藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

亡くなるということ。

今。

ほんとに今。

私の母親から連絡があった。

この3ヵ月、ずっと点滴だけで過ごしていた父親が息を引き取ったと。

 

7時19分。

息をひき取った時間。

 

この時間じゃなきゃ、きっとダメだったんだろうね。

私にはわからない何かが働いてるんだろうね。

 

『息をひき取る』ってすごい言葉だな。

『ひき取る』んだよ。

 

まるで『自分の人生を自分でひき取ります』と言ってるみたいだ。

 

父親がどんな人生だったのかは私にはわからない。

どんな思いで死んでいったのかは一生わからないんだな。

 

幸せであったならいいなぁ。

『これでよかった』と感じていたならいいなぁ。

『生き抜いた』と思っているならいいなぁ。

 

涙はでないし、悲しみも、ない。

ただただ『幸せであったならいいなぁ』と思うだけだ。

そして私はお父さんがあの人でよかったなぁと思ってるだけだ。

 

優しい人だった。

理不尽なこともたくさん言ってたし、頑固なところもいっぱいあったけど、根底にはいつも優しさが溢れた人だった。

淋しがり屋でサッポロ黒ラベルが好きで(それ以外飲まない)猫が大好きでなによりも母親が大好きだった。

家族がそろってワイワイ騒いでるのを見ているのが大好きで、酔うとウッドペッカーの物まねをご機嫌に披露してくれた。

 

私が『7年間に渡る家出』という最大の反抗をしたにもかかわらず、帰ってきた私を「うむ」と言いながら受け入れてくれた。

げんこつで殴られたことも、正座で怒られたことも、全てが愛しく感じる。

 

感謝。

私を大切にしてくれたことに感謝。

 

これから私は亡くなった父親の顔を見に行く。

どんな感情が湧くだろう。

私は何を思うだろう。

 

息子の天太を亡くした時と何が違うだろう。

何も違わないのだろうか。

 

『人が亡くなる』とはなんだろう。

 

私はそれをこれから体験しに行ってきます。

 

自分が何を感じ、何を思うのか。

 

そんな体験までさせてくれて、ありがとう。

 

 

 

ではまた。