」と思いはじめたらそれほど『初秋』が憎らしくなくなっていた。

いや、むしろ愛しいくらいになっていた。

 

あんなに『寒くて暗くて寂しい冬』を嫌悪していた私が『嫌悪している私』を「へえ。

嫌悪してるんだぁ。ふふふ。」と愛しく見つめはじめたら『嫌悪していること』を愛しく感じ始めた。

 

この実験対象は飽きることがない。

むしろ振り回されっぱなしで飽きる暇がない。

 

「もー!いい加減にしてっ!」と嫌気がさすことはあるけれど、離れることができないし、結局お付き合いをしてしまうのだ。

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この左に置いてあるものはどう見ても『長ねぎ(束)』ではないよなぁ…としばらく眺めてしまう自分がめんどくさくて愛しいなぁと思う44歳の夏です。

 

 

昨日我が娘そらさんがこんなことを私に言った。

 

「ねぇママ。ママはすごいよ。知ってる?ママはすごいんだよ。」

 

私はその時寝っ転がって、まるで生産性の無いLINEゲームをやっていた。

なので「へ?そうなの?」とゲームの手を止めずにすっとぼけた返事をした。

 

「そうだよ!だって今すっごい考えながらゲームをやってるんでしょ?それってすごいことじゃない?でさ、ゲームをクリアしちゃったりするんだよ!すごくない?それってすごいことじゃない?!そらちゃんにはクリアできないゲームをクリアしちゃったりするんだよ!なかなかできることじゃないよ!」

 

…褒め上手だ…

 

そらさんの褒め褒めはまだまだ続きます。

 

「あとさ、さっきハルと夏(家の激カワ猫2匹)がいたずらしてお部屋ちょっとぐちゃぐちゃにしたでしょ?それでも怒らなかったじゃん!それってすごいことだよ!そらちゃんだったら怒っちゃうかもしれないもん。ママは怒らなくて笑ってたでしょ?ママはすごいよ!すっごい優しいよ!なかなかできることじゃないよ!」

 

…おぉ…

…なんだか泣けてきたぞ…

 

私はそらさんの褒め褒めを聞いて、まんざらでもない気持ちになった。

そして褒め褒めをこの後も続けられて、『まんざらでもない』が『泣きそうになるほど嬉しい』に変わっていった。

 

 

そらさんをみていると不思議な気持ちになることが多々ある。

「そういえばさぁ…」という何気ない言葉を発するそらさんの姿を見て、「そういえばさぁ…」という言葉を、この子はどうやって覚えたんだろう?と真剣に考えてしまう。

 

ハサミを上手に使っているそらさんの姿を見て、ハサミを使うってすっごい難しいことなのに、いつの間にこの子はこんなにも出来るようになったんだろう?とまじまじと見つめてしまう。

 

ノートの隅っこに小さな可愛らしい絵を描いているそらさんの姿を見て、こんなに小さな絵を細かく書けるようになるなんてすごいなぁ。というか、どうしてこの隅っこにこんなに小さく書こうと思ったのだろう?とジッとその手を見てしまう。

 

おっぱいを口に含むことすらおぼつかなかった子が、げっぷも一人でできなかった子が、寝返りすらできなかった子が、どうやってこんなにも…と驚愕してしまう。

 

とある時、私はこんなことを思った。

 

あれ?…

私…だってそうだったんだよなぁ…

私だってそらさんと同じ赤ん坊だったんだよなぁ…

 

と。

 

何気なく包丁を使っている私の手を観察する。

トントントントン…とリズミカルに包丁を動かしている手を観察する。

 

…これ…マジですごいことだ…

 

私は私が包丁を使いこなしていることに驚愕する。

いつ?

いつ、こんな風に使えるようになった?

どうやって?

こんなに難しいことを!!

 

私は私が洗濯物を畳んでいる時の手や動きを観察する。

山のように積まれている洗濯物を次々畳んでいる自分をじっと観察する。

ほんの数分後には綺麗に畳まれて、収納しやすいようにお洋服やタオルが仕分けられている。

 

魔法?!!

これ、魔法なの?!!

私、これをいつ覚えたの?

いつこんな風に出来るようになった?

すごい!!

 

私は私が当たり前にやっていることに目をむけて、そしてそのすごさに驚いた。

 

掃除機使えるのってすごい!!

雑巾を固く絞れるってすっごい才能だ!!

箸を使ってご飯を食べる?凄すぎる!!

本を読む?!そんな高等なことをどうやって覚えた?!

パソコンで文章を綴る?!は?!天才じゃん!!

 

私は私を心から褒めた。

褒めちぎった。

いや、今も褒めちぎっているし、私以外の人もほんとにすごいと思うから褒めまくる。

 

そんなことをしていたら、昨日そらさんから実際に褒め褒め言葉を大量に頂いたのだ。

 

私は凄い。

そしてあなたもとっても凄いのだ。

 

何の問題もない。

あるとするならば、自分の凄さに気付かない、気付けないようにコントロールされてきたことくらいだ。

まぁ、それすらも問題じゃないのだけれど。

 

 

昨日亮一さんとあれこれ話していて、やっぱりこの人は素晴らしい人だなぁと感じた。

うまくここでは書けないけれど、亮一さんの『俺が俺に捕まってたまるか』みたいなところが大好きだ。

亮一さんは自分の考えをどこまで裏切れるか?を常にやっているような人だ。

(あ、これは私が感じていることですよ。亮一さんはそんなこと思ってないかもしれません。)

正直で純粋だ。

亮一さんにこれを見て取れると言うことは、もしかしたら私も『正直で純粋』なのかもしれない。とジワジワ感じている。

 

今年の夏は最高だ。

去年も最高だったけれど、今年はもっと最高だ。

そして初秋も最高だろうし、秋も冬も最高なんだと思う。

きっと最悪でも最高なんだろうな。

 

 

つれづれなブログを読んでくださってありがとうございます!

ではまた。

 

 

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今年も私のお誕生日がやってきました。

 

夏だ。

毎日が夏だ。

私は夏が大っ好きだ。

特に8月が大好きだ。

あっつくてイライラするのも、汗でデロデロになるのも、キッチンに立ちたくなくなるのもたまらなく好きだ。

今年は特に家がパワースポット化して1年が経ち、私の体調が天気にあまり左右されなくなったこともますます最高だ。(台風が上陸しなくても、どこかで発生しているだけで体調が悪くなってたんですよ。←めんどくさい女だなぁ。)

 

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一昨日のキャンプでの一コマ。

 

8月8日は私の息子、天太(てんた)さんの命日だった。

そして今年のお盆は父親の新盆。

天さんを無性に抱っこしたくなる衝動にかられる時もあるし、父親と無性に話したくなる衝動にかられる時もある。

私はその衝動を感じられることを幸せだと思う。

『あー天さん可愛かったなぁー!』と思う時、『あーお父さんに会いたいなぁ』と思う時、私はそう思っている自分が愛しい。

 

先日母親にあった時、母はこんなことを言っていた。

 

『楽しかったことしか思い出せないのよねぇ。』

 

父親が亡くなるまで自宅介護をしていた母はいつも文句を言っていた。

愚痴もたくさん言っていたし、いつもクタクタに疲れていた。

それなのに。

 

私は天さんが生きている時、たくさん文句を言っていた。

「もーやだよぉ。泣」「この生活がいつまで続くんだろう…?」「可愛いんだけどなぁ…。死んじゃうんだよなぁ…。」「ゆっくり眠りたいよぉー」

 

でも今。

天さんが可愛かったことばっかり思い出す。

笑った顔や泣き顔を思い出しては「ふふ」と笑う。

 

『あの時は大変だったけど、でもあれはあれで楽しかったなぁ。』

 

そんなことを思う。

幸せだ。

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スキンケアを一切しなくなってどれくらいが経つだろう。

今の私は化粧水も日焼け止めも一切塗っていない。

もちろん日焼けはバリバリするし、肌のきめが細かいか?って言われればノーだ。

でもすっごい快適だし、肌の調子はバリバリ良い。

 

白髪染めをしなくなってどれくらい経つだろう。

今の私は白髪バリバリの髪をバッサリ切って、嫌で嫌で仕方がなかった自分のくせ毛をバリバリさらけ出している。

シャンプーも石鹸シャンプーで、リンスは自作のクエン酸リンスだ。

ワックスもつけることがほとんどなくなり、毎日が快適で楽ちんだ。

 

先日この私の髪の色と髪型をべた褒めしてくれる人に出会った。

 

「わー!その色にしたいのよぉー!かっこいいー!その髪型も素敵ー!理想!それ理想!!」

 

その人は私の髪型と髪色を全貌の眼差しで見てそう言った。

私はその言葉に驚いて、そして大喜びした。

 

スキンケアもしないし、化粧も最小限の毎日。

髪は染めないし、髪型セットもほとんどしない。

私は私をとことんさらけだしている。

私はそこにものすごい恐怖を感じ、「こんなんでいいのか?!」と不安にかられる。

でも、そんな私を褒めてくれる人がいる。

亮一さんも褒めてくれる。

 

「うん。いいよ。ゆっきぃはそれが似合うよ。かっこいいよ。」

 

これでいいんだ…。

 

実際私の快適度はどんどん増している。

私は私の髪の色が好きだし、このもじゃもじゃのぐちゃぐちゃの髪型も割と好きだ。

シミが増えてきたこの顔もなかなか好きだし、なにより化粧や日焼け止めのことを気にせずに気軽に外出できるのも楽ちんで好きだ。

かといって化粧が嫌いなわけではないし、おしゃれをするのも好きだ。

 

私が求めていたのはこれだったんだ。

 

どっちでもいい。

 

これ。

 

化粧はしてもしなくても、いい。

スキンケアはしてもしなくても、いい。

おしゃれはしてもしなくても、いい。

白髪染めはしてもしなくても、いい。

人目を気にしてもしなくても、いい。

良い人ぶらなくてもぶっても、いい。

言いたいことを言っても言わなくても、いい。

 

 

 

今日は私のお誕生日だ。

今年のお誕生日は去年にも増して最高だ。

 

私が私でよかった。

誰にも変わってやるもんか。

 

スタイルが悪くても、歯並びが悪くても、文章センスがなくても、片づけや掃除が苦手でも、人付き合いがへたっぴでも、お金のやりくりができなくても、予定が立てられなくても、すぐダラダラしちゃっても…etc

 

私は私でよかったなぁ。

 

関わってくれているみなさん。

いつもありがとうございます。

44歳になった私とも、ぜひ関わってやってください。

 

ではまた。

 

 

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やらなきゃいけないことが出てきたよ。~摂食障害について書きたくなってきたんだ。~

 

ちょっと前からやってみたいことが脳裏をかすめている。

やってみたいことというか、あーこれはやらなきゃなー的な感じかな。

 

ソープ嬢だったころのことをブログで書いている時も「これはどうしてもやらなきゃなー」な感じが満載だったのだけれど、今回のもそれに似ている。

 

 

私はかなり重度の摂食障害だったのだけれど、10数年前からその症状が一切出なくなった。

 

病院にも行かず、誰にも相談せず、じょじょに症状が軽くなって、そして症状が一切でなくった。

摂食障害の症状が出ていたのは、期間にして16,7年。

私は摂食障害という病気にかなり翻弄されました。

 

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こんな食事を楽しめる日が来るなんて思ってもみなかったよ。

 

症状が出なくなって、たまに「なんで治ったのかなぁー」と考えることはあったし、「たぶんこれが治った理由だなー」なんてこともうっすらと気付いている。

でもほんとにうっすらなんだよね。

 

で、最近本気で「どうして症状が出なくなったんだろう?」と考えるようになりました。

ちゃんと掘り下げてみようと思い始めたんですね。

 

私が摂食障害で苦しんでいた時代は今ほどインターネットも普及していなかったから(私が疎かっただけなんだけど)、こんなめちゃくちゃな毎日をおくっているのは世界に私だけだと思っていた。

情報を得る手段も少なかったし、得ようとも思えなかったんだ。

だってこんなぐっちゃぐちゃなことしてるの本気で世界で私だけだと思っていたから。

それにこんな醜いことをしているのがバレてしまったら大変なことになると思っていたから。

そんな私が摂食障害の苦しみやリアルを自叙伝で書いた。

そしたらさ、私も摂食障害で…とか、私も実は…なんて人たちからメッセージを頂いたんだ。

なんか嬉しくてさ。

 

だから、もっと私の体験を私の言葉で綴ったら、もしかしたら楽になる人もいるかもしれない。

そんなことを思い始めたのです。

 

それになにより、過去の自分に捧げたい。

あの時孤独の中でもがいていた私。

1人っきりの部屋で苦しんでいた私。

誰にも「助けて」と言えず、なんとか1人でどうにかしようとしていた私。

 

「よくがんばったねーーーーー!!!!えらい!!!」と心から言ってあげたい。

 

何がどうなって、今の私になったのか。

ちゃんと掘り下げてみたい。

その衝動が強くなってきたのです。

 

(自叙伝の第二章が途中で止まってるのはお気づきですか?(;'∀')

すません。(;'∀')

なんか違和感があってね。

まだなんだよなぁ~…の想いがあってね。

あの形じゃないんだよなぁ~…と思っていてね。

もし続きを楽しみにしている方がいたらほんとにすいません。)

 

 

でね、摂食障害のことを調べてみたら、とある記事にこんなことが書いてあったんだ。

 

 

摂食障害は「中枢性摂食異常症」として「難病」に登録されています。
「難病」である摂食障害を放置すれば、将来仕事や家事、育児ができなくなる恐れがあります。

 

 

 

ちょっと!!!

摂食障害って難病に指定されてるんだって!!!!!

 

完治させるのがめっちゃくちゃ難しい病気だってさ!!!

 

今まで知らなかったんだよね。

そりゃ難しいよねぇとは思っていたけれど、難病指定されてるなんて知らなかったよ。

私、難病を克服?したんだねぇ。

 

(今摂食障害の症状が出ている方がもし読んでいたら聞いて!!

あなた、難病にかかってるんだって!!

だからさ、すぐに治まらないのは当たり前だよ!

ガマンが足りないとかじゃないんだよ!

症状が出ているだけだよー!)

 

 

これを知って、尚更知りたくなったんだ。

なんで私の症状が出なくなったのか。

ちゃんと文章化したくなったんだ。

 

さて。

どう書くかな。

たくさん考えよう。

 

なにかよきアドバイスあったら教えてください。

書きたいんだよ。

私、書きたいの。

書かなきゃなのよ。

 

どうすっかなー。

 

 

ではまたー。

 

 

 

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“そもそも”を何度でも考えてみようじゃないか。

夏休みです。

そらさん(娘8歳。激かわ。)は毎日毎日楽しそうに過ごしております。

 

夏休みが始まってすぐ、私たち家族はそらさんの学校のお友達家族と一泊で山梨県でお泊りをいたしました。

私たち夫婦が台湾旅にいる間、そらさんを預かってくれたご家族です。

LINEでのやりとり、学校行事でほんの少しだけ会ったことがある、まだそんな程度のお付き合いのご家族。

 

私は基本的にお友達が少ない女なので、こういう機会があるととても嬉しい。

たくさんお話がしたいし、いろんなことを聞きたいと思ってしまう。

ましてやそらさんと同じ学校に行かせている親御さんがどんな感覚なのか、どんな思いであの学校に入れたのかにとても興味があるのです。

(そらさんの学校はここですよー。→南アルプス子どもの村

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向こうから走ってくる鬼かわいいそらさん。

 

夜はみんなでバーベキューをして、お酒を飲みました。

どんなお仕事をしているのか、ご夫婦のなれそめ、好きなドラマの話し、若かりし日のこと、etc…

一緒に時を過ごしていると、とても気さくで華やかで、そしてとても親切な温かいご家族だということがわかった。

でも、なんとなくまだ表面的なお話ししかできていないなぁという印象が否めなくて、私はもっと仲良くなりたくなっていた。

 

次の日。

私たちは子供たちが楽しめる場所を求めて、山梨県のあちこちを遊びまわりました。

そしてその場所場所でぽつぽつとまたお話しをした。

 

旅の終わりのころ。

お友達のママが学校のことを話し始めました。

 

「基本的にすごく良い学校だとは思っているんだ。下の子たちも行かせると思うし。」(そのママさんは3人の子をもつママさんです。すげー!)

 

多少引きつった笑顔で話すお友達ママ。

 

「でもね…」

 

ママさんはなるべく悪口みたいにならないように、言葉に気をつけているのがわかる言い方で話しを続けました。

 

「中学校は行かせるか微妙なんだよねぇ。」

 

そらさんが行っている学校は同じ敷地内に中学校もあります。

いまのところそらさんはその中学校に行く!と言っています。

私はそのことに関してさして疑問に思った事もないし、不安を感じた事もありません。

(学費払っていけるのか?!の不安は感じることがあるけれど^^;)

というか、私がなぁーんにも考えていないから、疑問もわかないし不安も感じないんだよね。汗

 

お友達ママさんはその後、いろんな言葉を口にしました。

私はそのママの口から出てくる言葉にただただ驚き、そして感心するばかりでした。

 

「まだ子供だもん。そりゃ自由にのびのびは良いと思うし、それを望んで入ってもらったんだけれど、でも大人がサポートしなければならないところだってたくさんあると思うんだ。高校受験とかどうなってるのか情報が少なすぎると思うんだよね。

願書の期限とか、子供がちょっとボケーっとしてたらアウトでしょ?!

進路指導はしないっていうじゃない?どこまでしないのか、だったらどこまで親がサポートしていいのか…。

もしそらちゃんが『医者になりたい!』って言ったとするじゃん。そうしたらもう高校受験からどうにかしないとなりたいものにもなれないよね?

そこのサポートをしていくのが親の役割だと思うんだけど、あまり口出してもいけないみたいなこと言われてるし…。

学校側もどう考えているのかはっきり言わないし、子供も学校のこと聞いてもあんまり教えてくれないし、よくわからないんだよね。

そういうの先輩ママさんとか先輩パパさんとか卒業生とかどうしてるのか聞いてみたいんだよねぇ。そういう情報が少なすぎるんだよなぁ。」

 

子どもの将来のことを真剣に考えているだろうことが伺える言葉が並びます。

私はお友達ママさんの言葉を聞きながら「おー。」とか「なるほどー。」とか「そんなこと考えるんだー。」とかいろんなことを思う。

私がいかに何も考えていないかがわかった時間でした。

 

そらさんが通っている学校は高校はありません。

いや、あるんだけど和歌山に一校だけ『高専』があるだけです。

なのでほとんどの子が『高校受験』をするのでしょう。

ただ、小学校に入るときに私たち夫婦はこんなことを言われました。

 

「中学生になってもこちらから進路指導をすることはありません。それを了承してくださいますか?」

(この言葉にはいろーーん意味が含まれています。この学校の大人(先生がた)はほんっとに真剣に子供たちのことを考えてくれています。無責任に言ってるわけではないのです。ほんとよ。すっごく信頼しています。念のため。)

 

と。

 

私はその言葉を聞いて「はい。全然いーです!」と答えました。

なんなら中卒でもいいじゃん!と思っているからです。

これは無責任な言葉なのかどうかは今の私にはわかりません。

そらさんの人生はそらさんが決めればいいと思っているので、私はそらさんがそれでいいなら別にいいじゃん!と思っています。

 

でも、お友達ママの口から出てくる言葉を聞いて、ちょっとだけ揺れ動いている自分が居ることにも気付きました。

 

「まだ子どもだし、ボケーっとしている部分もある。」

 

た、確かに…汗

今のそらさんを見ているとかなりボケーっとしている…

願書…

締め切り…

申請…

うぅ…

確かに…

 

「高校でつまずいたら終わり!っていう職業だってあるでしょ?!」

 

…そ、そうなのか…

…そう…かもしれない…

 

私はそのお友達ママさんの言葉でいろんなことを考えました。

そらさんがガッカリしている姿はやっぱりみたくないし、なるべくなら毎日楽しく、そしてなりたいようになっていって欲しい。

そう感じている自分がいることを知りました。(当たり前の想いなんだろうね。)

そして、そのママさんが言うように子どものサポートしていくのが“親の役割”なんだろうなぁと思っている自分。

そんなことを全然考えていなかったことを責めている自分。

どこまでいっても自分の事で精一杯なことをダメだと感じている自分。

いつまでも『しっかり出来ない私』にバツをつけようとしている自分。

こんな母親でそらさんがかわいそうだと感じている自分。

もっと危機感をもたないとそらさんの将来がめちゃくちゃになってしまうんじゃないかと不安にかられている自分。

 

そんな自分に再び出会いました。

 

とても居心地が悪い。

ソワソワとする。

目がキョロキョロする。

どうしたら大丈夫になるだろうか?と周りを見回す。

いつでも警戒している。

ちょっとでも計画通りではないことが起こったら一気に不安に押しつぶされる。

 

そんな感覚に陥ったのです。

 

あれ?

あれあれあれ?

 

これ…

幸せか?

 

ふと我に返る。

とてつもない違和感に気付く。

 

『不安に陥る』ってこんなに居心地が悪いことだったのかっ!!!と驚愕する。

 

お友達ママさんは本気で我が子のことを考えていると思う。

どうしたら一番いいのか?を真剣に考えているんだと思う。

それは、そうなのです。

そこにたいして何かを言いたいわけではないし、よくそんなことまで考えられるなー!と心から感心するし、わかんないことがあったら聞こう!しっかり者だな!!とものすごく頼りにしている。

 

子供の将来を憂う気持ちがあるのは当然だ。

そりゃ笑っていてほしい。

 

でも、そこで私は立ち返る。

 

“そもそも”求めているものはなんだろう?と。

進路を心配するのは“そもそも”なんでだろう?

将来を憂うのは“そもそも”なんでだろう?

“そもそも”どうなって欲しいと思っているのだろう?と。

そしてなぜそう思うのだろう?

“誰が”そう思っているのだろう?

 

子どもの幸せを願わない親はいないと思う。(多分ね)

『この子が幸せでありますように』といつだって願うものだと思う。

でも、そこで立ち止まる癖をつけていきたい。

 

“そもそも”『幸せ』ってなんだっけ?と。

 

いつだってここに真剣でいたい。

私はすぐに『深刻』になってしまう要素を持っているからそこは気をつけて。

『深刻』ではなく『真剣』に。

 

あれ?

“そもそも”私ってなんだっけ?と。

 

私にできることなんて毎日をなるべくご機嫌で過ごすことくらいだ。

何があっても一緒に笑っちゃおうぜ!と言えるようにしておくことくらいだ。

どうせ先のことなんて私には考えられないのだから。

計画的じゃない親ですまん。とそらさんに素直に謝ってしまおう。

 

“そもそも”と立ち止まる。

そうするとさ、いままで見たこともなかった彩(イロドリ)が見えてくるものなんだよね。

よかったらやってみてください。

先のことは考えられなくなるかも?!だけどね。笑

 

 

 

読んで下さってありがとうございます!

ではまた。

 

 

 

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アンマの抱擁と私の哀しみと『じわじわ』の話し。

 

7月22日、月曜日。

私は朝早くからもぞもぞと動き出し、この場所に出向いた。

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インドの女性聖者、アンマに会いに行ったのです。

 

あれは多分2か月くらい前のことだったと思う。

私の夢の中にアンマとサラスワティー(弁財天さま)らしき人物が現れ、私をとても優しく抱きしめた。

そして「私のむすめ…」とそのお二人が耳元で囁くのだ。

アンマは泣いているような顔で。

サラスワティーは優しい慈悲深い笑顔で。

私はそのお二人に交互に抱きしめられ、最初は戸惑い、そしてその後とてつもない安心感に包まれたのだ。

 

目が覚めた時、夢があまりにもリアルすぎてお二人の姿を探してしまうほどにリアルな夢だった。

 

『抱擁の聖者アンマ』を知ったのはいつ頃だっただろう。

多分4,5年程前だと思う。

私はただ興味があっただけで、特に心を揺さぶられたわけではない。

「え?!聖者に抱きしめてもらえるの?!うわー!興味あるー!」くらいのものだ。

私は私が『インド聖者に抱きしめられる』という経験をしたらどんな感想を抱くのか?に興味があった。

だから「一度でいいから会ってみたいなぁー」くらいの感じだったのだ。

なので今年も「会いに行こっかなー」と言ってはいたものの、計画性のない私は特に調べるわけでもなく、きっと会いに行かないままアンマが来日する日程も知らないままに日々が過ぎ去っていくんだろうなぁと思っていたのです。

 

が、月曜日、私は気付いたらアンマに会うために整理券配布場所に並んでいた。

 

会場入り口でボランティアの女性に「生まれて初めてアンマに会いますか?」と聞かれた時(生まれて初めて…?)とちょっとその言葉にニヤリと笑いながら、「は、はい。生まれて初めてです。」と答えた私。

思ったよりも広い会場に驚き、そして開場前なのに人がたくさんいることに驚いた。

 

会場内の椅子に誘導され、無事に整理券を手に入れた私はその小さな券を手のひらに乗せてジッと見た。

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これね。

 

この小さな券が私を『生まれて初めて』の体験に導いてくれるのか…と思いながら。

 

 

11時前。

いよいよアンマが登場する時間がきた。

厳かな雰囲気を醸し出すようなアナウンスが会場内に流れる。

 

「間もなく…アンマがいらっしゃいます…まだ…お席にお着きでないない方は……」

 

私は椅子に座りながら、自分が何を感じているのかをジッと観察していた。

この会場の空気感。

身体の状態。

私の感情。

冷静に、ジッと観察していた。

 

さっきからちょっとだけ気付いていたんだけど、なんとなく気のせいにしていたことに改めて気付く。

私はこの会場に入った時からずっと天太のことを思いだしていた。

(天太さんは私の息子で5年前に1歳4か月で亡くなっています。18トリソミーという染色体異常で生まれた子です。)

日常、天太のことを思い出すことなんてほとんどない私が天太のことを次々と思い出し、そしてその過去の日々をリアルになぞらえていたのです。

私は『天太との日々を思い出すこと』を自分に赦し、そのままにしていた。

そこに浸るわけでもなく、悲劇のヒロインになるわけでもなく、そのまま思い出している自分を眺めていた。

そうしたら、不思議な言葉が私の脳裏に浮かんだのです。

 

『子どもを亡くすということは、哀しいことなのだ。』

『子どもを亡くすということは、“生み出したもの”として哀しいことなのだ。』

『これは人間の持つ、共通の感情だ。』

『人間が持つ、母親が持つ、湧きあがる感情なのだ。』

 

そんな言葉が次々と私の内部に聞こえてくる。

私はこの言葉を感じながら、「あぁ…私、哀しかったんだぁ…」とじわじわと味わったのです。

そして「あぁ…私は“生み出した者”だから、哀しくて当然なんだぁ…」とじっくり『全母親の想い』『全生み出した者の想い』を味わったのです。

 

人間は『哀しみ』を感じられるように細胞にプログラミングされているんだと思う。

あらゆる感情を感じられるようにプログラミングされているんだと思う。

だから、感じたくないっ!!と思ったって感じてしまうものなのだ。

それは言いかえればもしかしたら『神の恩寵』なのかもしれない。

『神』がなにかは知らないけれど。

 

「思う存分味わって。そしてそれを楽んで。」

 

そう言われているような。

 

アンマが登壇した後、会場全体で瞑想をした。

その瞑想がもんのすごく良くて、ますます“自分”という存在がよくわからなくなった。

(アンマが登壇した時はさほど感動もなく、「ふーん」という感じだったのにも驚いたんだけどね。)

 

 

瞑想が終わると、いよいよアンマの抱擁が始まる。

壇上がわさわさと動き出す。

ものすごい人数を抱擁しなければならないんだから、そりゃ大変だ。

きっとこれは夜までずっと抱擁が続くんだろう。

 

私はアンマの抱擁が始まってまた驚いていた。

1人1人の抱擁の時間が思っていたよりも長いのだ。

私の想像では“ちょっとしたハグ”のようなイメージだったのだけれど、実際は“ガチの抱擁”だったのだ。

ギュッと抱きしめ、時にはキスをし、そして耳元で何かをささやいている。

私はそのアンマの姿を舞台下からジッと見ていた。

 

最初はいいよね。最初はそりゃ時間かけるよね。

で?

いつ頃から抱擁の時間短くなる?

いつ頃から抱擁がおざなりになる?

 

そんな意地悪な思いを抱きながら。

 

が。

が!!

 

アンマはずーーーっと同じペースで、どの人にも変わらずに強く抱擁するのです。

優しく、そして力強く。(そう見えるのよ)

 

そして私の番がやってきた。

特にドキドキするわけでもなく、なんとなく淡々とアンマに目の前に膝立ちで座る。

アンマは私の身体をギュッと胸に抱きしめた。

私は顔を正面に向けたままアンマに抱きしめられたので、鼻がギュッと押しつぶされる。

私の鼻はそらさんからも亮一さんからも「矢印みたーい!笑」と言われるほど前に突き出している。(←不本意。ちくしょー。)

「あぁ…顔を横に向けておくべくだった…鼻がギュッとなって痛い…しまった…」

とごちゃごちゃ考えていた時、アンマが私の耳元でこう囁いた。

 

「私のむすめ…」

 

へ?

ニホンゴ?

ワタシノムスメッテイイマシタ?

 

とキョトンとしていると、すかさずアンマは「モーモーモーモーモーモー…」と謎の呪文を唱えながら私の身体を抱きしめながら小さく前後に揺らしたのです。

まるで赤ちゃんをあやしているかのように。

 

あっけに取られたまま抱擁が終わり、ボランティアの方に誘導され立ち上がる。

抱擁が終わった後、しばらくの間アンマの傍で座っていることが許されるのだけれど、私はそのまま壇上から降りようとしていた。

そんな私にボランティアの方が「こちらへどうぞ。」と声をかけた。

「え?いや…」と断ろうとすると、その方がアンマの真隣を指し、「そこにどうぞ。呼ばれているみたいですから…。」と言った。

「あぁ…じゃあ…笑」と苦笑いを浮かべ、私はその席に腰を下ろした。

 

呼ばれている…?

あぁ…そう言うと喜ぶ人がたくさんいるんだなぁ…。

 

私はアンマが他の人に抱擁している姿をチラッと見ながらそんなことを思い、なんとなく早々に席を辞した。

壇上からチラッと下を見て、人の多さに驚く。

そして私はこう思った。

 

「抱擁されたい人がこんなにもいるんだなぁ…抱擁を求めている人たちがこんなにもいるんだなぁ…」

 

と。

 

私はゆっくり舞台から降り、会場内にある飲食ブースでカレーを食べた。

そこにもたくさんの人たちがいて、カレーを食べたりチャイを飲んだりしている。

私は友達から教えてもらった一番奥のカレー屋さんでプレートを買い、空いている席に腰を下ろした。

私の目の前には一人で来ているらしい、上品そうなご婦人が座っている。

そして私の隣には5,6人のグループのおばさんたち。

目の前のご婦人は黙って美しくカレーを食べる。

おばさんグループはあまり上品とは言えない様子で政治のことを語り、カレーを食べ散らかす。

目の前のご婦人はカレーを食べ終わると、私にニコッと笑いかけながら「美味しかったわねぇ」と言い、「お先に失礼しますね」と可愛らしく挨拶をした。

 

隣のおばさんグループの話声を少し不快に感じながら、私はゆっくりとカレーを食べた。

するとそのグループからこんな声が聞こえてきた。

 

「世界平和の祈りが必要な時代がやってきましたねぇー。」

 

私は自分の耳を疑った。

そして目を見開いた。

 

吐き気がする。

だから嫌なんだ。

こういう場所はこれだから嫌なんだ。

 

私の中で嫌悪感がものすごいことになっている。

喉までこの言葉が出かかった。

 

「世界平和の前にお前は平和なのかっ?!!お前自身が平和そうにはみえないけどそれはどうなんだっ?!!」

 

私はこのモヤモヤした気持ちをグッと自分の中に収めて、「あぁ…こう感じるってことは私も平和ではないのね…」と切ない気持ちになった。

 

 

アンマにお会いしてみて、そして抱擁を受けてみて、私は自分がまったく感動していないことにびっくりしていた。

もっと気持ちが高揚するかと思っていたし、もっと泣いたりするもんだと思っていたから。

なんとなく「なんか不思議な感じだったなぁ…」という感想と、「ふーん…」くらいのものだった。

アンマが夢と同じセリフを言ったことに少し驚いたりはしたけれど、それも「ふーん…そうかぁ。」くらいのものだった。

 

が。

 

夜、お布団に入り、目を瞑るとそれは起こった。

私のハートの辺りがいつもと違うのだ。

気のせいにしようと思えばそう思える、くらいのものだけれど。

でも、違う。

ハートの辺りをじわじわと感じるのだ。

この『じわじわ』に当てはまる言葉を探そうとすると、これなのかもしれない。

 

 

慈悲。

 

 

ただの『じわじわ』だけれど、言葉にするとこれなのかもしれない。

 

私はこの『慈悲』と名付けた『じわじわ』をじっくりと感じながら目を瞑る。

いつしかその『じわじわ』が全身に広がり、私全体が『じわじわ』になった。

 

その『じわじわ』は今も私の全身に広がったままだ。

私は『じわじわ』に成ったのだ。

 

もしかしたらこれが『聖者のパワー』なのかもしれない。

アンマのすごさ、なのかもしれない。

『ものすごい感動』ではなく、じっくりとゆっくりと浸透していくパワーなのかもしれない。

 

私は『慈悲』というものがまだわからないし、この体験をしたからってどうなの?って感じだけれど、ますますこの思いが強くなっている。

 

いつでも気付いていたい。

いつでも気付いている存在で在りたい。

 

と。

 

この『じわじわ』がいつまで続くかわからないけれど、忘れてしまったら“忘れてしまったことに気付いて”思い出せばいいんだよね。

執着せず、掴もうとせず、握りしめようとせず、ただ通り過ぎて行く風景を眺めている視点を持っていたいなぁ。

 

そんなことを思った体験でした。

面白かったよ。

 

さて。

今日はそらさんとプールにでも行ってきますかー。

夏休みだねぇ。

 

読んでくれてありがとう。

ではまた。

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お友達のために祈るそら先生。美しいなぁ。

そらさんと私のあれこれ。②~私とそらさんの会話(痩せることと小顔になることについて)~

火曜日の朝。

私はそらさんをとある駅まで送りに行きました。

そのとある駅からそらさんは特急列車に乗って、学校のある山梨県まで行くのです。

 

家からそのとある駅までの時間は約1時間30分弱。

私とそらさんはその時間、一緒に携帯のゲームをやったりおしゃべりをしたりして過ごしています。

普段の私は基本的にふざけているので、ずーーっとくだらないことを話してはケラケラと笑い転げています。(今この文字を打ったら『笑いこエロげています』となってびっくりした。←どうでもいい。)

そらさんも私と話している時は基本的にケラケラ笑い転げているのですが、たまーに「お、おう…」というような質問をしてきます。

私はその度に「お?…おおぅ…」と謎の声を心の中で出しながら、なるべく真剣に答えようと努めています。

 

この日もその「お?…おおぅ…うーむ…」の質問が突然やってきました。

 

 

「ねぇママ。哺乳瓶型になってるお茶とかジュースとか飲むやつ知ってる?」

 

その質問が出るまで、そらさんは私のおっぱいが小さいということをディスってふざけていたのですが(←藤山家あるあるの1つ。ぬふーーー!!!)、きっとそれ繋がりで思い出したのでしょう。

 

「え?哺乳瓶型のやつ?お茶とかジュースをそれで飲むの?大人が?」

「ん?うん。大人とか子供とか。流行ってるんだって。そらちゃんも欲しいんだ。」

 

私はそらさんがなぜそんなものを欲しがるのかわからず、「ふーん…」と少し聞き流そうとしました。

そんな私にそらさんはこんなことを言いました。

 

「なんかね、それで飲むと小顔になるらしいよ。ママはそういうの興味ある?ない?」

 

え?

え?

えーーー?!!!

小顔っ!!!

ほっぺたプニプニの8歳になりたてのあなたが?!!

小顔って言った??

 

 私は一瞬頭がパニックになりました。

なのでそらさんの質問を聞き逃していました。

 

「ママ?ママは興味ある?ない?」

 

はっ!!

私が?小顔に?興味があるか?ないか?

ていうかその前にあなたはどうなのよ?!

 

「小顔…?そらちゃんはどうなの?なりたいの?小顔に。」

 

あなた8歳よ。

あなたのほっぺは天然のぷにぷになのよ。

天然ものなのよ。

 

「うーん。なりたい…かなぁ。で、ママは?」

 

「え?なりたいの?なんで?そのままでめっっっちゃ可愛いのにっ?!!そのまんっまでめっっっちゃ可愛いのに?!!」

 

全力で訴える私。

私はそらさんに日に何度も何度も「ほんとにそらちゃんは可愛いなぁ。」としつこく言うので、こういう言葉にそらさんは慣れっこです。

 

「え?だって…IちゃんもYちゃんも『小顔になって可愛くなりたい』って言ってるし…」

 

ぬほーーー!!!

小学校2年生にしてこれですかっ!!

もうそんな感じなのねぇ…

 

「で?ママは?小顔とか興味ある?」

 

あ、あぁそうか。

これがそらさんからの質問でしたね。

私は心の中で「お?…おおぅ…」と呟きながら、こんな風に答えました。

 

「うーん…まぁ興味がないことはないけど、別にどっちでもいいかなぁ。綺麗になりたいとか綺麗でいたいとかの気持ちはまぁあるけどさぁ。あ!ママね、すごいことに気付いちゃったんだよ。」

 

私は私が気付いたことをそらさんに伝えたくて大袈裟にそう言いました。

「え?なになに?」と聞くそらさんに私はさも大発見をしたような言い方でこう伝えました。

 

 

「あのね…一日のほとんどの時間は自分の顔を見ていないんだよ。知ってた??」

 

「え?あー…確かに…」

 

そらさんはちょっと目を見開いて「確かに…」と言いました。

 

「鏡で見ることはあるけどさ、それ以外の時間ずーーーっと見てないでしょ?それに誰かと話している時はその人の顔を見てるでしょ?一日のほとんどの時間自分の顔を見ていないのに、小顔になりたくて頑張ってるのってどうなんだろうねぇ。」

 

そらさんは腕を組んで「うーん」と言いました。

そしてちょっと強い口調でこう反論してきました。

 

「でもさ、IちゃんもYちゃんも『痩せなきゃなぁ』とか『小顔になって可愛くならなきゃなぁ』とか言うんだよ。そうしないと男子に好かれないんだって。それに『ブス』とか言われることもあるし…。だからそらちゃんももう少し痩せたいなぁと思ってるんだよぉ。」

 

あぁ…

そうかぁ…

 

私は過去にさんざんそこに惑わされてきました。

『人からどう見られるか』

『可愛くなきゃ愛されないんじゃないか』

『痩せる=美しい』

『美しくなきゃ愛されない』

 

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あんたはそのままでじゅーーぶん可愛いんじゃボケーー!!

 

私はそらさんに自分と同じような過去を味合わせたくないと思ってしまう。

なのでこういう話しがでると、一瞬グッと身体が強張るのがわかるのです。

私はその強張りを確認しながら、私の内部で起こっているその緊張感を見逃さず、明るくこう言いました。

 

「痩せるとか痩せないとかじゃなくてさ、自分の身体が気持ちいいのが一番だと思わない?ママはそう思うんだけどなぁ。」

 

そして続けてこう言いました。

 

「そんな『ブス』とか言ってくる男子に好かれたい?そらちゃんの身体と心が気持ちいいのが一番じゃない?ママはそらちゃんはそのままで世界一可愛いと思うけどなぁ。ていうか誰っ!!そらちゃんを『ブス』とかいうヤツ!!ゆっるっせん!!!お前が人の顔を言える立場かっ!!ほんっとそういうの許せないんだよね!!ママがしばいたろか!てかしばくっ!!それでお前がいかにカッコ悪いことをしているかをこんこんと話したるわ!!そんでもってこうやってぐっちゃぐっちゃにして正座させて…」

 

↑途中から怒りで取り乱している私。(わざとよ。)

 

「あ…えと…ママ?しばくのは大丈夫だから…ね?そらちゃん傷ついてないから…ね?ママ?そらちゃんは大丈夫だからさ、ね?」

 

私をなだめるそらさん。(←藤山家あるある。しっかりものそらさん。)

 

「あぁ…つい興奮してしまいました。笑そうそう。だからさ、顔も身体も一日の大半自分で見てないんだよ。だから人目を気にして何かをするより『自分が心地よいか』のほうがずーーっと大切だと思わない?で、そらちゃんが自分で『これでいいんだ』って思ってたら最高じゃない?人がなんと言おうとさ。

 

「うん。…確かに。」

 

「それにさ、『ブス』とか『デブ』とか言ってくるやつがいたら『あぁ、あなたはそう思ってるのね。私はそうは思いませんけど』って思ってたらいいし、『人にそういうことをいうあなたはスネ夫ですね』って思ってたらいいよねぇ。」

 

「うん。そらちゃんね『ブス』って言われても『ふーん。そう言いたいんだなぁ』って思って聞き流してるよ。」

 

「おお!!すごい!!それだよーー!!素晴らしい!!」

 

すごい!!

そらさんすごいぞ!!

それが言える8歳はなかなかいないぞ!!

 

そんな興奮している私に、8歳のそらさんが冷静にこう口にしました。

 

「ていうことはママは小顔に興味がなくはないけど、そんなに気にしてないってことだね?」

 

う…

ま…まとめやがった…

 

「お…?おおぅ…うん…そうだね…」

 

そらさんはそんな会話を私と交わして「ママ!お話しありがと!いってきまーす!!」と笑顔で特急列車の乗ったのでした。

 

やるな…あいつ…

 

 

情報操作ってすごいよね。

これは洗脳だ。

テレビや雑誌のもつ影響力はほんとにすごい。

 

痩せている=綺麗=愛される=幸せ

痩せていない=綺麗じゃない=愛されない=幸せじゃない

 

ほんっとに無意識に、無自覚に、こういうことが刷り込まれていくような気がしてね。

私だってこの『思い込み』が完全に解除されているわけではない。

そらさんに言った言葉はそのまんま自分に向かって言っているようなものだから。

 

これからもっとそういうことを気にし始めるであろうそらさん。

きっとこれは避けては通れない道なんでしょう。

お友達からの影響もこれからどんどん受けていくだろうしね。

 

痩せることだって、小顔になることだって、楽しんでやってくれたらいいな。

私みたいに苦しまなければいいな。

これも私のエゴだけれどね。

 

痩せることも小顔になることも、あなたの幸せとは関係ない。

 

これをずっと言い続けたいな。

私にできることなんてそれくらいのものだからね。

 

 

さて、明日はそらさんの学校で発表デーが行われます。

そらさんは今『劇団みなみ座』というクラスに所属しているのでお芝居をやるようです。

むふふ。

そらさんが舞台に立ってる所、みるんだー。

楽しみ。

 

読んでくださってありがとうございます!

ではまた。