藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

私(人間)の滑稽な話し。

 

土曜日の夜。

「お休みぃ~♡」とキスをしてお布団に入った後、隣で寝ているそらさん(娘8歳。かなり可愛い。)がずっとゴソゴソと動いていた。

珍しくなかなか眠れないんだなぁと思いながらも、そのうち寝るだろうとほっといた私。

どれくらい経ったころだろう。

そらさんが私の背中に小さな手をそっと置いて「ママ…」と声をかけてきた。

こういう時はだいたい「トイレ行きたい…」と言う時なので、私は「ん?」と振り向いて「トイレ?」と聞いた。

 

ら。

 

「…うぅ…なんかね…悲しいこと考えちゃったの…」

 

と、そらさんがボロボロと泣いていた。

一生懸命流れてくる涙を手でごしごしと拭いながら。

 

「え?そうなんだぁ。悲しいこと考えちゃったんだ…。そうかそうかぁ。」

 

突然のことで驚く私。

さっきまでケラケラと笑っていたのに。

 

「…うん…。ママ…寝てたのにごめん…うぅ…」

 

ポロポロと涙を流しながら私に謝るそらさん。

…切ない…

 

「えぇ?!そんなのいいんだよぉ…どんな悲しいこと考えちゃったの?それは聞かない方がいい?」

 

こんなに泣いているのに私に気を使っていることが切ない。

私はなんとかそらさんの胸中にあるであろう“何か”を吐き出させたいがために的確な質問を高速で考え、そして話しを聞く姿勢を整える。

 

「…うん…それはうまく言えないんだけどね…あのね…」

 

そらさんは最初はぽつりぽつりと自分の小さな胸の中にあるソレを話し出した。

 

「こうやって悲しいことを考えちゃうことが寮で寝てる時もあるの…うぅ…でもね、もう寝てるし、寮母さんに慰めて欲しい時もあるけどね、きっと寝てるだろうし、起こしたら怒られちゃうかもしれないでしょ?…だからね、いつもは我慢するのぉ…うえーん…」

 

そらさんの『吐き出し』はそれから少しずつエスカレートしていった。

 

「我慢できるときもたくさんあるんだよ。悲しいこと考えちゃって一人でベッドで泣いててもおさまるときもたくさんあるんだよ…うぅ…でもね、今日はどうしてもママに慰めて欲しくなっちゃったのぉ…うぅー…ごめんねぇ…」

 

私はそらさんのその言葉を聞いて、切なくて情けなくて泣きそうになった。

 

「え?全然いいんだよぉ。ママなんてさ、そらちゃんの話しを聞くためにいるようなもんなんだから…。楽しい話しはもちろんだけど、悲しい話しも辛い話しも困ってる話しも全部聞きたいよ。それぐらいなんだから。ママができることなんて。今日は言ってくれてありがとうね。」

 

はぁ…

こんなことしか言えない私、やだ。

そんな私にそらさんはこんなことを言いました。

 

「でもさ、なんかさ、ママに相談したいけど、こんな夜に泣いたり相談したりばっかりしたらさ、ママは心配しちゃって気を使うようになっちゃうかもしれないじゃん…あとさ、なんかさ、笑わないママとか世の中にいるでしょ?怒ってばっかりのママとかいるでしょ?ママもそうなっちゃうんじゃないかって心配しちゃうんだよぉ…うえーーん…」

 

おぉ…

夜に泣きながら相談事をすると『笑わない怒ってばっかりのママ』になってしまうのではないかと心配に…うーむ…

そらさんの中のその構図はよくわかりませんが笑、「ママが心配して気を使っちゃうようになっちゃうかも」という心配はわかるな。

 

この後そらさんは胸中のあれこれを吐き出しながらわんわんと泣いたのですが、どうやら“いろいろ言いたいことややりたいことをみんなの気持ちを考えすぎてガマンしていた”のが溜まりすぎちゃったということのようでした。

 

私はなるべくそらさんの表面的な話しの内容に気をとられないよう、余計な口出しをしないよう、そらさんの話しを真剣に聞きました。

「うんうん。そうなんだね。」や「そうかぁ。それは辛かったよねぇ。」くらいの相槌で。

 

そらさんの吐き出しがそろそろ落ち着いてきたなぁというころ、私は心からの言葉をそらさんに言いました。

これぐらいしか言えないから。

 

「そらちゃん、あのね。ママはどんなそらちゃんでも大好きだよ。だからどんな話しでも聞かせて欲しいんだ。だから出来たらでいいからなるべく教えてくれたら嬉しいんだ。でも無理はしないでね。言いたくなければ言わなくていいけど、ママはいつだってそらちゃんの話しを聞かせてほしいと思ってるよ。今日は話してくれてありがとう。辛いときはなるべく言ってね。」

 

私はこの言葉をそらさんに言いながら泣きました。

わんわんと。

なんていうか、すごくやるせなくてね。

自分の非力というか、無力感をビシビシと感じてしまって。

泣いている我が娘(8歳。)の隣でわんわん泣く私(44歳。)。

それはそれは情けなくて滑稽でした。

 

そんな私にそらさんは

「ママも泣いちゃったの?ママ…ママも言ってね。辛いときや相談事があるときはそらちゃんに言ってね。聞くから。」

と涙を手でごしごしと拭いながら言ったのです。

 

もうだめ。

そんなことを言わせてしまう私、もうだめ。

ボロボロですよ。

 

「うー…ありがとう…」(←ボッロボロに泣く。)

 

情けなさ過ぎて「こんな母親でごめん…」と言いかけそうになった時、そらさんが「そらちゃんもママみたいな優しいママになれるかなぁ…」と言いました。

私はもうなんだかわからずに「そらちゃんはそらちゃんらしいママになればいいよ。」としみじみ言ったその後。

 

 

「まぁそもそも結婚するかどうかもわからないし、子どもを産むかどうかもわからないんだけどねっ!あははは!」

 

 

…いつの間にかケロッとして笑っているそらさんが目の前に。

 

「そうだね!あはははは!」

 

笑ってるそらさんにつられて笑う私。

 

「あのさ、ママ。ぜんっぜん話し違うんだけどね、この間Yちゃんがさぁ~…」

「うんうん!なになに?」

「それでさぁ~あっははははー!」

「えー!そんなことあったんだぁー!あっははははー!」

 

 

…さっきのアレはなんだったんでしょう…?な、あっかるい会話。

 

「じゃ寝るね!泣いたらすっきりしちゃった!ありがとうママ。おやすみー!」

 

…おぉ…

あんなにさめざめと泣いていたのに…

この世の終わりのように泣いていたのに…

この気分の変わりようはなんでしょう…

 

そらさんはひとしきり泣いて話して吐き出して、ケロッとすっきりしてしまったのでした。

 

そらさんが笑いながら寝たことに安心していたけれど、私は私の中の『やるせなさ』が残ったまんまでした。

なんだかもやもやしたものが残ったまんまでした。

「私、なっさけないなぁ…」と呟いてしまうくらい。

 

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自作のアイマスクを着けるそらさん。アイマスク可愛すぎやろ。

 

 

次の日。

私は胸の奥にそのもやもやしたものを残したまんまでした。

でもそのもやもやは小さすぎて、ケラケラ笑って過ごすにはあまり支障がありませんでした。

なので相変わらず「あはははは」とケラケラ笑って3人で過ごしておりました。

 

午後。

亮一さんが「チケット取っちゃったよ。」と言いました。

とうとうインドに行くチケットを取ったと報告してきたのです。

ずっと迷っていた亮一さん。

「行くかどうかわかんないよ。」と言っていた亮一さんがとうとうチケットを取った、と。

私は「おおー!とうとう決めたかー!よかったねぇ!」と言ったけれど、その直後に自分の中にもやもやが充満していることに気付いたのです。

なんだかとても居心地が悪いのです。

もやもやして気分が悪いのです。

 

「なんか…いざ決まると不安になるね。…寂しいなぁ…。」

 

私の口からはこんな言葉が出ていました。

 

「そうだよね。俺も不安だもん。俺も寂しいし。」

 

亮一さんは冷静にそんなことを言っていました。

 

その後、私のもやもやは増すばかりで、不満や不安がたくさん湧いてきました。

脳内ではいろんなストーリーが巻き起こります。

 

「私たちのこと置いて行っても平気なんだ。」

「結局この人は私のことなんて気にしてないんだ。」

「いいよね、子どものことを任せていかれる人は!」

「ほんとは結婚したことを後悔しているんじゃないの?だって私たちがいなかったらもっとこの人は自由に動けるんだから。」

「どこまでいっても私ばっかりがこの人のことを好きで、この人は私のことなんて好きじゃないんだ。」

 

挙句の果てにはこんなことまで。

 

「もう…だめかもしれない…(さめざめ…)」

 (↑上記の内容はいっさい亮一さんには言っておりません。あくまで脳内ストーリーです。)

 

 

もうこれが全て。

これがほんとの世界だと思い込んでいるのです。

でも幸運なことに私にはいくつも視点がある。

こう思っている自分に『気付いている自分』が在る。

 

そのストーリーに埋没しそうになりながら、どこかで気づいている自分が「あれ?これは一回思いっきり泣かないと抜け出せないやつだな…」と観ている。

 

で、夕方。

私は嫌ぁな気分のまま、夕飯の支度を始めました。

途端に泣けてくる。

ただ夕飯の支度を始めただけなのに、ボロボロと涙が出てくる。

私は一瞬これを止めようとするのだけれど(バレたら恥ずかしいとかなんで泣いているか聞かれたくないからとかの思いで。)、ここで止めたらダメだと思い、身体に任せる。

野菜を用意しながらボロボロと涙を流す。

お肉を切りながらボロボロと涙を流す。

玉ねぎを切りながら、今はボロボロ涙を流しても違和感ないなぁと思いながらボロボロ涙を流す。

時々鼻をちーーんとかみながら。

 

どれくらいボロボロと涙を流しただろう。

私は「はぁー!」とひとつため息をついた時に「あれ?」と気づく。

 

なんか…

 

 

 

スッキリしてる!!

 

 

 

 

あれ?

さっきの不安や不満はどこ行った?

さっきまで「きっと亮一さんはうんぬん…」って言ってたよね?私。

えーと…

なんて言ってたっけ?忘れちゃったなー。

あー!亮一さんはインド行きのチケットとったんだよね!

よかったよかった!

楽しみだなー!あはははー!

 

 

↑これ、ほんの数時間の出来事。

滑稽だと思いませんか?笑

 

そらさんと一緒!!ウケる!!

 

その後私は今日自分に起こった出来事を夕飯を食べながら亮一さんに報告しました。

 

「さっきまでいたたまれないくらいもやもやしてたんだけどさー、泣いたらすっきりしちゃったよ。泣く前と後じゃまるっきり気分が違うって滑稽すぎるんだけど!ウケる!あはははは!」

 

と。

 

亮一さんは私のその話しを聞いて「そうなんだねぇ。でもよかったよ。安心しました。」と優しく言いました。

 

「で?結局そのもやもやの発生は何だったと思うの?」

 

亮一さんが私に聞きました。

このもやもやはいつどこで発生したのか。

そらさんとの昨日の夜の会話が発生源なのか。

私には明確な答えがありました。

謎でもなんでもありません。

 

 

「え?ただ体調が悪かっただけだよ。」

 

 

そうなんです。

ただ体調が悪かっただけなんです。

私、秋の花粉症があるんです。

ブタクサ?ですか?

今年はひどいのですよ。症状が。

だからね、ここのところずっと体調がすぐれないのです。

なのにちょっと無理してたんだね。

 

ただそれだけ。

 

滑稽じゃないですか?

笑っちゃうよね。

 

だからさ、何かもやもやしたことや不安がある人は疑ってみてね。

体調の悪さを!

 

いっくらでもストーリーをもってこられるからね。

思考ってやつはさ。

それ(思考)をこじらせるとやっかいだぜぇー。

ただ体調悪いだけの時ってめっちゃくちゃあるからね。

 

って、今日はそれが言いたかっただけでした。

 

ちゃんちゃん。

(でもね、これってすっごく大切なことだと思うのよー。)

 

 

読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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できたことを褒めてあげよう。結果はどうあれ。と思う自分は綺麗ごとがすぎるのでしょうか。

 

9月の半ばころ、なんとなぁくこれをやりたんだよなぁ…と前々からうっすらと感じていたことを亮一さんに小さな声で言ってみた。

 

「私さぁ、実はこれをやってみたいんだよねぇ。」

 

と。

 

この時点ではほんとにやりたい気持ちはうっすらとだったし、できるわけないかぁとやってみてもいないのに諦めていた私。

正直めんどくささもあったし。

 

でも亮一さんは「お!いいねぇ!やってみたいならやりなよ。いいじゃんいいじゃん!」と言ってくれて、それを聞いた私は「うん!そうだね!私、やる!」と急にやる気になってしまった。

相変わらず単純だな。

 

私のその“やりたいこと”の詳細はまだ伏せておくけれど(なんだか気恥ずかしいので。)、私がそんなことに挑戦するなんて数年前の私にはまったく予想がつかなかったことなのです。

 

「うん!やる!」となってしまった私は、その“やりたいこと”に真正面から取り組むことになったのだけれど、こんなにめっちゃくちゃ集中したのはほんとに久しぶりだった。

 

 

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関係ないけど家のかわいこちゃんたち。左がハルくん(♂2歳)。右が夏(♀2歳)。めっちゃ甘えん坊。 

 

 

数年前から私は『なんにもしないしなんにも出来ない私』に出会い、『生産性のあることを何もしないクズな私』をあえて表に出して、もがきながら見つめることを本気でやってきたのだけれど、これはものすごく辛い作業でした。

 

さっきFacebookの投稿でOSHOの言葉があがってきていたのだけれど、ちょっとここで引用しておこうかな。

 

退屈に直面するには大きな勇気がいる。

人は退屈を感じはじめたとき、初めて人間になる。

 

 

うむむ。

『退屈』ってほんとに退屈なのよね。(何言ってるか、わかる?)

それはものすごい恐怖なのですよ。

私はこの数年、この『退屈』を死ぬ気で味わったような気がしています。

(まぁ私の『死ぬ気』なんてたかが知れているのですが。)

 

退屈に直面するのには大きな勇気がいる。

それはほとんど死ぬようなものだ。

実際のところ、それは死ぬより難しい。

しかし、仕事をしたり、お金を稼いで貯金をすることに喜びを感じ、レストランで食事をし、映画や旅行に行ったり、あれやこれや参加しているうちは人は退屈なんかしないし、楽しんでいる。

 

しかしそれは、まだ本当の人間ではないのだ。

 

人は退屈を感じはじめたとき、初めて人間になる。

 

『退屈』って『虚無』を感じやすいのです。

何かをやって、自分のやっていることに“価値”や“意味”を見いだせれば、もしくは“価値”や“意味”を頭でこねくりまわしてひねり出せれば、いや、誰かから「価値があるね!」「意味があるね!」と評価されれば、『虚無』を感じなくてすむ。

私って『無価値』なのかも…と恐怖を感じなくてすむ。

だから“何か”をやり続ける。

自分の存在に『意味』や『価値』が有ると信じたいからね。

 

 

私たち夫婦は亮一さんがこのブログでも書いていたように、いつだって「0(ゼロ)から会話をしよう」と意識しているし、「0(ゼロ)から話しを聞こう」としています。

 

その記事はこちら↓

note.mu

 

だから私は『虚無』という、ものすごい恐怖を感じてしまうソレから逃げるのではなく、『虚無』に飛び込もうとしました。

『価値がある』とか『無価値だ』とかは、誰がきめるのだろう?と疑問に思い、あえて『無価値感を感じる方』に身を差し出しました。

そして『私』とはどれのことだろう?ときょろきょろ探していました。

『私の0(ゼロ)』を知りたかったから。

 

ここ数年で「これが私だ」と思い込んでいた観念が、ガラガラと崩れていく音を何度も何度も聞きました。

「私ってこういうやつだから~」と人前でさらしていた『私』を疑い始め、私がいつの間にかもっていた『私像』がどんどん崩れていった時はどうやって人と話したらいいかわからずに戸惑ったりもしたし、怖くて泣いたりもしました。

 

「これが私なんだよねぇ~」と人前でさらしていた『私』は、どこにもいない虚像でした。

私が決めた、私がいつの間にか思い込んでいた、『虚』の『像』でした。

 

そしてどこまでいっても『私』は曖昧模糊としていて、実態がみつかりません。

なので『価値がある』とか『無価値だ』とかが成り立たないのです。

だって、どこまでいっても『私』が曖昧模糊としているのですから。

そして『虚無感』というのはあって当たり前の感覚なのだと知りました。

だって、この世に確定しているものがないのですから。

「掴めるものがなにもない」世界で「正解を誰も知らない」のですから。

 

嫌ぁな気分の時は、その『虚無』や『無価値』をなんとか自分の世界から排除しようとしている時だと知りました。

自分に『価値』をつけようとしている時や、『虚無』を感じなくしようと躍起になっている時は疲れるし、とても嫌ぁな気分になる。

その嫌ぁな気分を人は“不安”と名付けたのでしょう。

「お金がないから」とか「愛されていないから」とか「最愛のパートナーがいないから」とか「先行きがわからなくて」とか、人はいろんな『不安の理由』を語ります。

そして“不安”と名付けられた嫌ぁな気分を少しでも感じなくするために、“何か”をやり続け、“何か”を得ようとする。

 

「お金がもうかれば!」「愛し愛される相手が現れれば!」「事業で成功すれば!」「将来の安定を得られれば!」「たくさんの人から賞賛されれば!」「人から崇められれば!」「自分が特別な存在だと認められれば!」「社会貢献すれば!」「たくさんの人を救えば!」「世界平和を祈れば!」「霊能力を手に入れれば!」「特別な才能を発揮できれば!」「スタイルが良くなれば!」「顔が美しくなれば!」etc…

 

ちょっと前から流行ってる『自分のほんとうにやりたいことをやろう!』ブームって難しいことなんだなぁと知りました。

『ほんとう』がわからないんだものね。

それを知るためには『虚無』や『無価値』に気付いて、飛び込まないとなんだから。

 

『退屈』と『虚無』を「うおー」とか「ひゃー」とか「うえーーん」とか、苦しい苦しいとか死んじゃうぅぅ~とか言いながら体験し、ある程度降参した私。(本気の降参はまだできていないところが悔しいよなぁ。)

 

そんな私に久しぶりに『やってみたいこと』が現れた。

私の思考は相変わらずバカなので、「そんなことやっても無駄よぉ~」とか「はっずかしい~」とか言うのだけれど、そんな声を聞きながらも亮一さんにぼそぼそと言ってみて、身体が動く方に身をまかせてみました。

 

そしたらさ!

めっちゃ大変でやんの!

もー疲れる疲れる。

苦悩するわくたくたになるわ、もー大変。

でもね、不思議なことに止めないのです。

身体がやりたがるのです。

「やりとげるまであきらめない!」なんて思いが湧き上がるのです。

 

そして9月30日に私はその『やりたいこと』をやりとげた。

まー疲れたけど気持ちよかったのよ。

「やった!」なんて清々しく思っちゃってね。

亮一さんにもそらさんにも感謝の気持ちがあふれるほど湧いちゃってねぇ。

 

この『やり遂げたこと』には一応“結果”というのがでるものなので、「あぁー良い結果が出ればいいなぁ」と思うのです。期待もしてしまいます。もちろんね。

でもそれよりも「これをやりたいんだ!」という思いが湧いたことが嬉しかったし、それを自分がやれたことをすごい!と思えたのです。

 

偉い!よくやった!

 

と。

 

『退屈』『虚無』『無価値感』ってめっちゃネガティブワードに感じません?

怖くないですか?

私は怖かった。

でも飛び込んでみて味わってみると(飛び込み方はかなり中途半端ですが…)、そこにはなんともいえない世界が在ったのです。

いつでもその世界に居続けていたいのですが、いかんせん『個』という幻想にどっぷりな私はそこに居続けることはできません。

すぐに「私はさぁ~」と『個』である「自分語り」を始めようとしてしまうのです。

あーあ。

どこまでいっても私は愚かだなぁ。

 

 

『愚かな個である私』と『退屈に溶け込む私』。

これを私は行ったり来たりしながら生きている。

そんな風に感じるのです。

 

うわ!

ここまで書いてて思ったけど、私、めっちゃめんどくせー!笑

まぁいっか。

生まれてから今まで、めんどくさくなかったことんなんて一度もなかったもんな。

 

てことで、私は今日もあーだこーだ金にもならないことを考えながら生きてます。

急にやる気になってみたり、相変わらずぐだぐだしたり、偉そうなことを言ってみたり、そして突然退屈に溶け込んでみたりしながら。

 

今日も良き日だな。

 

 

グダグダした文章を最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

 

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一滴のエキスである私。

 

私たち夫婦はちまちまと地味に夫婦ブログを続けております。

昨日亮一さんが書いた記事がほんとに素晴らしかったのでこちらでもシェア。

note.mu

 

 ↑↑↑マジで読んでみて!!

だまされたと思ってさ!!

 

以下本文より抜粋。

 

 

「宇宙の中の地球の中の一滴のエキスである僕」

そんな一滴のエキスである僕は、

今自分が何をしているのか、全体の中で何の役目をしているのか、

どこに向かおうとしているのか、どこにも向かっていないのか、

一滴のエキスの位置からは、さっぱり分からないのです。

それは頭で考えても分からないのです。

思考を超えていると思うのです。

ああでもない、こうでもない、と少しでも人生を良く生きようと思い、もがきながら生きる日々。

そんな大した事もなさそうな、何の変哲もなさそうな日常。

それが「宇宙の中の地球の中の一滴のエキス」がどうしても果たさなければならない、かけがえのない一回きりの裸の人生そのものなのかもしれません。

 

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一滴のエキスであるそらさんが地面に書いた私たち夫婦の絵。可愛すぎる。 

 

私はどうしたって愚かにも『こうなりたい!』だとか『こうやって生きていきたい!』と欲求や希望も持ちます。

これはどうしたって止められないし、これこそが人間の“良さ”だと思っています。

もしかしたらそれは『一滴のエキス』である私の役割なのかもしれない。

『こうなりたい!』という願望を達成することが重要なのではなく、『幸せ』を求めながら、模索しながら、もがきながら生きる日々が、果たさなければいけない、かけがいのない一回きりの裸の人生そのものなのかもしれない。

 

 

私はお誕生日の時にこんなことを書きました。

 

どっちでもいい。

 

のだと。↓↓

 

今年も私のお誕生日がやってきました。 - 藤山家においでよ

 

何かを達成することはとてもエキサイティングだし、とても喜ばしいことです。

願望を実現させることはとても嬉しいことだし、満たされることでしょう。

希望を持ち、それに向かって邁進することはとてもエネルギーに満ちる行為だし素敵なことだと思います。

今現在私も地味に、でも内心ではパワフルに自分の欲求に従って動いている最中です。

そうなって欲しい!自分の願望が現実になって欲しい!

そう思っています。

でも、その反面でこうも思っています。

 

「どっちでもいいかな」

 

と。

 

だって一滴のエキスである私の思考なんてたかがしれているでしょうから。

思考を超えたところにきっと“何か”があるのでしょうから。

 

でも希望や願望を持たないことなんてできません。

だから私は全力でもがくのです。

そして全力で求めます。

どこかで「どっちでもいいんだろうな」と思いながらも。

 

人はどこまでいってもコントロールをしたがるのでしょう。

コントロールを手放すなんて、とても難しいことですから。

だから無理にコントロールを手放そうとはしません。

(そういうときもあるけどね。)

 

ただもがき、求め、知りたい!と願う。

なんて可愛いのだろう。

 

今日も私はそんな“私”とお付き合いをしています。

なかなか進まない『やりたいこと』にのろのろと向き合いながら。

 

さて。

愚かな私の願望を実現させられるようにまたもがこうかな。

どうせなら泥臭く、かつ爽やかにもがきたいもんだな。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ではまた。

 

 せっかくだから夫婦ブログの私のほうも読んでみてね。↓↓↓

 

note.mu

 

 

 

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摂食障害のことをお勉強してみて。(途中経過報告①)

 

 

少し前、私はブログにこんなことを書きました。↓↓↓

yukiukix.hateblo.jp

 

あれからほんの少しずつ、私なりにお勉強をしてます。

傍から見たらお勉強なんていえないレベルのことかもしれないけれど、私なりにゆっくりゆっくりとやっております。

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学術書ってどうしてこうも読み辛いのでしょうか…。私の脳みそでは限界が…ボチボチいきます…

 

いろいろ調べていくと、私はけっこう酷いレベルの摂食障害を患っていたことがわかってきました。

患った年数もかなりのものです。

それが治った。

いや、『治った』わけじゃないのかな。

厳密にいうと『症状が出なくなった』。

(何をもってして『治る』なのか?もごちゃごちゃ私が考えていることの一つです。)

そして何よりも、今の私は「摂食障害になってよかったなぁー!最高にエキサイティングですごい体験だったなぁー!」とか思っちゃってるわけです。

摂食障害でボロボロのぐちゃぐちゃのどん底にいた、自死を何度も何度も考えていた過去の私を丸ごと肯定している自分がいるのです。

そして摂食障害になってしまった自分も愛しくて大好きです。

 

これには大きな訳がある。

そしてこうなるにはとても大切な行程がある。

 

今私の中に一つの仮説があるのだけれど、その仮説が合ってるのかどうか?を知るためにお勉強をしています。

私の中で大きな確信を得ることができたら、それを軸に綴っていこう。

そしてたくさんの人に読んでもらいたい。

じゃあたくさんの人に読んでもらうためにはどうしたいいか?を結構真剣に考えています。

 

先日私の愛するMさんが、某有名大学の先生とお酒の席をご一緒する機会を私につくってくれました。

その先生は長年摂食障害を研究している先生です。

まー緊張しましたよ。

高級クラブホステスをしている時は大学教授や准教授の方と何度もご一緒する機会はあったのですが、それは『ホステス』として同席するわけです。

今回はなんの肩書も持たない、『私』でご一緒するわけです。

しかも私は高卒。

けっこう学歴コンプレックスを持っている私。

こんな無知な、のほほんとしている私が有名大学の先生とご一緒するなんて!!とちょっとブルっておりました。

が…

さすがMさんの紹介してくださった先生です。

とっても紳士的な対応をしてくださいました。

(Mさんの気遣いもほんとにすごいんだよなぁ…)

インテリジェンスってこういうことよねぇ…と再度感じたのでした。

 

先生は私の話しに優しく耳を傾けてくださり、私のする基本中の基本のような質問にも丁寧に答えてくれました。

私はこの貴重な時間で、私の中の確認したいことをいくつも確認することができました。

もうほんとにありがたすぎて、夜の街中で叫びたくなるような時間だったなぁ。

(Mさん!愛してます!!ほんとにありがとう!!)

 

後日、私はFacebookで突如流れてきた広告に目を留めます。

そこには『摂食障害を共に考える会』と書いてある。

参加費1000円。

むむむー。

今現在、摂食障害に苦しんでいらっしゃる方やそのご家族が参加するような会であるという趣旨のよう。

私はもう症状が出なくなって久しいけど、摂食障害の仕組みや治し方なんかも聞かせてくれるらしい。

これは行かなきゃでしょ!ってことで参加してきました。

 

結果、その会社の商品をゆるーくお勧めするって感じの会だったのですが、それはあくまでゆるーくで、今現在食べ吐きの症状で苦しんでいらっしゃる方2名、過去酷い摂食障害だった主催者の方2名のお話を生で聞くことができました。

 

…やっぱりな…

 

これが私の感想。

私が思っている通りのことばかりでした。

そりゃなかなか治せないはずだよ。

だって注目してるところが違うんだもん。

でもこれを説明するのがとても難しい。

そしてなかなか受け入れるのが難しい。

こりゃ早急にちゃんと考えなきゃだな…

 

そんなことを思ったのでした。

 

私ができることなんて微々たることだし、それに「苦しんでいる人を少しでも救いたいんです!」なんて高尚なことを想っているわけじゃないのよ。

そんな大層なことは想っていないのよ。

たださ、せっかく『難病』といわれている病気にかかった経験があるのなら、その中身を分かりやすく、でもリアルに綴ってみたいのよ。

そしてその『難病』といわれている病気の症状が出なくなった経験があるのなら、何故なのか?をわかりやすく、でも赤裸々に綴ってみたいのよ。

 

ちょっとずつ、私は私の仮説を固めています。

そしてそれをどうやって表現していくか?を頭を抱えながら、唸りながら、でも大笑いしながら形作っていっています。

 

 

私は毎日遊んでいます。

頭を抱えながら。

 

私は毎日のほほんとしています。

「うむむー…」と腕組をしながら。

 

私は毎日ゲラゲラ大笑いしています。

難しい本を見て苦悩しながら。

 

私は毎日人間って素晴らしいなぁ!と思っています。

人生って苦しいことばっかりだな…と絶望しながら。

 

これはあくまで経過報告。

これからどう進んでいくか、私にもまるでわかりません。

でもどうにかして表現したい。

もうすごい欲求です。

身もだえするほどです。

あー辛い。

模索って辛い。

でもやりたいからやるんだ。

 

また経過報告するので見守ってやってください。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

ではまた。

 

 

 

 

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夏休みが終わってしまったことと宿題についてと叱らぬ教育について。

そらさんの夏休みが終わってしまった。

今年の夏休みは本当に楽しくて(私がね。)、終わってしまうのが寂しくて仕方がなかった。

お友達も一緒にキャンプに3回も行けたし、そらさんと2人でプールにも行ったし、家族3人でお祭りや綺麗な海にも行かれたんだ。

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キャンプの朝。亮一さんが大人気の図。

 

 

「そらちゃん…学校が始まるとき、もしかしたら泣いちゃうかもなぁ…」と上目遣いで言っていたそらさんは、昨日学校についた途端大興奮で友達とワーワー楽しそうにどこかへ行ってしまった。

そんなそらさんを見て寂しい気持ちもあったけれど、亮一さんの「いいことだよ。勝手に楽しんでくれたらいいね。」という言葉にグッときて、ほんとにそうだなぁと思った。

 

『勝手に楽しんでくれたらいいね』って、なんて素敵な言葉なんだろう。

それは『あなたの人生はあなたのものなのだから、勝手に楽しんでほしい』という意味だと感じて、一人胸の中で「おぉ…」と感動してしまった。

その言葉を口にできる亮一さんを「ふふふ。やっぱり好き。」と思ってしまう私は相変わらずの嫁バカだ。

 

そらさんの行っている南アルプス子どもの村学校には宿題というものがない。

テストもない。

なんなら成績表すらない。(それっぽいものはあるんだけどね。)

なので私は『我が子の夏休みの宿題問題』に遭遇したことがない。

『日々の宿題やらせるかやらせないか問題』にも遭遇したことがない。

これは私にとってはとてもラッキーなことで、私はきっと「宿題やりなさーい!」なんてことが言えないヤツだから大変助かっている。

 

そらさんの夏休み中、近所の仲良しの子たちとその子たちのパパさんママさんたちとバーベキューをやる機会があった。

その近所の仲良しの子たちはみんな、すぐ近くの公立の小学校に行っている。

当然夏休みの宿題が出ているので、私はママさんたちに宿題事情を聞いてみた。

 

「ねー、夏休みの宿題ってちゃんとやってるの?どんな宿題が出るの?たくさんあるの?」

 

小学校2年生の宿題がどんなもんなのか、まるで見当がつかない私はここぞとばかりに質問をする。

 

「もうほとんど終わってるよー。あとは研究だけだなー。」

「あー家も家もー!自由研究どうしよう。」

「家はあとドリルがほんの少しだけだよね?自由研究は『スライム』を作ったよ。材料揃えてさあ。YOUTUBEで作り方観てさー。」

「もー毎年自由研究困らない?もう適当だよー。」

「親の負担半端ないよねー。」

「毎日日記とか書かせるの大変だよー。」

「あーあとさー…」

 

私が一言話を振っただけで宿題の話が出てくる出てくる…

 

特に私が疑問に感じたのは『自由研究』について。

よーく話を聞いていると『夏休みの自由研究の本』というのがあるらしく、『自由研究のネタ』や『やり方』なんかが書いてあるそうで。

 

「もーその本の通りにやって提出するだけだよー。しかも去年はパパがほとんど仕上げたしね。今年もその本から選んで適当にやるわー。」

「あー家もそうしよう。ていうか早く決めないと材料そろえられないじゃん!」

 

2人のママさんが焦った様子でそんな話を繰り広げる。

私はその話しを聞きながら、首をぐにゅりとひねっていた。

 

…それ…

 

ぜんぜん自由研究ちゃうやんっ!!

 

私は心の中で「自由って?!!自由っていったい何?!!研究ってそういうもんなのぉぉぉぉーー?!!『自由』な『研究』っていったいなんなんだぁぁぁぁーーー!!」

と静かに叫んでおりました。(←相変わらず暑苦しい。)

 

「あのさ…」

 

私の心の叫びを口にすることははばかれる雰囲気だったので、こんな質問をなげてみた。

 

「…そのー…自由研究ってやっぱりそうやって親が決めないと進まないものなの…かな?親の負担でかくない?それって何年生くらいまで親が率先して提案していくものなの?」

 

もっと疑問に思っていることはたくさんあるのだけれど、私ができる質問はこれが限界だ。

さて、ママさんたちはどう答えるだろう。

 

「えー、だってさぁ2年生じゃまだ無理だよー。自分でなんて決められないでしょー。まだ来年…うーん…4年生くらいまで無理じゃない?もうこの自由研究が一番いやっ!!」

「そうだよねー!自分じゃまだ決められないよねぇ。ほんとめんどくさいっ!!」

 

うむむむ…

うーむ…

子ども夏休みの宿題は親への負担がほんとにでかいのだな…

なんだか色々考えさせられたよ。

 

私は早く夏休みの宿題なんてなくなってしまえばいいのに!と思っているのだけれど、(宿題なんてなくなったらいいのに!と思っている。)

なくしたらなくしたで不安に感じる親御さんもいるのかなぁ。

『夏休み』なのに宿題があったら休めないじゃんねぇ。

というか、宿題なんてなくしてめいっぱい遊べばいいのになぁ。

少なくともちっとも自由じゃない、親がワーワー言ってるだけ(のように見える)『自由研究』なんてまるで意味がない気がするのだけれど。

 

そんな出来事があり、私は『子どもの宿題問題』についてけっこう考えていた。

もしそらさんに宿題があったら私はどうしていたかなぁと。

そんな話を亮一さんとあーだこーだ話したんだけれど、亮一さんの話しの締めくくりがやっぱり素敵すぎたのでここに書いておこう。

 

「もし宿題があったら、きっとそらの反応や周りの反応をみていろんなことを考えるんだろうけどさ…

結局のところ宿題をやろうがやるまいが、どっちにしたって全く大したことじゃないっていうことだけはちゃんとベースに持っておきたいよね。」

 

うひょぉぉお!

ナイスっ!!

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生後7ヶ月の時に表紙になった『ひよこクラブ』を持たされて自慢のために私に無理やり写真を撮られるそらさん。この子ね!『ひよこクラブ』の表紙になったのよっ!!

2000人くらいの中から選ばれたんだって!!すごくないですかっ?!!(←自慢がうるさい。)

 

 

そらさんの新学期の準備をしているときに、学校が刊行している『子どもの村通信』という新聞?のようなものが出てきて改めて目を通してみた。

子どもの村学校を創った堀さんが書いた記事に目がとまる。

そこにはこんなことが書いてあった。

 

『叱らぬ教育(あえて今一度)』

問題は、叱ることが良いか悪いかではない。

叱らずにいられる人と、叱らずにいられぬ人との相違である。

 

私はこの言葉を見て「おぉ…」と声をもらした。

子どもの村学校は『世界一自由な学校』と呼ばれたサマーヒルスクールの創始者であるニイル̪氏の『自由教育』の思想に基づいて創られている(らしいです。よく知らないのですけど…)。

堀さんはニイル氏の言葉を引用しながらこんなことを綴っていた。

 

子どもの悪いところばかり目につくのはなぜだろう。この疑問を解く鍵はニイルのことばに見つかる。

 

「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は内心で自分自身とたたかっている。その結果として外界とたたかう。」

 

 

つまり無意識の深層で、本来もっている生命力と、生後に外界から与えられて内面化した超自我と葛藤している。

こういう子は、不安、緊張、自己否定感に悩んでいる。不幸なのだ。

そしてニイルの言葉は次のように続く。

 

「困った大人も同じ船に乗っている。」

 

 

『子どもの教育』という言葉をよく聞くけれど、子どもを通じて教育しなおされるべきはきっと『大人』のほうなんだとよく思う。

子どもの存在を通じて、いつの間にか縮こまらせてしまっていた『生命力』をもう一度放つべきは私たちのほうなんだと。

 

叱るというのは、いかに弁明しようとも相手を否定する行為だ。

しかも「大人は道徳的に正しい」という前提に立っている。

倫理規範の代理人を自任している。

しかしニイルのように子どもの自己決定の力を信じる人は、子ども自身による問題の認識と解決を大事にする。

もちろん子どもの困った行為に言及することはある。

しかし道徳の代弁者として叱るのではない。

「それは困る」や「ほかの子に迷惑がかかる」と気づいてもらう言い方である。

 

 

新学期に「学校に行きたくない」と思っている子がたくさんいるんだという話を聞いた。

この時期に子どもの自殺者が増えると。

 

子どもの宿題に口を出したくなるのはなぜだろう。

叱らずにいられないのはなぜだろう。

自分の考えを言わずに「それは悪いことだ!」と世間一般論で怒ってしまうのはなぜだろう。

これは大人がじっくり考えたほうがいいことだよなぁと思うのです。

 

 

叱らずにいられる人は幸福である。 byニイル

 

幸福で在りたいなぁ。

 

ではまた。

 

 

 

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私の思うことあれこれ。徒然。

 

夏は過ぎ去るのが早い。

毎年思うのだけれど、夏はどうしてこうも早く過ぎ去ってしまうのだろう。

私は毎年、夏が始まった!うわーい!と感じると同時に「はぁ…始まってしまった…」とため息をつく。

“始まる”と“終わる”からだ。

そしてその終わりが思ったよりも早く来てしまうことを知っているからだ。

 

数年前まで『初秋』という時期が憎らしくて仕方がなかった。

「初秋ってなんだよ!!ふざけんなよぉぉぉぉ!!私の夏を奪いやがってぇぇぇぇ!」と、誰にぶつけていいのかわからない怒りを空にむかってぶちまけていたくらいだ。

が、それも年のせいなのかなんなのか、数年前から『初秋』という時期も悪くないなぁと思えてきた。

いや、「初秋のやろうめぇー!」と悪口を言いながら、そんな悪口を言っている自分に「ふふ」と笑ってしまう時間を「悪くないな…」と思い始めたんだな。

 

摂食障害バリバリの時期の私は極度の寒がりで、体温もいつも低かった。

なので必然的に冬が大っ嫌いになった。

暗いし寂しいしなによりめっちゃくちゃ寒い。

たまに街中で寒さに力尽き、うずくまって「もう私ぜったい一歩も歩かないんだからっ!!!」と当時付き合いのあった男性達を何度も困らせたこともあった。

(ほんとにめんどくさい女だなぁ。)

 

そんな私が数年前から「うむ。冬も悪くないなぁ。」と思い始めた。

体温が高くなったし(平熱36度8分!!)、昔より寒がりじゃなくなったからっていうのは大きな理由だけれど、やっぱりこれも「冬は寒いし暗いし寂しいから嫌っ!!早く過ぎ去れっ!!」と悪態をついている自分を「ふふふ」と含み笑いで眺めながら「これも悪くないな…」と思えるようになったからだ。

 

 

先日友人家族とキャンプに行ったとき、私は夜も更けたキャンプ場でその友人に少しお酒に酔いながら、こんなことを一生懸命言っていた。

 

「私はね!全力でダラダラしてるのよぉ!もうね、人生をかけてダラダラしてるのっ!!命をかけて家の床で寝っ転がっているのよっ!!『もーどーにでもしてくれっ!!』という気持ちで必死にくだらないテレビを観るの!!」

 

「意味のあることなんて死んでもやってやるもんかっ!!って命をかけて寝っ転がるの!!わかる?これがどれだけ大変なことか?!」

 

「私はね、必死でゴロゴロしてるのよぉぉぉぉーー!!」

 

 

…おぉ…

我ながらなんという可愛らしさでせうか…

 

 

私はずーーーーーっと実験をしている。

きっと生まれてからずーーーっと実験をしているのだ。

仮説を立てて実験をして結果を知る。

また仮説を立てて実験をしてそして結果を知る。

私は私を使ってずーーっと実験をしているのだ。

 

“私”が何を思い、何を考え、どう行動して、そして何を感じるのか。

“私”がどんな言葉を使い、誰に何を伝えるのか。そして何を感じるのか。

 

昔私は『初秋』が憎らしかったけれど、その『初秋が憎らしい私』を「ふふ。かわいいな。」と思いはじめたらそれほど『初秋』が憎らしくなくなっていた。

いや、むしろ愛しいくらいになっていた。

 

あんなに『寒くて暗くて寂しい冬』を嫌悪していた私が『嫌悪している私』を「へえ。

嫌悪してるんだぁ。ふふふ。」と愛しく見つめはじめたら『嫌悪していること』を愛しく感じ始めた。

 

この実験対象は飽きることがない。

むしろ振り回されっぱなしで飽きる暇がない。

 

「もー!いい加減にしてっ!」と嫌気がさすことはあるけれど、離れることができないし、結局お付き合いをしてしまうのだ。

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この左に置いてあるものはどう見ても『長ねぎ(束)』ではないよなぁ…としばらく眺めてしまう自分がめんどくさくて愛しいなぁと思う44歳の夏です。

 

 

昨日我が娘そらさんがこんなことを私に言った。

 

「ねぇママ。ママはすごいよ。知ってる?ママはすごいんだよ。」

 

私はその時寝っ転がって、まるで生産性の無いLINEゲームをやっていた。

なので「へ?そうなの?」とゲームの手を止めずにすっとぼけた返事をした。

 

「そうだよ!だって今すっごい考えながらゲームをやってるんでしょ?それってすごいことじゃない?でさ、ゲームをクリアしちゃったりするんだよ!すごくない?それってすごいことじゃない?!そらちゃんにはクリアできないゲームをクリアしちゃったりするんだよ!なかなかできることじゃないよ!」

 

…褒め上手だ…

 

そらさんの褒め褒めはまだまだ続きます。

 

「あとさ、さっきハルと夏(家の激カワ猫2匹)がいたずらしてお部屋ちょっとぐちゃぐちゃにしたでしょ?それでも怒らなかったじゃん!それってすごいことだよ!そらちゃんだったら怒っちゃうかもしれないもん。ママは怒らなくて笑ってたでしょ?ママはすごいよ!すっごい優しいよ!なかなかできることじゃないよ!」

 

…おぉ…

…なんだか泣けてきたぞ…

 

私はそらさんの褒め褒めを聞いて、まんざらでもない気持ちになった。

そして褒め褒めをこの後も続けられて、『まんざらでもない』が『泣きそうになるほど嬉しい』に変わっていった。

 

 

そらさんをみていると不思議な気持ちになることが多々ある。

「そういえばさぁ…」という何気ない言葉を発するそらさんの姿を見て、「そういえばさぁ…」という言葉を、この子はどうやって覚えたんだろう?と真剣に考えてしまう。

 

ハサミを上手に使っているそらさんの姿を見て、ハサミを使うってすっごい難しいことなのに、いつの間にこの子はこんなにも出来るようになったんだろう?とまじまじと見つめてしまう。

 

ノートの隅っこに小さな可愛らしい絵を描いているそらさんの姿を見て、こんなに小さな絵を細かく書けるようになるなんてすごいなぁ。というか、どうしてこの隅っこにこんなに小さく書こうと思ったのだろう?とジッとその手を見てしまう。

 

おっぱいを口に含むことすらおぼつかなかった子が、げっぷも一人でできなかった子が、寝返りすらできなかった子が、どうやってこんなにも…と驚愕してしまう。

 

とある時、私はこんなことを思った。

 

あれ?…

私…だってそうだったんだよなぁ…

私だってそらさんと同じ赤ん坊だったんだよなぁ…

 

と。

 

何気なく包丁を使っている私の手を観察する。

トントントントン…とリズミカルに包丁を動かしている手を観察する。

 

…これ…マジですごいことだ…

 

私は私が包丁を使いこなしていることに驚愕する。

いつ?

いつ、こんな風に使えるようになった?

どうやって?

こんなに難しいことを!!

 

私は私が洗濯物を畳んでいる時の手や動きを観察する。

山のように積まれている洗濯物を次々畳んでいる自分をじっと観察する。

ほんの数分後には綺麗に畳まれて、収納しやすいようにお洋服やタオルが仕分けられている。

 

魔法?!!

これ、魔法なの?!!

私、これをいつ覚えたの?

いつこんな風に出来るようになった?

すごい!!

 

私は私が当たり前にやっていることに目をむけて、そしてそのすごさに驚いた。

 

掃除機使えるのってすごい!!

雑巾を固く絞れるってすっごい才能だ!!

箸を使ってご飯を食べる?凄すぎる!!

本を読む?!そんな高等なことをどうやって覚えた?!

パソコンで文章を綴る?!は?!天才じゃん!!

 

私は私を心から褒めた。

褒めちぎった。

いや、今も褒めちぎっているし、私以外の人もほんとにすごいと思うから褒めまくる。

 

そんなことをしていたら、昨日そらさんから実際に褒め褒め言葉を大量に頂いたのだ。

 

私は凄い。

そしてあなたもとっても凄いのだ。

 

何の問題もない。

あるとするならば、自分の凄さに気付かない、気付けないようにコントロールされてきたことくらいだ。

まぁ、それすらも問題じゃないのだけれど。

 

 

昨日亮一さんとあれこれ話していて、やっぱりこの人は素晴らしい人だなぁと感じた。

うまくここでは書けないけれど、亮一さんの『俺が俺に捕まってたまるか』みたいなところが大好きだ。

亮一さんは自分の考えをどこまで裏切れるか?を常にやっているような人だ。

(あ、これは私が感じていることですよ。亮一さんはそんなこと思ってないかもしれません。)

正直で純粋だ。

亮一さんにこれを見て取れると言うことは、もしかしたら私も『正直で純粋』なのかもしれない。とジワジワ感じている。

 

今年の夏は最高だ。

去年も最高だったけれど、今年はもっと最高だ。

そして初秋も最高だろうし、秋も冬も最高なんだと思う。

きっと最悪でも最高なんだろうな。

 

 

つれづれなブログを読んでくださってありがとうございます!

ではまた。

 

 

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今年も私のお誕生日がやってきました。

 

夏だ。

毎日が夏だ。

私は夏が大っ好きだ。

特に8月が大好きだ。

あっつくてイライラするのも、汗でデロデロになるのも、キッチンに立ちたくなくなるのもたまらなく好きだ。

今年は特に家がパワースポット化して1年が経ち、私の体調が天気にあまり左右されなくなったこともますます最高だ。(台風が上陸しなくても、どこかで発生しているだけで体調が悪くなってたんですよ。←めんどくさい女だなぁ。)

 

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一昨日のキャンプでの一コマ。

 

8月8日は私の息子、天太(てんた)さんの命日だった。

そして今年のお盆は父親の新盆。

天さんを無性に抱っこしたくなる衝動にかられる時もあるし、父親と無性に話したくなる衝動にかられる時もある。

私はその衝動を感じられることを幸せだと思う。

『あー天さん可愛かったなぁー!』と思う時、『あーお父さんに会いたいなぁ』と思う時、私はそう思っている自分が愛しい。

 

先日母親にあった時、母はこんなことを言っていた。

 

『楽しかったことしか思い出せないのよねぇ。』

 

父親が亡くなるまで自宅介護をしていた母はいつも文句を言っていた。

愚痴もたくさん言っていたし、いつもクタクタに疲れていた。

それなのに。

 

私は天さんが生きている時、たくさん文句を言っていた。

「もーやだよぉ。泣」「この生活がいつまで続くんだろう…?」「可愛いんだけどなぁ…。死んじゃうんだよなぁ…。」「ゆっくり眠りたいよぉー」

 

でも今。

天さんが可愛かったことばっかり思い出す。

笑った顔や泣き顔を思い出しては「ふふ」と笑う。

 

『あの時は大変だったけど、でもあれはあれで楽しかったなぁ。』

 

そんなことを思う。

幸せだ。

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スキンケアを一切しなくなってどれくらいが経つだろう。

今の私は化粧水も日焼け止めも一切塗っていない。

もちろん日焼けはバリバリするし、肌のきめが細かいか?って言われればノーだ。

でもすっごい快適だし、肌の調子はバリバリ良い。

 

白髪染めをしなくなってどれくらい経つだろう。

今の私は白髪バリバリの髪をバッサリ切って、嫌で嫌で仕方がなかった自分のくせ毛をバリバリさらけ出している。

シャンプーも石鹸シャンプーで、リンスは自作のクエン酸リンスだ。

ワックスもつけることがほとんどなくなり、毎日が快適で楽ちんだ。

 

先日この私の髪の色と髪型をべた褒めしてくれる人に出会った。

 

「わー!その色にしたいのよぉー!かっこいいー!その髪型も素敵ー!理想!それ理想!!」

 

その人は私の髪型と髪色を全貌の眼差しで見てそう言った。

私はその言葉に驚いて、そして大喜びした。

 

スキンケアもしないし、化粧も最小限の毎日。

髪は染めないし、髪型セットもほとんどしない。

私は私をとことんさらけだしている。

私はそこにものすごい恐怖を感じ、「こんなんでいいのか?!」と不安にかられる。

でも、そんな私を褒めてくれる人がいる。

亮一さんも褒めてくれる。

 

「うん。いいよ。ゆっきぃはそれが似合うよ。かっこいいよ。」

 

これでいいんだ…。

 

実際私の快適度はどんどん増している。

私は私の髪の色が好きだし、このもじゃもじゃのぐちゃぐちゃの髪型も割と好きだ。

シミが増えてきたこの顔もなかなか好きだし、なにより化粧や日焼け止めのことを気にせずに気軽に外出できるのも楽ちんで好きだ。

かといって化粧が嫌いなわけではないし、おしゃれをするのも好きだ。

 

私が求めていたのはこれだったんだ。

 

どっちでもいい。

 

これ。

 

化粧はしてもしなくても、いい。

スキンケアはしてもしなくても、いい。

おしゃれはしてもしなくても、いい。

白髪染めはしてもしなくても、いい。

人目を気にしてもしなくても、いい。

良い人ぶらなくてもぶっても、いい。

言いたいことを言っても言わなくても、いい。

 

 

 

今日は私のお誕生日だ。

今年のお誕生日は去年にも増して最高だ。

 

私が私でよかった。

誰にも変わってやるもんか。

 

スタイルが悪くても、歯並びが悪くても、文章センスがなくても、片づけや掃除が苦手でも、人付き合いがへたっぴでも、お金のやりくりができなくても、予定が立てられなくても、すぐダラダラしちゃっても…etc

 

私は私でよかったなぁ。

 

関わってくれているみなさん。

いつもありがとうございます。

44歳になった私とも、ぜひ関わってやってください。

 

ではまた。

 

 

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