藤山家においでよ

藤山家ってこんなとこです。

嫉妬心と神様の話し。

私は最近、自分が「恥ずかしいと思っていたこと」を全部書いていこうと思っている。

なので今回のこの記事も割とうえ~とか思いながら書く。ことにした。

 

私が色々なことを強制終了させられた時と強制引きこもりになった時。

 

↓この時ね。

私が“ゆるむ”とどうなるか。 - 藤山家においでよ

 

私が引きこもるとどうなるか? - 藤山家においでよ

 

何故か相談事が立て続けにあった。

恋愛相談、性に関する相談、人間関係の相談、夫婦問題の相談…

ほんとに一気にいろいろあった。

 

その中で、私がなぜかものすごく注目したのが

 

『嫉妬心』

 

というキーワードだった。

 

お話しを聞いていると、この言葉がたくさん聞こえてきた。

そして私はその『嫉妬心』に『?』と感じたのだ。

 

嫉妬心ってなんだろう?

どうして『嫉妬』するんだろう?

 

『嫉妬』にたいして自分の言葉でまるで説明できないことを知ったのです。

 

そんな時は亮一さんに聞くに限ります。

なんでも応えてくれますからね!笑

 

「ねー、嫉妬って何だと思う?」

 

亮一さんはとっても慎重に丁寧に、亮一さんの言葉で応えてくれました。

いつもほんとにありがたい。

 

でも…

 

この時ばっかりはなんとも私に染み渡らず…

 

うーん…

 

私が知りたいことはなんなんだろう?

 

私の心と頭の片隅にはいつも『嫉妬』って一体何なんだろう?がついてまわるようになりました。

 

そういえば、私は恋愛という行為においてあまり『嫉妬心』というのを感じたことがないなぁ。

全く無いわけではないけれど、胸を掻き毟るような嫉妬は体験したことがない。

 

なんだろう?

どういうことだろう?

 

そんな時、子宮委員長のはるちゃんのブログを読んだ。

私はその時、はるちゃんのブログを読んで胸がザワザワしたのだ。

 

「おりょ?これか?これが嫉妬というやつか?」

 

ものすごく居心地が悪い。

胸が締め付けられるような、ザワザワするような…

 

これはチャンスだ。

 

じっくり観察。

 

私は何をどういう風に感じているんだろう?

 

この観察は少しづつ、数日に渡って行われた。

この居心地の悪いこの感情。

ほんとは早くどこかに行って欲しい。

早く過ぎ去って欲しい。

でも知りたい。

感情や体感は時間とともに過ぎ去ってしまうのだけれど、

自分で納得する答えが欲しいもんだから

自らその感情と体感をもう一度!もう一度!と掴みにいっていた。

 

そんなある時、ポコンと言葉が湧いた。

 

「“誰か”と自分を比べている時に湧く感情なんだよ」

 

そんなこと、いろんな本でもいろんなブログでも書いてあったし、そんなの知っているつもりでいた。

そしてとてもシンプル過ぎて

「そんなん知ってるわい!!このあほんだらー!」

と言いたくなってしまう言葉だ。

 

でもなぜかこの時は

『あーー!そっかぁーー!!』

と深く腑に落ちてしまった。

 

「“誰か”と自分を比べて、自分を卑下している時に起こる感情」

「“誰か”と自分を比べて、自分の方が劣っていると感じてしまっている恐怖」

 

なるほど。

 

うらやましいんだね。

私は子宮委員長のはるちゃんのブログを見て、『うらやましい』と感じたんだね。

そうかそうか。

 

なんだかそこが腑に落ちたらすんごくスッキリしてしまった。

比べる必要なんてないじゃんね。

でも『うらやましい』と感じている感情は大切にしようっと。

なんてことを感じ、私は達成感を感じていた。

 

「よしっ!!『嫉妬心』制覇!!」

 

みたいな。笑

 

数日たったある日。

そんないい気になっている私にガツンと衝撃が走る。

 

またもやあのザワザワ感がやってきたのだ。

あの居心地の悪さ。

あの「わーーっ!」と叫びたくなる感じ。

 

「嫉妬」のやろうがまた私を翻弄しはじめたのだ。

 

そう。

このブログを読んで。↓

akikologue.hatenadiary.jp

 

彼女のことは以前にも紹介したと思うけど、私は彼女のブログを読むとものすごくザワザワするのだ。

 

彼女は私がすごく好きな文章書く。

行動も感情も言葉も、何をとっても美しく、透明感を感じる。

 

それはもう『文章から匂い立つ』としか表現できない“何か”なのだ。

 

到底マネできるものでもない、でもきっとずっと私が欲しかった、憧れていた“それ”なのだ。

 

彼女の文章を目の当たりにすると自分が自分に感じている『泥臭さ』みたいなものを感じる。

今までの人生、這いつくばって泥まみれになって生きてきたんだということを思い知らされる。

私は『泥臭い女』だ。

 

美しい、敬虔な、透明感のある、純粋性、素直さ、、、、

 

もう私が憧れてならない言葉がわんさかと彼女のブログから匂い立つ。

 

うらやましい。

うらやましい。

うらやましい。

 

私は『嫉妬』に翻弄された。

そしてそれをまた直視することになった。

 

じーーっとじーーっと見続けた。

ごまかさず、逃げず、じーーっと感じ続けた。

 

そうしたら

私はものすごく恥ずかしいことに気付いてしまったのだ!!

 

いい?

 

もんのすごい恥ずかしいこと言うよ?

 

すごい勇気だすからね?

 

あのね

 

 

「私は神様が好きなんだ!」

 

ってことに気付いちゃったのだ。

 

あれ?

拍子抜けした?

 

もしそうならごめんなさいね。

 

ずーーっと自分で見て見ぬふりしていたことなのよ。

 

こんな私みたいな『泥臭い女』が『神様が好き』だなんて。

こんな『泥臭い這いつくばって生きてきた女』が『純粋に祈りたい』だなんて。

 

でももう気付いちゃったんだ。

 

彼女みたいに私も純粋に『神様』を想いたいんだって。

 

私は『神様』という言葉が好きだったんだ。

『祈る』という行為が好きだったんだ。

 

繋がりたい。

いつでも繋がっていたい。

 

『神様』という言葉には誤解を招く“何か”があるよね。

 

『神様好き』=『宗教』

 

みたいな。

 

『宗教』=『胡散臭い』

 

みたいなね。

 

でもここで私が言っている『神様』はそうではないのです。

そして私は特定の宗教に入信もしていなければするつもりもありません。

 

『神様が好き』=『自分が好き』

 

なのです。

 

『神様に祈る』=『自分に祈る』

 

なのです。

 

『神様』のところを『宇宙』と表現している方もいるし

『大いなる存在』と表現している方もいらっしゃいます。

それはひとそれぞれ。みんな同じものを指しています。(と思う。)

 

こういうコトをブログに書くこと自体がほんとは恥ずかしくておこがましいと感じているのも事実。

 

でも書くんだ。

 

私が書きたくなったから、私に書かせてあげるんだ。

 

「私は神様が大好きです!」

「私は祈るのが大好きです!!」

 

これを認めてしまったら、見事に『嫉妬心』はなくなりました。

 

いつのまにか封印してしまっていた“好き”ってまだまだあるんだと思う。

それをもっと感じたいし味わいたい。

体感するためにいるんだもんね。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます!

 

ではまた。

 

 

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貴女に出会えるのを楽しみにしています!

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