今日は最近思ったことや、あった出来事なんかをつらつらと書いていこうかな。
まず最初。
↑の投稿についたフェイスブックのコメントでのやりとりがなんだかすごくよかったのでシェア。
亮一さんが私の投稿をシェアしてくれて、この方は私にコメントをしたつもりが亮一さんの方にいっていたという…
これも神の計らい。(←使ってみたかった。笑)
これこれ。
途中重複しててすんません…
この問いに亮一さんはなんて応えたかといいますとー
どうです?
グッときません?(*´з`)
僕たち夫婦がお互いに一番大切だと考えているのは、相手に対して親切にするとか、相手を思いやるとかではないです。
相手と一緒にいてどれだけ “自分が幸せであるか” です。
相手の幸せではありません。
自分の幸せです。
いやぁ~
素晴しい。
これに対してこの女性はこんなお返事をしておりました。
うん!!
よかったよかった!!
これねー
ほんと大事だよねー
亮一さん!
ブラボーー!!
そしてコメントくださったFさん!
ちょーブラボーーー!!
さてー
次ねー
↓こちらの記事に出てきた、私が嫉妬していた彼女。
その彼女がブログに私の事を書いてくれたうえに、お手紙もくださいました。
↓こちらです。
縁あってのひとびと - 日月日誌 hitsuki nisshi
このブログにも書いてあるし、お手紙にも書いてあったことに私はとてもびっくりした。
私は彼女の
美しい、敬虔な、透明感のある、純粋性、素直さ、、、、
みたいなものに憧れていて、私の『泥臭さ』を恥じた。
しかし彼女はこう言う。
皆から、素直だ純粋だ と言われる度に「人生の機微もわからない愚か者」と言われてるみたいで(誰もいわないのにね)もうほんとに後ろめたい。
そんな思いがあったと言うのだ!!
なんと!!
そして私の『泥臭さ』を羨望するというのだ!!
なんと!!!
私はお手紙とブログを読んで「ほぇ~…そうなんだねぇ…」と吐息まじりに小さな声で呟いた。
それを聞いた亮一さんは
「うんうん。そうなんだよなぁ。なんかわかるわぁ。」
と優しい顔で言っていた。
ちゃんと自分の気持ちを伝えると、相手も応えてくれるもんなんだね。
ありがたい。
その彼女は私のこちらの記事にもこんなメッセージを送ってくれた。
これね↓
ついにきました!~批判コメントへの感謝~ - 藤山家においでよ
ブログ拝読いたしました!
わたしはなんでも褒めるわけじゃあないですが、にんぷ の該当記事
ものっすごい勇気ある投稿だとおもって、救われる人たくさんいるんじゃないかなと思うのですよね。
なので、批判投稿に感謝!なんてしなくていい!とか思いました。笑
うぅ…
なんということでしょう…
優しいなぁ。
ほんとにありがたかったです!!
心から
ありがとうございます。
そして昨日。
私はここにいました。
わかります?
右側の男性。
坂爪圭吾さんですよー
昨日私はごちゃまぜの家にいました。
いました という程いなかったけど…(結構すぐ帰った)
↓圭吾さんのブログ。
圭吾さんは22日間?くらい、自転車で大移動をしていたみたいだったので、
「きっと疲れてるんだろうなー。横浜に帰ってきたら、ゴハンつくって持っていこう。なんなら施術もさせてもらおう」みたいに勝手に思っていたのです。
私の作ったゴハンたち。
私は圭吾さんがやっていることを純粋に応援したいと思っている。
なので恥ずかしがらずに「応援したいです!」を行動にうつそうと思ったのだ。
でも、これまたなんだか難しい。
押しつけがましくても嫌だし、過剰すぎても気持ち悪い。ような気がする。
なので、なんとなく、自分の心地よい範囲でーなんて思ってたりします。
で、昨日伺ってみたらなんだかスペシャルメンバーでびっくり。
(写真見たらわかる人にはわかるかなー)
スペシャルな男性4人とワタクシ という、謎な時間が訪れ、
42歳のワタクシは若干ふわふわしてしまった感がありましたとさ。
は~ずかしぃ~い♪
私が作った料理を「うまい!!すんげーうまい!!」と言いながら、もりもり食べてくれたスペシャルな4人。
見ててほんとに気持ちよかったー!
ありがとう。
帰って来て亮一さんに報告。
「すごいお料理喜んでくれたんだー♪」
亮一さんは少しの間をおいて
「ふーん。俺以外の男にそんなに料理作っちゃってさー(-.-)」
あれ?
「え?なになに?焼きもち?えっ?やきもち?(*‘∀‘)」
喜ぶ私。
「んふふ。よかったね♡(*´ω`)喜んでもらえて(*´ω`)」
なんだよーーー!!
やきもちじゃねーのかよぉ~♪
はい。
平和な藤山家です。
こっからは多少気持ち悪い話し。
(気持ち悪いかな?)
嫌いな人はスルーしてほしいです。
私は最近とみにいろんな声が聞こえる。
いないはずの“誰か”の声。
(ほんとは誰かわかってるんだけどここではあえて言ーわない♪)
一番聞こえる声。
『書きなさい』
『全部書きなさい』
朝起きてすぐにこれが始まる。
『書きなさい』
『書きなさい』
『とにかく書きなさい』
私は答える。
「書くのはいいけどさー。『書きなさい』っていうならそっちが書かせてよーもー」
多少ぶーたれる。
『いいからパソコンを開きなさい』
『書きなさい』
そればっか。
なので私は今日も書く。
どんな展開になるかわからずもパソコンをひらく。
この声はいつまでつづくのかな。
最後に。
友達に今悶えに悶えてる人がいる。
その彼女の話を亮一さんとしていたら
「ジョーン・トリフソンの文章とかいいんじゃないかなぁ…と思うんだけど。」
と言った。
これね。
あーいーねー と思い、もう一度読み返してみようかなーと開いてみた。
もう冒頭からノックアウトだった。
風に揺れる一枚の葉に落ちる繊細な午後の日差し、青空を横切る白い雲、売春のために売られていく子どもたち、飢饉から逃げのびようとする餓死寸前の難民、寛容と優しさが表れた素晴らしい行動、気を滅入らせる鬱の苦痛、海に流れ出る原油。
生にはいろいろな表情がありますーある瞬間には美しく、次の瞬間には耐えがたく、そして理解を拒む恐ろしさを見せたかと思えば、言葉にしようもない優美さを表します。
生が美しいとき、私たちの唯一の苦しみはそれがずっとは続かないと知っているところにあります。
あぁ…
なんだろう。
この感じ。
もう一個引用。
宇宙にとって何が最善なのかは私にはわかっているという思い込みは、ありがたいことに消散しつつあるようです。そしてそういう思い込みが出てきたときも、そこにあるのは、どちらかといえば可愛らしさですーーほら見てよ、ジョーンがまた心配のちょっとしたダンスを踊っているね、と。
心配のちょっとしたダンス。
すごい表現だな。
すべてがダンスなんだねぇ。この世は。
私は今どんなダンスを踊っているのかな。
下手っぴでもいいから、私は私を踊ろう。
そんなことを思っています。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
そんな貴方は素晴らしい!!
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