藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

愛する人がいるってとても厄介でめんどくさいことなんだね。

 

そらさんの秋休みが終わり、今朝元気に学校に行きました。

私は某駅まで送り、そらさんは「バイバーイ!行ってきまーす!」と手を振って特急電車に乗り込みました。

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見送る時、私はいつもニモのお父さんのマーリンのセリフを胸の中で呟く。(説明するまでもないと思うけど、映画ファインディング・ニモの話しね。)

映画の最後、「パパ、バイバーイ!」と言って学校へ行くニモの後姿を見ながら、「いっぱい冒険しておいで。」と見送るお父さんのマーリン。

私はこのシーンを見る度に毎度毎度アホみたいに涙を流す。

今これを書いていても涙が流れるくらいだ。

ファインディング・ニモを観ていない人は今日のブログはわかりづらいよー。)

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ファインディング・そらさんとインコ。泣ける。 

 

 

まだ亮一さんと結婚するちょっと前、私はながーーーい家出を終え(7年も家出してたの。ふふふ。)、実家に戻って父と母と兄夫婦と暮らしていた。

ある日私は昼間から暇そうにビールを飲んでいた父にファインディング・ニモのDVDを差し出し、「これ、観てみる?」と言ってみた。

釣りが大好きでなによりも海が大好きだった父は「ん?海の話しか?」と私に聞いて、「そうだよ。すっごく綺麗だよ。」と私が言うと「じゃ、観てみるか。」と笑顔で言った。

常日頃から「アニメなんかくだらねぇ」と言っている父が珍しく「観てみるか」と言ってくれたことが嬉しかったのを覚えている。

 

私はDVDを父に差し出してすぐに出かけてしまい、父に感想を聞いたのは次の日だった。

「どうだった?面白かった?」と私が聞くと、父はちょっと照れくさそうに「お父さん泣いちゃったよ。」と小さな声で言った。

私は父の意外な答えに驚き、「え?!泣いたの?!ほんと?!」と聞いた。

 

 

「いやぁ~…親と子の話しはダメだ。あれはダメだよ。親なんてそんなもんだぞ。」

 

父はビールの入ったグラスを持ちながら、自分の言葉に小さく頷きながらそう言った。

 

「ふぅん。そうなんだねぇ。親は大変だねぇー。笑」

 

私はわざと父にふざけた返事をした。

なんだか父の言葉を聞いて泣きそうになったからだ。

 

「そうだぞ!お前みたいな親不孝な子供を持つと大変なんだぞ!はははは!」

 

父は私がふざけたことに乗っかり、笑いながら「お前はぁ!心配ばかりかけて!」と優しい顔で言った。

 

当時結婚もしていなければ子どももいない私は、それでもマーリンの最後のセリフにいつも涙していた。

 

が。

が!なのだ。

 

未だに同じシーンで私はアホみたいに涙を流すけれど、まったく質が違うのだ。

 

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見ながら呟いてしまうセリフ。

「いっぱい冒険しておいで」と胸の中で呟くときの心境。

そこに含まれる覚悟。

何もしてあげることができない悲しみと辛さ。

苦しいことがあった時にかわってあげることができない切なさ。

ずっと一緒にくっついて守っていくことが不可能だという事実。

(『それじゃあハーポ君だって楽しくない。』っていうドリーのセリフが染みる。

『ハーポ君』って!!といつも突っ込みをいれるけれど。笑)

 

私は歳を重ね、経験を重ね、そんなことを知ることができた。

そしてそこに父の思いを想像することができるようになった。

父はもう亡くなってしまったので父の心境を直接聞くことはできないけれど、「お父さんも私に対してこんな感じだったのかな」と想像することができるようになった。

 

 

もうすぐ亮一さんがインドに旅立つ。

初めてのインドだ。

彼がずっと「行ってみたいんだよねぇ」「行かなきゃいけない気がするんだよねぇ」と言っていた場所に行く。

彼の中でいろんな葛藤や不安や恐怖心が湧き上がっては消えているみたいだけれど、私はそれを聞くことしかできない。

しかも彼が『話してくれた時』だけしか『聞くこと』はできないのだ。

当たり前なのだけれど。

 

前回亮一さんがアジア一人旅に4週間ほど行っていた時はそらさんはまだ幼稚園に通っていた。

なので夕方には毎日そらさんが帰ってくる。

夜はそらさんと2人、そして下の階には同居している義母。

そんな生活だった。

でも今回は違うのです。

平日そらさんは学校&寮生活。

義母は下の階にいるけれど、ほとんど一人で過ごすようなものなのです。

 

朝起きるのも一人。

夜寝るのも一人。

朝の珈琲を淹れてくれる亮一さんがいない。

夕飯を一緒に食べる亮一さんがいない。

「おやすみ」を言う亮一さんがいない。

「おはよう」を言う亮一さんがいない。

 

珍しく、不安と寂しさで押しつぶされそうだ。

でも私は言いたいのです。

 

「たくさん冒険してきて」と。

 

 

昨日そらさんの寝顔を見ていて、そして亮一さんの寝息を聞いていて、つくづく感じたことがある。

 

愛する人ができるって、とっても厄介でめんどくさいことなんだなぁ。

大好きな人ができるのって、たくさんの『不安』や『恐怖心』を引き受けることなんだなぁ。

 

と。

 

私には今大好きな人がたくさんいます。

愛する人もたくさんいます。

それはとっても厄介でめんどくさいことなのだけれど、真正面から引き受け続けていきたい。

私が私を引き受け続けていくように。

 

私は今日も祈ります。

 

「どうかあの人が今日も楽しく幸せでありますように。」と。

「どうかあの人があの人の人生を思う存分生きられますように。」と。

 

私にできることなんてほんとにこれくらいのことしかない。

だから心から『祈る』。

 

私が好きな立花大敬先生がこんなことを書いていました。

 

『祈り』は『意、述り』。

『意』を『述べる』のが『祈り』だ。

 

私は私の『意』を『述べる』。

 

『祈り』なんて効果がない!と言う人もいるけれど、きっとそんなことを言っている人も祈るのでしょう。

心の中で大切な人を思い浮かべながら。

 

どうかあの人が今日も思う存分あの人で在りますように。

どうかあの人が今日もあの人の人生をどっしり生きられますように。

 

今日もあなたがあなたで在れますように。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

夫婦ブログで動画の投稿なんかしてみたりして。

私たち夫婦が話しているところが観られますよ。

え?

観たくない?

そんなこと言わずにぃ~

ぜひぃ~↓↓↓

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