先日友人が藤山家に遊びに来てくれて、一緒に夕飯を食べた。
その友人はゴハンが出てくるときにすんごく「幸せ」を感じられると大喜びしていた。
『“今”をちゃんと味わう』ということの難しさを、夕飯前にさんざん話した後だったからこのゴハンを“ちゃんと”味わうということがゴハン中の話しの題材になった。
人の思考はほんとにうるさい。
思考のうるささに気付かないくらいずーーっとおしゃべりをしているのが思考だ。
人はほっとくと「過去」と「未来」のことに忙しくなる。
これも気付かないくらい普通にずーーーっとそうなっていることがほとんどだ。と思う。
私が好きな立花大敬先生の本にこんなようなことが書いてあった。
書いてあったのはこの本ではないんだけどね。
『お茶を飲む』というのはほんとに難しいことです。
きちんとは覚えてないんだけどそんな感じのことが書いてあって、当時29歳の私は「うーん…よくわからん…」となった。笑
その後「瞑想」をするようになって、だんだんとその意味が腑に落ちてきた。
そしてその時私はあることに気付く。
「私は『自分の為だけ』にコーヒーを淹れたことがないんだ。」
『自分の為だけ』にお茶を淹れたこともなければ、『自分の為だけ』にちゃんとしたゴハンも作ったことがなかった。
私はずーーっとずーーーっと頭の中が大忙しだったんだ。
“今”の自分が大嫌いで許せない。
このままじゃ誰からも愛されない!
このままじゃ“幸せ”に成れない!
そんなことばっかりぐるぐると考えていた。
思考がうるさいことにも気づかないくらい、思考の波にのまれていた。
大嫌いな自分の為になんてコーヒーを淹れるなんてできない。
だってそんな“価値”なんてないと思ってるんだから。
若かりし日の私の唯一思考が休まる手段が『食べ吐き』だった。
口にどんどんと食べものを詰め込んでいくあの時間。
きっとすごい形相で詰め込んでいたんだろうと思う。
でも、あの時間だけは『食べ物を口にどんどん詰め込んでいく』だけがあった。
何も考えず、思考がストップする手段。
お腹がパンパンになってもう食べられない!となると、すぐにトイレへ駆け込む。
お腹に入っている食べ物を一気に吐き出すあの時間。
お腹がすっからかんになると、脳と身体が混乱をおこし、どろりとした眠気がやってくる。
倒れこむように朦朧としたままちょっとの眠りにつく。
なんともいえない背徳感。
眠りから覚めると空腹感に襲われる。
そしてまた頭の中はいつものようにとたんにうるさくなる。
そこから逃れたくて、空腹もいやで、またもや食べ吐きのループに入る。
今思うと、それが私の逃れ方だったんだ。
現実から逃れる。
うるさい思考から逃れる。
それしか方法がわからなかったんだね。
今の私は「思考が絶えずうるさい」という性質を知っている。
「思考はいつもおしゃべりだ」ということに気付いている。
だからこそ“ちゃんと”ゴハンを味わうんだ。
だからこそ“ちゃんと”コーヒーを自分の為に淹れるんだ。
まだ『お茶を飲む』のも『コーヒーを飲む』のも『ゴハンを食べる』のもへたっぴだけど。
へたっぴなことに“気付く”。
“今”にいるには“今”の体験に意識を向けるんだ。
ちゃんと味わう。
ちゃんと噛む。
ちゃんと飲む。
そして自分はどんな感じがするのか“ちゃんと”観るんだ。
「幸せ」はそれしかないからね。
「過去」と「未来」のことで思考がうるさいと“今”をまったく味わえない。
それはいつまでも「幸せ」に気付けないってことなんだよ。
「お茶を飲む」「ゴハンを食べる」「コーヒーを飲む」がもっとできるようになりたい。
もっと味わえるようになりたい。
“ちゃんと”ゴハン食べてます?
“ちゃんと”お茶を飲めますか?
これができたらいますぐに、この瞬間に「幸せ」に気付けますよ。( *´艸`)
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