クズ生活に飽きた私は、なんだか急にやる気がムクムクと湧いてきて、今“とあること”に再挑戦しようと重い腰を上げ始めた。
そしてしばらく書かずにいたブログもボチボチこうやって書き始めているわけです。
昨日も一日中あーだこーだ考えながら、その“とあること”に向き合ったわけですが、そうするとこんな思いがドロドロと湧いてくるのです。
ダッセーー!!私ダッセーーー!!
めっちゃかっこ悪い!!
私はなんてセンスがないんだ!!
こんなダッセーことやってるなんて死んだ方がいいんじゃないか?!!
こんなことやって一体何になるんだというんだ?!!
お前こんな無意味なことやってるヒマあったら働けやぁぁぁぁぁぁーー!!
(ダッセー!という言葉自体がそもそも『ダサい』のは置いといて。笑)
いつぞやの海。暑かったなぁ。
これね、こうやって今これを書いてる瞬間も湧いてるのよ。
「は?こんなこと書いてなんになるの?これ書いてる時点でダッセーやんか!!」と。
私は私が書くことをダサいと思っているわけですよ。
でもその反面、自分が書いた文章が好きだったりもするのです。
何かを表現したいし、私は私が思っていることや体験したことを言葉に綴りたいという衝動があるのですが、それをやっている最中は自分を罵倒する声が聞こえまくるのです。
これね、自叙伝を書いてる時は特にそうでした。
「うわ!ダッセ!なにこの文章?!!ダッセ!!カッコ悪っ!!うっひゃーーーー!!はっず!!はっずーーーー!!!こんなん誰が読むん?恥ずかしい思わんの?!!」
この声にやられてしまって何度キーボードを打つ手を止めたことだろう。
昨日のブログもそうでした。
これね。↓↓↓
「いっまっさっら!!どの口がそれを言ってるんじゃい!!はっずーーーー!!」
私はこの声に毎度毎度やられそうになってしまい、その戦いに疲れてしまうのが嫌で、ときたまボイコットをするのです。
『表現をする』ということを。
あぁ…またこんなカッコ悪いことを書いてしまった…
ダッセー文章を世にさらしてしまった…
あのカッコイイ人たちがもし私のこのダサい文章を読んだら「はっずー!よく生きてられんねー」と言うんだろう…
そんなことを思ったりするのです。
私はどこかに『私が生きててすいません』みたいに思ってるんだな。
『生きてるのが恥ずかしい』みたいな思いがあるんだな。
誰からもそんなこと言われたことないのに。
…え?
もう一回言ってみて。
ちょっと待って!
今サラッと大事なこと書いた!!
もう一回いこう!
誰からもそんなこと言われたことないのに。
…だ…誰からもそんなこと言われたこと…
…なかったーーーーー!!!
と、こんなことに毎回気付くのです。(←バカなの?バカなんだな。
そもそも『あのカッコイイ人たちって誰だよ?!』って話しなんですが、いつの間にか“どこかの誰かと比べる”ということをやってるんですね。
無意識に。呼吸をするように無意識に。
そして呼吸をするように無意識に、その起こってもいない出来事に翻弄されて手を止めるわけです。
これを『妄想』というんだよね。
私は誰からも言われたことがない言葉を自分で自分に言い、そしてその私からの声にやられて手を止めるわけです。
なんという茶番!!!
なんというコントっぷり!!
私を止められるのは私だけだ。
私を傷つけられるのは私だけだ。
そして私を進ませることができるのも、私だけ。
そしてね、そもそも『私は誰ですか?』と問うのです。
はっずーーー!!という声を聞きながら、ダッセーー!!という声を聞きながら、カッコ悪っ!!という声を聞きながら、私は動く。
たまに凹んでたまに手を止めたまにふてくされ、そして「うっは!また茶番を繰り返してしまったぁぁぁ!」と笑い飛ばしながら。
どこまでいってもダサくてちっさい私は、それを見ている。
そんな『私』を『私』は観ている。
さて、今日も右往左往しよう。
1人でジタバタしてみよう。
そして聞こう。
「で?あなたは誰ですか?」
(↓この曲貼りつけたら願いが叶うと出てきたので貼り付けとこうっと。)
これ、再びやってみたのです。みなさんもやってみてー!↓↓↓
ではまた。