いつぞやの私たち家族。それぞれのカタチがあるね。
みなさんこんにちは。
前回の「怖いよー怖いよー」の日々から少し抜け出した?というか吹っ切れたような気がするゆっきぃです。
いやー
怖かったなー
今もその感じがやってくる瞬間もあるっちゃああるんですよ。
不安や恐怖や心配がなくなることはないですからね。
それに巻き込まれるか巻き込まれないか、それだけ。
気付けるか気付けないか、それだけ。
なんだけどさー
渦中の時はいやだよねぇ。
今回の“ソレ”は結構デカめだったので揺れたねぇ。
亮一さんに聞いてもらったり、泣いたり、地団駄踏んでみたり、怒ってみたり(一人でね)、信頼する優しい方に聞いてもらったり(施術を受けに来ている方に聞いてもらったりしてた。。優しい人ばかりだ。。)。
そんなこんなやってたら、なんだか肚が決まったというか、決まっちゃってたというか、なんだかよくわからないけど「あーそうかぁ」みたいな感じで割と落ち着いてきました。
まぁどうせまた揺れる時がくるんだろうけどね。
いつだってそれを“観る”視点を思い出せればいいかなぁと。
(思い出せない時は思い出せない。起こることが起こるだけだね。)
さて。
今日はお一人施術をしたのだけれど、その時に「あ。これは今書いておこう。」と感じたのでパソコンの前に座っております。
これを感じ始めたのは何年くらい前かなぁ。
今私は施術者になって19年くらいなんだけれど、多分13年くらい前かなぁ。
こんなことを感じて、こんなイメージが湧いたのは。
当たり前の話しなのですが、私の施術を受けにいらしてくださる方はお身体の不調を抱えていらっしゃる方達です。
どこかが痛かったり、どこかが変だったり、どこかの動きが悪かったり。
もしくは心がモヤモヤしていたり怒りや悲しみを酷く強く感じていたり。
(あとは特に不調はないんだけどちょっと諸々を整えてほしいと感じてる方とかです。)
で、私はその変だったり痛かったりモヤモヤだったりをなんとかしようと試みるわけです。
これはとっても奥が深くて難しいものなのですが、私はいつの間にか“人”“人間”という存在の魅力にとりつかれてしまい、未だに魅了されているからこそこのお仕事をやり続けていたりします。
目の前にいるその人の不調、痛み、モヤモヤ。
それがなんなのか、何が原因でそうであるのか。
じゃあどこをどうしたら楽になるのか。
痛みが軽減、もしくは消滅するのか。
そんなことをずーーーっとずーーっと考え続け、研究実験し続け、考察してきたわけです。(まぁそうはいってもまだまだ未熟だしわかっちゃいないことだらけなのですが…)
そしたらさ、ある時こんなビジョンが浮かんで「あ!!」ってなったわけ。
それは『みんなそれぞれのカタチや色合いがあって、そのカタチ通りに生きていればすべてうまくいく』っていうインスピレーション。
なのに『違うカタチになろうとしたり自分のカタチじゃ嫌だ!と拒否して他の誰かのカタチになろうとしたりすると不協和音を奏でて不調をきたす』ってこと。
この『カタチ』っていうのは例えなんだけれど、いわば『個性』『特性』ってやつだよね。
ほんとに人それぞれで、観させていただくとみんなそれぞれすんごく美しくて魅力的で個性あふるる存在なのです。
その『本来のカタチ』をいろんな理由で、いろんな出来事で、違うカタチに変えようとしてきた、変えられてきた結果、痛みや不調やモヤモヤとして現れる…と。
それは実際の身体の歪みにも繋がっていて、背骨や筋肉の歪みやコリなんかにも繋がっています。
身体のカタチを整える=その人の本来のカタチに戻す
ってことなんだなぁと理解して、今の私の施術になっています。
〇の人は〇のまま生きていればスムーズなのに、それを赦さない“何か”によって◇にしようとした。
♡の人は♡のカタチのまま生きていればいいのに、それを赦せない“何か”によって☆のカタチにむりやり押し込めようとした。
その結果限界を迎えて痛みが発症したり、不調をきたしたり。
その“何か”の思い込みのパワーたるや強固でね。
一気にその人本来のカタチに戻していければこんなに簡単でいいことはないのに、ものすごく抵抗したりするんです。
『みんなと同じでいなさい』
そんな教育を何年も何十年もされてきた私たち。
本来のカタチで生きるということにものすごく恐怖を感じて当然です。
だって、ほんとにみんなそれぞれ違うんですよ。
そりゃあ似ている部分がある人もいますよ。
でも違うんです。
みんな一人一人見事に違うんですよ。
それなのに
『みんな同じでいなさい』『人と違うことするなんて恥ずかしい』『人目を気にしなさい』『周りになんていわれるか』
そんなことばかり言われてきたわけです。
〇の人に「みんなと同じ◇でいなさい!!」と言って、ぎゅうぎゅうに◇の型に入れようとしたわけです。
そりゃ痛みもでるだろうし、不調も出ますよね。
私が施術でやっていることは、◇の型にぎゅうぎゅうに押し込んでいた〇の人に「あなた実は〇ですよね?なんで◇の型にぎゅうぎゅうになって入ってるんですか?出ません?」と声をかけてきっかけを作ることです。
ほら!〇のカタチだったの思い出しました?!と一度手技で◇から〇に戻してみることです。
☟ここから怪しい話しです。笑
エネルギーにも歪みや滞りが出ます。
私は身体のカタチを実際にしっかり触って変えていくのですが、同時にエネルギーの歪みも整えていきます。
滞っていた流れをスムーズにしていき、ボコボコと不自然になっていたエネルギーを滑らかにしていきます。
施術が終わった後のお客様のお顔の美しさったらないんですよ!
身体からは光が放たれて、ぴかぴかするんです。
身体が楽になり、緩み、必要な所には自然に力が入るようになる。
動きがスムーズになり、呼吸が深くなる。
しっかり立っているのにゆったりしている感覚がある。
施術後はそんな感じがあるようです。
あぁ…
それなのにそれなのに…
人には“記憶”があるんですね。
記憶が前の状態に戻りたがるんです。
ゆったりしている方がいいはずなのに、その“こうで在りなさい!”“みんなと同じでなければ幸せになれませんよ!”の強い教育と思い込みのお陰で(?)施術前の状態に戻ろうとするんですね。
その戻ろうとするときに痛みが発生することもしばしば。
私はいつもここで頭を抱えていました。
その人の本来のカタチや色合いが観えているのに、伝わってきているのに、どうにも伝えきれないこの感じ。
その人本来のカタチと色合いがありありと観えているのに、そのカタチに一気に戻せないもどかしさ。
それを手技や言葉かけで無理矢理にでも引き出そうとすると痛みが発生したり、抵抗が生じたりする事実。
13年ほど前はここにものすごく苦悩していました。
当時はなんとも未熟で稚拙で勉強不足な私を自分で罵っていました。
目の前にいる痛みを抱えているこの人をすぐにどうにもできない辛さや、あなたは〇なんですよ!!◇じゃないんですよ!こんなに美しいんですよ!という姿が観えているのに伝わらない、何も変えることができない歯がゆさを「ぐぬぬ…」と身悶えながらヒントを探して本を読み漁っていたりしました。
その人本来のカタチや色合いに戻していけば不調は改善される!とわかっているのにそれが一回でどうにかなることでもなく、私が無理矢理やることじゃない、と気付くまでが長かったんですね。
人には培ってきた歴史がある。
それが記憶だ。
人は誰だっていつだって“良い方”しか選ばない。
人の人生はその時々に『こっちの方が良い』と判断してきた結果が積み重なって“今現在”がある、という記憶の上に成り立っている。
それだけ必死に生きてきた証なんだよね。今現在の状態って。
私はそこをすっとばして「だって楽になりたいんでしょ?!」と傲慢に考えていたわけです。
あぁ…優しくない…ごめんなさい。。
施術をしていると思います。
施術を真剣にやっていると感じます。
まるで着込みすぎてしまった洋服を一枚一枚脱いでいくようだ、と。
その一番上に来ているその上着、もう暑いんじゃないですか?
その下に来ているジャケット、もう身体に合わなくないですか?
その下に来ているそのトレーナー、ちょっともう趣味じゃないんじゃないですか?
その下に来ているセーター、ちょっとモコモコしすぎてませんか?
そんな声掛けをして、「あ!ほんとだ!ちょっと脱いでみます。」と脱いでもらうようだ、と。
ずっと不必要な洋服を着込んでいたから脱ぐとスッキリするよね。
でもずっと着込んでいたことに慣れているから、脱いでから少しするとスースーして不安になるんだよね。
だからもう一回着ちゃうときがある。
そんな感じ。
もう一回着込んだら「あれ?暑くないですか?」「もう一回着てみてどうですか?」と声をかければいい。ただそれだけ。
それなのに、13年くらい前の私は「なんで?!!なんで着ちゃうの?!」「あれほど言ったじゃん!!」「着ない方が楽だって一回わかったじゃん!!」と憤ってたんですね。(はずい…)
防御のために着込みすぎてしまったお洋服にまず気付く。
それから、これ脱ぐとこんな感じですよ?どうですか?と体感してもらう。
そして自ら脱いでもらう。
もし脱ぐのが怖かったら一緒にお手伝いをする。
どうしても怖かったら「どうしよっか。どうしたら怖くなくなるかな。」を考える。
それを得て、少しずつその人本来のカタチや色合いを思い出していく。
そんな感じの施術をやっているつもりです。
丸裸って怖いもんです。
丸裸が怖いなんてことに気付かないくらいに怖い。
いつの間にか洋服を着こんでいたことに気付かないくらい怖いものです。
自分本来のカタチと色合いを自覚するのも怖いものです。
だって自分が思ってたのと違ったりするからね。
でも身体や心は訴えます。
違うんだよ。
これじゃねーんだよ。
もう限界だよ。
このままじゃ嫌だよ。
窮屈だよー。
こんな違うカタチの枠にぎゅぎゅうに詰まってるの嫌だよー
痛みや不調やモヤモヤはこの声の現れなんだよなぁと思うのです。
丸裸の状態って怖いんだな、と気付くことも大事。
自分が何を怖がってるかに気付くのもとっても大事。
着込んでいた洋服を脱ぐ。
脱いだものをまた自らの意思で用途に合わせて着る。
それを気付きながらできるようになるのが、自由。
自分のカタチや色合いを知っていきながら、用途に合わせて洋服を選ぶことが自分の人生に責任を持ち、自由に楽しく生きていくコツなんじゃないかなぁと思うのです。
軽やかにしなやかに、でも芯はしっかりと在る。
私は私以外の何者にもなれないんだと肚をくくる。
その上で楽しく何かを選んでいける。
その人本来のカタチや色合いで堂々と立ってる。
そんな人が増えたら周りの人たちもどんどん安心して巡り巡っていくんだよなぁ。
堂々と裸でそのカタチのまんまで立っていてくれれば、パズルのようにカチカチとさまざまの人や物や出来事がハマっていくはずなんだよなぁ。
そんなことを真剣に本気で思いながら施術しています。
まぁそんなことを思っている自分が一番“丸裸”を怖がっているんですけどね。笑
そんなもんですな。とほー。
とはいえ、そう真剣に思っているのは事実なのでどんどん怖いこともやっていこうと思うし、自分を使った人体実験もやっていきます。
そうじゃなきゃ説得力ないもんね。
てことでここから自分的にはめちゃくちゃ怖いこと書いていきます!☟☟☟
私は施術者ですが、施術ってなにも揉んだり押したり引っ張ったりとかの手技だけではないですから、いろんなことやっていきます。
(ここの技術がちゃんと伴っていなければなんの説得力もないのは事実ですが。)
食のことも自然療法的なことも、怪しい話しにははなりますが必要とあらばタロットもやります。(タロット使うことよくあります。)
必要ならば霊視的なリーディングをやることもあります。(霊視って言葉があまりしっくりこないのですが。)
カウンセリングにめちゃくちゃ時間使うこともあります。
ただ、これってメニュー化する感じでは(今は)ないので気になった方は気軽にお声をかけてくださいね。
料金などちゃんと決めているわけではないので応相談です。(*^^*)
(良心的ですよぉ。)
今はわかりやすく整体とオイルトリートメントとリフレクソロジーをメニュー化しているので、そちらを気軽にぜひ受けてみて下さいね!
自分の身体の感覚に意識を向けるのってとってもとっても大事なことですから!!
まずはお身体を緩めて楽な状態を知っていきましょうよー!
“自分自身で在る”ことを認めていくと、そりゃあもう観える世界が変わっていくものです。
よかったら体感してみませんか?
《整う整体施術ご案内》
《メニューと料金》
・整う整体施術(施術時間90分~120分くらい)→9000円
・オイルトリートメント(施術時間60分。整体施術とセットでのみお受け頂けます。)
→7000円
・リフレクソロジー(施術時間30分。整体施術とセットでのみお受け頂けます。)→3000円
本来あるべき姿に戻していく。
本来の身体のポテンシャルを引き出す。
立つこと自体が楽になる。
関節の可動域が広がる。
視界がとにかく明るくなる。
身体が軽くなる。
ストンと立てる。
楽に動ける。
そんなことを実感していただける施術だと思います。
もちろん不調を感じている個所や痛みが出ている個所がありましたら遠慮なくおっしゃってください。
あらゆる方法で施術を試みます。
お気軽にご質問・お問い合わせしてください。
↓こちらからどうぞ。
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藤山家ではご神木が埋まっている不思議なお部屋で施術します。
一緒にゆるみましょ。
猫がふすまをボロボロにしてしまっているのはご勘弁ください…
この真ん中の四角い部分にご神木が埋まっています。
こちら。
もんのすごく気持ちよいお部屋です。
ぜひ体験してもらいたいなぁ。