藤山家においでよ

藤山家ってこんなとこです。

中心軸は中心点なんだよね。の話し。

私が28歳だか29歳の頃にガツン!と感銘というか感動というか、うーんと、なんだかものすごいびっくりさせられた本がある。

 

それがこれです。

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立花大敬先生の『こころはゴムひも?!』。

 

これを読み終わった時、私はこの本をギューーーっと抱きしめて

 

「これは本じゃない!!これは本なんかじゃない!!」

 

と、謎な言葉を何度も一人で呟いていたことを鮮明に覚えております。

ヤバいね。笑

相当行き詰ってたんだろうね。当時の私。

 

いや、でもね、ほんとにこの方の本は『本』という言葉に当てはめたくないような感じなんですよ。

 

当時はまだ飲み友達だった亮一さんにも超絶お薦めしたものです。

渋谷の騒がしい居酒屋にこの本を持ち込み、二人であーでもないこーでもないとよく語ったものです。(なつかしいなー)

 

さて、その時からもうかれこれ12,3年の月日がたったわけです。

その間、ほんとにいろんな本を読みました。

そしていつしか大敬先生の本は本棚の奥に入っていきました。

 

亮一さんが『非二元論』の本にどっぷり浸かりはじめ、私も亮一さんに薦められた本を読んでみたり、亮一さんのお話しを聞いたりしているうちに、ちょっとだけ大敬先生の本を遠ざけはじめたのです。

 

ラメッシ、トニー・パーソンズ、ルパート・スパイラ、ジョーン・トリフソン…

 

どれもとても美しい言葉がならんでいる。

行間から湧きたつ芸術性。

そして冷たく感じるほどの潔さ。

 

亮一さんほどではないけれど、私もその魅力に(亮一さんの話しの面白さも相まって)ひきつけられたのです。

 

大敬先生の紡ぐ言葉がなんだか優しすぎる!とちょっとやさぐれはじめたんですねー笑

(我ながら失礼なやつだな)

 

でも!なぜか、最近の私は大敬先生の本を引っ張り出し、『これをブログに書きたい!』と思い始めたのです。

 

久しぶりにその本を開くと、何も変わらない“優しさ”溢れる世界が広がりました。

 

どうしても書きたくなったのはこれ。

28,9歳頃の私は、このページの図と文章を見て、ものすごく!もんのすごく!!

腑に落ちたのをはっきりと覚えています。

 

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みえます?

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動いても動いても、ちっとも動くことない中心。これが<私の意>。

↓ここから引用します。

図の球があなたの生命の全体です。そして、この平面が地上世界です。

この球はひたすら平地上をころがってゆきますが、球の中心の一点だけは回転することがありません。むしろ、回転をあらしめているのはこの中心の一点で、これが<あなたの意>なのです。

この球の進む軌道が私たちが人生でたどる道です。

球と平面の接触する一点が<今・ココ>。

その接点は決して停滞することなく、a→b→c→d→e点のように次々移動してゆきます。

しかし、いかに接点が変化を続けても、円の中心<あなたの意>は常に、その接点に立てた鉛直線上に乗っていて、決して<今・ココ>を離れることなく不動です。

 

今度は<神の意>についてです。

 

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人は神に似せてつくられたのですから、神も人と同様、球体でイメージできます。

その球の中心に<神意>があるのです。これは<人の意>の場合と同じです。

ただ、神の球は人の球に比べますと、限りなく大きく、全宇宙をその内に含むのです。

神の球も、人の球と同じように、大変な勢いで刻々回転していますが、中心意の一点だけは常に不動です。

 

 

この後大敬先生は、神の意と人の意を重ねて<重意(おもい)>にする方法に気付きます。

 

二つの球は同一点で地上平面と接しています。その接点は、<今・ココ>という位(置)でした。

その<今・ココ>の位に垂線を立てると、その線上で<あなたの意>と<神の意>がピタッと一致し重なるのです。

このように三つの<イ>が重なるのが、生命の本来の姿なのです。

 

 そしてこの後、その生命本来の在り方から外れてしまった人の様子を説明します。

 

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この場合、<人の意>は<今・ココ>と<神の意>を結んだ鉛直線上にきていません。

この位置では、この人は決して安定できないことは図からお分りでしょう。

この人の人生は思い通りにゆくことはあり得ません。

その苦しみ、あがきは、<今・ココ>の一点まで、その<人の意>がもどってくるまでつづくことになります。

 

私はここまでを読んで「うおーーーっ!!」となったのです。

なんかこの図すげーーーっ!!てね。

すごくないですか?

 

この後の文章もほんとに秀逸です。

ちょっと長いですけど、よかったら頑張って読んでみてください。

 

この人は、<今・ココ>に落ち着くことはできませんでした。そして、<今・ココ>の一点から、この<人の意>は離れゆきました。

本当は、人間は<今・ココ>から離れることはできません。

その<今・ココ>の一点に、球の全体重、つまり人の生命全体重をかけて進んでゆくのです。

それが生命の本来の姿なのですから、私たちは、そのいのちの全体で<今・ココ>の一点に打ち込んでゆかねばなりません。

決して<今・ココ>から逃げてはいけませんし、もっと良い所があるはず、ここは僕の本来いる場所じゃないなどと思ってはなりません。

<今・ココ>にしっかりわが生命の全体がどっしりと落ち着くようになりますと、<私の意>はおのづと<今・ココ>にたてた鉛直線上におさまります。

そうしますと、この<今・ココ>の一点に、神の全体重がかかってきます。

神の全体重とは、全宇宙のエネルギー、全知能、全能力のことです。

それらが、あなたを通して<今・ココ>の一点に働き出すことになります。

その時、あなたを通して神様が働いていらっしゃるのです。

あなたの為すワザは神業となります。

 

はぁ…

脱帽です…

 

<今・ココ>にどっしりと落ち着くこと。とは。

 

それはあーだこーだと、なんだかんだと思い悩まない、ということ。

 

思考まみれでうるさい頭を落ち着かせ、自分自身にどっかりと身を落ち着かせる、ということ。

 

「他の誰かの意見」や「誰かからの刷り込み」や「いつの頃からか染みついてしまっていた思い込み」に気付き、“自分の内面”から湧きたつ思いを感じてみる。ということ。

 

とっちらかってしまった、分散されてしまったエネルギーを中心に集め、“その人本来の輝き”をこの世に発散させる。ということ。

 

そのあと大敬先生はこんな素敵なことを書いていらっしゃいます。

 

西洋の宗教の<三位一体>とは、父と子と聖霊だそうですが、私たち日本人の<三㋑一体>は、神の意と、人の意と、今・ココの位の<三㋑一体>です。

その三つの㋑が一つになって、我が身(一体)として踊り出した時、その人は現人神(あらひとがみ)であり、生神(いきがみ)なのです。

 

うん。

すばらしい。

 

私も常にそうありたい。

どっしりと落ち着いて毎日を丁寧に過ごしていきたい。

 

そしてそう在りたいと願う誰かのお手伝いがしたい。

 

今、恥ずかしげもなく、本気でそう思っております。

(うおっ!やっぱりちょっと恥ずかしい!!)

 

長い文章、読んでくださってありがとうございます!

 

 

私たち夫婦はこんなことをやってますよ。

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