藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

8月8日がきました。天太さん(私の亡くなった息子)のことを今年も書きたいと思います。

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いつぞやの綺麗な空。まっすぐスーッと上に線が入ってるね。

 

 

みなさんこんにちは。

毎日暑いですねぇ。

夏だねぇ。

夏大好きな私は毎日「暑いー暑いよぉー」と文句を言いながらもそれを存分に全身で楽しんでいます。(文句は言う。笑)

 

さて。

今日は8月8日です。

私はこの日がとても好きです。

『8月8日』という字面が好きです。

そして何よりも

 

息子の命日

 

だから好きなのです。

 

息子の命日が好きって不謹慎に感じますか?

まぁそう感じる方もいらっしゃるでしょうね。

でも私はこの日が近づくと胸がキュッとして、「わぁ…」と何故か声が出てしまうのです。

 

早いもので私の息子の天太(てんた)さんが亡くなって7回忌だそうで。

(いつも数えてないから忘れていた。☜これを母親に怒られました。笑)

天太さんの話しは何度かブログにも書いているのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、彼は染色体異常で産まれた、それはそれは小さくて可愛い男の子でした。

 

天太さんのことを書いた記事です。よろしければ。☟☟☟

 

yukiukix.hateblo.jp

yukiukix.hateblo.jp

 

まさか私が染色体異常で産まれた子の母になるなんて!!と驚きすぎて放心状態になったり、絶望で泣いたり、心の持っていきかたがわからず混乱したり、自暴自棄になったり、囚われの身になったような錯覚に陥ったり、このまま人生終わるのか…と途方にくれたり。

 

かと思えば「天ちゃぁぁぁーーん♡かぁわぁうぃ~ん♡」って言いながらチュッチュッしてたり、「好き好きぃーーん♡」って言いながら抱きしめていたりして、なんともいえないちぐはぐ感がありました。

 

『短命ですよ』『いつ死ぬかわかりませんよ』『育ったとしても話せませんよ』『立てませんし歩けませんよ』といわれている子をどうやって育てたらいいのか、“心の置き所”がまるでわからなかったんだよね。

18トリソミーの子は筋力がとても弱く、嚥下も難しいのです。なかなか大きくならないし、ほとんどの子が自力で立てないし歩けません。)

 

何度も書いているのだけれど、私は天太さんの存在と亮一さんの言葉でとても穏やかで静かな世界を知りました。

“赦す”ということがどういうことなのか、がなんとなくわかったような気がしています。(これも勘違いだったり思い込みだったりもするんだけどね。)

人にはいろいろな側面があり、あらゆる感情が同時にあってもいいし、それが当たり前のことなのだと知りました。

母親である前に“私で在る”ことがとても重要で、見失ってはいけないことなのだと実感しました。

 

彼と知り合わなかったら未だにわからなかったことが多々あります。

わからんちんで強固な思い込みが満載の私に“ゆるむ”と“赦す”をじんわりと示してくれているのは彼と亮一さんとそらさんです。

(未だにわからんちんだし強固な思い込み満載ですがね。とほほ。)

 

 

7年前の今日のことを思い出すと胸がキュッとします。

それは哀しみでもなく、後悔でもなく、辛さでもありません。

「あーそんなことがあったんだよなぁ。。」

「私の“人生”という名の“記憶”にそんな出来事があったんだよなぁ。。」

という『切なさ』です。

 

可愛かったなぁ。

しんどかったなぁ。

眠かったなぁ。

辛かったなぁ。

悲しかったなぁ。

大変だったなぁ。

愛しかったなぁ。

なんで私にこんなことが!と怒ったよなぁ。

 

でも

よかったなぁ。

 

そんな感じの思いを何度も反芻できる喜びを体験しています。

今日は人間に“記憶する”という機能があってよかった!と思う日です。

 

たくさんの人に助けてもらった体験もしたし、なんだ?!!世の中って優しいじゃん!!と改めて感じたのもめちゃくちゃ記憶に刻まれています。

 

『息子の死』って聞くとそりゃあネガティブな感じがするだろうけど、私は天太さんが生まれてよかったと感じているし、私の腕の中で亡くなったこともとてもよかったと思っています。

 

あー

私の人生がこれでよかったなー

 

と。

 

 

毎日いろんなことがあるよね。

腹が立つことも普通にあるし、びっくりしちゃうようなことも起こります。

哀しい出来事もあるし、憤るようなことだってあるよね。

それが“生きてる”ってことだね。

 

私は天太さんの死を目の当たりにして「はー人ってほんとに死ぬんだなぁ」とあれほど実感したはずで、『人間はみんないづれ死ぬ』『死はみんなに訪れる』とあれほどあれほど感じたはずなのにすぐ忘れます。

そのことをすぐに忘れてしまうんです。

 

なんというポンコツ!!!

 

少し前、仲良くなり始めていた方が急に亡くなりました。

とてもびっくりして数日間気付けば泣いているという日々を過ごしました。

 

生身のその人ともう会うことができない、話すことができない、触れ合うことができない。

それってすごく哀しくて寂しいことなんだ、と、もうなんだか「今さら何言ってんだよ!」なことを改めて改めて改めて実感した。

でも私は知ってます。

これもすぐ忘れるんです。

ポンコツ!!

 

数日前、私の施術を受けて下さってる方のお父様が亡くなったとメッセージが入りました。

私はお父様とはお会いしたことがないです。

しかもその施術を受けて下さっている方もまだ3回?くらいしかお会いしたことがありません。

それなのに涙がぽろぽろと流れてくるではありませんか。

もう自分で何がなんだかわかりません。

 

人が亡くなるって哀しいね。

びっくりしちゃうよね。

 

そして一番忘れちゃならないことがあります。それは

 

自分も死ぬ

 

ってことです。

 

いずれ死にます。

絶対に。

 

魂は死なないとかそんな話しは知りません。

そうかもしれないけれど、そんな話しと生身の身体で会えなくなる哀しみをごちゃまぜにするのは好きじゃないしうるせー!と思っちゃいます。

 

この

私もいずれ死ぬ、それはいつかはわからない。

という事実はそりゃもう忘れます。

すぐに忘れます。

明日は間違いなくくると思ってるし、日々のことで頭は忙しいから。

 

でもいつも立ち返りたい。

 

私はいずれ間違いなく死ぬ

 

ということに。

 

 

今日は天太さんに「ありがとう」を伝えたいと思います。

手を合わせて。

私の人生の記憶に現れてくれてありがとう。

だんだん細かい記憶は曖昧になってきているけれど、鮮明に残っているポイントの記憶も胸のキュッもまだあるよ。

 

あ、晴れてきたな。

じゃあやっとお墓まいりに行けるから行ってくるね。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

ではまた。