藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

私が私を決めつけていることにどれだけ気づけるかのゲーム。ぶち壊し続けるとどうなるだろう?

お久しぶりです!

もう9月?嘘?!嘘だと言ってくれ!!

と言っても誰も嘘だとは言ってくれないのですよね。

だってほんとのことだからね。泣

 

あー

夏が行っちゃったなぁ。

いつだってなんだってすぐに過ぎ去っちゃうんだけどね。

朝の陽ざしも風も空気も『秋』ですね。

まぁ『秋』なんてどこを探してもないんですけどね。

確固たる『秋』なんてどこにもないんだよね。

 

今日はめちゃくちゃまとまりのない話しです。

長いから読まない方がいいよ。笑

それにめちゃくちゃめんどくさい記事だよ。

この女めんどくせー!って思うから、読まない方がいいよ。

正直に書いてるだけだけどね。

読む?

まぁよかったら読んでいってよ。

読んで文句いわないでよ。

ちゃんと断ったんだからさ。

いい?

 

 

さて、今私は動き始めています。

ずっと土の中でもごもごぐずぐずしていたようなここ数年間だったのだけれど、ぼこっと土の中から頭をやっと出せたような、そんな感覚でいます。

まだ頭を出したばっかりなので、きょろきょろと辺りを見回しているくらいのものですが。

頭を出すだけでもとてもエネルギーが必要で、そしてこれは意図してできるものではないのだなぁと改めてひしひしと感じています。

「頭出したいなぁ。いつまでもしゃがんでいないで立ち上がりたいなぁ。」ともにょもにょと思っていたことがよかったのかもしれなけれど、立ち上がる時のタイミングは自分でコントロールなんてできないんだとつくづく感じているところです。

だって、もにょもにょしていた時だって自分では立ち上がっていたつもりだったのだから。

「よいしょ!!」ってやっているつもりだったんですよ。

「おりゃーーー!!!」ってめっちゃやってるつもりだったの。

でも結局掛け声と気合だけだったって感じ。笑

掛け声と気合はすごいのに気づいたらしゃがんだままだったっていうのが今はわかる。

滑稽で可愛いなぁ。

 

さてさて。

こっからどうするか?なんだよね。

今、実際に怖気づいてる自分がいる(ような気がする)のです。

頭は出したものの、こりゃ大変なことをしてしまった…という焦りと恐怖心が襲ってくるわけ。

ひょこっと頭をまたひっこめることだってできるし、また土の中でもにょもにょぬくぬく暮らすことだってやろうと思えばできる。

だってそれのほうが安全なような気がするんだもん。

もにょもにょぬくぬくが悪いわけじゃない。

それだっていいよね。

土の中で丸まってぬくぬくしてるのだっていいよね。

 

でもさ…。

 

そう、これ。

『でもさ』って口にでてしまうコレなんだよね。

怖いし怖気づいちゃうし焦るしめんどくさいし「やっべー!」って思うけど、頭出しちゃったんだよ。

動きたい!って勝手に身体が動いちゃったんだよ。

あー怖い。

あーめんどくさい。

あー嫌なこともたくさんだ。

あーカッコ悪いこともいっぱいやらなきゃなんだろうなぁ。

 

でも身体がやめないなら従うしかないんだ。

 

どんなにすごいと感じる人だって、目の前のことをこつこつやった結果がそれなんだ。

と常に自分に言い聞かす。

そして自分のその姿をじっと観察する。

じっと観察しているソレをまたじっと観る。

じっと観察しているソレをじっと観ているソレをまたじっと観る…(←どこまで増えるかやると行きつくところがあるんだよね。)

これを繰り返していると、焦りと不安と怖気づく感覚が薄らぐ。

なくならないけどとても曖昧なものになるんだよね。

焦りと不安と怖気づいている自分がとても小さい、『私』という感覚のほんの一部でしかないとわかるから。

焦りや不安や怖気づいている感じがなくならないところがミソなのよ。

これを感じたまま、身体が動く方向に身を任せる。

動いちゃう方向にいくわけ。

「無計画だ!」とか「無鉄砲すぎる!」とか「やっぱり浅はかな奴なんだな!」とか「考えが幼稚だぞ!」とか「常識的じゃない!」とか「大人げなさすぎる!」とか「お前には無理だって。」とか「お前にできるわけがない。」とか、頭の中の自分がいろいろいろいろごちゃごちゃ言ったりするんですよ。

言いません?

私の頭の中の誰かはめっちゃ言います。

いつでも言います。

これがまたうるさいんだ。

この声を聞きながら、そう、音楽でも聞き流しているような感覚で身体が動く方向に身を任せる。

「怖い怖い怖い…」という声を聞きながら、鼻歌を歌って身体の動く方向に身を任せるのです。

「めんどくさいよぉ。こんなことやって何になるのぉ?」という声を音楽を聞いているように聞き流しながら、手と身体を動かす。

 

私の毎日はこんな感じです。

 

表面的にみたらただパソコンを打っているだけだったり、もくもくと何かの作業をしているだけのように見えると思います。

でも私は毎日毎日自分を裏切り続けています。

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いつぞやの江の島。ガラガラだったよ。

 

「自分を信じる」って言葉があるでしょ?

この言葉好きな女子たくさんいるよね。

私も好きだよ。この言葉。

でもさ、まず自分が思っている自分って何か?を考えてみるほうがいいよね。

自分を信じなきゃ!って力んだって仕方がないし、逆に作用すると「自分を信じられない自分はだめだ…」とか意味がわかんない自虐になる可能性あるからね。

(やったことあるでしょ?私はあるよ。笑)

 

まずは私が思っている私というイメージと思い込みに気付こう。

それからそこを疑ってみよう。

そしてその思い込みを裏切っていく。

裏切り続けていくの。

頭の中の声を聞き流す癖をつけるんだよ。

「自分を信じよう。」の『自分』って誰?

どこにいる?

どれのこと?

どれだと思ってる?

 

私は私を信じない。

私は私を信じながら信じないよ。

決め付けんじゃねー!!っていつもいつも反抗してる。

いつだって「そんなのわかんないじゃん。」って思うんだ。

 

私は亮一さんのことが大好きなんだけど、亮一さんの「俺が俺につかまってたまるか」みたいなところが大好きなんだ。

だから私も亮一さんを決めつけたくないし、いつだって「へー!亮一さんってこんなところもあるんだぁー」って発見がある。

知り合ってから14年くらい?経つと思うんだけど(もっと経つかな?)、その新鮮な発見は今もなお続いているんだ。

それは私が私の知らない面を日々発見しているのと同じことなんだよね。

 

私は占いが好きな方なんだけど、自分から占いの結果を聞いておいて「うるせー!決め付けんじゃねーよ!」とか思う時がある。

もうどうしようもなくめんどくさい奴だね。笑

自分から占ってもらいにいって「うるせーな!!」ってなんなんだよ。笑

ほんとわけわかんない。

 

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ぶははははは!この亮一さん最高だな。もちろんやったのは私。笑

 

話しは変わって。

最近特に強く、『反省』とか『自己嫌悪』って自分をごまかすのにうってつけの方法だなって感じるのです。

『反省』って一見いい事のように感じません?

反省しなきゃ!なんて思ったことありませんか?

私は何度も何度もあります。

じゃあ『自己嫌悪』に陥ったことは?

私は何度も何度も何度も…数えきれないほどあります。

これ、めちゃくちゃ「何様?」って感じに思えてね。

「自己嫌悪?は?何様?」って感じね。

「反省?は?反省するほどの奴ですか?何様?」って感じ。

自分がどんなやつかも知らないし、自分ってどこにいるかもわからないのに『自己嫌悪』とか『反省』とかなんなん?って思うのよ。

ただの茶番にしか感じないし、どことなく気持ち悪いのです。

『反省』している自分に満足しようとしているような違和感。

『自己嫌悪』に陥っていることで何かをごまかそうとしているような気持ち悪さ。

自分を綺麗にしておきたいためにする行為のような感じがするのです。

 

私は私をもうとことんどうしようもない情けないちっぽけな存在だと認めたい。

どこにでもいるどうともない存在だとちゃんと肚から認めたいのです。

私は私を反省することも許されない、自己嫌悪に陥ることも許されない、どうしようもないやつなんだときちんと認めたいのです。

これ、自虐に聞こえるでしょ?

違うんですよ。

自虐でもなんでもないんです。

どこまでいっても自分は特別な存在だと思いたい自分がいるんです。

これが嫌なんです。

何もわかっちゃいないのに、すぐにわかったようなふりをするこれ。

すぐに「私って~」と個人になろうとするこれ。

どうしようもねーな。笑

 

決め付けられたくないのに、すぐに決めつけたくなるこれ。

決め付けられることなんて何もないのに、決めつけないと安心しないこれ。

どこまでいってもどうしようもねーな。笑

 

あなたは特別な存在です。なんて言われると嬉しいよね。

かつての私もそうでした。

スピかじりかけの若かりし頃なんてそりゃそんな言葉が大好きで、起こる出来事には全て意味があるんだ!なんて思っちゃったりして。

 

全てがストーリー。

全てが茶番。

全てが幻想。

 

意味づけは自分でするんだよ。自分でしてるんだよ。

どうやって意味づけしたっていいんだよ。

ただの後から付けた意味だからね。

ただ起こることが起こってるだけなんだから。

それから「みんな特別」なんだよ。

てことはだよ、みんなちっぽけでどうってことないってことだよ。

特別な誰かがいるんじゃないんだよ。

特別じゃなきゃいけないわけじゃないんだよ。

どうってことなくてちっぽけであるってことを認めないと、特別であるってことも認められないんだよ。

 

私は私がした意味づけなんて信じない。

すぐ疑うよ。

すぐにあーだこーだ言い訳してごまかしてスッキリしたくなる自分をとっつかまえて「気持ち悪いままでここにいろ!」って言うんだ。

この気持ち悪さを感じることが「生きる」ってことだろ?おおん?とすごむんだ。

 

私には嫌いな言葉があるんだ。

それはね「後悔したくないんです!」ってやつ。

この言葉はとても胸糞悪い。(言葉が汚い。笑)

これはもちろん聞き方にもよるけれど「ポジティブしかほしくないんです!」と言っているように聞こえるのです。今の私には。

どちらかというと「後悔したっていいや。」の方が好き。

これには覚悟があるように聞こえるんだ。もちろん今の私には、だけどね。

「後悔も私の人生に起こった事だから引き受けます。」と言っているように聞こえるんだよね。

ところで「後悔」ってなんだろうね。

後で悔やむ?

それもいいじゃんね。

嫌だけどいいじゃん。

胸をかきむしりたくなるような後悔。

あるよね。

私にもあるよ。

もうほとんど忘れてるけど。

「後悔したくないんです!だからやります!」っていい感じに聞こえる言葉だよね。

なんか前向きで勇気があってカッコいい!なんて思われがちじゃない?

私には固く聞こえるんだ。

小さく固くなっているイメージ。

『頑な』って感じかな。

そう。

『怖がっている』ように感じるんだ。

 

肩に力が入っていると何ごともうまくまわらない。

なによりも空気が悪くなるし、一緒にいる人の居心地が悪い。

少なくとも私は肩に力が入っている人と長時間一緒にいたいとは思わない。

私は長年ずーーーーっと肩に力が入ったまま生きていたからよくわかるんだ。

今だって力はいるよ。

すぐ抜こうとするし、抜き方もなんとなくわかってきたけれど。

 

何が言いたかったかというとね、私は私をぶち壊し続けているよってこと。

わかったふりはしたくないってこと。

なんもわかんないまま生きてるんだってことを常に正直に観ていこうとしているよってこと。

私はとてつもなくどうしようもないわからんちんなヤツなんだってことを肚から認めたいけどなかなか認められないんだよってこと。

承認欲求はどこまでいってもなくならないんだけど、「承認欲求なんてクソくらえー!」ってあがくときがたくさんあるよってこと。

綺麗な言葉を並べ立てて生きていくなんてつまらんし気持ち悪すぎる!と思っているってこと。

 

これ、やり続けたらどうなる?って観てるんだ。

未来に期待しちゃったりもするけれど、なるべく期待している自分に気付くようにして「ぶふふ。また期待してらー。ほんとにどうしようもねーなぁ。」って笑うようにしてるんだ。

 

毎日が冒険で修行です。笑

 

あーあ

生きるって大変だなぁ。

めんどくさいなぁ。

でもしょうがないね。

だったらできるだけ決めつけないで毎日自分をぶち壊していこう。

よくよく観ていったらどこにも自分なんて見当たらないんだからさ。

 

最期まで読んでくれたんですか?

あらー

ありがとうございます。

嬉しいです。

 

今日も生きましょう。

 

ではまた。