藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。そう。貴方とともに。

父親からのメッセージはたくさんの人たちへのメッセージでした。

 

*今日の記事は不思議話し&怪しい話し満載です。目に見えないものは信じないしくっだらなーい!と思ってらっしゃる方はスルーでおねがしまーす!*

 

父親が亡くなってから4日が経ちました。

今日はお通夜です。

 

私はまったく悲しまず、ケラケラ笑っている毎日です。

私の“凪”は変わらず、毎日目まぐるしく移り変わる風景を「へー」と言いながら見ています。

心配してくださったみなさん、ありがとうございます!

私はまーーーったくなんともありませんし、変な気遣いは無用ですよー(*'▽')

 

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今日も相変わらず亮一さんの淹れてくれた珈琲は美味しかった。

 

 

父が亡くなった日、仕事に出てしまっていた亮一さんを呼び戻し、父の身体が安置されている斎場に家族でかけつけました。

 

姉家族も兄家族も駆けつけ、葬儀の諸々を話し合う。

お花は?お棺は?火葬場は?霊柩車はどれにする?精進落としのランクは?…

 

家族であーだこーだ言い合い、話し合う。

私の家族はとても仲がいい。

姉がたまに涙を流し、母がたまに涙を流す。

兄も父の顔を見て涙を流す。

 

でもそれ以外の話し合いの最中は、ほとんどわはははー!と笑い合う。

 

お父さんってこうだったよねー!

わはははー

そうそう、こういうこともあったよねー!

わはははー

あとさ、こんなこと言ってたよねー

わはははー

 

私の父はとても優しくてお茶目な人でした。

家族がなにより大好きで、母親のことが大好きすぎるほど大好きな人でした。

酔っぱらうと「おかーさーん!愛してるよぉ~!」としょっちゅう言い、毎日の『ちゅう』は最近までかかさなかったそうです。(すごくないですか?!これ、最近知ったんです!)

その毎日の『ちゅう』はいつも父からしていたらしく、母は照れながら「私は別にしたくなかったのよぉー」と言っていました。(嬉しかったくせに。笑)

子ども達にも「お前たちはお父さんの宝物なんだぞ」と言葉に出していう父。

「大好き」や「愛している」や「宝物なんだぞ」という言葉が、私の家庭には当たり前に飛び交っていました。

私はそれが当たり前だと思っていたし、今私もそうしている。

でも亮一さんに言わせると、「それ、珍しいよ!」だそうで。

私はいつの間にか、その要素を父親から譲り受けたのかもしれないなぁと思っています。

(私の母も「家の子どもが一番可愛い!」や「大好きよー」を連発する人です。)

 

 

さて。

ここから不思議話しだよ。

でもね、きっと素敵な話だから。

 

私はこのブログでもちょっとだけ触れたことがあるけれど、小さいころから『目に見えないものが見えてしまう』タイプの人間です。

いわゆる『霊感』ってものがあるタイプの人間です。

 

葬儀の諸々を話している斎場には父親が存在しておりました。

はい。

いわゆる幽霊っていう存在として。

 

父はもう思いっきり元気になっていて、ただただ楽しそうで嬉しそうでした。

ラジオ体操みたいなことをして元気満々な姿を私に見せつけるのです。

「わはははー!」って笑いながら。

それを見た私も「あははは」って笑ってしまうくらい。

 

父は10人兄弟の5男でした。

その兄弟のなかでも一番仲の良かった12歳年の離れたお兄さんがいるのですが、そのお兄さんが父のそばにいます。

私にとって伯父にあたるそのお兄さんは『要(かなめ)』と言う名前です。

要おじさんは私も大好きな伯父で、数年前に先に亡くなっています。

その要おじさんがどうやらガイド役のような役割のようで、「よく来たなー!待ってたぞぉー!」と笑いながら迎え入れているのです。

生前2人はとても仲が良く、よく2人でわはははーと笑い合いながら話していました。

 

まさにその時と同じ光景が私の目の前に繰り広げられている。

私はその2人の姿を見て微笑んでしまうくらい楽しそうなのです。

 

葬儀の諸々を話し合っている時、私の目の前の椅子に父が腰かけ、要おじさんがその隣に腰かけています。

そして諸々の金額を聞くたびに「高い!高すぎる!そんなに払わなくていい!その代わりビール買ってくれる?わははははー!」とお茶目に笑っています。

そして要おじさんが隣で「まぁまぁやってくれるっていうんだからやってもらえばいいよぉー。わははははー」とこれまた楽しそうに笑っているのです。

ほんとに楽しそうに。

 

私が会話を聞いていることを知っている父は、私に向かってこう言いました。

 

「好きなようにやれ!みんな楽しく好きなようにやればいい!」

 

聞きなれた父の口調。

私は「え?何?葬儀のこと?」と心で聞き返す。

 

「いや、それもそうだし、これからのこともだ。」

 

私は「そうかぁ。そうだよねぇ。」と応える。

父は「自分の人生好きなことを楽しく好きなようにやれ。」と言っていました。

 

「でもね…」

 

父が続けます。

 

「1つだけポイントがあるんだぞ。」と。

 

「ポイント?なに?」と聞く私。

 

 

「うん。それはな、『誠実に』がポイントなんだぞ。」

 

 

『誠実に』

 

『好きなことを楽しく好きなように。誠実に。』

 

私はその父の言葉を聞いて、「ほへー」となりました。

その「ほへー」は「難しいこと言うなー」の「ほへー」でした。

 

『誠実に』って難しい。

何に?何に誠実に?

『自分に』誠実に。

 

私はこの『自分に誠実に』って一番難しいことだと思っていて、でもその難しさに挑戦している毎日なんだよね。

この『誠実に』ってはき違えるとまったく別物になるんだ。

 

『常識に誠実』なのか『自分に誠実』なのか。

 

父は『自分に誠実に』の方を伝えてるのを肌で感じる。

 

きっと父は『自分に誠実』に生きたんだろうな。

 

父は言います。

 

「お母さんが心配だから、近くにいるって伝えて。」と。

「こっちでちゃんと待ってるから、自分の好きなように楽しく過ごしてほしい。」と。

「みんな好きに楽しく生きて欲しい。誠実に。」と。

 

そして「ビールと金送ってくれる?」とチャーミングに私に言うところが笑っちゃうのだけれど。笑

(あの世への送り方があるんだよー)

 

痛くて窮屈な身体から解放された父は、意気揚々と飛び回る。

ラジオ体操のような仕草で「ほら!ほら!」と私に見せつけてくる。

 

楽しそうなのです。

おもっくそ楽しそうなのです。

 

もう笑うしかないでしょ?

「おめでとう!」って言うしかないでしょ?

「お疲れさま!」って言うしかないでしょ?

 

私は父からいろんなビジョンを見せられました。

元々持っていた知識や体験として知っていたことを、改めてビジョンで見せてくれました。

父がどこにいるのか、そこはどんなところなのかを。

 

なのでね、ちっとも悲しくなんかなかったのよ。

「あー楽しそうでよかったなー」しか思わないのよ。

 

時折泣く母や姉や兄にもこれを見せてあげたい。

言葉では伝えたけど、見えないんだもんね。

 

大いに泣いたらいいし、私も今日はみんなのその姿を見たら泣いちゃうんだろうなぁ。

 

悲しむときは大いに悲しもう。

泣きたいときは大いに泣こう。

嘆きたいときは大いに嘆こう。

無力感を感じる時は大いに無力感を感じよう。

 

それが『自分に誠実に』だからね。

 

 

「みんな好きに楽しくやればいい。誠実に。」

 

父からみなさんへのメッセージです。

よかったら受け取って下さいね。

 

今日も自分に誠実に生きよう。

どうやらまだ私は死なないらしいからさ。

 

読んでくれてありがとう。

 

ではまたー!