夏は過ぎ去るのが早い。
毎年思うのだけれど、夏はどうしてこうも早く過ぎ去ってしまうのだろう。
私は毎年、夏が始まった!うわーい!と感じると同時に「はぁ…始まってしまった…」とため息をつく。
“始まる”と“終わる”からだ。
そしてその終わりが思ったよりも早く来てしまうことを知っているからだ。
数年前まで『初秋』という時期が憎らしくて仕方がなかった。
「初秋ってなんだよ!!ふざけんなよぉぉぉぉ!!私の夏を奪いやがってぇぇぇぇ!」と、誰にぶつけていいのかわからない怒りを空にむかってぶちまけていたくらいだ。
が、それも年のせいなのかなんなのか、数年前から『初秋』という時期も悪くないなぁと思えてきた。
いや、「初秋のやろうめぇー!」と悪口を言いながら、そんな悪口を言っている自分に「ふふ」と笑ってしまう時間を「悪くないな…」と思い始めたんだな。
摂食障害バリバリの時期の私は極度の寒がりで、体温もいつも低かった。
なので必然的に冬が大っ嫌いになった。
暗いし寂しいしなによりめっちゃくちゃ寒い。
たまに街中で寒さに力尽き、うずくまって「もう私ぜったい一歩も歩かないんだからっ!!!」と当時付き合いのあった男性達を何度も困らせたこともあった。
(ほんとにめんどくさい女だなぁ。)
そんな私が数年前から「うむ。冬も悪くないなぁ。」と思い始めた。
体温が高くなったし(平熱36度8分!!)、昔より寒がりじゃなくなったからっていうのは大きな理由だけれど、やっぱりこれも「冬は寒いし暗いし寂しいから嫌っ!!早く過ぎ去れっ!!」と悪態をついている自分を「ふふふ」と含み笑いで眺めながら「これも悪くないな…」と思えるようになったからだ。
先日友人家族とキャンプに行ったとき、私は夜も更けたキャンプ場でその友人に少しお酒に酔いながら、こんなことを一生懸命言っていた。
「私はね!全力でダラダラしてるのよぉ!もうね、人生をかけてダラダラしてるのっ!!命をかけて家の床で寝っ転がっているのよっ!!『もーどーにでもしてくれっ!!』という気持ちで必死にくだらないテレビを観るの!!」
「意味のあることなんて死んでもやってやるもんかっ!!って命をかけて寝っ転がるの!!わかる?これがどれだけ大変なことか?!」
「私はね、必死でゴロゴロしてるのよぉぉぉぉーー!!」
…おぉ…
我ながらなんという可愛らしさでせうか…
私はずーーーーーっと実験をしている。
きっと生まれてからずーーーっと実験をしているのだ。
仮説を立てて実験をして結果を知る。
また仮説を立てて実験をしてそして結果を知る。
私は私を使ってずーーっと実験をしているのだ。
“私”が何を思い、何を考え、どう行動して、そして何を感じるのか。
“私”がどんな言葉を使い、誰に何を伝えるのか。そして何を感じるのか。
昔私は『初秋』が憎らしかったけれど、その『初秋が憎らしい私』を「ふふ。かわいいな。」と思いはじめたらそれほど『初秋』が憎らしくなくなっていた。
いや、むしろ愛しいくらいになっていた。
あんなに『寒くて暗くて寂しい冬』を嫌悪していた私が『嫌悪している私』を「へえ。
嫌悪してるんだぁ。ふふふ。」と愛しく見つめはじめたら『嫌悪していること』を愛しく感じ始めた。
この実験対象は飽きることがない。
むしろ振り回されっぱなしで飽きる暇がない。
「もー!いい加減にしてっ!」と嫌気がさすことはあるけれど、離れることができないし、結局お付き合いをしてしまうのだ。
この左に置いてあるものはどう見ても『長ねぎ(束)』ではないよなぁ…としばらく眺めてしまう自分がめんどくさくて愛しいなぁと思う44歳の夏です。
昨日我が娘そらさんがこんなことを私に言った。
「ねぇママ。ママはすごいよ。知ってる?ママはすごいんだよ。」
私はその時寝っ転がって、まるで生産性の無いLINEゲームをやっていた。
なので「へ?そうなの?」とゲームの手を止めずにすっとぼけた返事をした。
「そうだよ!だって今すっごい考えながらゲームをやってるんでしょ?それってすごいことじゃない?でさ、ゲームをクリアしちゃったりするんだよ!すごくない?それってすごいことじゃない?!そらちゃんにはクリアできないゲームをクリアしちゃったりするんだよ!なかなかできることじゃないよ!」
…褒め上手だ…
そらさんの褒め褒めはまだまだ続きます。
「あとさ、さっきハルと夏(家の激カワ猫2匹)がいたずらしてお部屋ちょっとぐちゃぐちゃにしたでしょ?それでも怒らなかったじゃん!それってすごいことだよ!そらちゃんだったら怒っちゃうかもしれないもん。ママは怒らなくて笑ってたでしょ?ママはすごいよ!すっごい優しいよ!なかなかできることじゃないよ!」
…おぉ…
…なんだか泣けてきたぞ…
私はそらさんの褒め褒めを聞いて、まんざらでもない気持ちになった。
そして褒め褒めをこの後も続けられて、『まんざらでもない』が『泣きそうになるほど嬉しい』に変わっていった。
そらさんをみていると不思議な気持ちになることが多々ある。
「そういえばさぁ…」という何気ない言葉を発するそらさんの姿を見て、「そういえばさぁ…」という言葉を、この子はどうやって覚えたんだろう?と真剣に考えてしまう。
ハサミを上手に使っているそらさんの姿を見て、ハサミを使うってすっごい難しいことなのに、いつの間にこの子はこんなにも出来るようになったんだろう?とまじまじと見つめてしまう。
ノートの隅っこに小さな可愛らしい絵を描いているそらさんの姿を見て、こんなに小さな絵を細かく書けるようになるなんてすごいなぁ。というか、どうしてこの隅っこにこんなに小さく書こうと思ったのだろう?とジッとその手を見てしまう。
おっぱいを口に含むことすらおぼつかなかった子が、げっぷも一人でできなかった子が、寝返りすらできなかった子が、どうやってこんなにも…と驚愕してしまう。
とある時、私はこんなことを思った。
あれ?…
私…だってそうだったんだよなぁ…
私だってそらさんと同じ赤ん坊だったんだよなぁ…
と。
何気なく包丁を使っている私の手を観察する。
トントントントン…とリズミカルに包丁を動かしている手を観察する。
…これ…マジですごいことだ…
私は私が包丁を使いこなしていることに驚愕する。
いつ?
いつ、こんな風に使えるようになった?
どうやって?
こんなに難しいことを!!
私は私が洗濯物を畳んでいる時の手や動きを観察する。
山のように積まれている洗濯物を次々畳んでいる自分をじっと観察する。
ほんの数分後には綺麗に畳まれて、収納しやすいようにお洋服やタオルが仕分けられている。
魔法?!!
これ、魔法なの?!!
私、これをいつ覚えたの?
いつこんな風に出来るようになった?
すごい!!
私は私が当たり前にやっていることに目をむけて、そしてそのすごさに驚いた。
掃除機使えるのってすごい!!
雑巾を固く絞れるってすっごい才能だ!!
箸を使ってご飯を食べる?凄すぎる!!
本を読む?!そんな高等なことをどうやって覚えた?!
パソコンで文章を綴る?!は?!天才じゃん!!
私は私を心から褒めた。
褒めちぎった。
いや、今も褒めちぎっているし、私以外の人もほんとにすごいと思うから褒めまくる。
そんなことをしていたら、昨日そらさんから実際に褒め褒め言葉を大量に頂いたのだ。
私は凄い。
そしてあなたもとっても凄いのだ。
何の問題もない。
あるとするならば、自分の凄さに気付かない、気付けないようにコントロールされてきたことくらいだ。
まぁ、それすらも問題じゃないのだけれど。
昨日亮一さんとあれこれ話していて、やっぱりこの人は素晴らしい人だなぁと感じた。
うまくここでは書けないけれど、亮一さんの『俺が俺に捕まってたまるか』みたいなところが大好きだ。
亮一さんは自分の考えをどこまで裏切れるか?を常にやっているような人だ。
(あ、これは私が感じていることですよ。亮一さんはそんなこと思ってないかもしれません。)
正直で純粋だ。
亮一さんにこれを見て取れると言うことは、もしかしたら私も『正直で純粋』なのかもしれない。とジワジワ感じている。
今年の夏は最高だ。
去年も最高だったけれど、今年はもっと最高だ。
そして初秋も最高だろうし、秋も冬も最高なんだと思う。
きっと最悪でも最高なんだろうな。
つれづれなブログを読んでくださってありがとうございます!
ではまた。
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