藤山家においでよ

藤山家ってこんなとこです。

迷っているその時間こそが愛情の現れなんだと思うんだよね。そして人間は結局みんな死ぬんだよね。

 

今日は私の想いのたけをぞんぶんに書きたいと思っています。

一文字一文字心を込めて綴りたい。

 

私と亮一さんは『死』についてよく語ります。

今の日本ではこの話題すらタブー視されているような風潮のような気がします。

隠されているし、見せないようにしているような感じがするんだよね。

隠されれば怖さは増すし、話題に出そうもんなら「そんな話しやめて」と言わんばかりの顔をされる。

 

そう感じません?

 

でも今私たちが生きてる上で重要な事実の一つは『いずれみんな死ぬんだ』ってことだと私は思うんです。

それはタブーなことでもなんでもなく、まぎれもない事実。

 

その死ぬ時がいつかは誰もわからない。

(まれにわかっている人もいますけどね。それは超まれな話し。)

 

『死』って意識したことあります?

真剣に意識したことありますか?

 

被災地にいらっしゃる方はそりゃもうリアルに体験していると思います。

私にも想像がつかないくらいのリアルさなんだろうと思う。

 

じゃあそれ以外の方は?

 

どうですか?

 

病や災害に合った方が生き方ががらりと変わったという話しは良く聞きますね。

それは『死』をリアルに感じたからなんでしょう。

 

 

今私の父が死の淵をさまよっている状態です。

もう食べることもできないし話すこともできない。

手を少しも動かすこともできません。

目もどこを見てるかわからない状態だし、すぐに眠ってしまう。

 

私の大好きな父親が今そんな状態です。

 

でも驚くことに私はまったく悲しくないんです。

もっと生きていて!なんて微塵も思わない。

早く楽になったらいいのにとすら思う。

(死んだら楽になるかどうかはほんとのところ体験してないのでわからないのだけれど。)

 

父は正男と言います。

正男さんは私の父親だけれども、その前に正男さんという1人の男性です。

『私たちきょうだいの父親』であるけれど、その前に正男さんという1人の男性。

その1人の男性が『正男』という1人の男性としての人生の幕を下ろそうとしている。

 

ただその事実があるだけ。

 

そこにはいろんなドラマがあるんだけれど、それはただのドラマに過ぎない。

「私のお父さんが」も「あんなに強かったお父さんが」も「私のトラウマを植え付けたお父さんが」も全てただのドラマ。

 

そのドラマ達はそりゃあパワフルに感じるし、素晴らしいものだけれど、今起こっている現実とは関係ない。

もう過去のことだから。

ただ『死』のにおいがしていることがリアルな事実。

 

そしてその『死』は誰にも平等にやってくる事実。

 

『死』って聞くとどんなイメージですか?

怖い?

そんなこと言うのやめて欲しい?

不謹慎?

 

もし何かひっかかったり嫌な気持ちが湧いたなら、それは何故だろう?

 

 

 

ここにも何度も書いたけど、私には息子がいました。

 

 

↓これとか、その下の記事とかで触れてます。よかったらどうぞ。

yukiukix.hateblo.jp

yukiukix.hateblo.jp

 

私は自分の息子が私の腕の中で亡くなるという体験をしているんだけど、これはほんとにすごいことだと思っている。

 

あー人間ってほんとに死ぬときは死ぬんだなぁ…って思ったんだ。

 

私もかつて若かりし日に「殺される」と思って生きていた時期もあったし、「いつ死んでもいいや」くらいの時期があったんだけどなんの因果か未だ生きている。

 

でも今も『死』は当たり前に隣り合わせにあるような気がしてるし、そんなもんだと思って生きているんだ。

 

輪廻転生はあると思っているけど、今のこの身体でこの名前でこの時代で生きられるわけじゃないよね。

この人生は一回こっきりだと思っています。

 

 

『死』を意識するとどうなると思う?

 

亮一さんがとっても素晴らしい言葉を言っていたので書いておこう。

 

 

「死を強烈に意識すると生が生々しく感じられるようになるんだよね。」

 

 

『死』をちゃんと感じると強烈な『生』が現れる。

 

面白い!

 

何かに迷ったとき、何かに悩んだとき、ちょっとだけ意識して欲しい。

 

「明日死ぬかもしれないけど、どうする?」

 

 

あなたの人生はあなただけのものだ。

誰も代われない。

そして明日も同じように生きている保証は実はどこにもないんだよね。

 

 

我が子のことで悩んでいる一人のお母さんがいる。

 

「この子にとって一番いい選択はどれだろう?」と。

 

まだその子は小さくて、答えなんて教えてくれない。

 

悩むよね。

自分のことじゃなくて我が子のことだもん。

でも選択をしなくてはならないのは父親と母親。

ましてやそれが生死に関わる選択ならなおさら悩む。

 

この子はどうしたいんだろう?

この子はどうしてほしいんだろう?

 

かつて私も天さんに向かって何度も声をかけました。

 

どうしたい?

生きたい?

手術してでも生きたい?

それともこのままでいい?

 

そして亮一さんと何度も話しをしたんだ。

 

そんな時、亮一さんはいつもこう言っていました。

 

「どれが正解かなんてずっとわからないんだから俺たちが一番スッキリした気持ちになる方を選択しようよ。周りの人の意見も聞くけど、最終的な決断は俺たちがスッキリするかしないかで決めた方がいいよ。」

 

私はその度に「そうだなぁ」と思いながらも悩んで悩んで考えました。

 

そんなに考えている時間がない出来事もたくさんあって、その時はドキドキしながら自分の決断を伝えてきました。

 

その時は「これでよかったのかな…」とぐちゃぐちゃもしたけど、今となっては全てが良い体験で良い思い出になってます。

 

そして天さんが亡くなって4年が過ぎた今、思うことがあるんだ。

 

 

たくさん迷っているその時間こそが尊い愛情の現れなんじゃないかって。

 

決断を下した内容が正解だったのかどうかはほんとはどうでもよくて、その迷って考えている時間こそが『正解』そのものなんじゃないかって。

 

悩んでいることが我が子のことだとしても、それも自分の人生。

 

選択の良し悪しはすんごく時間がたってからじゃなきゃわからないことだらけだ。

 

今後悔していたとしても数年後には「あれでよかったんだぁ~」ってことあるじゃない?

それに後悔するような選択をしたってどうせ人生良くなっていくしかないんだから。

身体をみて。

勝手に良くなっていこうとしてるでしょ?

傷は勝手に治るし、風邪だっていつの間にか良くなるじゃない。

 

身体が良くなることしかできないんだから、人生だって良くなるようにしか動かないんだよね。

 

 

亮一さんがよくこんなことを言ってます。

 

「人間みんな『どうせ死ぬ病』にかかってるのによくいろんな病気のことで騒ぐよなぁ~」

 

 

ふふふ(*‘∀‘)

不謹慎に感じます?

 

それともその通りだなーって感じました?

 

あなたは『どうせ死ぬ病』にかかってます。

これほんと。

 

さぁそれで?

どうする?

 

隠さないで。

目を背けないで。

みんなに平等に訪れるんだから。

『死』がね。

 

 

まぁそんなこと言いながら、今日も私はお醤油の値段を見比べて悩んだりするんだけどね。笑

 

 

あなたの人生があなただけにしか体験できない素晴らしいことで満たされますように。

 

ゆっきぃより。

 

 

ではまた。

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エネルギーチャージ中そらさん笑

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↑この上で。笑