藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

人はいつだってイメージを生きている。~親離れのススメ。依存に気付いていくススメ。~

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こんにちは。

『私の施術のお話し。』シリーズがまだ途中ですが、今日はちょっと違う話題を。

 

(最近私の施術が出来上がるまでのお話しを書いています。

ご興味があればぜひ。

読み物として楽しんでもらえれば嬉しいです!

こちらからどうぞ!☟☟

 

 

https://yukiukix.hateblo.jp/entry/2021/01/16/154044

 

 

昨日は私の父親の3回忌があり、家族で法要に出向きました。

コロナの影響もあり、ちょっと寂しい人数の法要でしたが私の母親が「お父さんのために私がやってあげたいの。」という希望が叶ったのでよかったのでしょう。

 

私は常々

「法要とかどっちでもよくね?」

「故人のためとか言うけど、実際は生きている人の為だよね?」

「自分がやってスッキリするならやったほうがいいよね。」

「これがきっかけでみんなが集まれて、故人のお話しがたっぷりできるならそれはいいことだよね。」

「亡くなった○○の為にやるんだ。とかなんか気持ち悪くない?『自分たちのため』でよくない?」

 

のように思っているのですが、別に法要自体を否定しているわけではありません。

ほんとに故人が喜んでいるのかもしれませんし、「喜んでいる訳ないじゃん」ということを証明できる何かがあるわけではないですから。

 

ただ、「自分がやりたいからやった」と思えたら、それでいいいじゃんねーと思ってるって話しです。

 

「ちゃんとやらないと故人が悲しむ。」とか「故人のために」とか、とりあえず言っちゃうのもわかるけれど「それウソじゃん」とか思ってしまうめんどくさい奴が私です。

 

今回は私の母親が「私がやりたかったから」という理由でやろうとして、そして本人が満足しているから「そりゃよかったねー!」という結果で、たまに礼服着ると自分の身体のサイズがアップしているかダウンしているかわかるから現実みられていいよねーみたいな感じでした。

(実際ちょっときつくなってて「やっべ」と思ったのは内緒。ぶふふ。)

 

まぁ、私が法要的なことをどう思っているかはさておき。

 

今回の3回忌法要で私が感じたことをどうしても書きたくなったので、今カタカタとパソコンを打っています。

 

うまく伝わるかどうかわかりませんが、誤解を恐れずに書いていきます。

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いつぞやに飲んだクラフトビール。美味かった。

 

 

私の両親はそれはそれは愛情深くて、とにかく家族が大好きな父親と母親です。

 

父親はTHE・昭和!な感じの男性で、子どもたちを叱る時は「ここに正座しろ!」と言い、げんこつでガン!と頭を殴ることもあるような方でした。(もちろんめったにそんなことはしないのですが。)

サッポロビールが大好きで、毎日晩酌をする父親の膝の上に座っておつまみをちょっとずつもらうのがとっても楽しみだったのをよく覚えています。

 

「お前はお父さんの宝物なんだからな。」

「お前はそのままでいいんだぞ。」

「うちの子が世界で一番可愛いなぁ!」

「たくさん失敗しなさい。最初からできる人なんてどこにもいないんだから。」

「辛い思いをしたときはこう思うんだぞ。『また一つ人の気持ちがわかるようになった』てな。」

 

そんな言葉をいつも私たちにかけてくれた、厳しいけれどとても優しい、家族思いの父親でした。

私は父親のことが大好きだったのですが、その反面「怖い」とも思っていました。

一番怒られたくない人。

そんな感じです。

 

「ちゃんとしろ!」

「だらしがないぞ!」

「お前はしょうがないなあ!!」

「女だろ!!」

「人に迷惑をかけるな!」

「お前は親不孝者だぞ!」

 

こんなこともたくさん言われた私は、この言葉の呪縛にかかっていて、そこから逃れるのに少しだけ苦労しました。

 

お父さんにわかってもらいたい。

お父さんに褒められたい。

お父さんに喜んでもらいたい。

お父さんに愛されたい。

 

心の奥底でそんなこともずっと思っていた私。

この思いはたぶん幼少期から27歳くらいまで続いていたのかな。

 

そして母親。

 

私の母親はこれまたTHE・昭和な感じのお母さんです。

20歳で結婚。(処女だったってさ!)

子ども大好き。

家族が全て。

家事と育児とパートで毎日が過ぎていく。

家計のやりくりを一生懸命やり、自分のものはほとんど買わない。

贅沢なんてしたことない。

たまに友達と出かけるのは安いツアー旅行。

海外旅行にも行ったことがなく、いつも行動するテリトリーが決まっている。

 

そんな母親の口にするセリフはこんな感じでした。

 

「お母さんは世間知らずだからねぇ。」

「お父さんに聞いてからね。」

「お父さんがなんていうかねぇ。」

 

とにかくお父さんが一番。

それから子供たち。

自分のことはずーーーっと後回し。

 

ですが、子どものことを本気で愛している母親はいつもいつもこんなことを私たち姉兄妹に言っていました。

 

「うちの子が世界で一番可愛い!」

「うちの子はみーーんな顔も可愛いのよぉ。」

「うちの子が一番!」

「ほんとにみんないい子で優しくて可愛い!」

 

ずっと家庭の中にいる、自分のことは後回しでガマンばかりしている。

でもお父さんと子どもたちがそばにいれば幸せそうな母親の生き方が私にはまったくわからず、「こんな風にはなりたくない。」「これが結婚ならぜったいしたくない。」「お母さんのようにはなりたくない。」とまで思うようになってしまいました。

私たち姉兄妹(きょうだい)にかけてくれた言葉や愛情はそれはそれは素晴らしく、感謝はしていたのですが、反発もしていました。

 

保守的な両親、自分たちの知らない世界のことはまず反対する人たち。

私はいつしか「これをやってみたい」「こうしたい」という自分の欲求を勝手に封印するようになりました。

 

「どうせ言っても反対される。」

「どうせ言っても無駄だ。」

「説得するのは大変だから言うの止めよう。」

「説明も難しいし。」

 

そんな感じで。

 

なげやりな諦め方をしていた私はいつしか摂食障害の症状が酷くなり、それを知られたくないという思いや、自分のことを言えない苦しさが募って家出をしました。

何も告げず、何も言わず、スッと家を出てしまったのです。

 

19歳の時でした。

 

きっと両親はとてもとても驚いただろうし、とてもとても悲しんだと思います。

後から聞いた話では、父親は毎晩私を探し歩いていたとか。

母親は何もすることができず、ただ私の身を案じ、毎日千羽鶴を折っていたそうです。

 

家出から3年後に連絡を取り合うようになるのですが(3年間は音信不通でした。ひどいね。)、実家に帰ったのは家出をしてから7年後でした。

 

私は家出をしてからの7年間でいろんな体験を重ねました。

ソープ嬢になってみたりバーテンダーになってみたりクラブホステスになってみたり雑誌の記者になってみたり、同棲してみたり不倫してみたりクズ男に暴力振るわれたり、酒を浴びるほど飲んでみたりたくさんの男性とSEXしてみたり男性に貢いでもらったり。

 

自分で生活してみる。

やりたいと思ったことを存分にやってみる。

どん底に落ちてみる。

のたうち回ってみる。

 

そんな7年間でした。

 

私はその期間でこんなことに気付きました。

 

 

「あ。お父さんもお母さんもただの1人の男であり1人の女なんだ。」

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いつぞやの高尾山。綺麗だったな。

 

 

これはとっても当たり前のことです。

ですが、これに気付いた時(多分22歳くらいの頃です。)に「あーー!」とやけに納得してしまい、すごく驚いたのを覚えています。

 

お父さんは私のお父さんで在る前に「ただの1人の男の人」。

お母さんは私のお母さんで在る前に「ただの1人の女の人」。

 

そんな当たり前のことにやっと気づき、「そうか…。そうだったのか。」と妙に納得してしまったのです。

 

それから私はゆっくりゆっくりいつの間にか染み付いてしまった『親の呪縛』『思い込み』に気付いていくということをやっていくのですが、これがまた地道で長い道のりでした。

しかも未だにそれが続いていたりするのですから、人間と言うのは思い込みばかりでできているのだなぁと遠くを見つめてしまいます。

 

 

お父さんは『正男』という名前の1人の男性で、彼の人生ドラマを懸命に生きている人。

お母さんは『康子』という名前の1人の女性で、彼女の人生ドラマを懸命に生きている人。

 

 

そんな視点で2人を観ていくと、私の中にあった「お父さんにわかってもらいたい!」という気持ちや「お母さんに褒められたい!」という欲求が小さくなっていくのがわかりました。

 

お父さんはこうあって欲しい!やお母さんはこうでなければ嫌だ!のような自分の思いに気付き、「あはは」と笑えるようになりました。

 

私とお父さんとお母さんは人間同士だ。

『お父さん』とか『お母さん』というのはただの役割であって、それ以前にただの人間同士なのだ。

 

私は私が勝手に抱いていた『期待』に気付き、それを笑い飛ばしました。

 

それでもしつこく湧く「お父さんにわかってもらいたい!」「お母さんに褒められたい!」という思いにまた気付き、じっとそれを観察しました。

 

きっとこれが『親離れ』というのかもしれないですね。

 

多分幼少期からそんな視点はあったのですが、(割と観察をする子どもでした。)その視点が強化されたのでしょう。

 

 

その後、私は亮一さんと結婚をしてそらさんを出産しました。

結婚をして家庭を築くということをし始めた私は、まだまだ自分の中に呪縛があることに気付きます。

 

私の中に『理想の妻像』や『理想の母親像』があり、それに自分を合わせようとしていたのです。

その『理想像』が私のお母さんのようだったのですよ!!

驚愕!!!

 

その時、『親の刷り込み』『親の呪縛』って強固だなぁと思ったのですが、どうやらそれも違うようです。

 

『親の呪縛』とか『親の刷り込み』って言うと、なんだか「親のせい」みたいな感じじゃないですか?

これね、そうじゃなくて、ただの『自分の思い込み』なんですよ。

 

この「誰のせいにもできない」感じ。

どこまでいっても「自分」のことだったっていうなんともやるせない感じ。

 

これに気付くと結果として世界が広がるのですが、「全部自分だった」「誰のせいでもなかった」ってとこに引っかかって怒り出す人もたくさんいます。(その気持ちもわかる。うん。)

 

 

そんな理解?気付き?が深まると、どんどん「勝手な期待」をしなくなります。

もしくは「勝手な期待をしている」ことに気付きます。

 

それは例えばこんな感じです。

 

「お母さんが私を認めてくれないからこんなに苦しいんだ!」という思いから

「あー私が苦しいのをお母さんのせいにしたいんだなぁー」と気付く。☞

「で?結局なんで苦しいんだろ?」☞「理由は私の中にあったなぁー」☞「お母さん関係ねーじゃん!」☞「ていうか、なんでお母さんに認められれば苦しくなくなるとか思ってんの?はっず!うっざ!」☞「ていうかお母さんって誰だよ。そんな人いたっけ?」☞「ただの1人の素敵な可愛らしい健気な女の人じゃん。」

 

 

お母さん関係なかった!!!

ていうか、お母さんって人どこにもいなかった!!

私の中に「お母さん」というイメージがあっただけだった!!

 

そんなことに気付きます。

 

そんな気付きがたくさんあり、理解が深まってくると、こんな感覚が芽生えます。

 

「人ってずっとイメージで生きてるんだなぁー」

 

と。

 

私は私の中にある「お父さんのイメージ」を好きだったり嫌いだったりしています。

私は私の中にある「お母さんのイメージ」を好きだったり嫌いだったりしています。

 

そんな人、実際はどこにもいない。

ただの私の中のイメージですから。

 

 

昨日の法要でお焼香をしている母親を見ていて、私はこんなことを思っていました。

 

「あれ?お母さんってなんだっけ?」

 

ニコニコ笑顔の遺影の父親を見て、「お父さんってなんだったっけ?」と。

 

同時に「私ってなんだっけ?」と感じている視点に気付きながら。

 

 

『依存』って楽ちんのように感じるよね。

もしくは自分が依存しているなんて気づかなかったりね。

 

離れてみると世界がグンと広がるよ。

 

怖いかもしれないけれど、グッと肚に力を込めて離れてみるとこんなに世界は軽いのか!と気付けるよ。

 

そして「その人のイメージ」を勝手に好きになったり嫌いになったりしているだけだと気づくと、その人の意外(だと感じる部分)を知っても「へー!そんなところあったんだー!」と楽しく受け入れていくことができるんだよ。(受け入れられない時もある。うん。あるある。)

 

 

『親』って結構やっかいですよね。

この問題っていろんな人が抱えているんじゃないかなぁ。

 

『親離れ』できてます?

『親離れ』ができてなければ『子離れ』もきっとできないね。

そして「恋愛」や「結婚」もきっとなかなかうまくいかないよね。

 

人ってただ自分の中にあるイメージをあーだこーだこねくり回しているだけなんだなーってことに気付いていくとすっごく軽やかになるんだよ。

だから一緒にやってみない?というお誘いです。

 

私はとても自由に軽やかになれたからさ。

いまだに引っかかりそうになる時もあるけどね。

 

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

伝わったかなぁ。

 

みんな勝手なイメージで生きてるんだねーって話しです。

だからさ、もし苦しかったらイメージ変えちゃえばいいんだよねーって話しです。

 

簡単に言うなって?

 

だったら身体から変えちゃえ!!

 

半ば強引に宣伝にもっていってますが(笑)、ここからは毎度の宣伝です。

必要ない方はスルーしてね。

 

 

 整う施術やってます。

身体を整えると思考が整う。

冷静に優しく世界を観ることができます。

そんなコツもお話しできたらいいですね。

 

《施術時間と料金》

90分 8000円

初回は120分 9000円

(初回はお話しを伺うお時間を頂きます。)

 

《場所》

横浜にある『藤山家』

ご予約後詳しい場所をお伝えいたします。

最寄り駅は横浜市営地下鉄『蒔田駅(まいたえき)』です。

 

ご希望があればめちゃくちゃ美味しいハーブティーを+200円でお付けいたします。

一緒に飲みましょう。

 

 本来あるべき姿に戻していく。

本来の身体のポテンシャルを引き出す。

余分な力が抜ける。

立つこと自体が楽になる。

関節の可動域が広がる。

視界がとにかく明るくなる。

身体が軽くなる。

ストンと立てる。

楽に動ける。

思考が整う。

世界の観方が優しくなる。(かも?!)

 

そんなことを実感していただける施術だと思います。

もちろん不調を感じている個所や痛みが出ている個所がありましたら遠慮なくおっしゃってください。

あらゆる方法で施術を試みます。

 

 

1月の枠がありがたいことに残り1枠になりました。

1月28日がまだ空いております。(←ご予約いただきました!ありがとうございます!)

そして2月はまだまだ空きがありますよ!

是非一度受けてみて下さい。

 

きっとご自分の身体が好きになりますよ。

 

お気軽にご質問・お問い合わせしてくださいね。

↓こちらからどうぞ。

お問い合せ・お申込み:メールフォーム 

 

ご神木が埋まっている不思議なお部屋でお待ちしています!!

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猫がふすまをボロボロにしてしまっているのはご勘弁ください…

この真ん中の四角い部分にご神木が埋まっています。

 

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こちら。

 

もんのすごく気持ちよいお部屋です。

 

ぜひ体験してもらいたいなぁ。