先日無事にランチ会を行うことができた。
恵比寿という都会の街の綺麗なレストランで(味は…うむ。)、3名もの参加者の方たちと時間を共有することができました。
髪型がモンチッチのような私。なんかいーじゃんねー。みなさん素敵な顔をしているなぁ。
招致者の裕子さんは「ゆっきぃさん…満席にならなくてごめん…」と申し訳なさそうな言葉を口にしていたけれど、私はそんな言葉を口にする裕子さんが大好きだし、こんな得体の知れない女が話す、何の得にもならないようなランチ会に来てくれた参加者の方達が大好きだ。
特になんのウリもない、何やってんだかよくわかならない私が主役(らしい)ランチ会に3名も!!来てくれたなんて奇跡のようだと思いました。
裕子さん、来てくださった3名の素敵のみなさん、ほんとーーーにありがとうございました!!
↓本多裕子さんがこんな感じでいつもアップしてくれるのです。ありがたいなぁ。
[http://:title]
どうやら「今回行かれなかったからまたやって欲しい」というお声を頂いているらしく、次回もあるようです。
いやぁ…ほんとにありがたすぎて泣けてくるよ。
昔に比べ(昔っていつだよ。)、言いたいことがどんどんなくなってきている私なのですが、ランチ会の前にはやっぱり「面白かったなぁ」と言っていただきたく、何を話そうかなぁとワクワクしながら考えたりします。
今回のランチ会の私の中のテーマは『どこからどこまでが自分なのだろう?自分とはなんだろう?を考えてみよう』でした。
このテーマを前面に出しているわけではなく、ただ私の中に置いておくだけのテーマなのですが。
で、ランチ会の数日前にそれをもとにグルグル考えていたわけですよ。
↓以下、その時の私の頭の中の声。
人っていろいろ悩むけど、そのほとんどが『人間関係』の悩みだよなぁ。
仕事がぁ…とか、ダンナがぁ…とか、子供がぁ…とか、パートナーがぁ…とか、親がぁ…とか、いろいろいろいろ言うけれど、その全てが『人間関係』の悩みなんだよなぁ。
はて。
『人間関係』の悩みが尽きないのは何故だろう?
そして今私が『人間関係』の悩みがないのは何故だろう?
…うーん…
あぁ…
そうかぁ…
私はそこで気付きます。
きっと今までさんざん読んできた本の中に書いてあったことなのだと思うけど、私はその瞬間それがストンと“落ちた”気がしました。
人間関係のはじまりは自分と自分の間の人間関係だったのか。
と。
私はずーーーっと長年かけて、『自分と自分の人間関係の折り合いをつける』ということをやってきていたのか、と気づいたのです。
それはいまだ続行中で、そして死ぬまで続くのです。
私は『自分を知る』ということ以外、この世界でやることなんてないと思っているのですが(今んとこね)、そこをすっとばして外側の人間関係をどーにかこーにかしようとするからうまくいかないんだと改めて実感したのです。
あなたはあなたを知っていますか?
あなたはどこからどこまででですか?
今この瞬間、あなたはあなたの身体の内部で何が行われているか知っていますか?
それはあなたがやっていることですか?
コップに入っているお水を飲むとしましょう。
そのお水はどこまでが水で、どこからが自分になりますか?
舌についた瞬間から『自分』ですか?
ゴクンと飲んだ時が『お水』から『自分』に変わりますか?
それとも身体に吸収された瞬間からその『お水』は『自分』に変わりますか?
『自分』とはいかに曖昧模糊としているものだろう。
それなのに確実に『いる』と思えるこの感覚はなんだろう。
私は私が大嫌いでした。
もう消し去りたい!と思ったことがどれくらいあっただろう。
こんな自分嫌だ!!となんど駄々をこねて地団駄を踏んだだろう。(ほんとに地団駄踏んだんだよ。何回も。今度見せてあげるね。←誰に?)
たださ、そんな地団太を踏んでいる自分をジッと見ている存在がいるってこと、昔っから知っていたんだよね。
でもさ、そのジッと見ているその存在に存在感を持たせることが嫌だったんだ。
だってまだまだ駄々をこねていたかったから。
「私なんていなくなればいいのに!!大嫌い!!」とまだまだ言っていたかったから。
「私なんてさぁ…」と言ってれば、人間ドラマにずっと浸っていられたから。
そういう自分を演じられたから。
そういう自分の方が苦難に立ち向かっているようで、存在価値があるような気がしたから。
とある日、私はこんな言葉を口にしていた。
「あぁ…もうこんな毎日は嫌だ…」
そのジッと見ている存在にずっと気付いてた私は、もうごまかしがきかなくなっていた。
地団太を踏む、「大嫌いだ!!」と叫ぶ、自分の身体を痛めつける、そんな私をジッと見ている。
そのジッと見ている存在の視点に存在感を持たせてみようと思ってしまった。
もうこんな毎日は嫌だったからね。
盛大に食べ吐きをしている私をジッと見る。
地団太を踏む私をジッと見る。
大泣きをする私をジッと見る。
「消えてなくなりたい!!」と叫ぶ私をジッと見る。
そんなことを毎日続けていました。
そうしたら、私は私に対してある思いが湧きました。
『け…健気やん!!!』
一生懸命生きてるやん!
なんか可愛らしいやん!
頑張ってるやん!
なんか…あんた…ええ奴やんっ!!
(↑なぜか関西弁。)
そんなことをフツフツ感じ始めたこの時から、私は私との関係性を再構築し始めました。
それは今も構築中で、ケンカもするし、悪口も言う。
ちょっとぉぉぉ!!いい加減してよぉぉぉ!!という言葉もよく吐きます。
私は私を全然よくわかっていないし、とてもめんどくさい奴だと辟易とすることもたくさんある。
でもね、長年一緒にいるもんだから可愛くて仕方がないのです。
「もーー!!しょーがねぇーなぁーー!」と言いながら、世話を焼いてしまうのです。
私は私にたくさん言葉をかける。
「で?どうしたい?」と。
「どうしよう…」ではなく「どうしたい?」と。
「今どう思ってる?」
「今心地よい?悪い?」
「今どんな感じ?」
「何食べたい?」
「好きってどんな感じ?」
「嫌いってどんな感じ?」
「今モヤモヤしてるこの感じはなに?」
「居心地いい?それとも悪い?」
「何を話したい?どんな言葉を口にしたい?」
私は私と話し合う。
私は私の話しをじっくり聞くし、言いたいことがあれば言う。
嘘偽りなく。
嘘をついてしまったら謝る。
私はどうやら正直ものらしく、嘘をついたら身体が拒否反応をおこして寝込むというストライキにでる。ほんとにめんどくさい奴だ。
じっくり丁寧に自分と付き合う。
私は長年かけて、そんなことに取り組んでいたんだと知ったのでした。
それがいいとか悪いとかはわからないし、これが正解か不正解かなんてわからない。
でも今のところ言えるのは、昔に比べ、格段に毎日が快適だっていうことです。
そしてそんなことをずっとやっていた私が最近よーーーく感じることは
自分はどこにもいなくて、そしてどこにでもいる
という感覚です。(あ、難しいよね?^^;)
自分ってなんだろう?を見ていったら、自分はどこにもいないに辿り着くってねぇ…。
そして同時にどこにでもいる。
えーと…まぁ…この辺の話しは今日のところはとりあえず置いておこうかな。
自分との関係は良好ですか?
仲良し?ケンカする?
自分ってどんなヤツ?
そもそも自分ってなに?
何を思っている?
どんな文句がある?
何を感じている?
話し、聞いてあげてる?
あなたのことはあなたしかわからないんだよ。
きっと聞いてもらいたい言葉があるはずだよ。
聞いてあげようね。
人間関係はまず自分から。
一番むずかしくて、一番めんどくさくて、一番近くにいる、そしてずっと付き合っていかなければならない愛しいこの存在から。
ねーーー!!!
読んでくださってありがとうございます。
ではまた。