藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

亮一さんはインドへ、そらさんは山梨へ、そして私は横浜に。~藤山家 それぞれの冒険~

 

昨日の深夜、亮一さんがインドへ向けて出発いたしました。

 

22時過ぎ、私とそらさんは亮一さんを車で最寄り駅まで送りに行ったのだけれど、車に乗り込む直前になってそらさんが泣きだした。

「そらちゃん急に寂しくなってきちゃった…泣きそう…」と言い始め、クッションに突っ伏すそらさん。

私はその姿を見て、ずっと我慢していた涙が溢れた。

「う…わかる…だってママもだもん…」と言いながら、二人でポロポロと涙を流した。

亮一さんは私たちの姿を見ながら「大丈夫だよぉ…すぐ帰ってくるよぉ。ね?今泣いたらママが車で事故おこしちゃうよぉ…」と困ったように言っていた。

私はなんとかすぐに涙をおさめたのだけれど、そらさんの涙は止まらない。

ポロポロと大粒の涙を流しながら「だって、一か月半とか帰ってこないんでしょ?うえ…だってもっと長く帰って来ないかもしれないんでしょ?…うぇ…うえーーん!!」と言っていた。

車の中でも泣き続けるそらさんの隣で、亮一さんが一生懸命慰めているのが愛しかった。

 

駅に着いて、いってらっしゃいの抱擁をする私たち。

 

「ゆっきぃ。じゃあ行ってくるね。」

 

そう言う亮一さんに抱き着いてキスをする。

 

「うん。いってらっしゃい。楽しんできてね。できるだけ毎日連絡頂戴ね。いい旅を。」

 

私は泣きそうになるのをこらえながら、この言葉を言うのが精いっぱいだった。

 

「パパ…いってらっしゃい…うえ…」

 

大泣きのそらさんが亮一さんに抱き着いている。

一生懸命「いってらっしゃい」を言っている姿が健気だ。

そんなそらさんに私は「楽しんできてね!は?」と促した。

なんとなくそらさんにその言葉を口にして欲しかったからだ。

そらさんはしゃくりあげながら「たの、しんで、きてね、パパ、」と亮一さんを見上げて言った。

健気だ。

亮一さんは「うん。ありがとう。行ってくるね。」と優しい笑顔で言い、駅の階段を降りていってしまった。

 

「さあ。帰ろうか。帰って泣こう。」と私が言うと、そらさんは「うぅ…まだ、泣いて、いいの、?」と私に聞いてきた。

私は「もちろんいいよ!だってママはまだ泣き足りないもん!」と大きな声で言い、車を発進させた。

 

帰りの車でもそらさんは大粒の涙を流した。

私も泣きたかったけれど、車の運転があるからまだ泣けない。

こらえた私、偉い。

 

部屋の戻るとなんだかシーンとしているようだった。

さっきまで亮一さんが読んでいた本が無造作に置いてある。

明日からしばらく亮一さんはこの場所にいないのかと思うと途端にこらえていた涙が溢れてきた。

 

「え?あれ?なんか寂しいなぁー!」

 

こう口にした途端、私はわんわん泣いた。

そらさんが泣いている隣でわんわん泣いた。

そらさんもわんわん泣いた。

 

「寂しいよぉー!わーーん!」

「そらちゃんだって寂しいよぉー!わーーーん!!」

 

おいおいわんわん泣く私(44歳)とそらさん(娘8歳)。

まるでコントの様だ。

 

しばらく泣き続けた私たちは、いつしか涙が止まっていた。

そらさんは気分転換のために『おかしなガムボール』を観はじめ、私は今の様子をFacebookにあげた。

2人とも泣きはらした顔でなかなかひどい顔をしていた。

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そらさんはひどくないか。可愛いな。ひどい顔をしていたのは私だけでした。

 

さっきまでわんわん泣いていたとは思えないほど『おかしなガムボール』を見てケタケタ笑っているそらさんを見て、私も笑う。

淋しさは消えていないけれど、ケタケタと笑えるのだ。

人は淋しさが消えていなくても笑えるのだ。

 

前回亮一さんがアジア一人旅に行った時も感じたのだけれど、今回もまたさらに感じたことがある。

私は亮一さんと結婚するまではいつだって送り出される立場だった。

“送り出される”というよりか“勝手にどこかに行ってしまう”奴だった。

男性とお付き合いしていても、勝手に決めて勝手にどこかに行ってしまう。

親元からも勝手に飛び出して、勝手に決めて勝手にどんどんどこかへ行ってしまうやつだった。

必死に何かを模索していた私は随分傲慢であまり誰も、何も、顧みないやつだった。

でもいつだって待っていてくれる人がいて、いつだって私の毎日を心配してくれている人がいた。割とたくさん。

私はそれになかなか気づかない愚かなバカ者だったのだけれど。

 

私は亮一さんが旅に出ることで、そらさんが山梨の学校に行くことになって、やっと送り出す立場の人の気持ちを知ることができた。

そして旅立つ人も勇気が必要だし強いけれど、待っている人もまた勇気が必要で強さが必要なのだと知った。

私は私の弱さをとことん知りたいし、私の強さもとことん知りたい。

踏み出す強さと待つ強さ。

私はどちらも持ち合わせていたい。

いや、きっともともと持ち合わせているのだろうから知りたいのです。

 

私は今自分が味わっている淋しさも孤独感も見逃したくないし、待つことには勇気がいるということもとことん味わいたい。

そしてその中でどれだけ私は笑えるのかを知りたいのです。

 

旦那さんがインドに旅に行ったくらいでなにをギャーギャー騒いでるんだ、なんて言わないでね。

私にとっては大冒険。

インドを旅する亮一さんも大冒険だけれど、待っている私も大冒険なのです。

そらさんは毎日大冒険しているしね。

 

今日から平日はそれぞれの場所で大冒険をしている私たち家族。

インド、山梨、横浜で、それぞれの冒険をしている藤山家です。

 

さて。

私は何を思い、感じ、知っていくのだろう。

楽しみだな。

淋しいけどね。

楽しいよ。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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牛筋カレーと動画編集と自分の人生。

 

私は今牛筋カレーを作っている。

ものすごい良い牛筋が手に入ったからだ。

牛筋を小さく切り下茹でをして、「おぉー!この牛筋はアクが全然でねぇぇー!」と驚いたり、コトコト煮込んでいるお鍋の中にお玉を入れてゆっくりかき混ぜてみたり、スパイスは何を入れようかなぁとぼんやり考えたりしている。

その時、こんな言葉がふと浮かんだ。

 

人生のなかに『やらなきゃいけないこと』なんて一つもないんじゃないのかなぁ。

 

 

お鍋の中にお玉をいれてぐるぐると回しながら、次に浮かんだ言葉がこれだ。

 

そういえば『だって自分の人生なんだから』って、よく聞く言葉だよなぁ。

 

で、次の瞬間、私の頭の中に浮かんだ言葉がこれだ。

 

『自分』って何かがわかっていないのによく言うよなぁ。

 

だ。

 

私は牛筋カレーを真剣に作っているのに、こんな言葉がふと聞こえてくるのだ。

考えようとして考えたことでは、ない。

ふと浮かんだ言葉をキャッチしたような感じだ。

これはどこから来たのだろう。

牛筋カレーを無心で作っているつもりなのに、『自分ってものがなんだかわからないのによく言うよなぁ』なんて、身も蓋もないことをふと考えている私ってなんなのでしょうか。

 

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なんで私はこんな素敵な場所の近くに住むことになったのでしょうか。不思議だ。

 

 

もうすぐ亮一さんがインドへ旅立つ。

4日の深夜には日本を発ってしまう。

最近、亮一さんはよくこんなことを言っている。

 

「なんでこんなことになっちゃったんだろう!」

 

と。

 

私は亮一さんがこの言葉を言う姿を見るのが好きだ。

ものすごく面白くてゲラゲラ笑ってしまうのだけれど、どこかで深く頷いている。

 

「インドになんて行かなくてもいいのに!なんでインドに行くことになってしまったんだろう?!ほんとは行きたくないよ!」

 

自分でチケットを取って、自分でビザの申請をして、自分で宿の予約をしたのに

「なんでこんなことになっちゃったんだろう?!」と言っている亮一さんが好きだ。

私はゲラゲラ笑ってその姿を見るけれど、ものすごくわかる。

 

私は牛筋カレーをかき混ぜるけれど、どうして牛筋カレーを作っているのかわからない。

私はなんで今牛筋カレーをかき混ぜているのだろう。

 

 

私たち夫婦は夫婦ブログを始めているのだけれど、文章だけではなく、私たち夫婦の会話を動画で撮ってアップしていこう!なんて言い始めているし、先日初めて動画を上げてみたりしている。

今目の前で亮一さんが動画の編集をしているのだけれど、私は心の中でこう呟いている。

 

「なんで動画を撮ることになったのだろう?」

「なんでこの人は動画の編集をしているのだろう?」

 

と。

 

いつだって意味づけは後からだ。

気づくとやっているのだ。と最近よく思う。

頭の中はいつだってうるさいし、理由や言い訳で溢れている。

そこに耳を傾けてみるのももちろんいいのだけれど、

身体が動く方に任せてみようと思うことがよくあるのです。

 

起こることはどうしたって起こるのだ。

 

亮一さんは今動画編集をしていて、もうすぐインドに行ってしまう。

私は今牛筋カレーを煮込んでいて、もうすぐそらさんを迎えに行くのでしょう。

 

なんでこういう毎日を送っているのかなんてわからない。

起こっているのだ。これが。

 

だから観てみよう。

ジャッジなしに観てみよう。

 

起こることが起こっているのだから。

 

あ、今日は思いついたことをただ書いていっただけのブログですのでオチはありません。笑

今日はこれにて。

読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

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愛する人がいるってとても厄介でめんどくさいことなんだね。

 

そらさんの秋休みが終わり、今朝元気に学校に行きました。

私は某駅まで送り、そらさんは「バイバーイ!行ってきまーす!」と手を振って特急電車に乗り込みました。

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見送る時、私はいつもニモのお父さんのマーリンのセリフを胸の中で呟く。(説明するまでもないと思うけど、映画ファインディング・ニモの話しね。)

映画の最後、「パパ、バイバーイ!」と言って学校へ行くニモの後姿を見ながら、「いっぱい冒険しておいで。」と見送るお父さんのマーリン。

私はこのシーンを見る度に毎度毎度アホみたいに涙を流す。

今これを書いていても涙が流れるくらいだ。

ファインディング・ニモを観ていない人は今日のブログはわかりづらいよー。)

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ファインディング・そらさんとインコ。泣ける。 

 

 

まだ亮一さんと結婚するちょっと前、私はながーーーい家出を終え(7年も家出してたの。ふふふ。)、実家に戻って父と母と兄夫婦と暮らしていた。

ある日私は昼間から暇そうにビールを飲んでいた父にファインディング・ニモのDVDを差し出し、「これ、観てみる?」と言ってみた。

釣りが大好きでなによりも海が大好きだった父は「ん?海の話しか?」と私に聞いて、「そうだよ。すっごく綺麗だよ。」と私が言うと「じゃ、観てみるか。」と笑顔で言った。

常日頃から「アニメなんかくだらねぇ」と言っている父が珍しく「観てみるか」と言ってくれたことが嬉しかったのを覚えている。

 

私はDVDを父に差し出してすぐに出かけてしまい、父に感想を聞いたのは次の日だった。

「どうだった?面白かった?」と私が聞くと、父はちょっと照れくさそうに「お父さん泣いちゃったよ。」と小さな声で言った。

私は父の意外な答えに驚き、「え?!泣いたの?!ほんと?!」と聞いた。

 

 

「いやぁ~…親と子の話しはダメだ。あれはダメだよ。親なんてそんなもんだぞ。」

 

父はビールの入ったグラスを持ちながら、自分の言葉に小さく頷きながらそう言った。

 

「ふぅん。そうなんだねぇ。親は大変だねぇー。笑」

 

私はわざと父にふざけた返事をした。

なんだか父の言葉を聞いて泣きそうになったからだ。

 

「そうだぞ!お前みたいな親不孝な子供を持つと大変なんだぞ!はははは!」

 

父は私がふざけたことに乗っかり、笑いながら「お前はぁ!心配ばかりかけて!」と優しい顔で言った。

 

当時結婚もしていなければ子どももいない私は、それでもマーリンの最後のセリフにいつも涙していた。

 

が。

が!なのだ。

 

未だに同じシーンで私はアホみたいに涙を流すけれど、まったく質が違うのだ。

 

特急電車に乗り込むそらさんの後姿を見ながら呟いてしまうセリフ。

「いっぱい冒険しておいで」と胸の中で呟くときの心境。

そこに含まれる覚悟。

何もしてあげることができない悲しみと辛さ。

苦しいことがあった時にかわってあげることができない切なさ。

ずっと一緒にくっついて守っていくことが不可能だという事実。

(『それじゃあハーポ君だって楽しくない。』っていうドリーのセリフが染みる。

『ハーポ君』って!!といつも突っ込みをいれるけれど。笑)

 

私は歳を重ね、経験を重ね、そんなことを知ることができた。

そしてそこに父の思いを想像することができるようになった。

父はもう亡くなってしまったので父の心境を直接聞くことはできないけれど、「お父さんも私に対してこんな感じだったのかな」と想像することができるようになった。

 

 

もうすぐ亮一さんがインドに旅立つ。

初めてのインドだ。

彼がずっと「行ってみたいんだよねぇ」「行かなきゃいけない気がするんだよねぇ」と言っていた場所に行く。

彼の中でいろんな葛藤や不安や恐怖心が湧き上がっては消えているみたいだけれど、私はそれを聞くことしかできない。

しかも彼が『話してくれた時』だけしか『聞くこと』はできないのだ。

当たり前なのだけれど。

 

前回亮一さんがアジア一人旅に4週間ほど行っていた時はそらさんはまだ幼稚園に通っていた。

なので夕方には毎日そらさんが帰ってくる。

夜はそらさんと2人、そして下の階には同居している義母。

そんな生活だった。

でも今回は違うのです。

平日そらさんは学校&寮生活。

義母は下の階にいるけれど、ほとんど一人で過ごすようなものなのです。

 

朝起きるのも一人。

夜寝るのも一人。

朝の珈琲を淹れてくれる亮一さんがいない。

夕飯を一緒に食べる亮一さんがいない。

「おやすみ」を言う亮一さんがいない。

「おはよう」を言う亮一さんがいない。

 

珍しく、不安と寂しさで押しつぶされそうだ。

でも私は言いたいのです。

 

「たくさん冒険してきて」と。

 

 

昨日そらさんの寝顔を見ていて、そして亮一さんの寝息を聞いていて、つくづく感じたことがある。

 

愛する人ができるって、とっても厄介でめんどくさいことなんだなぁ。

大好きな人ができるのって、たくさんの『不安』や『恐怖心』を引き受けることなんだなぁ。

 

と。

 

私には今大好きな人がたくさんいます。

愛する人もたくさんいます。

それはとっても厄介でめんどくさいことなのだけれど、真正面から引き受け続けていきたい。

私が私を引き受け続けていくように。

 

私は今日も祈ります。

 

「どうかあの人が今日も楽しく幸せでありますように。」と。

「どうかあの人があの人の人生を思う存分生きられますように。」と。

 

私にできることなんてほんとにこれくらいのことしかない。

だから心から『祈る』。

 

私が好きな立花大敬先生がこんなことを書いていました。

 

『祈り』は『意、述り』。

『意』を『述べる』のが『祈り』だ。

 

私は私の『意』を『述べる』。

 

『祈り』なんて効果がない!と言う人もいるけれど、きっとそんなことを言っている人も祈るのでしょう。

心の中で大切な人を思い浮かべながら。

 

どうかあの人が今日も思う存分あの人で在りますように。

どうかあの人が今日もあの人の人生をどっしり生きられますように。

 

今日もあなたがあなたで在れますように。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

夫婦ブログで動画の投稿なんかしてみたりして。

私たち夫婦が話しているところが観られますよ。

え?

観たくない?

そんなこと言わずにぃ~

ぜひぃ~↓↓↓

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みんないろいろ大変なんだよなぁ…と思うんだ。と彼女は言った。

 

 

「みんないろいろ大変なんだよなぁ、って思うんだ。」

 

昨日そらさん(娘8歳。鬼カワ。)が少しだけ引きつった顔で私にそう言った。

私は「うん。そうだよねぇ。」と本気で心から答えた。

 

これはそらさんの学校の寮母さんの話しをしている時にそらさんから出た言葉だ。

 

そらさんの学校には3つ寮がある。

低学年(1年生から3年生まで)の子の寮、高学年の子の寮、中学生の寮と別れている。

それぞれに担当の寮母さんがいるのだけれど、その連携はとても見事で、どの寮母さんと話してもそらさんの様子をよく知っていてくれている。

そしてとても優しい。

私の印象としてはみんながとても優しい印象だ。

 

今年度に入ってなのかもうちょっと後なのかはわからないのだけれど、ベテランの寮母さんが2人ほど辞めてしまい、新たに寮母さんが2人ほど入ってきたらしい。

(ほんとに学校のことも寮のことも必要以上には教えてくれないのですよ。そしてそらさんに聞いてもあまり詳しくは教えてくれないのです。←これはとても良いことだと私は思っています。)

 

1人の新しい寮母さんの話しを先日同じ学校のママさんから聞いたので、それをそらさんに確認していたのだ。

 

その新しい1人の寮母さんは公立学校の教員を長年やっていて、いろんな学校での仕事を経験しているらしい。

本当はそらさんの通っている南アルプス子どもの村学校でも教員として仕事をしたかったらしいのだけれど、どういう経緯か寮母さんになったそうだ。

その寮母さんは長年教職につかれていて、経験が豊富だ。

でもそれはいわゆる『普通』の学校での経験。

そらさんの通っている学校はいろんな意味で『普通』ではない。(まだまだ一般的ではない。という意味です。)

それゆえ、その寮母さんは苦労しているらしいのだとお友達ママさんは教えてくれた。

 

「彼女の中ではものすっごく優しくやっているらしいのよ。経験もたくさん積んでいるけれどそれはなるべく排除しようとしてるし、彼女的にはもんのすごく優しくやっているみたいなの。でもね「Yちゃん(←寮母さんの呼び名)は怖いって言われちゃうのよぉ…。どうしてなのかしらねぇ。むずかしいですよ…。」って言っててさぁ。

ほんとにあの学校で寮母さんとか大人(先生のこと)とかやるのって大変なんだろうなぁと思うんだよね。」

 

 

私たちは保護者だけで話す時、必ずこういう話しになる。

そらさんの学校では『押さえつける』なんてことは絶対にしないし、『頭ごなしに叱る』なんて言語道断だ。

ましてや『恐怖で従わせる』なんて愚の骨頂だ。

そうではなく、自主性を尊重する。

話しをじっくり聞く。

決めつけない。

大人に従わせない。

 

そんなことをとても大切にしている。

子どもに対してどう言葉をかけるか、いつでも対等に接しているか、いつだって真正面から見ているか、そんなことを常に真摯に考えている。ように感じる。

 

でもね、これって並大抵のことじゃないと思うのです。

だって私は「恐怖で従わせる」の教育を受けてきたし、「大人に従わせる」という先生がたくさんいる環境で育ってきたから。(もちろんそうじゃない人もいたけれど。)

ましてや私の父親なんて「黙ってお父さんの言うことを聞け!!」なんてことを言う人だったものですから、そういう教育しか知らないのよね。

だからふとした時には「ママの言うことを聞かなければ怒りますよ!」みたいな言い方になってしまうし、「そらちゃんがそういうつもりならママだって考えがありますよ!」みたいな脅迫じみた考えが浮かぶことなんてザラにある。

 

たった1人の子供に対してだってこれなのに、何人もの年齢の違う子供を相手にしているのだから想像するだけで頭が下がる。

 

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学校に行くときのでっかいリュック。この写真、好き。

 

そんな学校に、長年『普通』の学校で教員を務めた女性が寮母さんとして入ってきたのだ。

そりゃ苦労すると思うのよ。

 

私はその話しを昨日そらさんに聞いてみたのです。

 

 

「あのさ、Yちゃんって寮母さんっているでしょ?怖いの?」

 

私のこの直球の質問にそらさんは

 

「うん。怖いよ。」

 

と直球で答えた。

 

「そうかぁ。怖いのかぁ。たとえば?たとえばどんな風に怖いの?」

 

Yちゃんは努めて優しくしていると言っていたらしい。

それなのにあの学校の子に『怖い』と言われてしまうのはどういうことだろう?

 

「うーんとねぇ…たとえばさ、ふざけて遊んでて、IちゃんがKくんに『あいつぶっ殺してきて!』とか『あいつぶっ飛ばしてきて!』とか言ったとするじゃん。ふざけてだよ!遊びで言ってるだけなんだよ!そういうのをYちゃん(寮母さん)に聞かれちゃうと『えぇっ?!!そんなこと言っていいの?!!』とか言うんだよね。」

 

そらさんはちょっと呆れた顔でこう答えた。

 

私はそのそらさんの話しを聞いて「なるほどーーー!!」とすごく納得したのだけれど、これを読んでいるあなたはどうだろう?

なにか通じましたか?

 

「あのさ、その『ぶっ殺してきて!』の会話をもしKちゃん(中学校の校長先生)が聞いたら何て言うと思う?」

 

私はそらさんに続けてそう質問した。

 

「え?Kちゃん?(←しつこいけど中学校の校長先生ね)『面白いこと言うねぇ』って言うと思うよ。あはは。」

 

私はそらさんのその返事を聞いてもう一回「なるほどーーーー!!」と思ったんだ。

 

伝わりますかね?

 

Yちゃん(新しい寮母さん)の反応には『恐怖心』があるのです。

(そらさんの想像ですが)Kちゃんの反応には『信頼』があるのです。

 

Yちゃんがどんなに優しくしようとしても、根底に(今までの)『普通』の学校教育が培ってきた『恐怖心』があるように思えてならないのです。

『ぶっ飛ばしてきて!』『ぶっ殺してきて!』という言葉を放置しておけない『恐怖心』。

きっとYちゃんは長年の刷り込みで無意識にそういう反応になってしまっていることが多いのではないか?と思うのです。

 

もしそうであるなら、それはそれは難しいことに挑戦しているのだなぁとつくづく思ってしまったのよね。

 

「前にIちゃんが夜中に起きちゃってね、寮母さんのところに行こうとした時があったんだって。それで階段をおりてたらね、Yちゃんが誰かに『優しくしているつもりなのに今日も怖いって言われちゃったのよねぇ…』ってしゃべってたって言ってたんだ。」

 

そらさんが頬杖をつきながら私にそう言った。

 

「あー…そうなんだねぇ。で?それを聞いてそらちゃんはどう思ったの?」

 

私は大人のような仕草のそらさんに聞いた。

 

「うん…みんないろいろ…(←ブログ最初のセリフ)」

 

 

8歳の子が言う「みんないろいろ大変なんだよなぁ…」を初めて聞いた私はなんだか不思議な気分だった。

そのセリフに“深み”があったからだ。

 

「でさ、そらちゃんはYちゃんのことどう思うの?好き?嫌い?それともどっちでもない?どんな感じ?」

 

これだけ深みのある「みんないろいろ…」が言えるそらさんは、私のこの単純な質問にどう答えるだろう。

 

 

「ん?Yちゃんが笑ってるときは好きだよ。笑ってるときもたくさんあるし。」

 

「でも怒ってるときは嫌い!」

 

ふむ。

なるほど。

 

そして続けてそらさんはこう言った。

 

「まぁでもさ、Yちゃんも大変なんだよね。寮母さんって大変だと思うもん。だからそらちゃんはYちゃんを応援するよ。頑張れ!って。」

 

 

…ずいぶん上からですね…

でも許容しているところはすごいと思うよ。ママは。

 

私はこのYちゃんの話しを通じて改めて『刷り込み』や『思い込み』に気付く難しさを感じたんだ。

ますます自分の『刷り込み』や『思い込み』に気付いていきたいなぁと思ったのよね。

 

 

私も応援したいなぁ。Yちゃんを。

きっととても優しい人だと思うから。

 

 

今そらさんは秋休み中です。

今週いっぱいお家にいるのですが…

…近所に住む“彼氏”のお家に遊びに行ってしまっていないのよぉぉぉー

 

こういう時間がもっと増えていくんでしょうね。

寂しいのぉ。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

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いつだって肚から笑っていたいんだ。~自分の“快”“不快”の話し~

 

どうやら私はよく笑うらしい。

そういえば一日に何回もケラケラと大声で笑っている。

でもまったく自分で気が付いていなくて、結婚してから亮一さんに言われて気が付いたんだ。(今は自覚していますよ。)

 

過去の私はやたら毎日が辛くて苦しかったし、毎日血反吐を吐きながら生きていたように感じるのだけれど、ソープ嬢の時もバーテンダーの時もホステスの時もその後も、思い出してみるとよく笑っていたように思う。

あんなに辛くて暗い毎日だったけれど、私がそんなものを抱えていたなんてきっと誰も気づいてないんじゃないかと思うくらいケラケラと笑っていたように思う。

 

今思うと、そのケラケラ笑っている時の自分のほうが居心地がよかったし、きっと自分にとっての“快”だったのだと感じる。

でもいったん仕事を離れ一人になると、途端にドヨドヨ~ンと闇に落ちていくのだ。

辛くて苦しい、血反吐を吐くような地の底、闇の世界に自ら落ちていくのだ。

 

「あぁもう私は生きていけない。いや、こんな愚かなどうしようもない私は生きている価値なんてないんだ。なぜ私は息をしているのだろう。こんなにも醜い私がこの世にいる意味なんてどこにもないじゃないか。」

 

いつもそんなことを酒を飲みながら考え続けていた私。(酒でも飲まなきゃいられなかったのでしょう。)

そして生きていることがいたたまれなくて、でも空腹になってしまう自分が嫌で仕方がなくて食べ物を詰め込み、そして吐き出していた。

 

今ならわかる。

なぜそんなことをしてしまっていたのか。

 

 

自分が“快”でいることが許せなかったからだ。

 

こんな愚かな醜い私が“快”でいることなんて許されてたまるか。

私は地の底を血反吐を吐きながら這いつくばるのが相応なのだ。

と信じて、いや信じるなんてもんじゃなく、それを当たり前のことだと思っていたのだ。

 

苦しくて辛い状況から、努力して精進して歯を食いしばって耐え忍んでやっと這い上がれる。

一歩這い上がるにも死に物狂いの努力を強いられて当然のヤツだと思っていた。

そのくらいやらなければ「生きていてもいいよ」と言ってもらえないと思っていた。

そのくらい自分はどうしようもなく醜くて愚かで、生きている価値がないと思っていましたから。

 

ですが、残念なことに私はたぶん元々怠け者で我慢がきかないヤツだったのでしょう。

そこまで長く歯を食いしばるような努力が続かなかったのだ。

そして自分は本当は“快”の状態でいたいのだ!と気づいてしまったのです。

 

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快の極みだな。

 

さて。

私は盛大に困った。

だって“快”の状態でいたいなら、自分が“快”を選ぶことを許可しなければいけないのだから。

いままで禁じていたことに許可を出さなければいけないのだから。

 

“快”を選ぶって簡単なことのように思えませんか?

だって自分の良いほうを選べばいいのだから。

でもね、これが思ったよりもなかなか大変なことなのですよ。

だって長年“自分の良い方”が『辛く苦しい不快の方』だったのですよ?

自分にそっちの方しか選べないように設定していたのだから。

 

これこそ私にとっては吐きそうになるくらい怖いことだった。

自分にとっての“快”を選び続けるって吐きそうなほど怖いことだった。

 

まずこんなに愚かで醜いと思っている自分の存在を認めていかなければならない。

自分の思っていること、考えていることにもっときちんと耳を傾けていかなければならない。

そして必要ならばそれを口にしていかなければならない。

これはとてつもなく怖くて死にそうなほどブルブルと震えることだった。

 

でも自分に嘘をつくのはもうまっぴらだ。

それじゃあこの“不快”が続いていく人生を送っていくだけだから。

 

もともと私は一人だった。

もともと心を開いた人なんていなかったのだから、今更人に好かれようなんておこがましい限りだ。

いや、嘘をついたまま、偽った自分のまま人から好かれたってどうせ虚しいだけだしますます自分も人も嫌いになるだけだ。

人の顔色なんて窺ってる場合じゃねぇ。

私は死に物狂いで自分に“快”を許可してやるぞ。

それで人に嫌われたって仕方がない。

傷ついたり悲しみにくれたりするかもしれないけれど、自分の本心に気付かず生きていくよりはそっちのほうがずっとマシだ。

 

そんなことを私は日々思い、少しずつ、ほんとに少しずつ、怖いチャレンジを始めたのは26歳の頃からだったような気がする。

今は一生懸命思い出さなければ忘れてしまっているようなことだけれど、今じっくり思い出してみると何度も何度も震えながら、吐きそうになりながら本心を口にしていった。

自分がいつの間にか、いろんな我慢をしていることを自覚していったんだ。

 

この我慢は必要だろうか?

この我慢はどこからきたものだろう?

この我慢を私はどうしてしているのだろうか?

この我慢はしている方が“快”なのだろうか?

 

私は私に素直になることがとても下手くそで、何度も何度も自分の嘘に騙された。

今でも気を抜くとすぐに騙される。

だからいつだって気にしているんだ。

こいつはすぐに嘘をつくからね。

すぐに問題をすり替えてくるからね。

 

「だってこれはそらさんの為だし…」

「私がこれを我慢するのが家族のためだからなんともないことだよ。だって…」

「お金がかかるしこれはできないよ。だってそれが当たり前のことでしょ?」

「私が家事をやらなきゃ誰がやるっていうの?これはしょうがないことだよ。だって女だし…」

「今日はゴハンを作りたくないけどそんなこと言えないよ。いや別にそんなにいうほど作りたくないわけじゃないのよ。だってお料理好きだし…それに…」

 

私の脳内はいつだって気を抜くと嘘と言い訳で埋め尽くされる。

“本当のこと”が見えなくなるくらいだ。

そんな自分も愛しくて好きなのだけれど。

 

でも私は負けない。

絶対いつだって見抜いてやる!と決めているからだ。

“快”を選び続けて、“快”でい続けることを自分に許したいからだ。

ここで見逃すといつだってこじらせて、挙句の果てには“不快”に人を巻き込むことを知っているからだ。

 

今私にはありがたいことに“快”メーカーの亮一さんがいてくれる。

一人だった時の“快”選択度が40%だったとすると、亮一さんと結婚してからの“快”選択度は120%だ。

亮一さんは私に無理なく“快”を選ばせてくれるし、いつだって私を笑わせてくれる。

(私が勝手にゲラゲラ笑っているだけとも言えるんだけどね。笑)

そしてなによりも自分と同じくらい、いやそれ以上に大好きな亮一さんを“不快”に巻き込みたくないから、私はますます必死に“快”でい続けたいと思うのだ。

 

“不快”な自分に出会ったときはチャンスだ。

その“不快”を味わえるから。

知れるからだ。

“不快”は排除しようとしてはいけない。

排除しようとすると大きくなるだけだから。

ただ知る。

自分の“不快”を知る。

すると“快”がわかる。

そして勇気をもって“快”を選ぶ。

“快”を選択することを勇気をもって自分に許す。

ただただ笑っていることを自分に許す。

いつも機嫌よくいられることを自分に許す。

状況は関係ない。

機嫌が悪くても機嫌よくいることを許す。(これ伝わるかなぁ。)

 

きっと幸せはここがスタートだと私は思うのです。

 

私は死に物狂いで“快”を選択していった。(今も続行中。)

結果人に嫌われても仕方ねぇや!と開き直りながら。

そうしたらさ、不思議なことに前よりも人から好かれるようになったし、私も人のことがどんどん好きになっていったんだよね。(なにより自分のことが好きになった。)

 

なんでこんなことを書いているのかというとね、私の好きな「ナリ心理学」のナリくんがLINE@でこんな言葉を書いていたからなんだ。

 

 

子育てで一番大切なもの。

 

それはお母さんの笑顔!一択!!

 

まじでこれ。

それ以外は、ガストの山盛りポテトについてる葉っぱくらいなもん。

 

お母さんの笑顔。

お母さんの笑顔。

お母さんの笑顔。

 

だから、お母さんは自分の笑顔のために本気になることを「子育て」というのかもしれません。(知りませんが。)

 

そして、奥さんを笑顔にさせてない旦那のことを「本物の無職」と言います。

ナリが勝手に作っただけ。

 

 私はこの意見に激しく同意するのですが、ナリ君は『笑顔でいる』ことを『機嫌良くいること』と言っています。

昔の私は『機嫌良くいること』がまるでできなかった。

一人でもできないのだから、あのまま結婚や子育てなんてした日にゃできないに決まっています。

ますます『不機嫌』に拍車がかかるだけでした。

それも無自覚なまま。

 

うわ!今怖い事言った!!

無自覚なまま!怖い!!

 

心当たりある人が何人か頭に浮かびますが、「私のことだ…」と思っている人、いるでしょ?

もしそう思ったなら知っていこう。

自分の“快”“不快”を。

そして勇気をもって許していこう。

自分が“快”でいることを。

 

“不快”を選び続けている理由はなんですか?

自分に“快”を許していないのはなぜですか?

 

あなたが“快”だとみんなが幸せなんだよ。

知ってた?

私は知らなかったんだ。

だから知れてよかったなぁと思っています。

だから私からあなたにもう一度言うね。

 

あなたが笑顔で機嫌がいいと、それだけでみんなが幸せなんだよ。

だからどうかいつだって肚から笑っていてください。

私もいつだってそうしたいと思っています。

もし何かを頑張るなら自分の機嫌を良くする方向に頑張ってください。

これはみんなの願いなんだよ。

 

ナリ心理学、面白いよ。↓↓↓

 

https://ameblo.jp/nalipsychology/entrylist.html

 

この動画もぜひ!

https://ameblo.jp/nalipsychology/entry-12535732406.html

 

最後まで読んでくれてありがとう。

生意気なこと言ってごめんなさいね。

どうかあなたに届きますように。

 

ではまた。

 

 

 

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いろんなことがたくさん詰まっている毎日をもらっているんだ。と彼女は言った。

 

台風。

すごかったですね。

めちゃくちゃ怖かった…。

藤山家はお陰さまで何事もなく、みんな無事です。

でも怖かった。

自然の畏怖を改めて感じた日でした。

 

被害に合われた方もかなり多いようですね。

偽善的だなぁと思うけれども、書かせてください。

被災されているみなさん、無理せず焦らず身体を労わりながらどうか毎日を生きてください。

身体が元気ならなんとかなる。と私は思っています。

ふんばれ。きっと大丈夫。いや、絶対大丈夫。

 

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家のかわいこちゃん。(夏♀2歳。めっちゃかしこい。)

 

台風の勢力が治まってきた頃(土曜日の夜ね)、私たち家族はお布団に入りました。

今回の台風は大きくて強くてやばいよ!と私たちが言っていたのを聞いて&テレビの報道を観て夕方一泣きしたそらさん(娘8歳。鬼カワ。)は、ホッとした様子で仰向けに寝ながらお話しを聞かせてくれた。

 

「あのさ、そらちゃんはいつもこう思うんだ。」と天井をまっすぐ見つめながらそらさんが話し始める。

 

 

「悲しいことが1つあるでしょ?それで、嬉しいことが1つ、すごく嬉しいことが1つ、苦しいことが1つ、ものすごく楽しいことが1つ…っていう風にいろんなことがたくさん詰まっているのが一日で、それをもらってるわけだよね。」

 

 

楽しいこと、悲しいこと、すごく嬉しいこと、苦しいこと…そんなことがたくさん詰まっているのが1日。

そしてそれを『もらっている』のだと彼女は言った。

私はもうその時点で「おぉ…」と感動していたのだけれど、その後彼女はこう続けた。

 

 

「その、いろんなことがたくさん詰まっている『1日』を毎日“もらい続ける”のが人生でしょ?そらちゃんはもう8年も生きているから、その『いろんなことがたくさん詰まった1日』をもういーっぱいもらってるんだよね。(←ニヤリと嬉しそうに笑いながら。)それでね、そらちゃんはさ、『いろんなことがたくさん詰まった1日』をもうもらいたくない!と思っちゃう人の気持ちがわからないんだよなぁ…。」

 

と。

 

私は最初彼女がいわんとすることがよくわからなくて、「あぁ…そうなんだねぇ。」と曖昧な相槌を打ってしまったのだけれど、よくよく聞いてみると彼女(8歳)はどうやら『自殺』についての話しをしているようだった。

 

「もうこんな毎日は嫌だ!って思っちゃった人がいるとするでしょ?ていうか、そう思っちゃう人っているんでしょ?それでさ、もう自殺したい!とか思っちゃって、でも勇気がなくて自殺できない!っていう人もいるじゃん?そういう人はさ、『もういろんなことが詰まった1日はいりません!』って本気で言うのが先なんだよ。

それを本気で言えない人は自殺なんてできないんだよねぇ。とそらちゃんは思うんだ。」

 

 

彼女がどうしていきなりそんな話しをしたのかはわからないのだけれど、そらさんは『人生』について考えたり話したりするのが好きらしいので常々そんなようなことを考えているようだ。

 

私は彼女の言葉のチョイスがとても好きなのだけれど、『いろんなことがたくさん詰まっているのが1日』とか、『その1日を“もらっている”』とか、『いろんなことが詰まっている1日をもらい続けるのが人生』とか、ほんとに秀逸だと思う。

(しつこいようですが彼女は8歳です。)

そして『自殺』についての考察もなかなかだなぁと思うし、結構深いことを言っています。

 

その『いろんなことが詰まった1日』を本気で「もういりません!」と言えないと自殺は成功しないのだ。と。

そして彼女はそう思ってしまう人の気持ち(本気でいりません!と思ってしまう人の気持ち)が分からないんだよなぁ…と遠くを見つめるのです。

 

 

「そらちゃんはさ、『たくさんいろんなことが詰まった1日』を“もらう”のはどんな感じ?嬉しい?めんどくさい?楽しい?それともちょっと嫌だったりする?」

 

私は遠くを見つめる彼女にそんな質問をしてみた。

すると彼女はこっちをチラッとみてからすぐに天井に目を向けて「うーん…」と考え、

そして少ししてから「楽しいし嬉しいよ。悲しいこととか嫌だったりするけどね。」と笑顔で答えた。

 

私はその答えを聞いて思いついたことを口にしようとしたのだけれど、途中まで口にしてから自分の考えていることにハッと気づいた。

 

「あのさ、楽しいことが1つ、嬉しいことが1つ、それから悲しいことが1つ、苦しいことも1つ…っていうのがたくさん詰まったのが毎日なんだよね?…」

 

の後、私は当初こう続けようと思考していた。

 

 

「その中でさ、楽しいことと嬉しいことに目を向ければいいんだよ。そうしたら楽しいことと嬉しいことが大きくなって、そういう1日になるじゃん!」

 

 

私は上記の言葉を言おうとしたのだけれど、すぐに気付いて思いとどまった。

なんと気持ち悪いことを言おうとしていたのだろう!!と吐きそうになったからだ。

私は常日頃から「悲しいことも苦しいことも悔しいこともなかったことにしないようにしよう」と思って生きています。

ちゃんと見ようとしないうちからなかったことにするんなんて反吐が出る!と思って生きています。

(あまりにも辛すぎることに一時期蓋をするのは仕方がないことなのかもしれない。とも思っていますけれど。)

 

逃避のための『ポジティブシンキング』なんて気持ち悪くて仕方がないと思っているし、綺麗にしておきたいだけの『前向きに生きる』という言葉が嫌いだ。

(前向きも後ろ向きもねぇよ!が一番の前向きなんじゃないかと…)

 

あぁ…それなのにそれなのに…

 

私は一瞬にしてよくある『良い母親が娘にするであろう良い話し』をしようとしてしまっていたのです!

なんという愚かな女なのだろう!

 

私は話しを途中まで口にしてしまっていた手前、なんとか着地をしようと試みた。

 

「あのさ、楽しいことが1つ、嬉しいことが1つ、それから悲しいことが1つ、苦しいことも1つ…っていうのがたくさん詰まったのが毎日なんだよね?…

それでさ…(えーと…えーと…どうやって着地しよう…と必死で考える。)」

 

 

 

「悲しいことも苦しいことも……楽しくなったらいいね!!」

 

 

 

…おぉ…

 

なんという語彙。

乏しすぎじゃありませんか。

(言いたいことはそういうことなのですが。)

8歳の彼女はあんなにもすばらしい表現をしているのに私ときたら。

 

 

着地がなんともフワフワで、ちょっと恥ずかしい気持ちを抱いている私に彼女は笑顔でこう言った。

 

 

「うん。そうだね!」

 

 

…おぉ…

…救われました…

 

 

 

今日も彼女は『いろんなことがたくさん詰まった今日』をもらっているのでしょう。

そして私も『いろんなことがたくさん詰まった今日』をもらっている。

悲しいこともやるせないことも苦しいこともどうしようもないことも、嬉しいことも楽しいことも笑っちゃうようなこともたくさん詰まった1日。

あとどれくらい『たくさん詰まった1日』をもらえるのだろうね。

 

今日も良き日だな。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

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私(人間)の滑稽な話し。

 

土曜日の夜。

「お休みぃ~♡」とキスをしてお布団に入った後、隣で寝ているそらさん(娘8歳。かなり可愛い。)がずっとゴソゴソと動いていた。

珍しくなかなか眠れないんだなぁと思いながらも、そのうち寝るだろうとほっといた私。

どれくらい経ったころだろう。

そらさんが私の背中に小さな手をそっと置いて「ママ…」と声をかけてきた。

こういう時はだいたい「トイレ行きたい…」と言う時なので、私は「ん?」と振り向いて「トイレ?」と聞いた。

 

ら。

 

「…うぅ…なんかね…悲しいこと考えちゃったの…」

 

と、そらさんがボロボロと泣いていた。

一生懸命流れてくる涙を手でごしごしと拭いながら。

 

「え?そうなんだぁ。悲しいこと考えちゃったんだ…。そうかそうかぁ。」

 

突然のことで驚く私。

さっきまでケラケラと笑っていたのに。

 

「…うん…。ママ…寝てたのにごめん…うぅ…」

 

ポロポロと涙を流しながら私に謝るそらさん。

…切ない…

 

「えぇ?!そんなのいいんだよぉ…どんな悲しいこと考えちゃったの?それは聞かない方がいい?」

 

こんなに泣いているのに私に気を使っていることが切ない。

私はなんとかそらさんの胸中にあるであろう“何か”を吐き出させたいがために的確な質問を高速で考え、そして話しを聞く姿勢を整える。

 

「…うん…それはうまく言えないんだけどね…あのね…」

 

そらさんは最初はぽつりぽつりと自分の小さな胸の中にあるソレを話し出した。

 

「こうやって悲しいことを考えちゃうことが寮で寝てる時もあるの…うぅ…でもね、もう寝てるし、寮母さんに慰めて欲しい時もあるけどね、きっと寝てるだろうし、起こしたら怒られちゃうかもしれないでしょ?…だからね、いつもは我慢するのぉ…うえーん…」

 

そらさんの『吐き出し』はそれから少しずつエスカレートしていった。

 

「我慢できるときもたくさんあるんだよ。悲しいこと考えちゃって一人でベッドで泣いててもおさまるときもたくさんあるんだよ…うぅ…でもね、今日はどうしてもママに慰めて欲しくなっちゃったのぉ…うぅー…ごめんねぇ…」

 

私はそらさんのその言葉を聞いて、切なくて情けなくて泣きそうになった。

 

「え?全然いいんだよぉ。ママなんてさ、そらちゃんの話しを聞くためにいるようなもんなんだから…。楽しい話しはもちろんだけど、悲しい話しも辛い話しも困ってる話しも全部聞きたいよ。それぐらいなんだから。ママができることなんて。今日は言ってくれてありがとうね。」

 

はぁ…

こんなことしか言えない私、やだ。

そんな私にそらさんはこんなことを言いました。

 

「でもさ、なんかさ、ママに相談したいけど、こんな夜に泣いたり相談したりばっかりしたらさ、ママは心配しちゃって気を使うようになっちゃうかもしれないじゃん…あとさ、なんかさ、笑わないママとか世の中にいるでしょ?怒ってばっかりのママとかいるでしょ?ママもそうなっちゃうんじゃないかって心配しちゃうんだよぉ…うえーーん…」

 

おぉ…

夜に泣きながら相談事をすると『笑わない怒ってばっかりのママ』になってしまうのではないかと心配に…うーむ…

そらさんの中のその構図はよくわかりませんが笑、「ママが心配して気を使っちゃうようになっちゃうかも」という心配はわかるな。

 

この後そらさんは胸中のあれこれを吐き出しながらわんわんと泣いたのですが、どうやら“いろいろ言いたいことややりたいことをみんなの気持ちを考えすぎてガマンしていた”のが溜まりすぎちゃったということのようでした。

 

私はなるべくそらさんの表面的な話しの内容に気をとられないよう、余計な口出しをしないよう、そらさんの話しを真剣に聞きました。

「うんうん。そうなんだね。」や「そうかぁ。それは辛かったよねぇ。」くらいの相槌で。

 

そらさんの吐き出しがそろそろ落ち着いてきたなぁというころ、私は心からの言葉をそらさんに言いました。

これぐらいしか言えないから。

 

「そらちゃん、あのね。ママはどんなそらちゃんでも大好きだよ。だからどんな話しでも聞かせて欲しいんだ。だから出来たらでいいからなるべく教えてくれたら嬉しいんだ。でも無理はしないでね。言いたくなければ言わなくていいけど、ママはいつだってそらちゃんの話しを聞かせてほしいと思ってるよ。今日は話してくれてありがとう。辛いときはなるべく言ってね。」

 

私はこの言葉をそらさんに言いながら泣きました。

わんわんと。

なんていうか、すごくやるせなくてね。

自分の非力というか、無力感をビシビシと感じてしまって。

泣いている我が娘(8歳。)の隣でわんわん泣く私(44歳。)。

それはそれは情けなくて滑稽でした。

 

そんな私にそらさんは

「ママも泣いちゃったの?ママ…ママも言ってね。辛いときや相談事があるときはそらちゃんに言ってね。聞くから。」

と涙を手でごしごしと拭いながら言ったのです。

 

もうだめ。

そんなことを言わせてしまう私、もうだめ。

ボロボロですよ。

 

「うー…ありがとう…」(←ボッロボロに泣く。)

 

情けなさ過ぎて「こんな母親でごめん…」と言いかけそうになった時、そらさんが「そらちゃんもママみたいな優しいママになれるかなぁ…」と言いました。

私はもうなんだかわからずに「そらちゃんはそらちゃんらしいママになればいいよ。」としみじみ言ったその後。

 

 

「まぁそもそも結婚するかどうかもわからないし、子どもを産むかどうかもわからないんだけどねっ!あははは!」

 

 

…いつの間にかケロッとして笑っているそらさんが目の前に。

 

「そうだね!あはははは!」

 

笑ってるそらさんにつられて笑う私。

 

「あのさ、ママ。ぜんっぜん話し違うんだけどね、この間Yちゃんがさぁ~…」

「うんうん!なになに?」

「それでさぁ~あっははははー!」

「えー!そんなことあったんだぁー!あっははははー!」

 

 

…さっきのアレはなんだったんでしょう…?な、あっかるい会話。

 

「じゃ寝るね!泣いたらすっきりしちゃった!ありがとうママ。おやすみー!」

 

…おぉ…

あんなにさめざめと泣いていたのに…

この世の終わりのように泣いていたのに…

この気分の変わりようはなんでしょう…

 

そらさんはひとしきり泣いて話して吐き出して、ケロッとすっきりしてしまったのでした。

 

そらさんが笑いながら寝たことに安心していたけれど、私は私の中の『やるせなさ』が残ったまんまでした。

なんだかもやもやしたものが残ったまんまでした。

「私、なっさけないなぁ…」と呟いてしまうくらい。

 

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自作のアイマスクを着けるそらさん。アイマスク可愛すぎやろ。

 

 

次の日。

私は胸の奥にそのもやもやしたものを残したまんまでした。

でもそのもやもやは小さすぎて、ケラケラ笑って過ごすにはあまり支障がありませんでした。

なので相変わらず「あはははは」とケラケラ笑って3人で過ごしておりました。

 

午後。

亮一さんが「チケット取っちゃったよ。」と言いました。

とうとうインドに行くチケットを取ったと報告してきたのです。

ずっと迷っていた亮一さん。

「行くかどうかわかんないよ。」と言っていた亮一さんがとうとうチケットを取った、と。

私は「おおー!とうとう決めたかー!よかったねぇ!」と言ったけれど、その直後に自分の中にもやもやが充満していることに気付いたのです。

なんだかとても居心地が悪いのです。

もやもやして気分が悪いのです。

 

「なんか…いざ決まると不安になるね。…寂しいなぁ…。」

 

私の口からはこんな言葉が出ていました。

 

「そうだよね。俺も不安だもん。俺も寂しいし。」

 

亮一さんは冷静にそんなことを言っていました。

 

その後、私のもやもやは増すばかりで、不満や不安がたくさん湧いてきました。

脳内ではいろんなストーリーが巻き起こります。

 

「私たちのこと置いて行っても平気なんだ。」

「結局この人は私のことなんて気にしてないんだ。」

「いいよね、子どものことを任せていかれる人は!」

「ほんとは結婚したことを後悔しているんじゃないの?だって私たちがいなかったらもっとこの人は自由に動けるんだから。」

「どこまでいっても私ばっかりがこの人のことを好きで、この人は私のことなんて好きじゃないんだ。」

 

挙句の果てにはこんなことまで。

 

「もう…だめかもしれない…(さめざめ…)」

 (↑上記の内容はいっさい亮一さんには言っておりません。あくまで脳内ストーリーです。)

 

 

もうこれが全て。

これがほんとの世界だと思い込んでいるのです。

でも幸運なことに私にはいくつも視点がある。

こう思っている自分に『気付いている自分』が在る。

 

そのストーリーに埋没しそうになりながら、どこかで気づいている自分が「あれ?これは一回思いっきり泣かないと抜け出せないやつだな…」と観ている。

 

で、夕方。

私は嫌ぁな気分のまま、夕飯の支度を始めました。

途端に泣けてくる。

ただ夕飯の支度を始めただけなのに、ボロボロと涙が出てくる。

私は一瞬これを止めようとするのだけれど(バレたら恥ずかしいとかなんで泣いているか聞かれたくないからとかの思いで。)、ここで止めたらダメだと思い、身体に任せる。

野菜を用意しながらボロボロと涙を流す。

お肉を切りながらボロボロと涙を流す。

玉ねぎを切りながら、今はボロボロ涙を流しても違和感ないなぁと思いながらボロボロ涙を流す。

時々鼻をちーーんとかみながら。

 

どれくらいボロボロと涙を流しただろう。

私は「はぁー!」とひとつため息をついた時に「あれ?」と気づく。

 

なんか…

 

 

 

スッキリしてる!!

 

 

 

 

あれ?

さっきの不安や不満はどこ行った?

さっきまで「きっと亮一さんはうんぬん…」って言ってたよね?私。

えーと…

なんて言ってたっけ?忘れちゃったなー。

あー!亮一さんはインド行きのチケットとったんだよね!

よかったよかった!

楽しみだなー!あはははー!

 

 

↑これ、ほんの数時間の出来事。

滑稽だと思いませんか?笑

 

そらさんと一緒!!ウケる!!

 

その後私は今日自分に起こった出来事を夕飯を食べながら亮一さんに報告しました。

 

「さっきまでいたたまれないくらいもやもやしてたんだけどさー、泣いたらすっきりしちゃったよ。泣く前と後じゃまるっきり気分が違うって滑稽すぎるんだけど!ウケる!あはははは!」

 

と。

 

亮一さんは私のその話しを聞いて「そうなんだねぇ。でもよかったよ。安心しました。」と優しく言いました。

 

「で?結局そのもやもやの発生は何だったと思うの?」

 

亮一さんが私に聞きました。

このもやもやはいつどこで発生したのか。

そらさんとの昨日の夜の会話が発生源なのか。

私には明確な答えがありました。

謎でもなんでもありません。

 

 

「え?ただ体調が悪かっただけだよ。」

 

 

そうなんです。

ただ体調が悪かっただけなんです。

私、秋の花粉症があるんです。

ブタクサ?ですか?

今年はひどいのですよ。症状が。

だからね、ここのところずっと体調がすぐれないのです。

なのにちょっと無理してたんだね。

 

ただそれだけ。

 

滑稽じゃないですか?

笑っちゃうよね。

 

だからさ、何かもやもやしたことや不安がある人は疑ってみてね。

体調の悪さを!

 

いっくらでもストーリーをもってこられるからね。

思考ってやつはさ。

それ(思考)をこじらせるとやっかいだぜぇー。

ただ体調悪いだけの時ってめっちゃくちゃあるからね。

 

って、今日はそれが言いたかっただけでした。

 

ちゃんちゃん。

(でもね、これってすっごく大切なことだと思うのよー。)

 

 

読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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