タイトルの言葉。
私が憧れていた言葉です。
(「私は本が好きです」もすんごく憧れてた。)
ずっと言えなかった。
こんな位の読書量の私ごときが『私は読書が好きです』なんて高尚な言葉を発せられるわけがないじゃないですか!!とずっと思っていたのです。
ここで発覚する自分の思い。
『読書』=『高尚』
ずーっとずーっとそう思っていました。
私はいつの頃からか、『本を読む』ということを楽しめなくなっていました。
本を読む前にすごく身構えるようになっていたのです。
「この本を読むとなにか有益なことが私におこるのだろうか?」
「この本は私を大きく飛躍させてくれるのだろうか?」
「この本を読めば知識が増えて人からすごい!と言ってもらえるようになるのだろうか?」
幼少期はただ単に好きなお話しを楽しんで読む、何度も同じ話を読む、好きだから。
と素直に思えていたんです。これですよね?
10代のころの私はひどい摂食障害で毎日がそりゃもう大変でした。
(結局20代の後半までそれは続くんですけど。)
自分のことが大嫌いすぎて、「今の自分じゃダメだ!こんなに醜い私を愛してくれる人なんているわけがない!!」と毎日毎日自分にダメだししていました。
隙あれば“食べ吐き”をしていたもんだから集中力もなくなっていく。
本を一冊読むなんて、たまに起きる奇跡のような出来事でした。
でも、ほんのたまにそんな奇跡がおきるんです。
ただ、それが“ほんのたまにしか起きない”と知ってしまっているもんだから
その一冊はすんごく慎重に選ぶわけです。
そして人から愛されたい(承認されたい)もんだから、なんだか小難しそうな本を選ぶようになっていったのです。
いつのまにか「この本が面白そうだから読む」「この本を読みたいから読む」という選択ができなくなっていました。
「この本を読めば知識が増えて人から称賛されるかも!」
「この本を読めば人から認められるかも!」
いつもいつも本を選ぶ時にはそんなことを思ってました。
18歳の頃、私はK氏という方に出会い、一緒に仕事をすることになりました。
K氏のことが出てくるブログ↓
よかったらどうぞ。
このK氏とその奥様と秘書の女性がほんっとに知識がすごかった。
読んでる本も半端なかった。
18歳や19歳の小娘の私にとって、それはかなりな衝撃でした。
「ゆきえはどんな本を読むんだ?」
K氏にそう聞かれるのがほんとに恥ずかしかった。
そしてK氏も奥様も秘書さんもあからさまに私をバカにしました。
(からかわれキャラだったんです。ふざけてですよ。)
「お前もこれくらいの本を読め!」
K氏が差し出す本は難しい本ばかり。
やっぱり…あのくらいの本が読めないと私は認められないんだ…
私の本にたいするハードルがどんどん高くなり、薦められた難しい本を理解することも読み終えることもできない自分。
“本を読む”という行為もわからなくなっていき、『私はどんな本が好きなのか』もどんどんわからなくなっていったのです。
『本を選ぶときにいつも人目を気にする』時期はかなり長く続きました。
本を読むならその時間を最大限有意義にしなければならない!
本を読むとは人から称賛されるようになるためにする行為だ!ぐらいな勢いでした。
(いやほんとに)
それでも細々と本は読んでいました。
だって、読まなきゃダメでしょ?
「本が好きなんですぅ~♡」
そう可愛く言うアイドルをテレビで見るたびに『ケッ!!』と戦闘体制になる自分。
「本は私の人生になくてはならないものです。本が大好きです。」と知的に答えているモデルのインタビュー記事を読むたびに『はっ!!』と悪態をつく私。
憧れの裏返しです。はい。
そんな私に読書転機が訪れ始めます。
26歳の頃、私はリフレクソロジストになるんだ!と鼻息荒く英国式リフレクソロジーの元祖である会社の養成校に入りました。
スクールの受講を無事に終え、次に始まったのがプロとしてサロンにデビューする為に行われる一か月ほど毎日のように続く、プロトレーニングと言われる地獄の特訓でした。(ほんとに辛かった…)
よゆーでいけるっしょ?と根拠のない自信に満ち溢れていた私はその過酷さに自分の出来なさに打ちのめされます。
毎日のように肩を落としている私に女神のように微笑んで励ましてくれる女性がいました。同じプロトレーニングに参加している仲間の年上女性です。その女性は中村さんといいます。
柔らかな笑みをいつも浮かべているその中村さんはとても幸せそうに見えました。
お子さんもいて幸せ溢れる家庭なんだろうなぁと感じていました。
とある日、私は中村さんに聞いてみました。
「ねぇ、毎日幸せなんやろ?ダンナさんも優しいんやろうなぁ。」
少し照れながら「うん♡ダンナさんも優しいし毎日幸せやで♡」という答えが…
…返ってくることはありませんでした。
「離婚してるんやぁ。だから一人で子育てしてるんやで♡」
もんのすごい笑顔で答える中村さん。
その後の答がすごかった。
「元ダンナさんな、覚せい剤で捕まっちゃったんやでぇ。(ニッコリ)」
ニッコリ?え?
どこからどう見ても優雅な生活をしてそうな幸せ溢れる柔らかな女性の中村さん。
かかかか…覚せい剤…
「なんで?!なんでそんな幸せそうにしてられんの?!!」
私はまだまだ毎日が暗い日々を過ごしていたので食いつきました。
「小杉ちゃん(私の旧姓)♡一緒に幸せになろうね。全てに感謝だよ♡」
ガーーーン…
…す、全てに感謝…
…なんだよ…全然意味わかんねーよ…
「は?なにそれ?」
私はきっとすんごく嫌な顔をしたと思う。
ほんとに『こいつ何言ってんだよ…』と思ったから。
「小杉ちゃん♡『生きがいの創造』っていう本知ってる?よかったら読んでみて♡」
中村さんはものすごい笑顔でそう言いました。
普段ならそんな風に薦められても大概調べたり買ったりしないのに、すぐに調べてすぐに買っていました。
『全てに感謝』の意味が知りたかった。
『幸せ』がなんなのか知りたかった。
『生きがいの創造』は当時の私にすんごい衝撃を与えてくれました。
“食べ吐き”をすることすら忘れ、一気に読んでしまった。
「本ってすごい!!」
細胞にスルスルと入っていくような感覚。
読めば読むほど目が見開いていてしまうような感じ。
優しく語りかけてくれるような飯田先生の文章に浸かっていたい。
もっと読みたい!!
私はその後飯田先生の本を貪り読むようになりました。
本を読むってこういうことだよな…
あれ?
もしかしてもしかして…
自分の好きな本を好きなように読めばいいんじゃないの?!
がびーーーん…
いや待てよ。
いやいやいやいや…
そんなはずないって。
やっぱり自分の身になるものを選んで読まなきゃでしょ。
小説なんて読んでる時間ないって。
てか時間無駄だって。
だって物語でしょ?
娯楽でしょ?
私に娯楽を楽しむ資格なんてないって。
とっとと『すごい自分』にならなきゃいけないんですから。
本に対する観念がせっかく壊されそうになったのに、自らそれを否定する私。
まだまだ『読書を楽しんでいい』を自分に許せません。
それから数年後、整体のお仕事をしている時(亮一さんが店長をやっていた整体サロンで働いてました)いつも本を読んでいる男性スタッフがいました。
その男性が「これ、めっちゃ面白いよ」と貸してくれた本がこれでした。
薦められるままに読んでみた。
もう腹抱えて笑いました。
活字だけの本でこんなに大笑いができるんだ!!
大笑いして泣いて…
すんごい面白い!!
こういう本を面白いって思っていいんだ!
この本を読むことも『読書』って言っていいんだ!
(他になんていうんだよ)
私の読書への大きな大きな壁が完璧に、やっと、壊れた出来事でした。
「私は私が読みたいと思ったどんな本も読んでいいんだ!」
「本を読むことを楽しんでいいんだ!」
やっと気づいたか!ボケボケゆっきぃよ!!
それからは摂食障害もだんだんと収まっていき(摂食障害についてはまたおいおい書きますね)“本を読む”という行為を純粋に楽しめるようになったのです!!
じゃじゃーん!!
この人の書く文章もたまらなく好きだ。
それでも「私は読書が好きです」の言葉にはかなりな抵抗がありました。
冒頭の言葉です。
「“この程度”の読書量の“こんな私”がこのフレーズを言うのはおこがましいだろ…」
↑そう思っている自分に気付いちゃったのです。
なんかおかしいな。
勝手な思い込みだし、また誰かと比べてる。
それに“私”は“こんな私”じゃねーし。
変なのー
なので大きな声で言ってみます!!
「私は読書が好きです!!」
わーい!言えたっ!!
自分のことを丁寧に観察して丁寧に感じてみる。
“私”はなにが好きなのか。
“私”は何を面白いと感じるのか。
日々を丁寧に生きる。
自分を大切にする。
それは細かく“私”に起こる感情や思考を観ることだと思います。
そして知っていくことだと思っています。
そしてそれはとても地味な地道な行為です。
一緒にやりません?
長々書いて結局宣伝!!笑
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