藤山家においでよ

横浜のパワースポットと化した藤山家。施術、お料理、お話し会などを通じて『幸せに生きる』を実験、研究しています。

布ナプキンをつかってみたら。~布ナプれぽ。追記~

 

フェイスブックのコメント欄にこんな言葉があったので追記。

(かよちん、見てる?笑)

 

それって、仕事のときとかすぐ洗えない時は…?

何時間も換えられない時あるし…

なかなか挑戦するのにはハードル高そうだ。。

ものすごく興味はあるけど。

 

ですよねーー!

 

てことで、まだ初心者ながら追記のレポです。

 

まず出先でどうするか?ね。

 

私は購入した「布ナプセット」にこんな感じの袋がついていたので活用してます。

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これね。

中はこう。

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ジッパー付きの袋です。

出先では使用済みの布ナプをこれに入れて持ち帰りました。

これなら匂いももれないし、他のものも汚れないからねー。

ジップロックで代用すればいいと思いますよー。

 

でさ、どうやって?って思わないですか?

私が使っている布ナプはこんな感じ。

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これとー

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このタイプ。

(テレビのリモコンが見切れてるのは見ないようにお願いします。笑)

 

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これは↓こっち側をオマタにつけるんですけどー

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(リモコン…笑)

汚れたらこうします。

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ね?

こうやると経血がついたとこを隠せます。

 

で、こっちのタイプは…

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↓こうして使います。

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で、汚れたらこう↓

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なんか可愛い。

 

これで使用済みの布ナプを持ち帰るのは問題なしです。

で、洗濯問題。

時間が経てばもちろん経血は乾くわけで、「落ちなくなるんじゃね?」と思いません?

それがさー

落ちるんだよねー

やり方は一緒。

 

帰ってからお水でザブザブ洗ってから洗剤を混ぜたお水に浸けて置くだけ。

 

これがさー見事に綺麗に落ちるんですよー!

 

出先での持ち運び問題と洗濯問題はクリアだと思います。

 

で。

一番の問題点は長時間換えられないってことですね。

これはハラハラドキドキです。

 

生理周期とか量とかって、人によって、その時によって違うしね。

 

なので最初は市販の紙ナプキンと併用でいいんじゃないか?と思います。

1日目や3日目以降、もしくは朝と夜家に居る時だけ、そんな感じで布ナプを使ってみたら?と。

経血コントロールが上手くいき始めたら、きっと長時間変えられなくても平気になるだろうしねー。(長時間換えられない仕事のやり方を考えてみてもいいのかも?!)

 

自分なりの布ナプとの付き合い方を模索するってのもなかなか楽しいんじゃないかと思うわけです。

 

生理って「めんどくさい」とか「嫌だなー」とか思いません?

私はずーーーっとそう思ってました。

でもさ、これってほんとすごいことなんだよね。

毎月血を流すことってなんかすごい。

 

そしてそれが「私」の身体。

 

布ナプキンにすると生理は臭くないということに驚く」とレビューで読んだ。

マジか?!と思ったんだよね。

実際試したみたら…

 

マジでした。

 

布ナプに着いた経血を自分でザブザブ洗う。

綺麗な赤が水に溶けだしていく。

 

生理って綺麗なんだー

経血って汚くないんだー

そして臭くないんだー

 

そんなことを感じるのです。

 

「次の生理が楽しみになりました!」と書いている人がいた。

まさかー( 一一)と思ったんだよね。

 

そしたらさ…

 

次の生理、マジ楽しみ!!な私が今ここにいるんだよね。

 

 

やってみて。

面白いよ。

 

生理に気を配るってなんかいいと思うよ。

緊張しながら気にするとか、サイコーじゃんって思う。

 

まだ未体験な貴女。

ぜひに。

 

 

ではまたー。

 

 

布ナプキンをつかってみたら。~布ナプれぽ~

 

使ってみましたよ。

布ナプ

 

これこれ。

 

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実は今回で2クール目。

先月と今月はなんだかお月さまとの周期に若干のズレがありましてね。

今月も満月は29日なのにもうすでに私の生理は終ってしまいました。

 

で!

でね!

 

使ってみた感想ね。

あのね…

 

 

 

いいと思います!!

 

 

まぁまだ2クール目が終わった段階なので「すんごいいいよ!」とかは言えないですが。

 

私が一番心配だったのが「漏れ」

これは特になんの問題もなくクリア。

先月は最初だったこともあり、いつもひやひやしておりましたが…

 

一日目に使ったナプキンの枚数は5枚。

一応ライナーも下に引いてました。

夜寝るときは大きなお尻までガードしてくれる「多い日、夜用」のものをつけてがっつりガード。

それもまるで問題ありませんでした。

 

二日目に使った枚数は4枚。

一日目にドバっとでたからか、二日目はさほどナプキンに経血はつかず。

でも一応二日目の夜も大きな夜用を装着して就寝。

これもなんの問題もなく。

 

三日目になるとグッと量が減ったので、使った枚数は二枚。

 

四日目にはパンティライナーとしても使える薄いナプキンを二枚で済みました。

 

五日目は「まー一応つけておくかー」な感じで薄いナプキン一枚装着。

まったく汚すことなくすごしました。

 

ってことで、結果四日で生理が終了。

だらだらと続くこともなく、すっきりと終わったような感じでしたよ。

 

 

もう一つ懸念していたのが「洗濯」。

 

これもなんの問題もなく綺麗に落ちました。

汚れたナプキンはでざぶざぶと一回洗い、その後洗剤と水を入れたバケツに浸けておくだけ。

汚れたら水で洗ってバケツにポイ。

それだけ。

次の日にバケツの中の水と洗剤を捨てて、あとは洗濯機で普通に洗えばあら綺麗。

 

思ってたよりも簡単でした。

 

で、今回の2クール目。

やっぱりまだちょっとひやひやしましたが、ちょっとだけ慣れたかなーな感じでした。

使用したナプキンの量も、前回よりは少なかったです。

そしてなんと!3日で生理が終わるという…

これはびっくりでした。

 

トイレに行くとドバっと経血が出る感じがして「これはもしや…?経血コントロールが少しできているのかもしれない!!」とちょっと嬉しかったりしてねー。

 

経血コントロールってなに?って方はこちらをどうぞ。

経血コントロール | 布ナプキン専門通販【レメディガーデンオンラインショッピング】

(私が使っているのはこちらの布ナプではありませんが…わかりやすかったのでー)

 

先月初めて使ったときは経血がドバドバ布ナプに出てしまい、

 

「…おい…もしや…私のアソコは…ガバガ…いやいやいや!!」

 

なんつーことも考えてしまったのですが…(←結構ショック笑)

 

今回はなんとなく、ちょっとだけコントロールできたのかなーな感じでした。

 

フェイスブックのコメント欄に布ナプのパイセンからの言葉がありました。

 

「慣れてくると生理期間中布ナプキン一枚だけで過ごせるようになりますよー♪」

 

 

マジで?!

めっちゃかっこえーー!!

 

私!それ目指す!!

 

てことで、私の今の目標はそれです。

 

子宮は柔らかく温かく潤って。

そして程よい締まりのある女。

 

いい女だなぁ~。

 

あれ?

何を書こうと思ってたんだっけ?笑

 

 

そうそう。

布ナプ

 

いいと思います!

 

生理の度にかぶれたような痒みが出ていたワタクシ。

それが全くない。

そしてなによりも、なんとなくだけど「自分を大切にしている」感じがして。

子宮や膣に目を向ける。

意識をするってことを出来ている自分が嬉しくて。

 

『漏れ』も『洗濯』もなんの問題もない。

痒みもない。

ゴミも出ない。

洗剤は米ぬかが成分で水も汚さない。

 

そして経血コントロールで子宮が潤うし、自然に骨盤底筋が鍛えられる!

 

…てさ…なんで今まで使ってなかったんだろう?って思うわー。

 

迷ってる方がいたらぜひ。

一緒に体感しません?

 

ほんと、いいと思いますよ。

 

また何か変化あったらレポします!

 

ではまた!

 

潤った(もっと)いい女になるぞーー!笑

昨日のそらさんと子どもたちの変化と大好きということ。~南アルプス子どもの村学校入学 6週間経過~

 

昨日迎えに行った時のお顔。

 

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学校で飼っている鶏が突然いなくなってしまったというエピソードを一生懸命話しております笑

 

どうやら夜、狐に食べられてしまったらしいのです。

そんなことを一生懸命話してくれました。

 

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かわゆす。(*‘∀‘)

 

そんなそらさん。

昨日の帰りの車でこんなことを言いました。

 

そ「ママ、あのね、そらちゃんね、今週は学校の時間短いなって思ったよ。」

 

すごい!!

それはすごい!!

 

それを聞いた亮一さん。

 

り「そうかー!よかったなー!4回ねんねって案外短いでしょ?パパとママもね、今週は早いなーって言ってたんだよー。みんな少しずつ慣れてきたんだねー。」

 

嬉しそうに言っておりました。

 

うんうん。

そうだね。

 

寮で泣いちゃうメンバーは4人。

 

そらさん、Uちゃん、Tちゃん、Hくん。

 

安定の泣きメンバーでした。笑

今年は泣きメンバーがかなり少ないらしく、この4人以外はほとんど泣く子がいなかったらしいです。

 

その中でもぴか一に泣く子がUちゃん。

Uちゃんのママに聞いたら、一日にかかってくる電話が20回くらいだって言ってました。

しかも大泣きで。

 

これはほんとに心が折れそうになると思う。

Uちゃんママは「子どもがおかしくなっちゃうかと思ってほんとに心配する」と言ってました。

 

ほんと!ほんとにそう!

 

私もそらさんがおかしくなっちゃったらどうしよう?って思ったもん。

それが一日20回もTELでしょ?

 

…ほんとに辛いよね…( 一一)

 

Hくんのママも「もうどうしようかと思って…」と我が子から泣きながらTELがかかってくるときの心情を話してくれた。

 

もうね、この4人のママが「同志!」みたいな感じで…

 

「お互いがんばりましょう!!」って言い合いながらバイバイするわけですよ。

 

それがね!

それがさ!

 

先週あたりから急に動きが変わってきたのですよ!!

 

大泣き、わめき泣きだったUちゃん。

泣かなくなる日がくるのか?くらいだったんですよ!

 

それが!が!

 

急に泣かなくなったらしいのです!!

 

寮母さんのFちゃんが先週の帰りに行っていた言葉。

 

「みんなだんだん泣かなくなってきたんですよぉ。みんな楽しく過ごしてますよぉ。」

 

私はすかさずUちゃんのことを聞きました。

 

「え?Uちゃんも?泣かなくなったの?!」

 

Fちゃんはすごく誇らしげに頷いて

 

「うん!Uちゃんも泣かないね。そらちゃんもいつも楽しそうね。子どもはすごいよ!強いよ!」

 

と言いました。

 

私はそのFちゃんの言葉を聞いて、なんだかすごく嬉しくなった。

 

「すごい!ほんとすごい!!」

 

それから一週間たった昨日。

帰りにUちゃんのママに会いました。

 

ゆ「Uちゃん泣かなくなったんだってー?!すごいね!!」

 

もう他人事じゃなくてね。

 

Uちゃんママ「そうなのよー!一体なにがあった?ってくらい泣かないの!TELもかかってくるけど泣いてないの!」

 

すごく嬉しそうなUちゃんママ。

私もすっごく嬉しい!

 

 

そして帰りの車のそらさんの言葉。

 

 

「学校短いなって思ったよ。」

 

きゃー!!

 

 

子ども達の中でどんな変化があったのか、それは誰もわからない。

でも確実に何かが変わってきたんだ。

 

どうやって慣れたんだろう?

どんな心境の変化があったんだろう?

どうやってお友達を作っていったんだろう?

学校での子どもたちはどんな感じなんだろう?

 

私の知らないそらさんがいる。

私の知らないそらさんがどんどん大きくなる。

 

これは「淋しさ」でもあり「喜び」でもあるんだな。

 

ちょっとでも私たちにその「知らないそらさん」の姿を見せてくれたら嬉しいな。

ちょっとでも教えてくれたらこんなに幸せなことはないな。

どんな些細なことでもいいから。

 

大好きな人が自分のことを少しでも教えてくれたら、こんなにも嬉しいことはない。

 

私はそんなことを亮一さんとそらさんから教えてもらっている。

 

「大好き」ってそういうことなんだということを。

 

よかったら、貴女のことも教えてくださいね。

貴女に会える時があったならね。

 

 

そらさんも私たち夫婦も日々変わっていっています。

変わらない“何か”とともに。

 

 

視点を自ら選択出来る様になることが「自由」ということなんじゃないかと思う。

 

私は今、自分の過去の出来事を文章にしている。

誰に頼まれたわけでもないし、ましてや「お金を得られる仕事」ではない。

 

でも私のなかでは「仕事」なんだと思っているフシがある。

まぁ勝手な自己満足なんですが。笑

 

ソープ嬢だった頃の話しを出来るだけ詳細に、できるだけ赤裸々に書くということを楽しんでいる。

 

自分の過去の出来事を文章化する、言語化するという行為は「客観視」が必要になる。

過去の自分がまるで自分じゃないような感覚。

今、私は、そこに過去の自分(のように感じているもの)を全て「愛しく思う」とか「愛しく思いたい」という感情がある。

 

 

でも過去の自分のその時の心情を描こうとすると、「感情移入」や「感情の再現」が必要になる。

 

たまに過去の自分の心情を書こうとしている時に泣いちゃったりするのです。

 

「客観視」と「どっぷり感情移入」。

 

ここに二つの視点ができる。

 

外側から見る目線と本人の目線。

 

自叙伝を書いているとよくわかる。

 

そしてもう一つ。

読んでいる人の視点がたまに入る。(わざと“たまに”にしています。)

 

「この文章を読んでいる人はこう感じるかなぁ…」

 

全くの他人の視点にたつことは中々難しい。

でも視点を疑似体験することは可能だと思う。

 

これで視点は3つ。

 

 

 

これ。

日常生活で「今」できることなんだよね。

 

自分ストーリーにどっぷりに浸りたいときは浸る。

でも「客観視」の視点に戻ることができる。

そして「人目線」の想像(疑似体験)を意図的に意識する。(冷静に)

 

これらの視点を自分で選べるようになることを「自由」と呼ぶのではないか?と思う。

 

 

そこにもう一つの視点をくわえることが出来ると人はもっと自由度が上がるんじゃないか?と思っている。

 

 

『陰陽を超えた視点』

 

 

陰陽の図、知ってます?

 

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この図を書いた方、すんごい視点だと思う。

 

この世界の成り立ち。

それを表した図。

 

これ、もんのすごい上から?見ないと書けません。

 

 

「良い」も「悪い」も無い視点。

 「良い」の中に「悪い」があり、「悪い」の中に「良い」がある。

それがバランスよく統合されている。

どちらが欠けても成り立たない世界。

 

それらを観ることができる視点。

「客観視」よりももっともっと広い視点。

 

 

感情に飲み込まれて押しつぶされそうになる時もある。

目の前に起こった出来事に翻弄されて、ぐちゃぐちゃになる時だってあるかもしれない。

でもそんな時、ふと視点を自由に選べるようになったなら、そこには違う世界が広がる。

 

「視野を広げよう」なんて言葉があるじゃない?

あれって言うのは簡単だけど、視野なんてなかなか広がるもんじゃないと思うのですよ。

 

だからね「いくつもの視点を持つ」ってのがいいんじゃないかと思うわけです。

そして、その視点を自分で選べるようになるってことが「自由」なんていう言葉が当てはまるんじゃないかと…

 

…そんなことを思うわけです。

 

悩んでる人の話を聞くとだいたい視点が一つしかないことが多い。

視点がいくつもあると悩みが悩みじゃなくなる。

「悩み」から「そういう出来事」に変わる。

 

 

嫌な感情が湧いたとき、居心地の悪い感じがした時、そこがチャンス。

そこに“何か”が隠れている。

 

排除したい気持ちやごまかしたい気持ちをグッとこらえ、その感情や居心地の悪さに飛び込む。

「客観視」を忘れずに飛び込む。

嫌な感情の中に必ず「見つけて欲しかった想い」が隠れているのです。

居心地の悪さの中に必ず「味わいたかった体験」が隠れているのです。

 

「私」は「私」だけど「私」じゃない。

「私」が思ってる「私」じゃない。

 

 

ソープランドでの体験をなるべく赤裸々に書いている理由の一つに「感情を揺さぶりたい」というものがあります。

(揺さぶれるほどの文章力か?という疑問はさておき…笑)

 

それは「自分」の感情も「貴女」の感情も、です。

 

揺さぶられた時がチャンスだから。

 

視点を増やすチャンス。

自分の感情に飛び込むチャンス。

 

そしてそれは「自由」になるチャンスだと思ってたりします。

 

 

なんてねー。

 

 

ではまた。

 

 

 

よかったらこちらもどうぞ。

このへんからソープ嬢になっていきます。↓yukiukixkix.hatenadiary.jp

 

 

 はじめから読んでやってもいいけど~な方はこちら↓


yukiukixkix.hatenadiary.jp

 

 

 

 

そらさんを送って行く時、涙が出そうになるんだよね。

 

今日は月曜日。

 

そらさんを山梨に送って行く日でした。

そらさんはだんだん泣きが小さくなってきています。

最初はあんなに「うわーーーーーん!!」だったのに。

 

「泣きながらおにぎり」ももう今日はありませんでした。

 

朝、「そろそろ出かけるよー!」の私の声を聞くと泣いちゃうけど「うわーーーーん!!」ではない。

 

「うぇ、うぇ、クスンクスン…」みたいな泣きです。

 

 

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日曜日の朝。手に謎の絵を描いていたそらさん。笑

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ぶははは。天才なのかな。笑

 

 

車に乗り込むと必ず「ママのお膝…うぇうぇ…」と泣きながら私の膝の上に座ってきます。(ほんとはいけないんだよね?)

 

私に抱き着きクスンクスンと泣くそらさん。

 

私はその姿を見ると胸がグッとなって泣きそうになる。

 

それは「そんなそらさんの姿を見て悲しい」とか「これから離れるのが淋しい」とかそんな理由ではないんです。

 

私が泣きそうになる理由。

 

それは『刹那』

 

この私の膝の上で泣いているそらさんのことも私はすぐに忘れてしまうんだ。

そして、この!ここで!泣いているそらさんをもう二度と見ることはできないんだ。

 

もうさっきのそらさんはいないんだ。

この泣いているそらさんもこの後すぐにいなくなってしまうんだ。

 

どんどんと過ぎ去っていくだけ。

つかまえることなんかできない。

とどめておけることなんて何もないんだ。

 

そんなことをすごく感じてしまうのです。

 

いつだって、今だってそうなのに、そらさんのあの姿を見ると「それ」がものすごくリアルに感じるのです。

 

 

何もつかまえることなんて出来ないんだ。

ここにとどめておける事なんて何もないんだ。

 

そらさんはどんどん成長する。

 

赤ちゃんの頃のそらさんを思い出して、もっと切なくなる。

 

もうあの時のそらさんには絶対に会えないんだ。

 

いつだって刹那だ。

今だって。

 

そんなことを思い、グッと泣きそうになる。

 

「刹那いね」

 

でも、それがまたいいんだよね。

 

 

そらさんは泣きながらちゃんと学校に行きました。

ほんと、偉いです。

 

 

どんな一週間になるかな。

 

私たち夫婦も、どんな一週間になるかな。

 

刹那を積み重ねて生きましょう。

たった一回だけですから。

「私」は。

 

 

ではまた。

そらさんから教えてもらった超重要な情報。

 

昨日迎えに行った時のそらさんのお顔。

こんなでした。

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口のまわり、きったない(汚い)のわかります?

 

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顔きったねー!( ゚Д゚)

服もきったねー!( ゚Д゚)

 

「そらちゃん!顔きったねー!」

 

私がそう言うとそらさんは

 

「あははは!カレーだよカレー。」

 

と、汚い原因を教えてくれました。

 

いやいや。

汚くなった原因はいいから拭けよな。(*‘∀‘)

 

 

途中立ち寄ったサービスエリアではこう。

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そらさんはパパに抱っこをせがみ、「いーよぉ」と鼻の舌を伸ばした亮一さんが抱っこしてあげる。

 

幸せそうな顔です。うん。

 

この一週間は総じて落ち着いていたようで、お友達も増えてきたみたい。

まぁ相変わらず夕方には泣きながらTELがかかってきてたんですけどね。

 

それでも泣き方が違う。

 

寮母さんのFちゃんが「みんなすごいね。この一週間はみんなそんなに泣かなくなったね。子どもはほんとにすごいね。」とニコニコしながら教えてくれました。

 

 

 

そうそう。

前回の記事で、そらさんから聞いた重要な情報を書き忘れてしまったのです。

なのでここでみなさんにも教えておこうかと。

 

 

先週の春祭りからの帰りの車の中。

そらさんと後ろの座席でいつものようにぺちゃくちゃとおしゃべりをしていました。

 

と、その時。

 

そらさんが目をまん丸にしながら

 

そ「ママ。もしかしたら知ってるかもしれないんだけど…」

 

と何故か小声で言いました。

 

ゆ「え?なになに?なんだろ?」

 

そ「あのね…学校のお友達に聞いたんだけど…」

 

ゆ「うん。なになに?」

 

そ「あのさ…ミッキーさんっているじゃん。ディズニーランドに。」

 

ゆ「うん、いるねぇ。」

 

そ「あれさ、中に人が入ってるじゃん。」

 

ゆ「ん?…えーと…まぁ…そうだねぇ…(苦笑い)」

 

そ「そのね、中に入ってる人がなんと…」

 

「うんうん。」

 

 

 

「変わったんだってーー!!」

 

 

 

どひゃーー!!

 

ぶはははははは!

 

ミッキーさんの中の人が変わったらしいですよ!!

 

重大な事件だ!!

 

ゆ「えーー!ぶはははははは!そ、そりゃ大変だー!ぶはははは!」

 

私が大笑いしてるのを見て、そらさんは「あれ?しまった!」の顔をしながら

 

そ「え?ミッキーさんって一人じゃない?もしかして。」

 

と言いました。

 

ゆ「え?あははは!いや、一人だよぉー!ミッキーさんは一人でしょ?あははは!」

 

そ「あぁ、そうかぁ。そうだよねぇ」

 

ゆ「すっごい重要なこと教えてくれてありがとう。あははは!」

 

そ「うん。重要でしょー?」

 

それを聞いていた亮一さん。

 

 

り「それは大変なことだよー!声も変わっちゃうんじゃないの?」

 

 

もう!ちょっと!!

 

 

 

いやぁ~

マジかわいいですね。笑

 

みなさん、ミッキーさんの中の人変わったので。

よろしく。

 

 

今日は朝から私の足元でジャレついております。

猫のように。

 

 

ではまた。

子ども村学校の春祭りで大きく頷いたこととやっぱりなぁと思ったこと。②

 

 

さて。

前回の続きです。

 

Kちゃんのお話しね。

 

 

 

引き続きニイルさんの言葉。

 

人生についての究極的な回答が見出せない私に、こどもを教育するなどということが許されるだろうか。

私にできるのは、子どものかたわらに立ち、子どもが内から発達する自由を与えることだけである。

 

 至極正直な意見。

人生についての究極的な回答を見いだせている大人がいるのだろうか?

そこに正直になれない大人が押さえつけるようなことをするんじゃないか?と思ったりして。

そして、もし自分なりの究極的な回答が見つかっていたいしても、それが他の人に当てはまるかなんてわからないものだと思う。

 

結局できることなんて「貴方の好きなようにやってみたらいいんじゃないかな?ここで見てるから。」と言ってあげられることくらいだ。

(↑ここが難しいんだよね。)

 

次ね。

 

 

 

Kちゃんは「せっかくなので、保護者の方からよくされる質問や相談をまとめてみました。」と言いながら見せてくれたスライドはこんなタイトルでした。

 

 

ゆれる保護者

 

なんというタイトルでしょう。笑

「はいはいはい!」と元気に手を挙げたくなりました。笑

 

ゆれる保護者

 ○ホームシックがひどい

 ○漢字が書けない 読めない 九九がいえない

 ○言葉づかいが悪い

 ○ものを大事にしない

 ○片付けができない

 ○家でゴロゴロして、ゲームをしたり、テレビばかり見ている。

 

むむむー!

これは気になるものばかりだなー。

 

ただ、何が気になるって、Kちゃんがどう答えるのかが一番気になるのです。

 

「まずですね、『ホームシックがひどい』ですね。これはよくされる相談です。」

 

うんうん!わかるわかる!

私も相談したくなったもん!

 

「これですねぇ…まぁ…えーと…まぁね…」

 

さぁ!Kちゃん!

なんていう?

 

 

 

「ほっといてください。」

 

 

 

ぶはははは!

そうきた?!

「ほっといてください」って!

ウケる!

 

この後Kちゃんは、私たち夫婦が「うーーむ。ほんとにそうだなぁ…」とうなることを言いました。

 

「僕が見てきた経験なんですが、えーと、耳が痛い方もいらっしゃるかもしれませんが…。」

 

うんうん。

 

「ホームシックがひどい子、長引く子の特徴として、荷物が多いです。」

 

うひゃーー!!

なんかわかるーー!!

 

「お母さんの方が離れられてないんですね。心配で包んじゃってるような感じなんです。」

 

うむむー。

なるほどー。

 

「お母さんと子どもって最初へその緒でつながってますよね。これはすごい結びつきです。で、これをチョキンと切って産まれてきます。でも、その後もずっと繋がってるんですよね。この繋がりを母親の方が手放さないとホームシックは長引きます。

お母さんの『心配』が子供に伝わってるんですね。」

 

私はそらさんがこの小学校に入った時から、荷物を少なくしようと試みていました。

荷造りをしていると「あーこれもいるかなぁー。あーこれもないとそらが困るかなー。あれーこれも必要かなー。」とどんどん増えるのです。

 

その時、ふと思ったのです。

 

「あれ?これはあんまりよくないんじゃないか。」って。

 

私の心配を押し付けているだけだと気づいた。

もうね、グッとこらえるわけですよ。

これはいらない。これがなくてもなんとかなるだろう。

 

これ、すっごく重要なことだって思ったんです。

『そらが自分でなんとかするだろう』『なんとかなるだろう』って信じて「トンッ」と背中を押すってことなんだと。

これは全部自分の問題。そらさんの問題じゃない。

私が心配を手放せるかどうかでした。

 

で、面白かったのがその他の全ての質問相談の答えが全て

 

 

「ほっといてあげてください」

「大丈夫ですから」

「構わないでください」

「ブレないでください」

 

だったこと。

 

「九九が言えないんです。うん。ほっといてください。」

「片付けができない。うん。大丈夫。あきらめてください。」

「言葉遣いがわるい。そういう時期がある方がいいんです。」

「家でテレビみたりゲームばかりしてる。学校ではちゃんとやってますから、家ではそうさせてあげてください。ほっといてください。」

 

総じて答えはこれでした。

 

「子供には子供の人生があるんです。なので、ほっといて見守ってあげてください。」

 

子どもには子供の人生がある。

親の人生とは関係ないんだ。

私は私の人生を生きる。

亮一さんは亮一さんの人生を生きる。

そらさんはそらさんの人生を生きる。

 

子どもの生きる力や知恵を親の心配で奪わないで。

 

私にはKちゃんがそう言ってるように聞こえました。

(私の解釈の仕方ですからね。Kちゃんがそう言ったわけではありません。)

 

すんごい良い話し!

これよ!

これを私は私の母親に聞かせたかったのよ!

 

私の母親はとにかく自分に自信がない。

自分に自信がないゆえに、心配をまき散らす。

優しいし、ちゃんと私の話も聞こうとしてくれる親です。

でも、「ちゃんとしなきゃダメよ!」を自分が心配がゆえにまき散らすのです。

 

私はこれに結構苦しめられた。

「7年間の家出」という最大なる反抗で、なんとか私を保ったことを今となっては良かったと思っている。

 

そんな私は数年前まで「お母さんに私のことをわかってもらいたい」なんて思ってたりした。

それは「お父さんにも…」もあるんだけど。

 

でもね、「別にわかってもらわなくていーや。だって関係ないし。それにわかるもんでもないし。お母さんにわかってもらえなくても幸せとは関係ないし。」と気づいた。

拗ねたわけでもなく、ほんとに心から思っているのです。

 

母親と私は別の人間。

違って当たり前だし、お母さんだって迷いながら生きてるんだから。

 

でもさ、やっぱりうずくのです。

「論破したい!」なんて気持ちがムクムクと湧く時があるのです。

 

が…

母親は途中途中寝ておりましたよ…( 一一)

ま、いいんですけど。

 

 

そして春祭りも終わりに近づき、そろそろ帰ろうっかーとそらさんの帰りの会が終わるのを校庭で待っている時。

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隠し撮りしました。笑 隠してないか。

 

「やっぱりお母さんにはわからないやー。」

 

母親がさっきのかとちゃんの話を聞いて思ったことを言い出しました。

 

「ああいう説明を受けてもやっぱりわかんないし、お母さんには納得できないや。」

 

私は別にムッとするでもなく、ただただお母さんが感じたことを知りたかった。

 

「どこが?どのへんが納得できなかった?わかんなかったのかな?」

 

冷静にただ質問をする。

 

「だってぇー、ほとんどほっとくみたいな感じでしょ?そんなのさーマコみたいな子には無理だもん。絶対なんにも出来なくなっちゃうしなんにもやろうとしなくなっちゃうと思うもん。」

 

↑ここにでてくる「マコ」とは私の7つ上の兄です。笑

ほんとに怠け者で、未だに母親に怒られてる甘えんぼ。

そして母親も兄が心配で手放せない対象です。

 

「うーんと…でもさ、それってお母さんの『心配』を言ってるんでしょ?お母さんが心配なだけでしょ?」

 

「いや、そりゃそうなんだけどー…でもやっぱり無理よ。勉強だってやれやれ言わなきゃマコはやらなかったもん。いっぱい言って、それであれだもん。」

 

いやいや…

うーん…

 

「いや、でもね、それだってどこまでいったってお母さんの心配から発してる言葉なんじゃないのかなぁーって話をしてるんだけどさぁ。」

 

「…うーん…そうね。お母さんは言い過ぎだっていつもいわれるのよ。そうなのよねぇ。…でもわかんない!お母さんには理解できなかったもん。」

 

これね。

何を言ってるかわかります?

 

私とはまるで論点が違うんです。

母親は私の意見をわかりたくないんですね。

自分の人生を否定されてると感じてるんですねー。

私はただ、そのお母さんの言葉はどこから発してる言葉なの?と言ってるだけなんです。

 

誰も間違ってたなんて言ってないのに。

 

「まぁでもね、そらも頑張ってるし、パパもママも頑張ってるのはわかったよ。」

 

これが母親の精一杯の理解の示しかたでした。

 

うん。

うん。

 

これだけでもほんとにありがたい。

 

頭ごなしに反対する親じゃなかったのがありがたく感じました。

 

でも…

やっぱりなぁ…とほんの少しがっかりする自分もいるのは事実。

 

そのがっかりは「わかってもらえなかった」のがっかりじゃなくて

「母親自身が自分に自信がないままでいること」にがっかりしたのです。

そして、そういう母親や女性って、めちゃくちゃいっぱいいるんだよなぁとちょっと切なくなったのです。

 

ま、私も人のこと言えないんですけど。笑

 

 

私は母親にわかってもらおうなんて思わないし、人のことなんてわかんないと思ってる。

トラウマが…なんて言ってる場合じゃないんだ。

誰かを変えようなんて無理。

母親にわかってもらえれば幸せになれるなんて思っちゃいけない。

自分で自分のことをわかろうとしてないのに、誰かにわかってもらおうなんておかしな話だよね。

ましてやそんな自分が子供の人生に口出してるヒマなんてないんだ。

自分のことを見ないでいる言い訳に子どもを使ってるだけだ。

 

母親には母親の人生がある。

私には私の人生がある。

夫(亮一さん)には夫の人生がある。

子どもには子どもの人生がある。

 

そしてそれは全てが完璧なんだ。

 

そんなことをつらつらと再確認した春祭りの出来事でした。

 

 

明日はそらさんが帰ってくる日。

今回はどんな顔をみせてくれるかなー?

 

長々と読んで下さってありがとうございます!

 

ではまた。