藤山家においでよ

藤山家ってこんなとこです。

視点を自ら選択出来る様になることが「自由」ということなんじゃないかと思う。

 

私は今、自分の過去の出来事を文章にしている。

誰に頼まれたわけでもないし、ましてや「お金を得られる仕事」ではない。

 

でも私のなかでは「仕事」なんだと思っているフシがある。

まぁ勝手な自己満足なんですが。笑

 

ソープ嬢だった頃の話しを出来るだけ詳細に、できるだけ赤裸々に書くということを楽しんでいる。

 

自分の過去の出来事を文章化する、言語化するという行為は「客観視」が必要になる。

過去の自分がまるで自分じゃないような感覚。

今、私は、そこに過去の自分(のように感じているもの)を全て「愛しく思う」とか「愛しく思いたい」という感情がある。

 

 

でも過去の自分のその時の心情を描こうとすると、「感情移入」や「感情の再現」が必要になる。

 

たまに過去の自分の心情を書こうとしている時に泣いちゃったりするのです。

 

「客観視」と「どっぷり感情移入」。

 

ここに二つの視点ができる。

 

外側から見る目線と本人の目線。

 

自叙伝を書いているとよくわかる。

 

そしてもう一つ。

読んでいる人の視点がたまに入る。(わざと“たまに”にしています。)

 

「この文章を読んでいる人はこう感じるかなぁ…」

 

全くの他人の視点にたつことは中々難しい。

でも視点を疑似体験することは可能だと思う。

 

これで視点は3つ。

 

 

 

これ。

日常生活で「今」できることなんだよね。

 

自分ストーリーにどっぷりに浸りたいときは浸る。

でも「客観視」の視点に戻ることができる。

そして「人目線」の想像(疑似体験)を意図的に意識する。(冷静に)

 

これらの視点を自分で選べるようになることを「自由」と呼ぶのではないか?と思う。

 

 

そこにもう一つの視点をくわえることが出来ると人はもっと自由度が上がるんじゃないか?と思っている。

 

 

『陰陽を超えた視点』

 

 

陰陽の図、知ってます?

 

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この図を書いた方、すんごい視点だと思う。

 

この世界の成り立ち。

それを表した図。

 

これ、もんのすごい上から?見ないと書けません。

 

 

「良い」も「悪い」も無い視点。

 「良い」の中に「悪い」があり、「悪い」の中に「良い」がある。

それがバランスよく統合されている。

どちらが欠けても成り立たない世界。

 

それらを観ることができる視点。

「客観視」よりももっともっと広い視点。

 

 

感情に飲み込まれて押しつぶされそうになる時もある。

目の前に起こった出来事に翻弄されて、ぐちゃぐちゃになる時だってあるかもしれない。

でもそんな時、ふと視点を自由に選べるようになったなら、そこには違う世界が広がる。

 

「視野を広げよう」なんて言葉があるじゃない?

あれって言うのは簡単だけど、視野なんてなかなか広がるもんじゃないと思うのですよ。

 

だからね「いくつもの視点を持つ」ってのがいいんじゃないかと思うわけです。

そして、その視点を自分で選べるようになるってことが「自由」なんていう言葉が当てはまるんじゃないかと…

 

…そんなことを思うわけです。

 

悩んでる人の話を聞くとだいたい視点が一つしかないことが多い。

視点がいくつもあると悩みが悩みじゃなくなる。

「悩み」から「そういう出来事」に変わる。

 

 

嫌な感情が湧いたとき、居心地の悪い感じがした時、そこがチャンス。

そこに“何か”が隠れている。

 

排除したい気持ちやごまかしたい気持ちをグッとこらえ、その感情や居心地の悪さに飛び込む。

「客観視」を忘れずに飛び込む。

嫌な感情の中に必ず「見つけて欲しかった想い」が隠れているのです。

居心地の悪さの中に必ず「味わいたかった体験」が隠れているのです。

 

「私」は「私」だけど「私」じゃない。

「私」が思ってる「私」じゃない。

 

 

ソープランドでの体験をなるべく赤裸々に書いている理由の一つに「感情を揺さぶりたい」というものがあります。

(揺さぶれるほどの文章力か?という疑問はさておき…笑)

 

それは「自分」の感情も「貴女」の感情も、です。

 

揺さぶられた時がチャンスだから。

 

視点を増やすチャンス。

自分の感情に飛び込むチャンス。

 

そしてそれは「自由」になるチャンスだと思ってたりします。

 

 

なんてねー。

 

 

ではまた。

 

 

 

よかったらこちらもどうぞ。

このへんからソープ嬢になっていきます。↓yukiukixkix.hatenadiary.jp

 

 

 はじめから読んでやってもいいけど~な方はこちら↓


yukiukixkix.hatenadiary.jp

 

 

 

 

そらさんを送って行く時、涙が出そうになるんだよね。

 

今日は月曜日。

 

そらさんを山梨に送って行く日でした。

そらさんはだんだん泣きが小さくなってきています。

最初はあんなに「うわーーーーーん!!」だったのに。

 

「泣きながらおにぎり」ももう今日はありませんでした。

 

朝、「そろそろ出かけるよー!」の私の声を聞くと泣いちゃうけど「うわーーーーん!!」ではない。

 

「うぇ、うぇ、クスンクスン…」みたいな泣きです。

 

 

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日曜日の朝。手に謎の絵を描いていたそらさん。笑

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ぶははは。天才なのかな。笑

 

 

車に乗り込むと必ず「ママのお膝…うぇうぇ…」と泣きながら私の膝の上に座ってきます。(ほんとはいけないんだよね?)

 

私に抱き着きクスンクスンと泣くそらさん。

 

私はその姿を見ると胸がグッとなって泣きそうになる。

 

それは「そんなそらさんの姿を見て悲しい」とか「これから離れるのが淋しい」とかそんな理由ではないんです。

 

私が泣きそうになる理由。

 

それは『刹那』

 

この私の膝の上で泣いているそらさんのことも私はすぐに忘れてしまうんだ。

そして、この!ここで!泣いているそらさんをもう二度と見ることはできないんだ。

 

もうさっきのそらさんはいないんだ。

この泣いているそらさんもこの後すぐにいなくなってしまうんだ。

 

どんどんと過ぎ去っていくだけ。

つかまえることなんかできない。

とどめておけることなんて何もないんだ。

 

そんなことをすごく感じてしまうのです。

 

いつだって、今だってそうなのに、そらさんのあの姿を見ると「それ」がものすごくリアルに感じるのです。

 

 

何もつかまえることなんて出来ないんだ。

ここにとどめておける事なんて何もないんだ。

 

そらさんはどんどん成長する。

 

赤ちゃんの頃のそらさんを思い出して、もっと切なくなる。

 

もうあの時のそらさんには絶対に会えないんだ。

 

いつだって刹那だ。

今だって。

 

そんなことを思い、グッと泣きそうになる。

 

「刹那いね」

 

でも、それがまたいいんだよね。

 

 

そらさんは泣きながらちゃんと学校に行きました。

ほんと、偉いです。

 

 

どんな一週間になるかな。

 

私たち夫婦も、どんな一週間になるかな。

 

刹那を積み重ねて生きましょう。

たった一回だけですから。

「私」は。

 

 

ではまた。

そらさんから教えてもらった超重要な情報。

 

昨日迎えに行った時のそらさんのお顔。

こんなでした。

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口のまわり、きったない(汚い)のわかります?

 

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顔きったねー!( ゚Д゚)

服もきったねー!( ゚Д゚)

 

「そらちゃん!顔きったねー!」

 

私がそう言うとそらさんは

 

「あははは!カレーだよカレー。」

 

と、汚い原因を教えてくれました。

 

いやいや。

汚くなった原因はいいから拭けよな。(*‘∀‘)

 

 

途中立ち寄ったサービスエリアではこう。

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そらさんはパパに抱っこをせがみ、「いーよぉ」と鼻の舌を伸ばした亮一さんが抱っこしてあげる。

 

幸せそうな顔です。うん。

 

この一週間は総じて落ち着いていたようで、お友達も増えてきたみたい。

まぁ相変わらず夕方には泣きながらTELがかかってきてたんですけどね。

 

それでも泣き方が違う。

 

寮母さんのホンちゃんが「みんなすごいね。この一週間はみんなそんなに泣かなくなったね。子どもはほんとにすごいね。」とニコニコしながら教えてくれました。

(ホンちゃんは中国の方なのでちょっと日本語がなまります。そこがまた可愛い方です。)

 

 

そうそう。

前回の記事で、そらさんから聞いた重要な情報を書き忘れてしまったのです。

なのでここでみなさんにも教えておこうかと。

 

 

先週の春祭りからの帰りの車の中。

そらさんと後ろの座席でいつものようにぺちゃくちゃとおしゃべりをしていました。

 

と、その時。

 

そらさんが目をまん丸にしながら

 

そ「ママ。もしかしたら知ってるかもしれないんだけど…」

 

と何故か小声で言いました。

 

ゆ「え?なになに?なんだろ?」

 

そ「あのね…学校のお友達に聞いたんだけど…」

 

ゆ「うん。なになに?」

 

そ「あのさ…ミッキーさんっているじゃん。ディズニーランドに。」

 

ゆ「うん、いるねぇ。」

 

そ「あれさ、中に人が入ってるじゃん。」

 

ゆ「ん?…えーと…まぁ…そうだねぇ…(苦笑い)」

 

そ「そのね、中に入ってる人がなんと…」

 

「うんうん。」

 

 

 

「変わったんだってーー!!」

 

 

 

どひゃーー!!

 

ぶはははははは!

 

ミッキーさんの中の人が変わったらしいですよ!!

 

重大な事件だ!!

 

ゆ「えーー!ぶはははははは!そ、そりゃ大変だー!ぶはははは!」

 

私が大笑いしてるのを見て、そらさんは「あれ?しまった!」の顔をしながら

 

そ「え?ミッキーさんって一人じゃない?もしかして。」

 

と言いました。

 

ゆ「え?あははは!いや、一人だよぉー!ミッキーさんは一人でしょ?あははは!」

 

そ「あぁ、そうかぁ。そうだよねぇ」

 

ゆ「すっごい重要なこと教えてくれてありがとう。あははは!」

 

そ「うん。重要でしょー?」

 

それを聞いていた亮一さん。

 

 

り「それは大変なことだよー!声も変わっちゃうんじゃないの?」

 

 

もう!ちょっと!!

 

 

 

いやぁ~

マジかわいいですね。笑

 

みなさん、ミッキーさんの中の人変わったので。

よろしく。

 

 

今日は朝から私の足元でジャレついております。

猫のように。

 

 

ではまた。

子ども村学校の春祭りで大きく頷いたこととやっぱりなぁと思ったこと。②

 

 

さて。

前回の続きです。

 

かとちゃんのお話しね。

 

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ひどく見にくい写真ですいません(;'∀')

 

引き続きニイルさんの言葉。

 

人生についての究極的な回答が見出せない私に、こどもを教育するなどということが許されるだろうか。

私にできるのは、子どものかたわらに立ち、子どもが内から発達する自由を与えることだけである。

 

 至極正直な意見。

人生についての究極的な回答を見いだせている大人がいるのだろうか?

そこに正直になれない大人が押さえつけるようなことをするんじゃないか?と思ったりして。

そして、もし自分なりの究極的な回答が見つかっていたいしても、それが他の人に当てはまるかなんてわからないものだと思う。

 

結局できることなんて「貴方の好きなようにやってみたらいいんじゃないかな?ここで見てるから。」と言ってあげられることくらいだ。

(↑ここが難しいんだよね。)

 

次ね。

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こりゃひどい写真だな。笑

失礼。(;'∀')

 

かとちゃんは「せっかくなので、保護者の方からよくされる質問や相談をまとめてみました。」と言いながら見せてくれたスライド。

 

 

 

 

ゆれる保護者

 

なんというタイトルでしょう。笑

「はいはいはい!」と元気に手を挙げたくなりました。笑

 

ゆれる保護者

 ○ホームシックがひどい

 ○漢字が書けない 読めない 九九がいえない

 ○言葉づかいが悪い

 ○ものを大事にしない

 ○片付けができない

 ○家でゴロゴロして、ゲームをしたり、テレビばかり見ている。

 

むむむー!

これは気になるものばかりだなー。

 

ただ、何が気になるって、かとちゃんがどう答えるのかが一番気になるのです。

 

「まずですね、『ホームシックがひどい』ですね。これはよくされる相談です。」

 

うんうん!わかるわかる!

私も相談したくなったもん!

 

「これですねぇ…まぁ…えーと…まぁね…」

 

さぁ!かとちゃん!

なんていう?

 

 

 

「ほっといてください。」

 

 

 

ぶはははは!

そうきた?!

「ほっといてください」って!

ウケる!

 

この後かとちゃんは、私たち夫婦が「うーーむ。ほんとにそうだなぁ…」とうなることを言いました。

 

「僕が見てきた経験なんですが、えーと、耳が痛い方もいらっしゃるかもしれませんが…。」

 

うんうん。

 

「ホームシックがひどい子、長引く子の特徴として、荷物が多いです。」

 

うひゃーー!!

なんかわかるーー!!

 

「お母さんの方が離れられてないんですね。心配で包んじゃってるような感じなんです。」

 

うむむー。

なるほどー。

 

「お母さんと子どもって最初へその緒でつながってますよね。これはすごい結びつきです。で、これをチョキンと切って産まれてきます。でも、その後もずっと繋がってるんですよね。この繋がりを母親の方が手放さないとホームシックは長引きます。

お母さんの『心配』が子供に伝わってるんですね。」

 

私はそらさんがこの小学校に入った時から、荷物を少なくしようと試みていました。

荷造りをしていると「あーこれもいるかなぁー。あーこれもないとそらが困るかなー。あれーこれも必要かなー。」とどんどん増えるのです。

 

その時、ふと思ったのです。

 

「あれ?これはあんまりよくないんじゃないか。」って。

 

私の心配を押し付けているだけだと気づいた。

もうね、グッとこらえるわけですよ。

これはいらない。これがなくてもなんとかなるだろう。

 

これ、すっごく重要なことだって思ったんです。

『そらが自分でなんとかするだろう』『なんとかなるだろう』って信じて「トンッ」と背中を押すってことなんだと。

これは全部自分の問題。そらさんの問題じゃない。

私が心配を手放せるかどうかでした。

 

で、面白かったのがその他の全ての質問相談の答えが全て

 

 

「ほっといてあげてください」

「大丈夫ですから」

「構わないでください」

「ブレないでください」

 

だったこと。

 

「九九が言えないんです。うん。ほっといてください。」

「片付けができない。うん。大丈夫。あきらめてください。」

「言葉遣いがわるい。そういう時期がある方がいいんです。」

「家でテレビみたりゲームばかりしてる。学校ではちゃんとやってますから、家ではそうさせてあげてください。ほっといてください。」

 

総じて答えはこれでした。

 

「子供には子供の人生があるんです。なので、ほっといて見守ってあげてください。」

 

子どもには子供の人生がある。

親の人生とは関係ないんだ。

私は私の人生を生きる。

亮一さんは亮一さんの人生を生きる。

そらさんはそらさんの人生を生きる。

 

子どもの生きる力や知恵を親の心配で奪わないで。

 

私にはかとちゃんがそう言ってるように聞こえました。

(私の解釈の仕方ですからね。かとちゃんがそう言ったわけではありません。)

 

すんごい良い話し!

これよ!

これを私は私の母親に聞かせたかったのよ!

 

私の母親はとにかく自分に自信がない。

自分に自信がないゆえに、心配をまき散らす。

優しいし、ちゃんと私の話も聞こうとしてくれる親です。

でも、「ちゃんとしなきゃダメよ!」を自分が心配がゆえにまき散らすのです。

 

私はこれに結構苦しめられた。

「7年間の家出」という最大なる反抗で、なんとか私を保ったことを今となっては良かったと思っている。

 

そんな私は数年前まで「お母さんに私のことをわかってもらいたい」なんて思ってたりした。

それは「お父さんにも…」もあるんだけど。

 

でもね、「別にわかってもらわなくていーや。だって関係ないし。それにわかるもんでもないし。お母さんにわかってもらえなくても幸せとは関係ないし。」と気づいた。

拗ねたわけでもなく、ほんとに心から思っているのです。

 

母親と私は別の人間。

違って当たり前だし、お母さんだって迷いながら生きてるんだから。

 

でもさ、やっぱりうずくのです。

「論破したい!」なんて気持ちがムクムクと湧く時があるのです。

 

が…

母親は途中途中寝ておりましたよ…( 一一)

ま、いいんですけど。

 

 

そして春祭りも終わりに近づき、そろそろ帰ろうっかーとそらさんの帰りの会が終わるのを校庭で待っている時。

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隠し撮りしました。笑 隠してないか。

 

「やっぱりお母さんにはわからないやー。」

 

母親がさっきのかとちゃんの話を聞いて思ったことを言い出しました。

 

「ああいう説明を受けてもやっぱりわかんないし、お母さんには納得できないや。」

 

私は別にムッとするでもなく、ただただお母さんが感じたことを知りたかった。

 

「どこが?どのへんが納得できなかった?わかんなかったのかな?」

 

冷静にただ質問をする。

 

「だってぇー、ほとんどほっとくみたいな感じでしょ?そんなのさーマコみたいな子には無理だもん。絶対なんにも出来なくなっちゃうしなんにもやろうとしなくなっちゃうと思うもん。」

 

↑ここにでてくる「マコ」とは私の7つ上の兄です。笑

ほんとに怠け者で、未だに母親に怒られてる甘えんぼ。

そして母親も兄が心配で手放せない対象です。

 

「うーんと…でもさ、それってお母さんの『心配』を言ってるんでしょ?お母さんが心配なだけでしょ?」

 

「いや、そりゃそうなんだけどー…でもやっぱり無理よ。勉強だってやれやれ言わなきゃマコはやらなかったもん。いっぱい言って、それであれだもん。」

 

いやいや…

うーん…

 

「いや、でもね、それだってどこまでいったってお母さんの心配から発してる言葉なんじゃないのかなぁーって話をしてるんだけどさぁ。」

 

「…うーん…そうね。お母さんは言い過ぎだっていつもいわれるのよ。そうなのよねぇ。…でもわかんない!お母さんには理解できなかったもん。」

 

これね。

何を言ってるかわかります?

 

私とはまるで論点が違うんです。

母親は私の意見をわかりたくないんですね。

自分の人生を否定されてると感じてるんですねー。

私はただ、そのお母さんの言葉はどこから発してる言葉なの?と言ってるだけなんです。

 

誰も間違ってたなんて言ってないのに。

 

「まぁでもね、そらも頑張ってるし、パパもママも頑張ってるのはわかったよ。」

 

これが母親の精一杯の理解の示しかたでした。

 

うん。

うん。

 

これだけでもほんとにありがたい。

 

頭ごなしに反対する親じゃなかったのがありがたく感じました。

 

でも…

やっぱりなぁ…とほんの少しがっかりする自分もいるのは事実。

 

そのがっかりは「わかってもらえなかった」のがっかりじゃなくて

「母親自身が自分に自信がないままでいること」にがっかりしたのです。

そして、そういう母親や女性って、めちゃくちゃいっぱいいるんだよなぁとちょっと切なくなったのです。

 

ま、私も人のこと言えないんですけど。笑

 

 

私は母親にわかってもらおうなんて思わないし、人のことなんてわかんないと思ってる。

トラウマが…なんて言ってる場合じゃないんだ。

誰かを変えようなんて無理。

母親にわかってもらえれば幸せになれるなんて思っちゃいけない。

自分で自分のことをわかろうとしてないのに、誰かにわかってもらおうなんておかしな話だよね。

ましてやそんな自分が子供の人生に口出してるヒマなんてないんだ。

自分のことを見ないでいる言い訳に子どもを使ってるだけだ。

 

母親には母親の人生がある。

私には私の人生がある。

夫(亮一さん)には夫の人生がある。

子どもには子どもの人生がある。

 

そしてそれは全てが完璧なんだ。

 

そんなことをつらつらと再確認した春祭りの出来事でした。

 

 

明日はそらさんが帰ってくる日。

今回はどんな顔をみせてくれるかなー?

 

長々と読んで下さってありがとうございます!

 

ではまた。

 

子ども村学校の春祭りで大きく頷いたこととやっぱりなぁと思ったこと。

 

先週の土曜日、そらさんの行っている南アルプス子どもの村学校の春祭りがありました。

 

そらさんは「春祭りの準備で毎日すんごく忙しいんだからー」と毎日のTELで若干泣きながら言っておりまりました。

(淋しいから泣いちゃうけど忙しい活動のことも言いたい、みたいな複雑なやつね。)

 

子どもの村学校の春祭りは、生徒が保護者を招いて各プロジェクトごとにいろん制作物の販売や食べ物の販売、活動報告をする文化祭みたいな感じ。

 

そらさんはクラフトセンターでキーホルダーの担当になったらしく、毎日たくさんのキーホルダーの作成に励んでいたそうです。

 

ゆ「キーホルダーってどうやって作るの?そらちゃんは何をやってるの?」

 

私は少しでもそらさんが何をやっているかを聞きたくて、毎日TELで聞きまくる。

そらさんは泣きながら私に甘えたい。

 

そんなやり取りが行われます。笑

 

そ「うぇっ、ママ、あのね、そらちゃんはね、うぇっ、色塗ったり、やすりをかけたりしてるのぉ~。ママぁ~!」

 

みたいな。(;'∀')

 

春祭りの数日前、そらさんから珍しく朝からTELががありました。

 

ゆ「そらー!どうしたー?」

 

朝から泣いてるのかと心配して出ると、TELの向こうからはかなり冷静な声が聞こえてきました。

 

そ「ママ?あのね、こないだキーホルダー百個くらい作ったって言ったじゃん?それね、嘘かもしれない。」

 

え?

そんな訂正の為に?

ウケる。

 

ゆ「あー。そうだったんだねぇー。うん。わかったー。」

 

笑わないように気を付けながら答える私。

 

そ「あとね、ママ。キーホルダーがいつもすごい人気で、すぐなくなっちゃうんだって。ママ、欲しがってたでしょ?そらちゃんから絶対買うって言ってたでしょ?だから、すぐに買いに来ないとなくなっちゃうかもしれないんだよ。」

 

ゆ「えーーー!!それやだ!絶対やだ!ママ、そらちゃんからぜったい買いたい!無くなっちゃうの絶対やだー!」

 

わざと大げさに言う私。

TELの向こうからはそらさんの苦笑いの声が聞こえてきました。

 

そ「んふふ。ママ?でもね、もしなくなっちゃったとしたら、そらちゃんが余った木で作ったやつがあるからぁ、それを特別にあげるね。わかった?」

 

私をなだめるそらさん。

かわゆす。

 

次の日も次の日も、TELの時には必ず「なくなっちゃうかもしれないからね。」の注意が入りました。

 

でもねぇ…そんなこというけど、そんなにすぐにはなくならないでしょう?

と思っていた私と亮一さん。

 

で、当日。

 

 

オープニングの会が体育館で行われ、生徒から順に退場して春祭りに担当ブースに移動します。

生徒たちは各会場に分かれて、いろんな販売を始める準備をし始めます。

 

あんまり早く行っても準備に追われてなかなか販売も始まらないかもしれないしー

なんか体育館の出口混んでるしー

とか思って、ノロノロとしていた私たち。

 

やっと小学校の校舎に行くと長蛇の列!!

 

ゆ「えーーー!!なにこれーー!」

り「すごいなーー!!」

 

よく見ると「おいしいものをつくる会」というプロジェクトのパン販売の列でした。

 

ゆ「なんだー!パンかー!よかったー!」

 

ホッとしてその列の奥に目をやると、そこがそらさんのいる「クラフトセンター」のブース。

 

ん?

 

あれは…?

 

よく見るとキーホルダー販売のラックがあり、その前で泣いているそらさんを発見しました。

 

ゆ「どうしたーー!!そらちゃーーん!」

 

駆け寄ると私に抱き着きますます泣き始めるそらさん。

ん?とキーホルダーのラックを見ると、なんと残りあと3つ!!

 

ゆ「えーーー!!これ買う買う!これ買う!」

 

「キーホルダー残りわずかですよーー」と言っているそらさんの先輩(小4くらいのぉ男の子)に急いで言いました。

 

一つ60円のキーホルダー。

 

ラックには『限定60個』と書いてありました。

 

ゆ「そらちゃん!買えた!あれ?でもそらさんから買うって言ってたけど…」

そ「大丈夫。そらちゃんも今売ってる係だから。うぇっ」

 

そらさんは目の前でどんどん売れていくキーホルダーを見て不安になったようでした。

 

「このままじゃ売り切れちゃう!ママとパパとばぁばの分がなくなっちゃう!」

 

と焦ってドキドキして泣いていたらしい。

かわゆす。

 

その超レアキーホルダーはこちら。

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子どもの村学校のマークが表面。

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裏面にはこちらが。

 

これがそらさんが作ったものかどうかはわからないけど、こうやって一生懸命色を塗って、文字や顔を書いて…ってやったのかと思うとなんだかグッときます。

 

ちゃんと買えたことに安心したそらさん。

すっごく得意げにこれをくれました。

 

「これね、そらちゃんが余った木で勝手に作ったから売り物じゃないんだけどさ。

ママにあげるから。ね?」

 

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「これね、超レアなやつだよ。」

 

そう言ってました。笑

ちょっと…可愛いんですけど。笑

 

そらさんのいるクラフトセンターでは「よもぎうどん」と「つく汁」が販売されてました。

 

子ども達が試行錯誤して作った、よもぎを練りこんであるうどんと山菜が沢山入ったお汁。

 

よもぎも山菜も子供たちが採ったものだそうです。

美味しかった!

(写真ないけど。)

 

 

今回の春祭りには私の母親が同行しました。

私の母は未だにそらさんがこの小学校に入ったことに納得してません。

 

「やっぱり子供は親と一緒にいるのが一番よー」

 

これが口癖。

 

なんとかその言葉を言わないようにガマンしているものの、なにかきっかけがあればその言葉が出てきてしまうのが現状です。

 

いや…私は家出してすんごくよかったんですけど…

 

とは言えません。

論点が違うからね。

 

母親なりに「そらがどんなとこでどうやって過ごしてるのか見て見よう。私たちの話も聞いてみよう。」という気持ちでいてくれるのがひしひしとわかる。

ありがたいことだ。

 

その日、昼休みの時間に体育館で行われたお話し会があった。

中学校の校長の『かとちゃん』が10周年を迎える南アルプス子どもの村学校の秘蔵映像を公開しながらお話をしてくれる会を開いてくれました。

 

私は母親にそれを見せたかった。

やっぱり心のどこかで「理解して欲しい」と思っていました。

(ちょっとあきらめてはいたんだけどね。)

 

その会でのかとちゃんの話が素晴らしかったのでシェア。

 

かとちゃんはとっても優しい雰囲気をもった、物静かなイメージの素敵な方です。

でも内実はとっても熱い。

 

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めっちゃ見辛いね。(;'∀')

 

 

かとちゃんが「教育とはなんだろう?って考えてみました。」といいながら見せてくれたスライド。

 

教育とは?

 

○疑問を持ち、自分自身で確認してみようとする力

○意見をもつ力 伝える力

○頭で考えたことを表現する力

○自己受容する力(自分はこれでいい)

○人のことを、そっと見守り、放っておく力

○選択する力

○前向きに気持ちをスイッチする力

○おもしろいことをみつける力

 

私はうなりましたよ。

全部に頷いた。

 

教育とはその力をのばしてくことだと。

この力を伸ばすのが教育だとすると…

 

押さえつけるなんて、強制的にやらせるなんて、大人が(都合よく)決めたことに従わせるなんて、絶対にダメなことだと良くわかる。

 

この学校の理念の基本はこの人から発せられている。

 

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サマーヒルという学校を作ったニイルさん。

 

私には子供たちがどこに向かって進んでいくのかわからない。

だからこそ、子どもたちの歩みを導こうとするべきではないと考える。

権威を捨てよ、という私の持論の究極的な理由もそこにある。

 

すごいな…

ほんとにその通りだなぁと思う。

 

かとちゃんのお話しと私の大きな頷きと小さな落胆のお話はまだまだ続きます。

 

 

長くなったので…

続く!

 

 

今朝のそらさん。~山梨へ行く朝~

 

今現在のそらさん。

 

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朝から泣いております。(;'∀')

 

「もう学校に行く時間?(/_;)」

 

そうだよ。

辛いね。

でも大丈夫。

あっという間だよ。

でも、行く前が一番ドキドキするよね。

泣いていいよ。

怖がっていいよ。

たくさん抱きしめるね。

 

でも、ママとパパは言うよ。

 

「行ってこい!楽しいんで来い!」

 

てね。

 

手放すのってほんとに勇気がいるんだね。

見守るのってほんとに「自分」を見せられるね。

 

教えてくれてありがとう。

 

だから頑張って言うね。

 

「行ってこい!君の人生だよ!素晴しいんだよ!」

 

がんばれ!そらさん!

 

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昨日、これもらった。

 

私は幸せものです。

亮一さんの世界観がたまらなく愛おしいのです。の話し。

 

昨日、久しぶりに亮一さん(←私の最愛の夫)がブログをアップした。

もうその文章が素晴しすぎたのでシェア。

(今日は亮一さんのお誕生日。なので、尚更褒めまくる内容ですから。よろしくです!笑)

 

yamafuji70.hatenablog.com

 

もうね、タイトルから素晴らしすぎてのけ反った。

 

ここで亮一さんはこんなことを書いている。

 

 

その時に感じた事がとっても大切な感じがする何かを孕んでいた様な気がしました。

 それはボタン付けを習っている時の僕の視線です。

その視線は例えるなら、『ストン、と素直に正座をしている視線』と言う感じでしょうか。

 

 

『ストン、と素直に正座をしている視線』

 

くぅ~!なんという表現でしょうか!

これ書けないわぁ~。

 

この後、亮一さんは『観念』について書いたりしてます。

その『観念』の下。下には在るのです。

 

 

ここまで生きてきた間に当たり前のように身に着けてきた観念が沢山あります。

ただ、その観念の下には曇りのない、曇ることが不可能な、歳を決してとることがあり得ない視線はいつだって存在していたのです。

 

歳を決してとることがあり得ない視線。

無邪気で素直でオープンな視線。

気持ち悪いプライドなんてくっついていない視線。

それはいつだってそこに存在していたと気づく時がある。

 

その視線を感じたい。

『生』を感じたい。

そう思っている亮一さんは、インドに行こうと思っています。

そこにはこんな思いがあると言う。

 

 

見ず知らずの国で、ただ歩き、食べ、聞き、進み、疲れ、寝て、又進む。この何ともない行動がとっても生き生きとしていて、そこにはあの視線があったような気がするのです。

 ただ、この視線は晩御飯の後のボタン付け、朝珈琲をドリップする時、このパソコンのキーを打つ手の感触、今この朝に聞こえている鳥の泣き声、それらの感触といつでも寄り添うように存在しているのです。

 

その視線、『生』を感じること、は、なにもインドに行かなくてもいつもそこに在る。

全てに寄り添うように。

それを重々承知の上で、亮一さんはインドに行こうと思っている。

 

 

でも行こうと思っています。

「きっと何か答えが見つかる」

なんて思いませんし、そもそも答えを見つけるのが人生ではないのでしょう。

 

んふふ。これ↑素晴しい!

 

「きっと答えが見つかる」なんて思いませんし…

んふふ。

 

“旅”は“感じる”ために行く。

自分を。生を。視線を。

探すものなんてないし、答えなんて見つけるもんじゃない。

だって、いつもそこに在るんだから。

でも、もっとリアルに、もっと鮮烈に、自分の生を全身で感じたいと静かに思っている亮一さんがいる。

 

亮一さんは熱くないんです。

暑っ苦しくないんです

いつも静かにジッと観察しています。

いつも静かに感じています。

 

でもその静かさの中には大きな“何か”がいつも在るんです。

 

ボタン付けを無事に終了させるという事だけが成功なのではなく、ボタン付けを味わえる事自体に成功はあると思うのです。

 

最高!!

 

そんな貴方と一緒に暮らせることを誇りに思います。

お誕生日おめでとう。

 

妻という名前を頂いてる ゆっきぃより

 

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一年位前の鳥取砂丘での亮一さんとそらさん。

後ろ姿見るの、好きです。